第10話 チークダンス
「お楽しみのところ、すみません」
ボックス席でお客様と談笑していると、黒服のマコト君がやって来た。私の横で膝をつく。
「月夜さん、ご指名が入りました」
「あら、そう」
私は、ボックスに座っている中尾様を見つめた。出来るだけ申し訳ない表情を作る。
「ごめんなさい。指名が入ったの」
中尾様が、不機嫌な表情を浮かべた。
「えー、もう行ってしまうんか?」
両手を合わせて、片目を瞑ってみせる。
「本当に、ごめんなさい」
ポーチから名刺を取り出した。中尾様に差し出す。
中尾様がその名刺を受け取ろうとした時、彼の手を、両手で優しく包んであげた。
「お話、とっても楽しかったわ。また、遊びに来てね。その時は、月夜って指名をするのよ。約束ね」
立ち上がり、私は小さく手を振った。中尾様が、残念そうな目を私に向ける。
マコト君と一緒に来ていたサトミちゃんが、私と交代した。私は、先に行くマコト君の背中に付いていく。後ろから、「サトミでーす」と、陽気な声が聞こえた。
ボックス席に近づく。毎朝放送の山田様が、二人のお客様を連れてお待ちになっているのが見えた。山田様が、私を見つける。手を振ってくれた。
「やあ、今日も来たよ」
私も手を振って駆け寄る。満面の笑みで山田様の隣に座った。私の大事なお客様だ。この間の、お礼状が効果を発揮したみたい。先週から引き続き足を運んでくれるなんて、やるじゃない。
「今日は、お客様をお連れしてくれたんですか。嬉しいー」
新しいお客様と名刺を交換する。自己紹介を済ませた。皆の為に、水割りを作り始める。
二人のお客様のうち、一人は、テレビ番組を制作する司プロダクションの杉山社長。もう一人は、タレント事務所であるKプロモーションの石黒マネージャー。
今日は、来年の春に始まる新しい番組の打ち合わせをしていたそうだ。その流れで、ジュエリーボックスに、遊びに来てくれた。
出来上がった水割りを、三人の前に提供する。
制作会社の杉山社長が、私を見てニヤニヤと笑った。
「ワシな、この店にはよく来るねんけど、月夜ちゃんとは初めてやな」
「ええ、私、このジュエリーボックスに来て、まだ、半年くらいなんですよ。今後とも、宜しくお願いします」
社長に、可愛く会釈する。
「可愛いやないか。ワシ、一目惚れや!」
手を伸ばして、私の手を握ってきた。
――いきなり!
この男、ちょっと苦手。でも、笑顔は崩さない。
「社長さん、お上手」
するりと手を抜いて、社長の肩を軽く叩いた。
「いやいや、そんなことないで。君、この店で、ナンバーワンの別嬪ちゃうか。今度来た時は、必ず指名するからな」
毎朝放送の山田様が、私に顔を寄せる。悪戯っぽく囁いた。
「月夜ちゃん、気を付けなあかんよ。杉山社長は、可愛い子を見つけたら、みんなに一目惚れって言うてるからね」
杉山社長が、顔を曇らせる。
「山田君、そりゃないよ」
杉山社長のしょんぼりとした姿を見て、石黒マネージャーが笑った。
「アッハッハッ、確かに、そうですね」
杉山社長が、更に困った顔をする。
「石黒君まで……」
そうした杉山社長に構うことなく、石黒マネージャーが身を乗り出した。私を見つめる。
「ねーねー、月夜ちゃんて、変わった源氏名だよね。何か、由来でもあるの?」
考える素振りを見せた。
今までに、このような質問をしてくるお客様がいなかったから、少し戸惑う。
「私が、初めてこのお店に来た時、とっても綺麗なお月様が夜空に輝いていたんです。たったそれだけなんです。深い意味はないんですよ」
石黒マネージャーが、私の言葉に微笑む。
「いやいや、面白いね。月夜ちゃんは、自分の源氏名を意識して振舞っているよね」
私は目を丸くする。
石黒マネージャーは、私が渡した名刺を手に取った。
「この名刺だけど、全体的に黒を基調にしている。これって、夜をイメージしているんだよね。そこに、丸い月のデザイン……良いセンスをしているよ」
名刺一枚から、私の意図をくみ取ってくれた。
――とっても嬉しい。
思わず、笑みが零れた。
「ありがとうございます」
石黒マネージャーが微笑む。
「君が着ている、その黒いドレスも、夜をイメージしているよね」
私は、益々、驚いてしまった。
「ええ、そうなんです。源氏名に合わせて、黒を基調にしたドレスを着るように意識しています」
素直にそう言った。すると、石黒マネージャーが頷く。
「自分自身のセルフブランディングを意識している。いいね、それ」
マネージャーの言葉に、何だか恥ずかしくなってきた。
「そんな、セルフブランディングなんて……」
「僕はね、タレントのマネージャーが仕事だから、こういうことが凄く気になるんだ。うちのタレントにも、月夜ちゃんみたいなプロ意識を持ってくれたら良いなって、思ったから、つい……」
楽しいお客様達だった。ヘルプの女の子もやって来て、ボックス席は大いに賑わった。ただ、三人のお客様の様子を見ていて、面白いことに気が付いた。
制作会社の杉山社長は、年齢は一番上だけれども、二人に凄く気を使っているのが分かった。立場的には、毎朝放送の山田様が一番強いみたい。小さなボックス席の中の出来事だけれど、テレビの世界の力関係を、まざまざと見せつけられた気がした。
――三人の中で選ぶとしたら、やっぱり山田様かな。
会話をしながら、そんなことを考えた。
山田様は、既婚者で年齢は三十五歳だったと思う。話し方は丁寧だし、女の扱い方もとってもお上手。もし、こんな男性と一緒になれたら凄く幸せだろうなと、頭の隅で考えてしまう。
会話が一段落した。山田様が、また囁いてくる。
「ねえ、一緒に踊ろうか」
私は、自分の心の中を見られたようで、ちょっとドキッとした。山田様の目を見つめて頷く。
「宜しくお願いします」
山田様が立ち上がった。私の手を取ってくれる。ドレスのスリットが広がらないように手で押さえて、立ち上がった。
「さあ、行こうか」
山田様が、私の腰に手を回す。前方のステージに向かって歩き出した。
歩きながら、私は山田様の包容力に身を委ねる。
強引でもなく、とても自然に私をエスコートしてくれる。そんな山田様に、何とも言えない安心感を感じた。
――いい男だな。
心の中で素直に呟いてしまった。
ステージの上には誰もいない。ステージの段差に差し掛かると、山田様が私の手を取った。優しく微笑んでくれる。
山田様の手に支えられながら、私は一段ずつ足を運んだ。ステージに立つ。ライトの光がとても眩しかった。
バンドマンたちに視線を向ける。
バンマスが私に目配せをしてくれた。すると、それまで賑やかだった音楽がフェードアウトしていく。
一瞬の静寂。
バンマスが、メンバー達に合図を送った。ピアノが、ソロでゆっくりと語りだす。ピアノに合わせて、ドラムが静かなリズムを刻み始めた。スローなジャズナンバーが流れ始める。
My Foolish Heart
夜は、恋を囁く調べのよう
気を付けなさい ゆれる想い
月は白く輝いて
騙されてしまう 私の心
本物の愛なんて 分からない
こんな夜は 特にそう
甘い誘惑に 溺れてしまう
触れ合う唇に 我を忘る
山田様が、私の手を優しく握る。ステージの中心に、私を誘った。
私の腰を支えていた山田様の手が、強く私を引き寄せる。痺れるような快感が、私の体の中を駆け上がっていった。
山田様に体を預け、私はゆっくりと体を揺らす。なんだか、大きな波に揺られているみたいだ。フワフワして気持ちが良い。
山田様の瞳を見つめた。山田様も、優しく微笑み返してくれる。
――嬉しい、とても嬉しい。
ちょっと、甘えてみたくなる。少し首を傾げて、山田様の首元に顔を埋めてみた。タバコの匂いが、鼻孔をくすぐる。
そんな私に応えるように、山田様が、更に私の腰を強く引き寄せた。更なる快感が、身体の中を駆け上っていく。
ステージの真ん中で、一つの塊になって踊り続ける。頬を寄せ合い、見つめ合い、つかの間の愛に心を預けた。
もし、このまま踊り続けることが出来るのなら、ずっと、ずっと、踊っていたい。
甘い吐息が 私に囁く
今夜はもう 帰さない
強く私を 抱きしめて
もう、どうなってもいいんだから
あなたの愛は 本物ね
消えてなくなりは しないはず
もっともっと 抱きしめて
私の心が 流される
ピアノが語らなくなった。演奏が終わってしまう。
暫しの余韻に恍惚とした瞳で、山田様を見つめた。
――次の曲は、何だろう?
山田様が私の手を取った。私も、その手を握り返す。
喜びに浸っていると、山田様が歩き出した。私の手を引っ張る。そのままステージを下りようとした。
――えっ、下りたくない。もう、終わりなの。
もっともっと踊っていたい。そんな私の気持ちを無視するようにして、山田様がボックス席に帰っていく。仕方がないので、私も従った。
ボックス席では、制作会社の杉山社長が、私を見て鼻の下を伸ばしていた。
「月夜ちゃんとチークダンス、ええやないか。今度は、ワシと踊ろ。な、ワシと……」
――えー、全然、踊りたくない。
杉山社長に笑顔を向けながら、私は心の中で呟いた。
――スケベ心丸出しのアンタと踊るなんて、絶対に嫌!
踊るにしても、せめてもう少し後にして欲しい。今は山田様との余韻を楽しみたい。
そんな事を考えていると、マネージャーのアキラ君がやって来た。
「皆さま、お楽しみのようですね。すみません、山田様。月夜ちゃんをお借りします」
――えっ、また私に指名?
山田様と別れるのは、ちょっと残念だけれど、杉山社長との踊りが回避できたのは、ナイスタイミングだわ。
アキラ君の後ろには、美智子お姉さんが立っていた。私に、ニッコリと笑いかけてくれる。
その時、杉山社長が文句を言った。
「えー、月夜ちゃんを連れて行くんか。折角、ワシと踊ることになっていたのに……」
――なってないちゅーねん!
心の中で、ツッコミを入れた。
「次の子は、その子か。もっと、若い子はおらんのか?」
私は、頭の中が沸騰しそうになる。
――コイツ、蹴ったろうか!
そんな杉山社長に、美智子お姉さんが優しく語り掛けた。
「今日は、面白い子を紹介しますよ」
「なんやねん、面白い子って」
杉山社長が、怪訝な顔をする。
「似顔絵師なんですけどね」
――あら、ジョージ君を売り込むんだ。
その後の展開が気になったけれど、私は山田様にお礼を述べた。アキラ君の背中に付いていく。
「ちょっと、アキラ君。私を、山田様から外して良かったの。大事なお客様よ」
アキラ君が振り向く。私の耳に囁いた。
「安達親分が遊びに来ています。月夜さんをご指名したんですよ。くれぐれも粗相のないように宜しくお願いいたします」
アキラ君が緊張している。
勲お兄さんが遊びに来る時は、いつも奥さんを連れて来ていた。私を指名したということは、今日は一人なんだ。奥さんはクラブを経営しているから、今日は忙しいのかもしれない。
そんな事を考えていると、勲お兄さんが待っているボックス席に到着した。
「よう、明美。遊びに来たぞ」
勲お兄さんは、ボックス席のソファーで寛いだまま、鋭い目つきで私に笑いかけた。
傍には、強面の子分が立っている。あの木崎隆だ。私を見て、会釈する。
お兄さんが、木崎に命令した。
「お前が立っていると、客が怖がるやろ。下がっていろ」
木崎が、頭を下げる。ホールから出て行った。
私は、お兄さんに頭を下げる。
「いらっしゃいませ」
お兄さんの横に座り、水割りの用意を始める。
「いらっしゃいませって……普通にしろ、普通に」
――お兄さんは、何しに来たんだろう。
水割りを作る私を、勲お兄さんは慈しむようにして見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます