第19話 髭男爵

皇城に引っ越してきて最初の週末。

初日は朝から保護区の外に車で出て、帝都ミダスで一番大きい家具屋に行って5階の温室に置くダイニングセットを買ってきた。ラウンド型の薄いグレーのテーブルは足が凝ったデザインになっていて、合わせた椅子はミッドセンチュリースタイルを代表するデザイナーの名作のレプリカだ。人生初の家具選びはとても楽しかったけれど、変装してもキラキラした王子オーラが隠しきれない殿下と私は目立っていたみたいで色々な人にジロジロと見られて、身バレしないかドキドキした。

帰りに寄ったレストランは大衆料理店で食べたプッタネスカはすっごく美味しくて、”くたびれた店に名店あり”が信条のオリバーお兄様を連れてきてあげようと思った。

殿下とは何度か城の外に食事に行ったけど、どこも気楽に行けるお店ばかりで、ジャンルもシノ大陸の料理やライド大陸の料理などさまざま。

レオンハルト殿下は色々な国の食べ物をよくご存知だ。

食は国の文化を表すものだから、偏見を持たずにいただくのだそうだ。食べるだけじゃなくて文化的な背景を理解するためになるべく書物を読んで理解を深めているらしい。

多分、そういう知識って外交上必要なんだと思う。海外の人に自国の料理を知っていてもらえるのって嬉しいものね。


休みの二日目は城内でのんびりと過ごすことにした。

せっかく皇城を自由にうろつけるのだから、色々と満喫したい。

そういえば、鍛錬場の奥に馬の厩舎と運動場があるらしい。こんな都会に馬がいるなんてさすが皇家!

昔の移動手段は馬車だったけど、今は車も鉄道も飛行機もある近代化した世の中だから馬といえば趣味の乗馬か競馬くらいだ。

私は受験勉強を本格的に始めるまで乗馬の選手だったので、久々に馬に会いたい!

乗馬に限らず水泳もピアノもバレエも習い事は受験のためにすべて止めてしまったけど、もう一度何か習おうかな。

とりあえず厩舎に行ってみよう。大人しく馬を見るくらいなら怒られないよね?


「ごきげんよう。散歩ですか?」

声をかけられて振り返るとアダルベルト様がいた。

「アダルベルト様、ご機嫌よう。ダンスの練習まで暇だったので馬を見に行こうと思って散歩してました。」

「帝都では馬を見る機会もあまりありませんしね。競馬場に行ったりはしないのですか?」

「はい、母は社交で行くときはありますが、私も父も兄たちも競走馬の扱いに思うところがありまして。」

「ああ・・・」

子供の頃、実験動物と競走馬について従姉妹の挑発に反論して物議をかもしたことがある。知る人ぞ知る話だ。アダルベルト様もご存知なのだろうか。リナに大学に入って最初に声をかけられたのもその時のことを彼女が覚えていたからだった。

「実は今からリリーシア嬢が行くこのパレス・オブ・ブルマンの厩舎にも競走馬が3頭いるんです。もし嫌なら・・・」

私は首を振った。

「馬に罪は無いです。それに私は競馬関係者に対しても何とも思っていません。単に競走馬を不憫に思っているだけです。ちなみにどんな馬ですか?」

「一番強い馬は青鹿毛の雄馬でクロヒゲダンシャク号と言います。」

「黒ヒゲ男色GO・・・前衛的な名前ですね。レオンハルト殿下がつけたんですか。」

「黒・髭・男・爵・号です。期間限定のリースで引退したら返すらしいので買った時の名前のままなのだそうです。牧場に帰ったら種牡馬スタリオンになるそうです。」

「そうですか・・・」

馬の人生って世知辛いな。

ダービーで先頭争いをしたら解説の人が黒髭男爵を連呼するのね。すごいシュールだわ。

アダルベルト様と別れて馬の運動場に向かう。くだんの青鹿毛の馬はどこだろう。

調教師がいたので教えてもらった。名は体を表すとはよく言ったものでクロヒゲダンショク号はダンディズムを感じる雄々しい馬だった。

「マクレガー令嬢は馬に乗れるのですか?」

「乗れます!」

「乗ってみますか?」

「ダービーに出る馬に乗せてもらえるんですか?」

「もちろん、違う馬です。」

うっ、そりゃそうか。芦毛の牝馬にしばらく乗せてもらって時間を潰すことにした。馬との一体感と受ける風の爽快さに幸せな気分になる。久しぶりの乗馬で色々な筋肉を使ったので、昼に食べたチキンビリヤニの腹ごなしになったと思う。

16時半になったので片付けをしてから調教師に礼を言って、シャワーを浴びてからスタジオに向かう。レオンハルト殿下の他にアダルベルト様もいらっしゃった。

「やぁ、リリーシア嬢。”アダルベルト再び!”でごめんね。」

「ふふ、”アダルベルト様のおかわり”は歓迎です。」

「・・・アディには動画撮影係として来てもらった。彼のことはこけの生えた石版だとでも思ってくれ。」

「ひどい」

確かに今日のアダルベルト様のパンツはモスグリーン色だから苔っぽいかも。


アダルベルト様が音楽をかけてくれる。殿下とのダンスにも慣れてきた。目を合わせてダンスするのはまだ恥ずかしいし相変わらず緊張する。

動画をチェックしてみると私が思っているよりずっとサマになっていた。

「来週からはドレスとスーツで練習しよう。」

確かに今の服は動き易すぎるから本番に近い格好で練習が必要だ。練習用に使うドレスはエリザベス殿下のお古で使用人に下賜した上でも売れ残った服らしいので気にせず使っていいとのこと。

「よし。練習も終わったし今夜は生牡蠣でも食べに行かないか?」

「やった!牡蠣大好物です。」

私が喜ぶとレオンハルト殿下はニッコリと笑った。

「苔の生えた石版もビールを欲しているんですけど。牡蠣ってお前は邪魔だから来るなってことか?」

「今日はどうもありがとう、アディ。生の貝が食べられないなんて人生損してるね。」

「俺の出番を勝手に終わらせるんじゃねぇよ。生貝は好きだけど当たったんだからしょうがねぇだろう。ってか、報告もあるの!休みの日にこうやって来てやっているんだからリリィちゃんより俺の好みを優先させろ。」

り・・・リリィちゃん?!アダルベルト様って私のことを影でリリィちゃんって言っているの?何で?それに、いつものクールな黒髪翠眼紳士の仮面が剥がれて言葉が汚いわ。

レオンハルト殿下も中々だけど、アダルベルト様のギャップがすごい。


それにしても・・・2人の痴話喧嘩を見て疎外感を覚えてモヤモヤする。


結局、アダルベルト様は一緒にオイスターバーに行ってクラムチャウダーを食べることにしたらしい。

店について席の準備を待っているとレオンハルト殿下が耳元で囁く。

「俺たちシガールームで密談してくるから、誰かに声をかけられても付いていかないように。」

「子供じゃないんですから大丈夫です。」

「子供じゃないから心配してるんでしょ。」

ああ、このあいだ母に同じようなことを言われたな。今は影の警護がついているからさらわれるような事は無い。多分。

レオンハルト殿下とアダルベルト様はシガールームで煙草を吸わずに葉巻のようにふかしていた。ときどき二人共むせて、大人ぶって煙草を吸っている少年のようだ。

(だ・・・ダせぇ。じゃなくて格好悪いわ。二人してタバコにむせる姿、地味にジワジワと笑いがこみ上げてくる。)

一人で笑うのを堪えていると二人組の男性に声をかけられた。

「ねぇ、俺たちとあっちでダーツしない?他にも女の子いるよ。」

指を指した方向に彼らのグループがいた。一人の女の子はベロベロに酔って男の子にしなだれ掛かっていた。あれが母が心配していた状態ね。

(あの子、このままじゃまずいよね。他の2人の女の子達も結構酔ってるわ。)

「あの・・・近いです。悪いけど私・・・」

彼らも酔っ払っているようで、ものすごくグイグイくる。

「彼女は俺の連れだ。おいで。」

私は手を引っ張られて抱き寄せられた。酔っ払い達は栗色のかつらを被ったレオンハルト殿下に威圧されて気まずそうに戻っていった。

(タバコ臭い!あ、でも何かこれはこれでいいかも。)

そういえば、煙草の後にキスをするとピリッと痺れるって聞いたことがあるわ。匂いもだんだん癖になるだって・・・っていやいやいや。私は何を考えているんだ。


「ん?」

悪寒を感じた。憎悪を込めたような鋭い視線で睨まれたような気がして、視線を感じた方を見るとそこには飲みかけのビールが残されていた。

「どうした?」

「誰かに睨まれていたような気がしたのですが・・・。それよりも・・・」

「?」

「口が臭いです。」

臭いの言葉にレオンハルト殿下とアダルベルト様はショックを受けたようだ。私から1mずつ距離をとって、お店の人に急いでシングルモルトウイスキーのソーダ割りを頼んでいた。

(しまった。匂い問題は伝え方に気をつけなければいけなかったんだ。)

子供の頃、抱きしめてきた父に”父様っていつも変な匂いがする”と言って意図せずミドル脂臭を指摘して傷つけたことを思い出した。

そんなことを考えているうちにさっきの嫌な視線のことは忘れてしまった。

ちなみにお持ち帰りされそうだった女の子のことはアダルベルト様に頼んで警察庁で保護してもらった。

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