第14話

「えっ……喜多川くん……!? どうして―――」


 教室からここまで走ってきたのか、喜多川くんの息は上がっていて、あたしの前で足を止めた彼は呼吸を整えながらこう言った。


「委員会から戻ってきたら……、牧瀬さんから、岩本さんがここにいるって話を聞いて……」


 ―――紬!


 その時本鈴が鳴って、ハッとしたあたしは慌てて喜多川くんを促した。


「あ、授業始まっちゃう―――あの、あたしも落ち着いたら行くからさ……喜多川くん、先に戻ってて。ごめんね、こんなとこまでわざわざ来てもらって。大丈夫だから」


 無理やり口角を上げて表情を作ると、喜多川くんは心配そうな眼差しをあたしに向けて、ハリボテみたいな精一杯の強がりを否定した。


「……いや、大丈夫じゃないでしょ? 大丈夫じゃないから、泣いてるんじゃないの?」

「……!」

「この状況で……行けないよ。何があったの?」


 あたしは理由を言おうとして―――どう説明したらいいものか言いあぐねて、唇を引き結んだ。


「岩本さん?」

「―――っ……多分……側から聞く分には、そう大した話じゃないの。ただ、今朝見た夢とか、ノラオのメンタルとか、何かっ、そういうの、色々重なってっ……あたしが多分、メンヘラになってるだけでっ……」


 冷静になって考えれば、多分、こんな大騒ぎして喜多川くんを煩わせるほどのことじゃないんだと思う。


 紬にグチを聞いてもらって、少しスッキリして、普段なら後は自分の中で消化出来る、それくらいのことのはずなのに―――……。


 しゃくりを上げ始めるあたしを、喜多川くんはそっと気遣った。


「ゆっくりでいいから。落ち着くまで待ってるから、話せるようになったら話してくれる?」


 耳に心地好く響く、落ち着いた低い声。


 どうしよう。この声を聞くと、甘えたくなってくる。


 これもノラオとリンクしているせい? 喜多川くんの声がエージに似ているせい?


 甘えちゃってもいいのかな。また、甘えさせてくれるのかな。


 ―――甘えさせてもらっても、いいのかな……?


「……っ。授業、始まっちゃったけど……喜多川くん、授業サボったことあるの……?」

「ないよ。初めて。こういうの、今までのオレの日常にはなかったから……」

「……そっか。付き合わせたら、人生初サボりになっちゃうね……」


 それはさすがに申し訳ないなぁ……。


「うん。だけど、何かちょっと、その……青春ぽくて、心のどこかで一回くらいしてみたいなって、そんな憧れじみた気持ちもあったから」


 喜多川くんははにかんだようにそう言って、真っ直ぐにあたしの目を見つめた。


「何より今は、岩本さんに何があったのか知りたいから―――岩本さんがどうして泣いているのか、その理由が知りたいから」


 そう言われて、またボロボロ涙が溢れてきた。


「……っ。うん……」


 頬を濡らして頷きながら、涙を拭こうと制服のポケットをまさぐったあたしは、ハンカチを自分の席に置き忘れてきたことに気が付いた。


 あーしまった……お昼食べ終わってさっき歯を磨いた時に使って、そのまま歯磨きセットと一緒にカバンにしまい込んじゃったんだ。代わりにティッシュ―――うわ、これもない。最悪……。


 そんなあたしの様子を見ていた喜多川くんがポケットからハンカチを差し出した。


「良かったら、使う?」


 あ―――これ、あたしが今朝返したばかりのハンカチだ。一番最初に借りてたやつ。昨日ノラオが汚したやつは今日お母さんが洗濯してくれてるはずだから、帰ったらあたしがアイロンかけて明日喜多川くんに返そうと思っているんだけど……。


 ……あたし、女子として終わってない? 同じ男子から三日連続でハンカチ借りるって……。


 完全に詰んでいる。とは思いながらも、顔はもうぐしゃぐしゃだし、背に腹は代えられなくて、喜多川くんからハンカチを受け取った。


「何か、毎日ごめん……お借りします……。また、洗って返すね」

「うん」

「あっ、あのね、毎日自分でもハンカチ持ってきてはいるんだよ? いや、ホントに。ただタイミング的にごにょごにょごにょごにょ」


 あぅ~何見苦しく言い訳しちゃっているんだ、あたし!?


 心の中で身悶えるあたしを見やった喜多川くんは、涼しげな目元をふっと和らげた。


「うん」


 その表情に、あたしは思わず目を奪われた。


 とても自然で、爽やかで穏やかな、喜多川くんらしい笑顔だったから。


 心に何かが突き刺さったような、得も言われぬ衝撃が身体中にさざ波のように広がって、胸が沸き立っていくような、清々しい青空が目の前に広がっていくような、そんな初めての感覚を味わって、あたしは小さく息を飲み、瞳を揺らした。


 一拍置いて、どうしようもなく自分の胸が騒ぎだし、津波のように押し寄せてくる感情の昂りに、心の中で絶叫する。


 ~~~ッ、きゃーッッッ!! 何、その微笑みー!!


 ノラオのキラキラ効果も相まって、もはや目に眩し過ぎる領域に達した喜多川くんの輝きはもういっそ神々しい程で、あたしは胸をぎゅうっと鷲掴まれたような錯覚に心の中で大きくよろめいた。


 ヤバい、コレ!


 心臓に! 心臓にクるんだけどー!


 自分の女子として終わってるひどさ感や、喜多川くんの何気ない表情の尊さに当てられてしまったら、さっきまでの陰鬱な気分が嘘みたいに吹き飛んで、何だか落ち込んでいるのがバカらしくなってきた。


 涙も引っ込んできて、落ち着きを取り戻したあたしは、喜多川くんから借りたハンカチで目元を押さえながら、とつとつと今朝の夢からの出来事を話し始めた。


「―――あのね……」


 今日は朝から喜多川くんとゆっくり話す暇がなくて、昨日寝落ちする前に送ったメッセージの内容までしか伝えてなかったから、なるべく分かりやすく簡潔に、これまでの経緯を説明した。


「―――……そういうわけで、変な噂になっちゃってるみたいでごめんなさい。喜多川くんはそのことで、何か言われたりしなかった?」

「あー……うん。友達からその件について聞かれたりはしたけど……あと直接は言われなかったけど、さっき委員会の時に噂されているのは小耳に挟んだかな」


 やっぱ実害出てたー!


「ごめん、迷惑かけちゃって」


 しおれるあたしに喜多川くんはかぶりを振った。


「岩本さんのせいじゃないから。……あと小柴君のことだけど、彼は多分岩本さんのことが好きで、釣り合いが取れないって言ったのは岩本さんに対してじゃなくて、オレに対してだったんじゃないのかな」


 えっ? 小柴が、あたしを!?


 そっちは考えてもみなかったけれど、でもだとして、それで小柴が何故、喜多川くんを見下げるワケ!?


 あたしからすれば性格だって顔面だって身長だって頭の良さだって、どれを取ったって喜多川くんのがずーっと上で、小柴なんて比べるべくもないんだけど!?


 ……まぁ、それはあくまであたしの主観であって、小柴が別にダメなヤツってワケじゃないんだけどさ。


 口を尖らせながら憤慨していると、喜多川くんはちょっとはにかんだような表情になって、どこか面映おもはゆそうにあたしから視線を逸らした。


「……そんなふうに言ってくれてありがとう」


 その表情がまたきゅうっと胸に迫って、あたしは思わず脳内で胸を押さえてしまう。


 おふぅっ! かっ……可愛い! なん、それー! 


 ノラオリンクも手伝ってキュンキュンしちゃうんですけど!?


「でも、小柴君の言うことも分かるんだ。オレは地味で目立たないタイプだし、岩本さんはどっちかっていうと小柴君寄りで、いつも教室に明るい声を響かせていて、クラスで注目を集めるタイプだったから―――だから同じクラスだけど、きっと交わることのないタイプなんだろうなって、これまでは何となく勝手にそう思っていたんだ」


 確かにノラオの騒ぎが起こる前は喜多川くんと接点なかったし、顔は知ってるけどろくに言葉も交わしたことのないクラスメイトって感じだった。


「逆に小柴君は岩本さんとよく喋っていたし、一緒にいる姿も見かけたし、小柴君からすると、眼中にもなかったオレに突然岩本さんを取られたみたいな感じがして、腹立たしいっていうか、あせるような気持ちになったんじゃないかな」

「―――でもっ、それは小柴とは話すきっかけがあったけれど喜多川くんとは今までなかっただけの話で、話してみたら喋りやすくてあたしはスゴく楽しいと思ったし、控え目だけど優しくて、困ってる人に寄り添える人なんだなって思ったし、もっともっと仲良くなりたいってあたしが思ってるのは、喜多川くんの方なんだけどっ!」


 喜多川くんは迷惑かもしれないけどね!? でも、それが正直なあたしの気持ち。


 あたしの勢いに驚いたように目を瞠った喜多川くんは、ほんのり頬を赤らめると自分の口元を片手で覆った。


 その仕草に、あたしはまたキュンキュンしてしまう。


 ううっ……なん、これ~!


 ノラオリンク、ヤバい!


「ええと……ありがとう。オレも岩本さんと話してみて、スゴく気さくで分け隔てなく接してくれる人なんだなって思ったし、もっと仲良くなれたらいいなって思う。岩本さんは自分の気持ちに素直で、裏表なくて、律儀なところもあって―――前にも言ったけど、オレからすれば岩本さんの方がよっぽどキラキラして見える人なんだよね。だから正直、今でもちょっと不思議な感じがするんだ。岩本さんとこんなふうに話せる関係になったことが、現実なんだっていうことが……何だか不思議で、どこか夢みたいな感じで」


 そんなふうに感じてくれていたんだ? あたしのこと。


 キラキラして見えるだなんて、そんなふうに言ってもらえて、お世辞でも嬉しい。


 こんなふうに友達と本音で語り合うことってなかなかないし、ちょっと、いや、かなり気恥ずかしくはあるけれど、でもそれ以上にスゴく、スゴーく嬉しいものなんだなぁ。


「あたし、喜多川くんには有り得ないようなひどい姿ばっかり見せてるからさ……そんなふうに思ってくれてるなんて正直思わなかったから、スゴく嬉しい。あんなに落ち込んでたの、嘘みたいにアガってきた。……二人そろってサボっちゃったし、また色々噂されちゃうかもだけど、これからも仲良くしてくれる?」

「うん。もちろん」


 ためらいなく頷いてくれた喜多川くんに、あたしは満面の笑顔を返した。


 それからちょっと恥ずかしくなって、照れ隠しにこう呟いた。


「ヤバ、何か熱く語っちゃった。ちょ、照れちゃうね」


 頬が火照るのを覚えながら喜多川くんを見やると、そんなあたしを見た彼はあたし以上に赤くなって、不自然に眼鏡を押さえながら視線を逸らした。


「そ、うだね」


 ―――っ、きゃ―――っっっ!!! 喜多川くん、めっちゃ照れてるじゃん!


 てか、あたしも動悸ヤバいな!?


 心臓の音、スゴ! 顔! あっつ!!


 どうしよう、気持ちがジェットコースターみたいに乱高下して超忙しいんだけど!


 ―――と、思ったその時だった。




『――ーあ――ーっっっ! もう、やっかましいなっっ!』




 突然ノラオの声が割り入って、瞼が重くなる間もなく、ぐんって意識を引っ張られた。


 ―――へッ!?


 一瞬にして視界が切り替わり、気が付いた時にはあたしは校庭ではなく見覚えのある暗い空間にいて―――前方の窓みたいなところからは赤く染まった喜多川くんの顔が見えていて、瞬時に何が起こったのか理解したあたしは、その状況に唖然として大きく目を見開いた。


 ―――え!? ウソ……ノラオに乗っ取られてる!? 

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