第6話 電話

 深夜の街中で、タクシーがハザードランプを点滅させた。道路脇に停車する。

 タクシーに同乗していたマコト先輩が、僕の肩を叩いた。


「じゃ、お疲れ」


 後部座席に座っていた僕は、横を向き頭を下げる。


「ありがとうございました」


 マコト先輩がタクシーから降りた。ドアが閉じられタクシーが走り出す。

 一人になった。力が抜けて、ズルズルと崩れ落ちる。


 ――やっと、一日が終わった。


 張りつめていた緊張感から解放される。目まぐるしい一日だった。

 ジュエリーでの仕事が終わる頃には、日付が変わる。電車も走っていない。黒服の僕たちはタクシーに乗り合って、一緒に帰ることになった。

 それぞれの家に到着するたびに、先輩が順番に降りていく。僕は最後だった。タクシーが、城東区にある僕の部屋に向かっていく。

 車の窓から、暗い街並みを眺めた。今日、出会った、色々な人たちのことを思い浮かべる。


 まずは支配人。確か四迷師匠は、支配人のことを木崎君と呼んでいた。人に有無を言わせぬ強引な人だった。でも、今日の会話から推察すると、支配人が真山琴子さんを育てたような話をしていた。人を見る目はあるのかもしれない。ジュエリーボックスで仕事をする以上、僕は支配人の話に乗ってみようと思う。


 九束亭四迷師匠。こんな人に、僕は今まで出会ったことがない。自由に生きて、言いたいことを言っているように見えるのに、ぜんぜん悪い気がしなかった。話す内容も含蓄があり、ついつい聞き惚れてしまう。芸に対する造形も深そうだ。一度、師匠の落語を見にいく必要を感じた。


 美智子さん。無邪気で可愛い人だった。四迷師匠が可愛がっているのも頷ける。でも、驚いたのは十歳の娘さんがいたことだ。智子ちゃんだったかな。ジュエリーボックスで娘が世話になっているということは、シングルマザーなのだろう。大変なのかな、と思ってしまう。


 それから、月夜さん。綺麗な人だった。どんな経歴の人なんだろう。戎橋で男たちを睨みつけた瞳に僕は心を奪われた。

 カバンからクロッキー帳を取り出す。月夜さんが怒っている似顔絵を見ようとした。暗くてよく見えない。通り過ぎる街灯の光が、タクシーの中を差し込む時だけ、オレンジ色にボウゥと浮かび上がった。


 ――怒っている、怒っている。こっちを睨みつけている。


 クロッキー帳の中の月夜さんを見て、何だかニヤけてしまう。

 そういえば、あの時のヤクザ者の男を、月夜さんは木崎って呼んでいた。支配人も木崎だ。


 ――関係があるのだろうか?


 少し気になった。


 腕時計を見た。夜の一時半を回っている。

 前田茂に、今日の出来事を聞いて欲しくてしかたがなかった。こんな時間に電話をしても良いのだろうか。いや、良いだろう。あいつのことだ、まだ起きているに違いない。


 タクシーが到着する。僕は先輩から渡されたタクシーのチケットを運転手に差し出して、車を降りた。

 二階建ての賃貸住宅を見上げる。独身者用のワンルームマンションだ。部屋の中には、ロフトになったベッドが設置されていて、案外と生活がしやすい。

 玄関を開けて部屋に入る。照明のスイッチを入れた。小型冷蔵庫から缶ビールを取り出して、こたつに向かう。足を入れて、スイッチを入れた。赤外線の赤い光が点灯する。

 傍にある黒電話を引き寄せた。前田茂のナンバーをダイヤルする。ワンコールで繋がった。


「もしもし、前田です」


「茂か、俺や」


「なんや、ジョージか。こんな時間に誰からの電話かと思ったで」


「すまん。寝てたか」


「寝てるわけないやろ。この間まで、黒服やったのに……どうやった、ジュエリーは?」


「忙しかったー。色んな事がありすぎて、もうへとへとや」


「続けれそうか? 傍から見たら女の子とイチャイチャできそうな職場やけど、結構、体育会系で、厳しいやろ」


「ああ、そうやな。それよりも、支配人から聞いたで。お前、店の女の子に手を出したんか」


「あら。支配人、そんな事、言ってた? まー、何て言うか、間違いではないな」


「どの娘やねん」


「それは、まだ言えん。お前に、この娘かって、値踏みされるのも嫌やし」


「そうか、ところでな、月夜さんて、憶えているか?」


「もちろんや、案外、新しい子やで。店に来て、まだ半年くらいちゃうかな。ちょっと気が強いとこあるけど、かなり別嬪やから、客のウケはかなりええ娘やな。……ジョージ、さては惚れたか?」


 僕は、茂の問いかけに苦笑する。そうかもしれない。折角なので、茂に、戎橋での月夜さんとの出会いを話してやった。


「……なるほどなー。それは、面白い出会い方やな。お前が、気になっても仕方がないわ。そやけど、お前、あのひっかけ橋で、普通、似顔絵を描いたりするか。大道芸人にでも、なるんか?」


 茂のツッコミに、クスクスと笑ってしまう。


「いやー、それがな、もしかすると、そう成りそうやねん」


「どういう事や?」


 茂が、不思議そうに問いかけてきた。


「実はな、支配人に、ゆくゆくは舞台に上がって似顔絵を描け、って言われたんや」


 茂に、今日の出来事を説明した。

 九束亭四迷師匠のこと、美智子さんのことも交えて、店で似顔絵を描いたことを自慢気に語る。僕の話を聞きながら、茂は面白そうに笑った。


「へー、それは大活躍やな。ちょっと吃驚やわ……俺、あの店に、学生の頃からバイトで入ってたけど、俺には、そんな話、一度もなかったで。それ、例外中の例外やな……それで、ジョージはやるつもりなんか、似顔絵?」


「やってみようと思う。今日くらい、似顔絵を描いてみて喜ばれたことはなかった……何て言うか、俺の中の、ワクワクが収まらへんねん」


「なるほどな、応援するわ。ところでな、さっき美智子さんの話をしてたやろ」


「ああ、それがどうしたんや」


「その娘や」


「その娘って」


「だから、俺が付き合っている人」


「えっ! マジで」


「マジも、大マジ。本気やで。だから、俺は店を辞めたんや」


「どういうことや?」


「美智子さんと、結婚しようと思ってるねん」


「結婚!」


「そうや。黒服のままでは付き合えんから……俺、別に職を探して、一緒になるつもりやねん」


「美智子さんには、娘さんがいたで」


「可愛かったやろ。智子ちゃんて言うねん。俺と仲がええんや」


「ちょっと待って、吃驚しすぎて、言葉が出んわ」


「まー、ええわ。これは、俺と和子さんの問題やからな」


「和子さんっていうんや」


「ああ、そうや。それよりも、お前のことや。月夜さんに惚れたような口ぶりやったけど……忠告しておく。やめた方がいい」


「なんでや?」


「あのジュエリーボックスのオーナーは、誰か知ってるか?」


「いや、知らん」


「あの店も含めて、あの一帯はヤクザの安達組が仕切っているんや。支配人の木崎は、安達親分の企業舎弟や」


「えっ! そうなんか」


「ひっかけ橋に現れたヤクザ者の木崎は、たしか支配人の弟やったと思う。それからな、これは噂やけど、どうも月夜ちゃんは安達親分の親戚や。ここまで言ったら、ヤバイって分かるやろ」


 僕は、声が出なかった。


「ジョージの恋心をへし折ったようで悪いけど、後々、大事になるよりはええやろ。月夜ちゃんに関しては、諦めた方がええ。他にも可愛い女の子は、ぎょーさんおるで」


「あ、ありがとう。なんか、頭が回らへんわ」


「仲良くする分にはかまへんで、同じ職場やしな。まー、そんなに凹むなや。それと、黒服の皆には、和子さんと俺との関係は、内緒にしておいてや。和子さん、仕事がやり難くなるからな。頼むで」


「ああ、分かった」


「じゃ、遅くなったし、電話を切るで、おやすみ」


「おやすみ」


 電話が切れた。今日一日、本当に忙しくてクタクタになったけれど、茂との電話はとどめの一撃だった。


 ――始まってもいないのに、終わってしまった。


 そんな感じだ。身体を後ろに投げ出すと、汗も流さず、布団にも入らず、こたつの中で僕は寝てしまった。

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