第3話 初日

 支配人室を出ると、高橋マネージャーが振り返る。僕に尋ねてきた。


「今日は、面接って聞いたけど、この後はどうする。仕事をするんか?」


 少し考える。この後は何も予定がない。出来れば、この世界のことを少しでも知っておきたい。


「何の準備もしていませんが、仕事が出来るのなら……したいと思います」


「そうか。じゃ、まず、服に着替えてもらって、開店までの準備を手伝ってもらう。それと……」


 高橋マネージャーが、僕を見て言い淀む。


 ――なんだろう?


 次の言葉を待った。


「支配人がお前を舞台にって言っていたな。お前、舞台に上がって、絵を描くんか?」


 僕は顔を曇らせる。


「ええ、まあ、大学で絵の勉強はしました。ただ、支配人に押し切られて、舞台に出る話になってしまったんですが……ちょっと不安です」


 高橋マネージャーが、溜息をついた。


「支配人は支配人の考え方があるから、反対はせん。けどな、まずは、黒服の仕事を覚えてくれるか」


「はい、分かりました」


「キャバレーという業界も、最近は難しくてな。ディスコやキャバクラが増えてきたから、支配人も悩んでいるんや」


 この世界に疎かったこともあり、僕はマネージャーに率直な質問をする。


「あのー、キャバレーとキャバクラは違うんですか?」


 高橋マネージャーが、僕を見つめ返した。


「ああ、違うな。キャバクラはキャバレーからショーを無くしたものや。キャバレーっていうのは、ショービジネスやと、俺は思っている。そこに、ホステスの接待が伴っているだけや」


「ショービジネス……ですか」


「まあ、そうは言っても、時代と共にショーよりも、ホステスを前面に押し出した経営を続けてきたから、その垣根が崩れてはいるけどな」


 俯くと、高橋マネージャーが鼻で笑った。

 その仕草が「しかたがないさ」と、言っているように見えた。


 暫く歩くと、鉄製のドアの前に連れてこられた。マネージャーが重い扉を開けて中に入る。小さな物置のような部屋だった。壁沿いに細長いロッカーが並べられている。


「ここは、黒服の部屋や」


 黒服は、キャバレーを支えるスタッフの事だ。

 ホステスの世話はもちろんのこと、来店されるお客様へのサービスなど、仕事は多岐にわたると、高橋マネージャーが説明してくれる。

 部屋の中に、黒の燕尾服に着替えている先輩がいた。高橋マネージャーが呼びかける。


「おい、マコト。他の奴らは」


「もう、フロアに出て掃除を始めています。……その子、新人ですか」


 マコトと呼ばれた先輩が、人懐っこい表情で僕を見た。高橋マネージャーが、僕の背中を軽く押す。


「今日から、ここで仕事をすることになった寺沢譲治だ。仲良くしてやってくれ」


 マコト先輩に向かって、頭を下げる。


「寺沢譲治です。宜しくお願いします」


「よろしく」


 マコト先輩は、気さくに返事を返してくれた。高橋マネージャーが、マコト先輩に指示を出す。


「マコト、予備の燕尾服の中から、ジョージに合うやつを探してやってくれ。着替えたら、こいつを連れてフロアの掃除を教えること。四時半になったら朝礼に集まってくれ」


「はい、分かりました」


 マコト先輩の返事を聞くと、高橋マネージャーは部屋を出て行った。


 僕は、マコト先輩が出してくれた燕尾服に着替える。部屋を出るマコト先輩に従って、一階のフロアに向かった。

 とても大きなフロアだった。扇状のステージを囲むようにして、ボックス席が二十五ほどある。床には青い絨毯が敷き詰められていて、落ち着いた雰囲気を演出していた。天井を見上げると、小さなガラスをツララのようにぶら下げた豪華なシャンデリアがぶら下がっている。キラキラと輝いていた。ここが非日常の空間だということを主張していた。


「大きなフロアですね」


 呆けたように呟いた。

 マコト先輩が、そんな僕を見て笑う。


「大きさで言ったら、このジュエリーボックスは、キャバレーでは小さい方だよ」


「これで……ですか」


 マコト先輩は自慢げに語った。


「それでもな。ジュエリーボックスは、お客様には丁寧な接客を心がけている。かなり人気の店なんやで。さあ、オープンまで時間がない。まずは、各ボックスを掃除していくよ」


 マコト先輩に従って、僕はテーブルの清掃や、周辺のゴミ拾いに勤しんだ。他にも、おしぼりの在庫数の確認や、お酒を提供するときの注意点など、黒服の仕事に関して事細かに説明を受ける。


 開店に向けて作業していると、煌びやかな衣装に包まれたホステスのお姉さんたちが、ゾロゾロとステージの周りに集まりだした。ざっと三十人以上は居る。結構な人数だ。

 開店準備を終えた黒服たちも、お姉さんたちと同じようにステージに集まり整列する。

 四時半になった。

 高橋マネージャーが、マイクを持ってステージの上に駆け上がる。


「おはようございます。今日も多くのご予約があります。下田鋼業御一行様、加賀屋製菓御一行様。また、落語家の九束亭四迷師匠がお越しになられます。お客様を喜ばせて、稼いでください。指名を勝ち取ってください。また、今日の八時半からのショーは、演歌歌手の真山琴子さんが舞台に上がります。始まりましたら、皆さんで大いに盛り上げてください。宜しく頼みます。では、支配人より挨拶があります」


 マネージャーの呼びかけで、木崎支配人がステージに上がってきた。差し出されたマイクを受け取ると、ホステスたちの顔を見て微笑んだ。


「昨日の売り上げは良かったぞ。君たちのお陰だ。この調子で、この十二月もガンガンと稼いでくれ」


 ステージの周りに並ぶホステスや黒服を、支配人はゆっくりと見回した。皆の反応を確認する。支配人が、一呼吸おいて語り始めた。


「今朝の新聞を見ると、リニアモーターカーが時速五〇〇キロを記録したと書いてあった。これは世界初の快挙だ。時代は変わってきている。大きく、変わってきている。このジュエリーボックスも、リニアモーターカーに負けず、グイグイと加速していくからな。……それと、今日は新人の黒服が入ったから、皆に紹介する。ジョージ、ステージに上がれ」


 支配人の言葉に、僕の身体が固まった。心臓がドキドキと暴れ出す。ギクシャクしながら、僕はステージに上がった。

 ステージからは、フロアを一望することができた。かなり広いステージで、左袖には生バンドのメンバーが待機している。このステージの上で、バンドの演奏に合わせてホステスはチークダンスを踊ったりするのだろう。

 支配人が、僕の肩を抱いた。紹介を始める。


「新人の名前は、寺沢譲治。アメリカ人ではないけれど、ジョージって言うんだ」


 支配人が、ホステスを見回した。支配人の言葉に、ホステスたちはニヤニヤと笑っている。


「おいおい、ここは笑うところなんやけどな……」


 支配人の言葉に、あちらこちらで小さな笑いが起こった。


「ジョージは芸大出身で、似顔絵が得意なんや。今日は、研修みたいなもんや。もし、お客さんとの話題に困ったら、このジョージを使え。自分の似顔絵を描いてもらえ。そして、その似顔絵を名刺代わりにお客さんに渡すんや。私を忘れないでねって。しっかりと客に甘えろよ。ええか、なんでも利用しろよ!」


 すると、ホステスの一人が、黄色い声をあげた。


「ジョージく~ん」


 その声に、委縮した。反応が出来ない。この様な雰囲気は、かなり苦手だ。

恥ずかしくて俯くと、ホステスのお姉さん達が笑いだした。

 それを合図にして、支配人が僕の背中を押す。


「ジョージ、戻っていいぞ」


 逃げるようにして、僕はステージから下りた。マコト先輩の後ろに隠れる。

先輩が、僕を肘で突いた。ニヤニヤと笑っている。困ってしまった。

 ステージの上では、支配人が更に話を続けていた。


「では、昨日の売り上げのトップテンを発表する」


 支配人は、具体的な売上金額も添えながら、ホステスの名前を十位から順番に読み上げていく。名前が呼ばれると、周りのホステスや黒服から拍手が起こった。応えるようにして、名前を呼ばれたホステスが恭しく頭を下げる。

 戎橋で出会った月夜さんは、三番目に良い成績だった。かなりの人気者だ。

 次は、ナンバーワンの名前が発表される。支配人が、手を振り上げて叫んだ。


「ナンバーワンは、美咲。よく頑張った。しかし、今日は、同伴での出勤だから、ここにはいない。君たちも、お客に甘えて、しっかりと稼いでくれ。ここは戦場だ。戦ってこい。倒れたら、その骨は俺が拾ってやる」


 支配人の言葉に、ホステスの一人が反応した。


「支配人、私の骨も拾ってくれるんですか?」


 支配人が、声のする方に視線を送る。


「美智子か。おお、拾ったる、拾ったる」


 そう言いながら、自分の手を見つめた。指折り数え始める。

顔を上げた。美智子さんに申し訳なさそうに呟く。


「五番目やけど、それでもええか?」


 ホステス達がドッと笑った。

支配人は、ホステス達をグルリと見回して、手を振り上げる。


「さあ、時間や! 行ってこい!」


 支配人の叫びに、ホステス達が入り口に向かって歩き始めた。黒服も走り出す。お客様を出迎えるボーイとして、ゲートで待機する為だ。


 ボーイの仕事の一つに、来店されたお客様への対応がある。

 お客様が来店されると、まずホステスの指名の有無を確認した。指名があれば、トランシーバーを使ってフロアの黒服と連携して、ホステスを呼び出す。指名が無ければ、高橋マネージャーの采配で、ホステスが選ばれた。


 十七時に開店した直後では、お客様の来店はまだ少ない。待機しているホステスたちは、店に設置されている黒電話から、お客様に直接電話する。来店を催促するためだ。

 そうしたアイドルタイムも、十八時を回ると客足が加速する。ほとんどのボックス席が埋まっていった。


 お客様で一杯になると、今度は、黒服が忙しくなる。

 ボックス席から、次々と注文が上がり始めた。注文を捌くために、黒服はフロアを走り回る。各ボックス席に、ビールやボトル、氷のセットが運ばれた。


 段取りが分からない僕は、初めこそマコト先輩にくっついて動き回る。でも、本当に忙しくなると、一緒に動いていたんでは間に合わなくなった。

 そんな時、僕は別の黒服の先輩に呼び止められる。


「おい、ジョージ。お客様からの指名が入った。案内するから、付いてきてくれ」


 驚いてその先輩を見た。


「僕が……ですか?」


 先輩がイライラとしている。


「そうや。支配人が言っていたやろ。お前に、似顔絵を描かせるって」


 ――そう言えば!


 僕は慌ててしまった。


「……今、クロッキー帳や鉛筆を持っていないです」


 先輩が、面倒臭そうに尋ねる。


「何処にあるんや?」


 申し訳なさそうに答えた。


「ロッカーにあります」


 横から、マコト先輩が口を挟んできた。


「俺が取ってきたる。お客さんは誰や?」


 その黒服が、難しそうな顔をする。


「九束亭四迷師匠や」


 マコト先輩が驚いた。


「師匠か……分かった。ジョージ、先に、師匠のボックス席に行ってくれ」


 マコト先輩が走り出す。

 九束亭四迷師匠なら、僕もテレビで見たことがあった。


 ――難しい客なのだろうか?


 先輩たちの態度に、不安な気持ちにさせられる。僕は、ステージに近いボックス席に案内された。


「来たー、ジョージ君」


 四迷師匠の横に座っているホステスが、嬉しそうに僕を見上げた。可愛らしいピンク色のドレスが良く似合っている。

 たしか先程の朝礼で、支配人に「骨を拾ってくれ」と言っていたホステスだ。

 僕は、お客様達に挨拶をする。


「呼んで頂きありがとうございます。寺沢譲治と申します」


 ホステスのお姉さんが、嬉しそうに手を振った。


「宜しくね、ジョージ君。私、美智子です」


 美智子さんが、好奇心いっぱいの愛くるしい目で僕を見つめた。

 ボックス席には、四迷師匠を含め三人のお客様が座っていた。ホステスは、美智子さんを含めて二人。美智子さんが、僕の為に紹介を始めた。


「えーと、紹介するね。こちらが九束亭四迷師匠。それから、プロデューサーの岡山さん。それと、スケベな飯塚さん」


 紹介されたお客様が、次々と僕に会釈する。


「スケベは余計だよ。ガッハッハッ」


 スケベと呼ばれた飯塚さんは、赤い顔をして笑った。笑いながら、隣にいたもう一人のホステスに顔を寄せる。鼻の下を伸ばしながら、そのホステスの胸の谷間を覗こうとした。

 そんな飯塚さんを見ながら、美智子さんが紹介を続ける。


「ね、スケベでしょう。胸が大きいこの娘は、葵ちゃん」


 葵と呼ばれたホステスは、飯塚さんの顔を手で押しながら、僕を見る。


「よろしくね」


 頭を下げつつも、僕は目のやり場に困ってしまった。


「宜しくお願いします」


 美智子さんが、更に続ける。


「ジョージ君の話をしていたら、絵の腕を見てみようって話になったの」


 皆さんに向かって頭を下げた。


「こんな僕で良ければ、描かせていただきます」


 マコト先輩がやって来た。僕にクロッキー帳と鉛筆が入ったカバンを手渡してくれる。

 戎橋で月夜さんに出会ってから面接まで、急な展開に振り回されっぱなしだった。だから、自分の土俵で戦えることが、ちょっと嬉しかった。

 そんな僕の様子を見て、四迷師匠が問いかける。


「絵を描けるというが、君はどんな経歴なんだね」


「はい、芸大で油絵を専攻していました」


「そうか、学生さん上がりか。僕のような高卒とはえらい違いやな」


 四迷師匠が、ガハハと笑う。すると、その師匠に合わせるようにして美智子さんが言葉を添えた。


「あら、師匠。高卒ならいいじゃない。私なんて、高校中退よ、中退。勉強がとっても嫌いだったの」


 美智子さんが、師匠のことを羨ましそうに見つめた。そんな美智子さんに笑顔を見せた後、師匠は、また僕に問いかける。


「絵を描くときは、ほら、裸の女を描いたりもするのかね」


 酒の席では、下ネタは付き物だ。


「ええ、まー。描くときもあります」


 ちょっと困ってしまったが、素直に答えた。


「そうか、そうか。じゃ、美智子の似顔絵を描くときも、ほら、ちょっと下の方もサービスしてくれんか」


 酔っぱらった師匠が、両手で胸のふくらみを表現した。

 美智子さんは、そんな師匠の肩を押す。


「もー、師匠ったら、スケベなんだから~」


 不満の声を上げつつも、美智子さんは媚を含んだ目で師匠を見つめる。その肩に寄り掛かった。


「ガッハッハッ!」


 師匠が、大笑いした。

 美智子さんが、悪戯な目で僕を見る。


「ジョージ君、駄目よ。私のオッパイまで描いちゃ。アッハッハッ!」


 美智子さんも、手を叩いて笑い出した。オッパイの言葉に困ってしまう。

 カバンの中から、クロッキー帳と鉛筆を取り出した。

 さて、今からは、僕の土俵で戦わせてもらう事にしよう。

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