第3話 アプロディーテの大殺界
「マクレガー様、もう何度もお伝えしてきたことなのですが成人になられて、夜会に参加する機会も増えると思いますので再度確認します。」
わかっていますよ!何度も聞いていますから。その話の切り出し方から推察するに美しさのために肝臓に負荷をかけるなという話でしょう。
肝臓に負荷をかける三大要素は飲酒、糖類の摂取、服薬だ。
薬は医師の許可なく勝手にやめられるものではないが、酒と甘いものはコントロールできる。酒と甘いものは脳がドーパミンの分泌を求めて欲求するものだから、ストレスを溜めないために個々に適した代替行為をみつけなくてはならない・・・という、かれこれ20回目の説教を聞かされる。
「肝臓をいたわることで得られる効果は・・・」
「その1、肌の新陳代謝及びヘパリン類似物質の生成で得られる保湿効果といった美肌効果。その2、基礎代謝の約3割を果たす痩身効果。その3、免疫力の向上。これらはアルコールなどの分解による解毒作業により阻害されるため飲酒等の行為は極力控えなきゃいけないんですよね。」
つまり、たくさんお酒を飲んだり、甘いものばっかり食べているとシミが増え且つ荒れた肌になり、痩せにくく、病気にもなりやすくなる・・と。でもそれって個々の肝臓の処理能力にも左右されるんだけどね。
でもさ、健康じゃないのは嫌だけど節制して美しくあるのって幸せなのかな?肌が荒れて太っても好きなものを食べてダラダラするのも人生を豊かにするような気がする。
「ご名答です。マクレガー様。」
20回も聞いていればさすがに覚えるでしょ。
高級美容ショップ・ヴィーナス コネクションの私の担当アーシェスさんは満足そうな顔をしている。私は月に1度ここにきて肌の状態を見て美容ケアをしてもらっている。
してもらっている?いいえ、正確には半強制的に通わされていた。
私は愛と美の女神アプロディーテの祝福を受けている。
私と同じ女神アプロディーテの祝福を受けている女性達は非営利団体を作っていた。その団体が神殿からの協力費を受け取り、年間の神事に誰を派遣するのかスケジュールを組むのだ。その取りまとめをボランティアでしているのがヴィーナス・コネクションの社長であるハンナ・リーコック(34歳)だ。私たち会員は、”愛と美の女神に恥じない美しさを保つ必要がある”というハンナの指導の下、美しさに磨きをかける努力を強いられている。
古代神の祝福って何なのかというと・・・。
サルニア帝国では、聖ザイル様を信仰するマリブ教を国教としているのだけれど、マリブ教では産まれてから3歳になるまでに洗礼を受けることになっている。その際にマリブ教の総本山から湧く泉の水に子供の
(別にありがたくないけどね。運がいいなら宝くじでも当てたいよ。)
ちなみに、祝福を受けたからといってファンタジー小説のように何か特別な力が使える、みたいなことはない。本当に何もない。
飲むと恐ろしくエグいらしいマリブ教の水は、髪の毛に含まれるタンパク質と反応して変色するというのが科学者の見解なのだが、マリブ教は信仰の神秘に科学が介入することを拒んでいてその水が実際どのようなものなのかは明らかになっていない。
話は戻って、ヴィーナス・コネクションでは、カウンセリングを元に作られた基礎化粧品、それぞれの顔にあったメークアップの商品と技術、筋トレの方法、姿勢と所作、食事指導そして生活指導についての情報を無償で提供してもらう代わりに会社のカタログにモデルとして載ることになっている。顔出しすると報酬がもらえるが、私は貴族でそこそこ裕福なので眼から上は載せない契約になっている。
正直なところ、ハンナのやっていることに思うところはあるが会員にならないと連休の中日とか僻地に神事を割り当てられるという噂があり、マネジメントを無償でやってもらっている負い目もあって祝福を受けている全員が会員になっている。
今月の分の化粧品を受け取り、お店の外に出たところで「すみません、何か落としましたよ。」と声を掛けられて振り向く。
振り向いた先には20代前半と思われる身なりの良い、まぁまぁイケメンの男がいた。
(あ・・・ナンパだ)
私は滅多にナンパされない。ナンパというのは成功率が高そうな女の子に声をかけるもので誘いに乗ってくれなさそうな女には声をかけないらしい。男の人は繊細だから断られると傷つくんだって。で、成功率低そうな女の子に声をかける男の人は自分にかなり自信がある人でちょっと面倒くさいことが多い。
「もし時間があったら、これから友達とビレイ・パーパーからクルーズしに行くんだけど一緒にどうですか?」
私は口をへの字にしてから手をヒラヒラして歩き出す。
「ねぇ、待ってよ。女の子も何人かいるからさ。」
無視して歩く。たいていは直ぐに諦めるんだけどこの人は追いかけてくる。
「お高くとまるなよ。大した女じゃないくせに。」
手首を掴まれた。
(ひぇー。どうしよう!怖い)
「警備隊に通報したぞ。女性に無体を働くクソ野郎。」
黒いローブを羽織った壮年の男性が叫ぶとナンパ男は走って逃げて行った。
「ありがとうございます。」
「いいえ、保護区の中であのような事をするなんて愚行としか思えません。」
助かった。街で遭遇するナンパって示談目的で車に飛び込んでくる当たり屋みたいだ。突然知らない人に馴れ馴れしく話しかけられて、話を聞かないと罵られるなんて理不尽だよね。
この人が言ったように保護区で女性に無体を働くなど愚かな行為だ。
サルニア帝国の皇城と各省庁が位置する帝都ミダスのセントラル地区は3つの堀と3つの城壁で囲まれている。第1城壁と第2城壁の間と第2城壁と第3城壁の間は城下町となっており、保護区と言われている。保護区は城壁を通るのに身分証の提示と荷物チェックが義務付けられており、警備兵の配置とセキュリティシステムのおかげで女性や子供が1人で歩いても危険がない。ちなみにヴィーナス・コネクションは保護区の中のR区24aに位置している。保護区は一般車両の乗り入れが禁止されているので今回は保護区の外の車止めまで移動する途中でナンパされた。
保護区の安全は確保されているのでどこかに連れ込まれる危険はないが、しつこく絡まれることはあるから安全ではあっても安心ではないな。
「ところで、私は先週オープンした占いの館を経営していまして、ただいまオープニング記念で占い料30%オフの70リルなんですがいかがですか?」
(・・・ん?これは断れないですね?)
70リルといえばバゲット20本くらい買える値段だ。占いなんて信じてないから興味ないけれど、助けてもらった手前ここは断らずに占ってもらうしかなさそうだ。
館に入ると白檀のお香が焚かれていて、小さな部屋に赤地の生地に金の模様のタペストリーが掛けられていた。黒いフードを被った老婆がちょこんと何の飾りもない木製のテーブルの前に座っていた。
雰囲気が・・・何ていうかな・・・オーセンティック?
(怪しすぎる。早く終わらせて帰りたい。)
ここの占いはシノ大陸チリマのものらしい。まずは生年月日を伝えて六星占術で占ってもらう。
「今年、そなたは大殺界の2年目”停止”じゃ。昨年は1年目陰影だったが息災だったかな?」
「は、はい。」
大殺界って・・・名前からして運が悪そう。でも去年は大きなトラブルは無かった。
大殺界の説明を聞いてゲンナリするのも束の間、今度は手相を見られる。
「そなたの手相だが・・・あまり良くない。家庭全体に災いが降りかかり、そなた自身の命も危機に瀕すると出ている。結婚は1度、子供は6人生まれる。」
かぞくにわざわい、いのちのきき?あまりに不穏な情報に頭がついていかない。
「でも、安心せよ。そなたの運気を上昇させる方法がある。」
今度は何やら札を並べはじめて3枚選んでめくった。見たことのない動物や東洋風の植物が描いてあるカードで何が何だかわからない。
「そなたが大殺界の厄災から逃れ、大義を成し遂げんとする時、大いなる光恒星アルタイルと神秘の衛星アルネが生み出す新たな希望の光を得れば一路順風となる。」
「ど・・・どういう意味です?」
全然意味がわからない。
「占いにはそう出ておるとしか言えぬ。」
「そ、うですか。」
もう八方塞がりじゃないですか。
「もしくはこの水晶をそなたの寝室の北北東方向に紫の絹布に乗せておけば運気があがるであろう。」
「は?」
強引に占いの館に連れ込んで占って水晶を売る・・・キャッチセールス商法ってやつじゃん!
「水晶は4200リルじゃ。今なら割ると光る棒が5本付いてくるぞ。」
高っ。でも光る棒はちょっと欲しいかも。きっぱりお断りして占い料を払って帰宅した。うちはまぁまぁ金持ちだけど父や兄が稼いでくれたお金は1リルだって無駄遣いしたくない。
寝る準備をしながら今日のことを思い出してため息をついた。今日は嫌な思いをした。
こんなことを言うと疎まれることは解っているので人前では言えないが、はっきりいって私は容姿端麗だ。麗しい容姿だと得られる利点はたくさんある。しかし、光と影のように何事にも美点と欠点がありその2つは表裏一体で美人だからこそ被る欠点もある。
ストーカーに遭ったり、妬まれたり、誤解されたり。
「大殺界、か。」
同世代の女性から嫌われていることが大殺界の一部なら今に始まったことじゃない。
私、リリーシアはサルニア帝国の名門アマニール侯爵家の傍系マクレガー子爵家の第4子だ。太陽の当たった稲穂のように輝かしい金髪と潤んだ紅茶色の瞳と形の良いピンク色の唇が蠱惑的な絶世の美女、とサルニア社交界と一部の女神アプロディーテ・シンパの中で言われている。
そして、古代神アプロディーテの祝福がさらに私に箔をつける。愛と美の女神アプロディーテは恋愛成就、美容、出産育児の神で若い女性に人気がある。まぁ、人気があるのはいいことだ。しかしながら、神話の中のアプロディーテは恋多き女で夫の兄弟神と浮気したという愛に奔放な一面もあり、そのイメージが私はあまり好きではない。
意図したことではないものの、何度か男女の揉め事を誘発させてしまった私は同世代の女の子に疎まれることが多かった。
(話しかられたから穏やかに応じただけなんだけどね。塩対応すればそれはそれで悪口を言われるしるし、いったいどうすればいいんだろう。)
“婚約者が楽しそうに大学の同級生のマクレガー令嬢の話をしてくる。彼女に婚約者をとられたらどうしよう“
みたいなことを令嬢達は茶会で話しているらしい。私に言ってもらえれば弁明できるけど、私がいないお茶会で話されると何もできない。そもそも、私は婚約者がいる人にちょっかいを出すような愚かなことはしない。というか、あなたの婚約者になんて興味ないと言いたい。
いちいち反論するとそれはそれで反感を買うのでスルーしているが、生まれ持った容姿とアプロディーテの祝福という根拠で男を惑わす女のように言われて、しばしば悲しい気持ちになっていた。
(私は男を
私に悪態をついてくるのは主に高位貴族の令嬢だ。特に私の従妹とその取り巻きの令嬢たち。
高位貴族の令嬢に疎まれているのは、本当のところは容姿への羨望ではない。女性たちの心をときめかせる帝国一の美丈夫で非の打ち所がない公子様と仲がいい・・・。はっきり言ってしまえば、彼から求愛を受けているからだ。
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