第1話
私の苦手なもの、それは私に対する呆れを遠回しに伝えてくるため息だった。
「またレジミスしたの?」
バイト先のコンビニの店長に深くため息をつかれ、私の胸中では後悔と罪悪感と少しの苛立ちが渦巻いていた。
「斎藤さんこれで今月何回目よ。いくら優しい俺でも、許容範囲はあるんだよ? 分かってる?」
「す、すみません……」
元はと言えば先輩が私には処理しきれないほどの仕事を押し付け、さぼっていたからだ。でも先輩の見た目が派手だからか、店長は先輩が私に仕事を押し付けていたことを知っているくせに、私にしか注意をしない。先輩は廃棄のパンの中から持って帰れそうな物を物色し、鼻息交じりに選んでいる。
「とにかく気を付けてね。分からなかったり困ったりしたら先輩もしっかり頼らなきゃ」
店長がチラッと先輩を見た。
「そうだよ~。一人で頑張りすぎるのは斎藤ちゃんの悪い癖だよ」
ウィンクしてそうほざく先輩を私は無視し、コンビニの制服の上から上着を着た。
「お疲れ様でした」
今にも消えそうな声でそう呟くと、私は裏口からコンビニを後にした。
小学生の時から母親のことがとにかく大嫌いで、独り立ちすることだけを望み必死に頑張った。しかし高校卒業する際の就職活動は上手くいかず、結局フリーターとなり色々なバイトを転々とした。数か月後やっとお金が貯まり家を出たが、やはり就職活動は上手くいかず結局バイトをし続ける日々だった。それでも生活はして行けるぐらいにはなっていた矢先、バイト先で出会ったある男に家に転がり込まれ、なぜか同棲が始まった。
彼に流されるように付き合い始めたがそれなりに幸せで、案外悪くないかもな、とも思ったりした。しかし、そう思っていたのも最初の三ヶ月間だけで、段々と彼の気性の荒い性格が現れてきた。
彼の本性が現れるきっかけとなったのは、彼と付き合ったことでバイト先に居づらくなり、私がバイトを辞めたことだった。最初は私と付き合っていることがバイト仲間にばれないようにしたいと彼が言い、自己否定的な私は「こんな私と付き合っているなんて知られたくないか」なんて納得してしまった。しかし隠し事が得意ではない私は何度も彼と同棲していることが仲間にばれそうになり、何度もバイトを辞めるよう彼から誘導された。
珍しく自分を優しく受け入れてくれる人が多いバイト先だったため辞めたくなかったが、その時すでに彼の方が立場が上、というパワーバランスが暗黙の了解で存在したため、私は逆らうことが出来ずバイトを辞めた。
彼の隣以外の居場所を失った私を見て、彼はチャンスだと言わんばかりに精神的に攻撃し始めた。どんなに非道な言葉を投げかけられても相談する相手もおらず、彼からはこれが俺の愛情だと言い聞かせられ、私は精神的にどんどん弱っていった。
新しいバイト先でも冷たい態度を取られ、帰ってきてからは彼の身の回りの世話をしなければならない、そんな状況が半年ほど続いた。その間も「死ね」「汚い」「近寄るな」「口答えするな」「キモイ」、そんな言葉を浴びせられ、苦しくて仕方がなかった。
「あの……」
リビングで寝転がりテレビを観ている彼に私は話しかけた。
「何?」
舌打ちをして私の方を振り返る彼は、眉間に皺が寄っていた。
「今月ちょっと生活、きつくて……」
そのころは彼がほとんど生活費を払ってくれないため、私が彼を養っている状態になっていた。
「だから?」
あくびをして私から目を逸らす彼。きっと生活費なんて払ってくれない、そんなことわかっているのにどうして私は彼に話しかけているのだろう。
「優くんの食費分だけでも、払って欲しくて……」
はぁ……と深いため息が聞こえてくる。彼はバンッと床を叩き、私はその音で咄嗟に肩をビクッと震わせた。
「前に話したよな? 俺はお前と新しい家借りるために貯金してるって」
彼はそんな調子のいい噓をつき、立ち上がって私の真正面に立った。
「お前はいつも俺の気持ち分かってくれないよな? 目先のことしか考えられないし、本当に頭悪いよ。俺が寛大じゃなかったらとっくにお前なんて見限られているぜ」
ポンッと私の頭に手を置く。
「分かってる? お前がどれだけ馬鹿なこと言っているか。いかに無能で傲慢でくずで生きる価値がないってことも」
彼の言葉で私の身体は震え始める。
「だいたい、お前がもっと節約しっかりすればいい話だろ? お前の昼でも抜けばいいじゃん。なんでお前が大変なことをこっちにまで押し付けてくるわけ? 自分で何とかしなよ」
結局いつも私の頭の悪さを主張され、何も言えずに終わる。これはまだいい方で、虫の居所が悪ければ殴られたり、たばこの火を押し当てられたり、「今すぐここで死ね」と暴言を吐かれていた。
彼の怒りが収まり寝静まると、私は自分の発言や行動を一挙手一投足思い出し、後悔し自分を責め立てる。そして仕舞いには自分が異常に臭く感じて不安に陥る発作が起こるのだ。この発作が起こると、私は自分の臭いが落ちるよう手を強く洗い、香水をふりかけ、良い匂いがする毛布に顔を埋める。自分の恐怖に飲み込まれて死んでしまわないように、頑張って耐えて過ごすしかない。そうしていつの間にか寝て、そして寒さに震えて起きるのだ。私は彼に何度も布団を掛けなおしたけれど、彼は一度も私を気遣って毛布を掛けてくれたことはなかった。
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