積雪
小狸
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「最近小説書いてないみたいだけど、元気?」
大学時代の同級生、
『良かったら読んで下さい』
と、そう書かれたツイートのリンクを辿った先で、短編小説が公開されている。
社会人一年目の夏、インターネット上の、鍵アカウントで投稿されたそれを見て、私は驚いたものだった。
あの大人しくて、面従的で、流されやすく、
茜と知り合ったのは、大学の学部であった。同じ国文学科で、小説の趣味が合い、よく話していた。最も、茜のディープな、オタクチックな話に、私はほとんどついていくことができなかった。
あの頃の私は、きっと茜のことをどこかで軽蔑していたのかもしれない。
そして――今も。
仕事の帰り道の電車で読むことを日課としていた。
茜が書く小説は、陰鬱な私小説である。
見ているとこちらが鬱病になってくるような何の救いようもないような小説群を、茜は頻繁に更新していた。
そのたびに、「小説用アカウント」として新しく作ったツイッターのそれに投稿していた。
初めのうちは「いいね」を押していたけれど、だんだん面倒臭くなってそのまま読むようになった。
筒木月茜に元々良い噂はなかった。
勿論それは彼女の人格に関わるものではなく――就職活動に失敗しただとか、病気になって家に引きこもっているだとか、そういう根も葉もない噂である。
どうも大学時代に所属していたサークルで色々あったのだそうだ。
学部が一緒だっただけの私にはよく分からない話だし、どうでも良かった。私にとって茜は、ちょっと不思議な、都合の良い時の友達――なのである。
誰でもいるだろう。
これは、私だけではないはずだ。
見ていると安心する友達――自分よりいつだって下にいてくれる存在。
だからやっぱりどこか、下に見ていたのだと思う。
うん――今なら、そう言える。
そして半年が経過して――年が明けた。
令和五年になってから既に十三日が経過したけれど、昨年十二月あたりから、めっきり小説を投稿しなくなっていた。
もう諦めたのだろうか。
茜はそれまでに五十近くの短編を投稿していた。
なかなかどうして鬱屈極まれりといった感じだけれど、妙に頭に残る文章がなかったわけではない。
つい共感してしまうような物語が、なかったわけではない。
書くのを止めてしまったのだろうか。
いや――ひょっとしたら死んでしまったのかもしれない。
小説用ではない、完全のプライベート用の鍵アカウントでは、茜は頻繁に希死念慮を口にしていた。
――死にたい。
――家が辛い。
――ちゃんとできていない自分がしんどい。
――死にたい。
――なんでまだ生きているんだろう。
――死にたい。
――どうして生きなきゃいけないんだろう。
――死にたい。
――誰か私のこと殺してくれないかな。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
――死にたい。
それこそ、アカウントを凍結されてもおかしくない程度に、茜はそう呟いていた。
初めこそ、学科の友達などと心配して電話したり、LINEをしたりしていたけれど、今はもう誰もそれを本気にはしなくなっていた。
狼少年と同じ道理である。
どうも毒親家庭に育って、学校ではいじめを受けて、救われずに育って、育ち切ってしまったのだという。
そのせいで苦労しているのだそうだ。
でも――それは極論、もうどうしようもない話だ。
大人になっちゃったのなら、仕方ないではないか。
そんなことを呟く暇があるのなら、前向きになって小説でも書いていれば良いのに。
ちゃんと出来ない言い訳を、過去の出来事にぶつけているだけだ。
厳しいけれど、それは甘えだ、と思う。
茜の小説には時折、そういう「どうしようもないこと」を「どうにかしてくれる存在」が登場した。
そうして登場人物は救われる。
しかし作者自身は?
茜は救われない。
作者は、その物語において絶対に救われないのだ。
プライベートの鍵アカウントの方の投稿を見ると、昨年十二月の辺りからツイートが途絶えていた。
死んじゃったのかな、と、ふと私は思った。
少しだけ悲しかった。
その感情が正しいのかは、私には分からない。
これでも、一応友人だったのである。
死にたかった人が死ねたら、嬉しいのだろうか。
いいや、死人に口はなく、心はない。
言葉も、物語も。
生きている人間のためのものだ。
死人は何も思わない。
どれだけ言葉を集めようと、物語を積もうと。
それは生きている人間の、想像でしかない。
死んじゃった――としたら。
一つくらい――感想を書き込んでおけば良かったかな。
何となくそう思った。
陰鬱で鬱屈で鬱蒼とした小説群ではあったけれど、何度も言うよう、まったくつまらないわけではなかったからである。
小説を書いたことこそないけれど、素人の私でも分かるような誤字脱字があったけれど、心を
だから――LINEで連絡を入れた。
すぐに既読が付いて、返信が来た。
「うん、元気だよ~」
元気でなくとも、彼女はいつだってそう言う。
生きていることそのものが、無理をしている状態なのだ。
そんな彼女を、私が一番よく分かっている。
私は、文を打った。
「小説向いてないから辞めた方が良いよ」
そこまで打鍵して、私は、止まった。
これを送ったら、恐らく彼女は自殺するだろう。
もう私は茜の一挙手一投足に、ハラハラしなくて良い――茜の死ぬ死ぬ詐欺に怯えなくて良いのだ。
それに茜は、死にたいのだ。その最後の一手となった方が、彼女は幸せなのではないだろうか。
よしんば自殺しなくとも、彼女との友人関係は切れるだろう。
面倒臭い鬱病の友達なんて、今のうちに切っておいた方が良いのかもしれない。
彼女。
私より劣っていて、私よりできなくて、常に私より下にいる、彼女。
そんな彼女が、もしも小説家になったら。
私は――。
ああ。
思わず送信を押しそうになって、慌てて削除した。
そして文章を打ち直した。
そうだ――私は、恐れていた。
茜が、私より上に立つことを。
茜が、私より幸せになることを。
だから――どこか茜のことを、下に見ていた。
私より下でなければ、私は安心できなかったから。
真冬の暖房のついた部屋で、ヒートテックを身にまとっていたのに、背筋がぞっとした。
危うく、全てを終わらせてしまうところだった。
落ち着いて、私は文章を打った。
「また小説、楽しみにしてるね」
既読が付いた。
いつもは返信の速い茜だけれど、今回は時間が掛かった。
「…………」
きっと茜は、私のそういう優越感を見抜いた上で、付き合ってくれていたのだろう。
今までだって、執拗に茜を、就活に失敗しただとか、サークルで居場所がないだとか、社会不適合者だとか、暗に思っていたのだ。
どこかで私の態度に現れていても、不思議ではない。
返信が、怖かった。
永遠くらいに長い沈黙に、一つの通知音が、終わりを告げた。
「ありがとう。」
その返信に、どこか安心する私がいた。
外を見たら、小さな白い粒が舞い降りていた。
大学で神奈川に引っ越してきて、見るのは初めてだった。
雪が積もったら良いのにと、私は思った。
(了)
積雪 小狸 @segen_gen
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