6.水筒

 しかし、何故かナイフは結城の身体に入らなかった。ワイシャツで止まったままだ。それを見た結城が立ち上がった。ワイシャツの胸ポケットから、小さな金属製の水筒を取り出した。ひらべったい形で、胸ポケットに入るようになっている。前面の下部の金属が大きくへこんでいた。ナイフを受け止めたのだ。


 ペラペラの八城が再びナイフを振りかざした。


 結城は水筒のふたを開けて、八城に向けて振った。中から水塊が飛んで八城の顔に掛かった。結城の声がした。


 「聖水だ。出てこい」


 八城がペラペラの顔を大きくゆがめた。口から呻きが洩れた。


 「ぐぐぐぐぐ」


 ペラペラの八城の身体が二重になった。影が覆いかぶさっている。その影が八城の身体を離れて・・八城の横に立った。次第に影が濃くなって、ペラペラの若い女の身体になった。美しい女だ。


 一方、八城の身体は元に戻っている。八城がハッと眼を見開いた。


 「あっ、私、どうしていたの?」


 次の瞬間、八城が横に立っているペラペラの若い女を見た。八城が息を飲んだ。


 「あ、あなたは、山口七海ね。あなた、生きていたの?」


 ペラペラの七海の顔が婉然えんぜんと笑った。七海が後ろに下がって、トイレの入り口に立った。七海のペラペラの右手が伸びて、八城からナイフを奪い取った。同時に、ペラペラの左手が結城に伸びてきて・・紙のように結城の首に巻きついた。聖水が掛からないように距離を取って攻撃してきたのだ。


 結城の首が締まった。息ができない。結城は犬のように舌を出してあえいだ。気が遠くなる。眼の端にペラペラの七海の右手がナイフをかざして、こちらに伸びてくるのが見えた。


 薄くなる意識の底で、ペラペラの七海の顔が勝利に笑うのが見えた。


 いけない・・殺される・・


 意識がなくなる寸前に、結城は最後の手段に出た。一か八か、闇雲やみくもに七海に向けて水筒そのものを投げつけた。


 水筒が放物線を描いて飛んだ。そして、ペラペラの七海の顔に当たった。中の聖水が一気に七海の顔にほとばしった。


 首に巻きついた七海の左手が緩んだ。結城の肺に一気に空気が流れ込んできた。


 結城が全身全霊の声を振り絞った。


 「七海。ここから立ち去れ」


 聖水を浴びたペラペラの七海の顔が苦痛にゆがんだ。四肢を折り曲げた。ナイフが床に落ちた。断末魔の悲鳴が飛んだ。


 「ぎゃぁぁぁぁ」


 次の瞬間、ペラペラの七海の身体が白い煙になった。その煙が一本の筋になって、トイレの壁の小窓から外に飛び出していった。

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