第18話 パリシナ国への出張(2/2)

そしていよいよ初出勤。

8:15に皇太子執務室に出勤する。室長のブルーノ・ハドソンヤード氏はだいぶ前に出勤してもう働き始めていた。

8:30の始業の後、朝礼で室員の皆さんの前で挨拶をする。

「リリーシア・マクレガーです。分からないことばかりでご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いします。」

職員は室長・副室長も入れて10人で室長は個室を持っている。レオンハルト殿下は別の執務室があり、彼の護衛の席も殿下と同じ執務室にある。専任の護衛は5名で8:00-15:00と13:00-20:00の2交代制でシフトを回している。レオンハルト殿下とアダルベルト様はいつも一緒にいるイメージがあったが、実はアダルベルト様は週に2回ほどしかシフトに入っていない。毎日何かを報告しに来ていると隣の席のシンラさんが教えてくれた。

レオンハルト殿下は両陛下とレネー側妃殿下と打ち合わせをしてから来るのでいつも9時過ぎに入室するらしい。


「ファイルシステムがあるんですね。この部署だけで使っているサーバーですか?」

隣の席になった私の教育係のシンラさんに訪ねた。

「あ、うちはメインフレームっていう大きなサーバーを使っているんだけど、」

「えぇ、さすが国家の中枢!うちの会社では基幹システムにしか使えないです。」

メインフレームは通常基幹システムを処理する汎用機だ。解りやすく言うと大きくて超高性能のサーバーのようなもの。1台で一般的な一軒家を5軒ほど建てられるくらい高価だ。

「そう。メインフレーム知っているの?ここでは汎用的に使ってるんだ。国会の配布資料を作ったり。」

「なんて贅沢な!」

「うちで使っているメインフレームは省庁に入れたシステムの検証機だったからタダでもらったんだって。サポートに入っていないから壊れると大変みたい。」

「ストレージも同じく1台は検証機でタダでもらったんだけど、データは消えちゃったら困るから冗長じょうちょう構成にするのにもう一台買ったんだ。」

「なるほど・・・。」

「ひょっとして教えなくても操作できちゃう感じ?」

「多分。文書作成やデータベースの基本操作は実家で休みにバイトしてました。」

「いいね、僕達の部署は電子化を進めているからコンピュータの基本操作は必須なんだ。ちなみに皇帝室の人たちも皇后室の人たちもシニアだからコンピュータは扱えない人もいるみたい。」

なるほど今はデジタル化が始まったところなのね。WBMがメインフレームを無償提供したのは、ただの検証機の処分じゃなくてお試し用に提供されたのかもね。


「マクレガーさん、ちょっといいかしら?」

マーガレット・レッドホック副室長に呼ばれたのでシンラさんに礼を言って席を立つ。

「マクレガーさん、貴女には薬事関連に関して殿下の補助をしてもらうのと、間もなく始まるお妃候補の方々に施す教育の資料を電子化していただきます。あとは時間が許す限り殿下の秘書業務のOJTね。」


立法は議会から提出するので立案者はレオンハルト殿下となる。議会に提出する内容は有識者会議を経て、食品医薬品局の担当者たちが実際に内容をまとめる。

私の役目は、全体的な概要を殿下や根回しが必要な人達に解りやすく説明し、必要に応じて有識者や官僚との仲介役になること。

とにかく資料作成!けっこうなボリュームだ。

私の作業が遅れると食品医薬局の官僚に迷惑がかかるから優先度高だな。

お妃教育の資料は、各教科の先生と相談し教本を作成するそうだ。皇后様のお妃教育時代はコンピューターがなかったから、本と口頭でのみ授業をしていたらしい。使用頻度がかなり低いし今回の妃教育も間に合わなければ従来どおりの本で進める形になるのだろう。

勉強ができて腰掛けの職員の私にピッタリの仕事ね。優先度中。

秘書業務は・・・時間の許す限りと言っていたから正直戦力としては期待していないということだと思う。ということで優先度低。

資料をあつめて付箋を貼りながらノートに資料の構成案を書いていたらあっという間に17時半になった。殆どの人達が定時で仕事を終わらせて帰っていく。

この職場はホワイトみたいだ。

室長と副室長はとても忙しそうだけど。


18時に殿下との約束がある旨を伝えて、退勤して猛ダッシュで部屋に戻った。尊い方と物理的に近い距離になるのだから失礼のないようにシャワーを浴びておきたかったが、遅刻してしまいそうなので断念した。

スパッツの上にショートパンツを履いて、ゆったりとしたTシャツの上にジップアップのパーカーを羽織って鍛錬場でレオンハルト殿下を待っていると彼は20分遅れで走ってやってきた。首元がざっくりと空いたグレーの薄手のニットと黒い細身の9部丈のパンツというラフな格好。

「ごめん、打ち合わせが長引いてしまって・・・」

この姿で仕事をしていたのね・・・。


レオンハルト殿下は何度かニットを引っ張って風を入れていたが、クールダウンできなかったようで服に手をかけて脱ぎ始めた。

「っ!!」

変な声を出してしまうところだった。

ニットの下はピッタリと体のラインが丸わかりの黒い半袖のTシャツだった。

比較的細身ではあるけど腕も胸もいい感じに筋肉がついていて無駄な肉は一切ない。

(やばいやばいやばい。かなり魅力的な体だわ。あれと密着してダンスするなんて、ある意味拷問!)

「とりあえず今日はメトロノームで、BPM90の四分の三拍子・・・と。」

まずは基本のワルツから始めるらしい。踊るのはほぼ1年ぶりだから緊張する。

互いに挨拶してダンスの姿勢を取って寄り添うとベルガモットの香りと一緒に彼自身の香りがして心臓が大きく跳ねた。いや、一瞬心臓が止まって享年20歳になるところだった。ドクドクと動機が激しくて軽くパニックになった。

「まっ、待ってください。」

「?」

顔を上げると近くにあるレオンハルト殿下の顔が暑さで少し高揚していて、その艶っぽさに思考が停止してしまった。何故か唇に目が行ってしまって恥ずかしくなる。

「ドキドキしてしまって・・・」

えっ、という顔をしてから私の耳元に近づいて

「俺も」

と囁いた。甘い声にゾクゾクしつつ予想外の答えに驚いて耳を抑えて彼の方を見た。さっきよりもお互いが近くて、お互いにピクッと動く。

ドキドキと心臓がうるさい。

レオンハルト殿下の恋愛対象は男性なはずなのに・・・俺もドキドキした?

そして私もこの自分の変化の理由を深く考えたくなかった。

男性の匂いに反応してドキドキしてしまうなんて変態みたいじゃない!

「少し落ち着くまでこのままの体制でいようか。」

このままの体制・・・腰に手を添えられて、手と手が触れていて、近くで見つめ合う、この姿勢で落ち着くことはできるのか?

よく考えてみれば、シオンやお兄様たちとダンスするときもこの体制だ。だから、慣れればドキドキしなくなるのかもしれない。


20分が経過した。

心臓は落ち着いてきたと思うけれど、まだドキドキしたままだ。そういえば、寿命の短い動物は心臓の鼓動も早いらしい。

こんなことをしていると命がどんどんと削られていくんじゃないだろうか。ダンスは危険なスポーツなのかもしれない。

ふと、思いついた。

「この施設、低酸素で運動する鍛錬場なんでしょうか?」

「???」

しばらく考えた後、レオンハルト殿下は笑い出す。

「低酸素だからドキドキしたと思ったの?違うよ、そんな大層な施設は研究所とかじゃないとないよ。」

確かに低酸素運動をするなら標高の高い街に滞在してトレーニングすればいいのか。

「ふっ・・・今度、お姉さんに会ったら症状を伝えて健康状態を聞いてみたら?」

何だか馬鹿にされたような気がしてムッとする。

「ごめんごめん。踊ってみよう。」

レオンハルト殿下に引っ張られてワルツを踊り始める。殿下のリードは上手で、私も運動神経は悪くないので初のペアリングの割に結構いい感じで踊れた。


その後、パリシナ国に旅立つまで毎晩練習した。ダンスの熟練度は上がったが気持ちがソワソワしてしまうのは相変わらずだった。

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