第22話 不毛な想い
幸い”2人で”と言われなかったからルルフィーネ様も一緒にと答えられる。
レオンハルト殿下はこの後も色々な人と話をしなければいけないので、頼ることはできない。
「ありがたく使わせてもらおうよ。」
私が今一番聞きたかった声が聞こえて安心しつつ自分が情けなくなる。
「リリーシア?」
私は握られている手を軽くねじって離し、微笑むレオンハルト殿下に近付いた。つい先程まで感じていた不安や焦燥感が彼の顔を見たらあっという間に消えた。
「殿下・・・」
(来てくれて嬉しい。)
心の中に浮かんだ想いをそれ以上は言葉にできなかった。私の気持ちを伝えても殿下を困らせるだけだから。
もしかしたらただの吊り橋効果なのかもしれない。でも私はずっと認められなかった気持ちにもう蓋ができなくなってしまった。
私はレオンハルト殿下が好きだ。
傍に居てほしい。私に笑いかけてほしい。私の方を見てほしい。認めてしまえば溢れ出す利己的な望みを理性で抑え込んだ。
「キアヌ殿。休憩室はどこだ?」
殿下は私の背中に手を置いて休憩室へ案内するように促した。
「《ルルフィーネ嬢、後でリリーシアと戻るからそうしたら先程お願いしたことをよろしく頼むね。》」
「《かしこまりました。それでは皆様後ほど》」
ルルフィーネ様は綺麗にカーテシーして冷ややかな目でキアヌ殿下を一瞥してから去っていった。キアヌ殿下に休憩室へ案内させたレオンハルト殿下は「案内ありがとう。」と言って笑顔でパーティ会場へ戻るように圧力をかけた。
休憩室でソファーに座らされて、「何か飲む?」と聞かれたけれど首を振る。
顔を見たら私の気持ちを悟られてしまいそうで私は彼の顔を見ることができなかった。
あんなに誰かに嫌悪感を感じたのは初めてだ。何がそう感じさせるのかはわからないけれど・・・。
レオンハルト殿下はピクッと動いた。
私は無意識にレオンハルト殿下の肩に顔を寄せていた。
(まずい、無意識に接触しちゃった・・・)
私は自分の行動に驚いたけれど、嗅ぐたびにドキドキする彼の香りを吸い込んでしまうと離れて謝らなければいけないのに体が思う通りに動かない。
まるで自分以外の意思で動いているようだ。
「少しだけ・・・もう少しだけでいいから、こうしていていいですか?」
欲に負けてついそう告げてしまった。彼は左手で私の腰を抱いて、右手で私の顔を彼に寄せて抱きしめてくれた。
多幸感と高揚感に包まれる。
私はズルい。
レオンハルト殿下の優しさを当てにして慰めさせている。
(アダルベルト様・・・申し訳ありません。この部屋を出たらちゃんとしますから、一度だけ許してください。)
キアヌ殿下はいつもあんな強引に女性に迫っているのかしら。サルニアの社交界にもああいう人はいるのかもしれない。
私は今までサルニア帝国での社交でどれほど周りに守られていたのか実感した。家族や従兄弟やシオンに・・・。
(シオン・・・)
シオンのことを思い出して自分のこの行為が身勝手であることを改めて実感した。彼にあんなに守られていたくせに彼に酷い裏切りをしたような気持ちになり罪悪感でいっぱいになった。
「もう大丈夫です。すみませんでした。」
離れようとすると殿下は力を入れて、「もう少しだけ」と言った。1分くらいして私達は元の姿勢に戻った。
「助けてあげられなくて悪かった。」
本当に申し訳なさそうにレオンハルト殿下は言った。やさしい殿下はキアヌ殿下が私に迫ってきたことを申し訳なく思ってくれているらしい。
「いいえ、あのとき止めに来ていたら殿下に失望していました。それに、私に任せてくれたってことですよね?」
任せてもらえることは臣下にとって何よりも嬉しいことだ。
か弱くて何もかも男の人に頼り切る女性も可愛いのかもしれないけど、それは私がなりたい私じゃない。
「もう大丈夫です。」
そう伝えて、役目を果たすために私達は会場に戻った。レオンハルト殿下はルルフィーネ様を探し私を預けた。彼女が私が会いたかった人達を紹介して回ってくれたので私はマクレガー製薬のパートナーになりそうなカウンターパートを見つけ、父や長兄との会談の約束を取り付けることができた。
レオンハルト殿下のお手伝いは、キアヌ殿下のこともあったので単独でしなくてもいいということになった。
一通りやることが終わったのでルルフィーネ様に礼を言ってから別れ、シャンパンを持って一人でベランダに出た。キアヌ殿下の居場所を確認するとルルフィーネ様が話しかけに行っていたので安心する。
温帯気候にあるパリシナ・シティの今の気候は帝都ミダスの初夏くらいで、外に出ると気持ちいい温度だ。乾季から雨季への移り変わりの時期だがまだ空気は乾燥していて少し寒く感じるが、熱気に満ちた会場から出ると涼しくてちょうど良かった。
夜の帳は下りてはいるが今日は満月で明るく、海の向こうの低い山の稜線までよく見える。風が無くて凪いだ海面に月は綺麗に映し出されている。
「あの
「あれはイカ釣り漁船ですわ。リリーシア・マクレガーさん。」
「!!!」
後ろから凛としたアリシア王女の声がしてゆっくりと振り返る。私は黙ってカーテシーをする。
「私達しかいないから挨拶はいらないわ。あの船はイカが光を嫌う習性を利用した漁をしているの。」
「虫のように光が好きだから集まってくるわけじゃないんですね。」
「ええ、明るいのが嫌いだから昼間は来られない表層近くにエサを取りに上がってくるの。
へぇ、一つ賢くなった。ではなくて、わざわざ一人になったときに接触してきたのだ。彼女の真意を探らなくてはいけない。
「光が好きといえば、我が国の南部にあるアブレム国定公園にグローワームの洞窟があるの?」
「・・・申し訳ありません。グローワームを存じ上げないのですが。」
話の主導権をとられている。彼女の言わんとする事の予測が立たない。
「発光する虫よ。洞窟の中で青緑に発光して極地から見る星空のように美しいの。エサである虫を誘き寄せるために暗闇の中で光っているのよ。発光体はベトベトで光に引き寄せられた虫は触れたら逃げられなくなるの。」
「そうなんですね。機会があったら行きたいと思います。」
「ええ、セントラルからツアーがたくさん出ているから、こちらに留学してきたら行ってみるといいわ。」
私は驚いて眉をわずかに上げた。隣国の王女が一介の子爵令嬢の留学について知っていると思わなかったからだ。彼女は私に最初から接触するつもりだったのだと動揺する。
「ふふ。素で驚いている姿を見せるなんて箱入りの証拠ね。わたくしね、欲しいものがあるのよ。」
「欲しいもの・・・でございますか。」
「ええ、その欲しいものはレオンハルト殿下の欲しいものともあなたが欲しい人とも被らないわ。」
「欲しいものを手に入れるためにあなたにお手伝いをしてほしいの。」
「お手伝い・・・ですか?」
「ええ、あなたは周りにいる人達の光になってほしいの。なるべく長くあなたの伴侶を選ぶ時期を伸ばしてちょうだい。あなたは時に微笑んでグローワームのように魅了し、時にその切れる頭で
「・・・」
「見返りは、我が国の経済特区でマクレガー製薬を非課税で工場誘致させてあげるわ。それに、我が国だったら製造も開発もアルーノ・ユニオンや太陽国の基準に合ったグッドプラクティスをすぐに実現できるわ。サルニア帝国は世界屈指の先進国だけど食品や医薬品の法整備は後手後手ですものね。」
伴侶を選ぶといっても私の伴侶はシオン・ワイマール以外に選択肢があるとは思えない。ワイマール公爵家と婚姻の話を進めるなということか。婚約式から半年以上婚姻まで期間を設ける必要があるのでシオンはこれ以上婚約を待ってくれるとは思えない。わが家の事業に利益しかない見返りをくれるくらいの要求だもの、それなりのリスクがあるのよね。
とりあえずお父様に相談しないと。
「ふふ。ちゃんとWin-Winの関係よ。そのうち連絡するわ。また会いましょう、リリーシア・マクレガーさん。」
そういうとあっという間に去って行ってしまって、挨拶することもできなかった。
「パリシナ王家のうつけ者は簡単に落ちたわね。レオンハルト殿下は素敵なお土産を持ってきてくれたわ。」
アリシア王女がつぶやいた声は誰にも聞こえない。
何だか疲れてしまった。またイカ釣り漁船をぼーっと眺めた。
「リリーシア」
優しくそう呼ばれて振り返ると、何度見ても輝かしいイケメン皇子が心配そうにこちらへ寄ってくる。
(恋心を自覚してしまうとカッコよさが2割位増すわね。)
「アリシア王女に何か言われたのか?・・・ボーキサイトのこととか。」
「ボーキサイト?」
って何?レオンハルト殿下には私の婚姻のことは関係ないから、アリシア王女様とのやりとりを詳しく伝えるかどうか
彼の狙っていることもまだ私は測りかねているからだ。
「いいえ、世間話をしていたのですが、少し抽象的でよくわかりませんでした。」
「そうか・・・。」
レオンハルト殿下は上着を脱いで私に着せてくれる。
「わっ!ありがとうございます。」
上着から香るベルガモットの香りが私を包んで思わず恥ずかしくなり目をそらしてしまう。でも内心、めちゃくちゃ嬉しい。
海の方を何気なく見るとイカ釣り漁船が目に止まり、アリシア殿下のことを思い出す。
「アリシア・バロン・フォン・パリシナ・・・」
キアヌ殿下はフュルスト(公爵)でアリシア殿下はバロン(男爵)か・・・。同じ王の子なのに随分地位に差があるのね。パリシナ国は王位や爵位を女性も継げるので、その格差は男女差ではなくて第一王妃と第二王妃の家格の差ということかな?
私は殿下の耳に顔を寄せて口元を見られないように手で隠しながら内緒話の姿勢をとった。
「あの、キアヌ殿下よりもアリシア殿下のほうが優秀じゃないですか?」
正直、為政者としてはキアヌ殿下よりもアリシア殿下のほうが適性があるように思う。レオンハルト殿下は無言で曖昧な笑みで返してきた。これ以上この話をしたくないという意思表示を察して私は黙った。
しばらくの間、気まずい沈黙が流れる。
遠くで楽団の演奏が聞こえた。
「今夜は踊ったなぁ。・・・ダンス、談話、ダンス、ダンス、談話、ダンスで疲れたよ。」
レオンハルト殿下はうんざりしたように唇を尖らせて言った。私は緊張の糸が切れたようにクスッと笑ってしまった。
「パリシナの夜会で行われるのが社交ダンスじゃなくてフォークダンスだったら良かったですね。」
キアヌ殿下もあんな雰囲気にならなかったんじゃないかしら。
「・・・・マイム・マイム?」
着飾った紳士淑女が夜会で2重の輪を作りフォークダンスを踊っている姿を思い浮かべる。まぁあれは集落の連帯感を取るための祭りのイベントなんだけど。
「ぷっ。あっという間にたくさんの人と踊れて悪くないかも。」
想像したら可笑しくなって二人で笑ってしまった。笑ったらアリシアが残していったスッキリしない何かが少し消えた。レオンハルト殿下は私の冗談に乗っかってくれるところが心地いい。
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