第13話

 その夜、また夢を見た。


 多分、ノラオに関係する夢―――……。


 厳格そうな中年男性が厳しく叱責してくる夢だった。


 頭ごなしに「男たるものとは」と男性として生まれてきた意味を説き、男とはかくあるべき、という概念を一方的に押し付けてくる。


 個性を否定されて、反論してもその上から正論と位置付けられた価値観を押し付けられて、ひどく息が詰まった。


 自分なりの見解を訴えても相手が聞く耳を持たないから、そもそも対話にならない。


 すれ違う意見をただ互いにぶつけ合うだけで、何の解決もみなかった。


 それが繰り返され、次第に言葉を交わすのも苦痛となって距離を取ると、当初は愛情から出ていたのかもしれないそれが、思い通りにならない苛立ちから転じる怒りへと変わっていって、いつしか埋めることの出来ない深い溝を両者の間に広げていた。


 厳しく叱責してくるその男の人の顔は、どことなくあたしのお父さんに似ていた―――。








「おぅ岩本いわもと牧瀬まきせ。今日の放課後ヒマだったら、みんなでカラオケ行かね?」


 昼休み、クラスの賑やかし系男子小柴こしばからそう誘われたあたしと紬は、お互いの顔を見合わせた。


「どうする、陽葵ひま? あたし今日バイトないし、行ってもい―かな」


 んー、カラオケかぁ。行きたい気持ちもあるけれど、今日はソッコーうち帰っておじいちゃんに電話したいんだよなぁ。


 何かの拍子に間違ってノラオが出てくるようなことになっても困るし。


「ごめん、あたし用事あるからパス」


 そう断ると、事情を知ってる紬は軽く頷いて、小柴を振り仰いだ。


「ね、行くメンツに他にも女子いる?」

「あ、まあ何人かに声かけてっけど……」

「じゃあとりま、行く方に入れといて。メンツ決まったらまた教えてくれる?」

「おぅ。……。そっか、岩本は用事あんのか」

「うん、悪いね。また誘ってくれる?」


 そう言うと、小柴は歯切れ悪くこう尋ねてきた。


「その用事ってさ……もしかして、喜多川絡み?」

「へ?」


 まあ喜多川くんにも関係あるっちゃあるけど……まさか小柴がそんなふうに突っ込んでくるとは思わなかったからポカンとしていると、小柴は気まずそうに頬をかきながらこう言った。


「いや、昨日駅前で岩本と喜多川が腕組んで歩いてたって、なんか噂になってたから。ここ最近、何でか岩本よく喜多川と絡んでんじゃん? だから……もしかしたら、そうなのかなって思って」


 うわ、昨日のアレ誰かに見られていたのかー! まぁね、駅前だしね、そりゃあ誰かしらいるよね、むしろ!


 幸い喜多川くんは委員会の用事があってこの時教室内にいなかったけど、あたしは内心、盛大に頭を抱え込みたくなった。


 ノラオめ……! ヤツのせいで、喜多川くんにとんだ迷惑が!


「なあ、ぶっちゃけお前らって付き合ってんの?」

「は? な、ないない、ないっ! そんなんじゃないから!」


 慌てて否定すると、何故か小柴はハッ、と鼻で笑って、上から目線になった。


「ははっ、だよなぁ? やっぱないと思ったよ。お前と喜多川じゃタイプ違い過ぎだし、どう考えたって釣り合わないもんなー」


 ―――は?


 自分でもビックリするくらい、その言葉にカチーン! ときて、あたしは超のつく不機嫌になった。


 何ソレ。


「どういう意味? あたしなんかじゃ喜多川くんと釣り合いが取れないって? そういうこと? 喜多川くんに言われるならまだしも、何であんたにそんなこと言われなくちゃならないワケ!? 意味わかんないんだけど!」

「えっ……!? いや、オレが言ったのはそういう意味じゃなくて」


 あたしの怒りの度合いに驚いた様子で腰が引けている小柴に、あたしは収まりきらない腹立たしさをぶつけた。


「勝手な憶測でとやかく言うのやめてよね! あんたには関係ないし、超迷惑だから!」


 そう言い置いて席を立ち、足音荒く教室を出て行くあたしの後ろで、紬がこう言っているのが聞こえた。


「あたしもやっぱカラオケやめる。小柴さ、もっと恋愛スキル積んだ方がいーよ」

「えっ……牧瀬……」


 ―――ムカつく、ムカつくー! 何なのあの言い方!


 怒りのままに校内を練り歩くあたしの後ろから紬が追いかけてきて、怒れるあたしの肩を抱いた。


陽葵ひま、こんなに怒るの珍しいじゃーん。久々に見たわー」

「だって」

「うわ、美味しそうな大福。とりあえず中庭行こっか?」


 つん、とほっぺたをつつかれて、あたしは仏頂面のまま頷いた。


「……うん」


 人気のない中庭の隅っこにやってきたあたし達は、校舎の壁に寄りかかりながら話をした。


「多分、小柴にそう悪気はなかったんだろうけどねー。あの発言はさすがに空気読めなさ過ぎだわ」

「メチャクソ気分悪い。何でああいうこと言うかな? 普通に考えたらさ、腕組んで歩いてる時点でその相手に好意しかないって分かるじゃん。まああれはあたしじゃなくてノラオだったんだけど。それをわざわざ貶める言い方にする必要ある?」


 そう憤慨すると、紬は苦笑した。


「ないわー。あー小柴詰んでんなー。陽葵ひまが出て行った後さー、小柴、呆然としてたよ。きっと今頃、あいつなりに反省してんじゃないかって思うけどね」

「大いに反省してもらわないと割に合わないっつーの、こっちは」


 そりゃ、あたしと喜多川くんのタイプが違うのは認めるけど、釣り合わないって何なのさ!


 あの時の小柴、スゴく嫌な顔をしていた。勝手に決めつけた価値観でどこか見下すような目が、夢の中のあの人と重なって見えた。


 喜多川くんと仲良くなってきて、あったかくて楽しい気持ちになってたところに、思いっきり泥水をぶっかけられちゃったみたいな、嫌な気分。


 汚されたくないものを汚された、最低な気分。


「―――おっと予鈴だ。陽葵ひま、どうする? 戻る?」

「もうちょいここにいる……先に戻ってていーよ」


 何か今、メンタルやばい。気を抜くと泣きそう。


「そっか、分かった」


 紬はあたしのそんな空気を察して、先に教室へと戻っていった。彼女にひらひら手を振って見送ったあたしは、一人残ったその場所で重い溜め息をついた。


 あーこれ……もしかしたら、あれかな? 今朝のあの夢とリンクして、ノラオのメンタルに影響受けていたりもするのかな?


 何かノラオ、あれからずっと静かだし……。


 はー、しかしあれを見られていたのかぁ……噂、どれくらい広まっているんだろう。


 喜多川くんの耳にも入っちゃっているかな。誰かに何か言われて困ったり、嫌な思いしていないかな。迷惑ばっかかけているのに、これであたしに付き合うの、本気で嫌になっちゃったりしないかな。


 嫌われたくないなぁ……。


 そう思ったら、ボロっと涙がこぼれてしまった。


 あーヤバ、何かもうメンヘラだ。感情の収拾がつかなくて、泣けてくる。


「……岩本さん!」


 その時喜多川くんの声がして、ビクリと顔を上げたあたしはそこに彼の姿を見出して、涙に濡れた瞳を見開いた。

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