第9話 帰り道
乱痴気騒ぎの一日が終わった。
琴子は癪に障る女だけど、実力だけは認める。今日のジュエリーの盛り上がりは、あの女のお陰だ。何だか、あの女に負けたようで気分が悪い。方や世間の人気者、方や一介のホステス。随分と大きな隔たりを感じた。
「付き合ってはいない」と言っていたけれど、修お兄さんが琴子を大事にしているのは確かだ。
修お兄さんは、お父さんの呉服屋を辞めさせられた後、縁あってジュエリーボックスで仕事をするようになる。売れない琴子を支えたのは、お兄さんだ。
家庭教師しかしてもらっていない私とは、付き合ってきた年月も、付き合いの深さも違う。そんな琴子のことが、羨ましく思えてしまった。
――これから、どうしたら良いのだろう?
ホステスなんて、消耗品だ。毎日、同じことの繰り返し。好きでもない男を喜ばせて、酒を飲ませる。男なんて、スケベだし、下品だし、汚いし。
いつまで、こんなことをやっているんだろう。何だか、大事な時間がドンドンと失われていくような焦燥感に襲われた。
その時、手を繋いでいた智子ちゃんが躓いた。私は、智子ちゃんが転ばないように、手を引き上げる。
「大丈夫?」
智子ちゃんが、小さく頷いた。私は智子ちゃんの小さな手を握り締める。
智子ちゃんを真ん中にして、三人で手を繋いで歩いていた。美智子お姉さんは、眠たそうに欠伸をしている。
仕事が終わった私とお姉さんは、智子ちゃんを連れて家に帰る途中だった。
お姉さんは、店から歩いて通勤が出来るマンションに住んでいる。智子ちゃんは、小学校の授業が終わると、いつも真っすぐに店にやって来る。だから、美智子お姉さんは、このミナミを生活圏として住居を決めたのだ。
私が住んでいる安達家もこの先なので、美智子お姉さんと一緒に帰ることが多い。
「お姉さんの席、とても楽しそうだったね」
美智子お姉さんは、眠そうな目を私に向けながら微笑んだ。
「楽しかったー。ジョージ君に、私の裸を描かれちゃった」
「裸!」
私は、目を丸くした。
「そう、裸」
「あのジョージって男、そんなにスケベだったの?」
私が怒ったような口調で言うと、お姉さんがクスクスと笑った。
「違うわよ、四迷師匠が描かせたのよ」
「でも、裸でしょう?」
「脱いでないよ。ただ、想像で裸にされちゃったけどね」
「あー、そういう事。四迷師匠なら、仕方がないわね」
お姉さんが、遠い目をして語り始めた。
「ちょっと恥ずかしかったけれど、ジョージ君、とっても綺麗に描いてくれたの。見る?」
「えっ! 今あるの?」
美智子お姉さんが足を止めた。智子ちゃんが背負っているランドセルから、二つに折られた一枚の紙きれを取り出す。広げると、とっても色っぽい美智子お姉さんが描かれていた。
「えっ、凄い」
思わず声に出してしまった。
「でしょうー。この絵で、結構盛り上がったのよ」
私は、ジョージ君が描いた美智子お姉さんの似顔絵を何度も見直した。そう言えば、あいつ、私の似顔絵も描いていたんだ。
――どんな風に描いてくれたんだろう?
ちょっと気になった。そんな事を思いながら、先程のお姉さんの言葉を思い出す。
「でも、この絵、裸じゃないわよ」
美智子お姉さんが、またクスクスと笑った。
「私の裸の絵は、四迷師匠が持って帰ったわよ」
「そうなんだ~」
「ジョージ君のお陰で、師匠は喜んでくれたし、ボトルも入れてくれたのよ。久々よ、こんなおばちゃんがナンバーワンになるなんて」
「そんなに、自分のことを卑下しないでよ。お姉さんはとっても魅力的よ。私、大好き」
嬉しそうな表情を見せた後、お姉さんが遠くを見つめた。
「ありがとう。それでもね、いつまでこんな仕事が出来るんだろうって、考えたりもするのよ。あと、十年頑張れば、この子が二十歳になる。その頃の私は、四十を超えてるじゃない。その頃には、女を武器に仕事をするのは限界かもしれない。でも、私は、この世界しか知らないのよ」
私は、言葉に詰まってしまった。立場は違うけれど、それは私も一緒。ホステスなんて、消耗品。男が振り向いてくれるうちは価値があるけれど、振り向かれなくなったら……。
なんだか憂鬱な気持ちになってしまった。
今までは「お嬢さん、お嬢さん」と、周りから持ち上げられてきた。言い寄ってくる男たちを馬鹿にして、プライドだけは高く生きてきた。
そんな私も、いつの間にか二十四歳になる。もう結婚をしていても、おかしくない。
「ごめんね。私の話で、しんみりさせちゃった」
「ううん、大事なことよ。自分のこれからの事も、考えないとね」
話しに夢中になっていると、美智子お姉さんが住むマンションに到着した。お姉さんが、手を振る。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。智子ちゃんも、おやすみ」
智子ちゃんは、私から手を離すと「おやすみ」と言って、美智子お姉さんにくっついた。手を振りながら、マンションの中に消えていく。そんな二人を見送りながら、とても羨ましいと思った。
美智子さんは、智子ちゃんをとても愛している。智子ちゃんもお母さんのことが大好きだ。そんな強い絆で結ばれていることが、どんなに素晴らしいことかと思ってしまう。
それに引き換え、私はどうだろう。気がつけば、キャバレーでホステスをしている。男に媚を売って、お金を稼いでいる。海外に行って、翻訳をする夢はどこに行ったのよ。
これまでは、プライドを高くして、虚勢を張って生きてきた。
――でも、もう無理。
このままでは、なし崩し的に男でも作ってしまいそう。いっそ、その方が楽かもしれない……。
安達家に向かって、トボトボと歩く。向こうの角に、黒い人影が見えた。
「木崎、居るんだろう?」
縦縞の黒いダブルを着込んだ、ヤクザ丸出しの木崎隆が姿を現した。心配そうな表情を浮かべている。流石に、この男と一緒になるつもりはない。ただ、今は嬉しかった。心が少しホッとする。
「帰るよ」
木崎隆が、喜んで私に駆け寄ってきた。
――この男に、修お兄さんが十分の一でも混ざっていたら。
そんな事を考えてみる。
それなら、一緒になってあげても良いかもしれない。でも、二人は全然似ていない。
大体、修お兄さんが、企業舎弟としてジュエリーボックスの支配人になってしまったのは、元を正せば、この男がヤクザだったからだ。この男が、修お兄さんをヤクザの世界に引きずり込み、親分である勲お兄さんに引き合わせてしまった。
「は――――」
深いため息をついた。そんな私を見て、木崎が心配そうな表情を浮かべる。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
私は、木崎をジロリと睨んだ。
「大丈夫よ。それより、車はないの。もう疲れた」
木崎が、情けない顔を私に見せる。
「そんなー。お嬢さん、出かける時に、車には乗らないって言ったじゃないですか」
立ち止まって、木崎を睨みつける。
「言い訳するつもり?」
木崎は、情けない顔をより一層崩して、呟いた。
「お嬢さんは、親分より酷いっすよ」
そんな木崎に、私はワザと怒ってみせる。木崎のデカイ図体を押しのけて歩き出した。
「ちょっと、待ってくださいよ。俺がいないと、また、変な奴にからまれますよ」
後ろから、木崎が叫んだ。ひっかけ橋の事が思い出される。本当に腹が立ってきた。
――こんな奴に、付き合ってられない。
「知らない、知らない、知らない!」
夜道をズンズンと歩いて行くと、木崎が後ろから追いかけてきた。
追いかけてくれるのが、嬉しい。嬉しかったけれど、絶対に優しくはしてやらないんだから。
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