第2話 面接

「君、名前は?」


 僕の履歴書を一瞥することもなく、支配人が問いかけてきた。

 煙草の匂いがこびり付いたこの部屋で、支配人は机の上に広げられた帳簿に目を通している。数字を追いかけてばかりで、僕を見ようとしなかった。

 白いカッターシャツに紺色の蝶ネクタイ、黒いベストを身に着けた支配人は、まだ三十歳くらいにしか見えなかった。だけど、どこか老獪で人を食ったような雰囲気が、僕に威圧感を与える。


「は、はい、寺沢譲治といいます」


 背筋を伸ばして、緊張しながら答えた。


「ジョージ……格好いい名前やな。歳は?」


 相変わらず、帳簿から目を離さない。僕のことを見ようともしない。


「二十三歳です」


「ほう、若いな。学校はどんなところに行ってたんや?」


 履歴書を渡しているのに、やっぱり見てくれない。学校のことも書いてあるのに……。


「はい、大阪の芸術大学で勉強してきました」


「芸術大学?」


 支配人が、やっと頭を上げた。


「君、お笑い出来るか? ほら、やすきよみたいな漫才とか」


 ――お笑い?


 僕に関心を示してくれたのは良いけれど、ちょっと困ってしまう。


「いや、僕の専攻は油絵でして、お笑いは、ちょっと……」


「油絵か……油絵では、お笑いは無理か……」


 右手を顎に当てると、支配人は考え込んでしまった。僕はなぜか謝ってしまう。


「す、すみません」


 支配人が、僕を見つめた。


「何か、君が描いた絵とかないかな? あったら見たいんやけど」


「あっ、はい。クロッキー帳があります」


 カバンの中からクロッキー帳を取り出し、支配人に差し出した。クロッキー帳を一枚ずつ捲りながら、支配人がかなり熱心に見ている。これは、ちょっと嬉しい。僕の絵には関心があるようだ。


「ねえ、君。一つの絵を仕上げるのに、どれくらいの時間が掛かるんや?」


 少し考えた。


「作品によりますけど、簡単な似顔絵くらいなら、五分もあれば描くことが出来ます」


「へー、五分で。そりゃ凄いな。あれ、この最後の怒っている女の子……月夜ちゃんか?」


 驚いた表情で、支配人がクロッキー帳を覗き込む。


「ああ、そのお嬢さんは、面接に来る途中で出会ったんです。ここまで一緒に来ました。月夜さんっていうんですね」


 クロッキー帳を返された。支配人が、僕を見る。


「うーん、結構やるな。思っていた以上や。君、春乃ピーチクって、知ってるか?」


 ――ピーチク?


 支配人の質問の意味が分からない。


「いえ、知りません」


「そうかー、知らんかー。似顔絵で人を笑わせる芸人なんや。見たことないかな……似顔絵もさることながら話が上手くてな」


 ――芸人?


 仕事の面接に来たのに、話が脱線していた。何の面接なのか分からない。その時、支配人が身を乗り出した。


「……君、それ、やってみいひんか?」


 驚いた僕は、支配人を見つめる。


「えっ! 何を、ですか?」


「だから、似顔絵で、お笑いや」


 僕は、絶句する。暫しの沈黙が流れた。目を見開いたまま、口を動かす。


「僕が? ですか?」


 支配人が、更に身を乗りだす。噛んで含めるように、僕に言った。


「そうや、君がや」


 頭の中が白くなった。理解が追いつかない。支配人の言葉を、僕は心の中で反芻した。


 ――似顔絵で、お笑い。


 激しく、手を左右に振った。


「いや、いや、いや。僕は、友達の紹介で、このキャバレーのスタッフの面接に来たんです」


 支配人が、眉を顰める。


「友達……誰や?」


「前田茂っていう大学での友達が、ここでお世話になっていて」


 肘掛けに腕を乗せると、支配人がふんぞり返った。僕のことを、ギロリと睨みつける。


「ああ、あいつな。ウチの女の子に手を出した奴か。先に、言うとくけどな。この店の中では、恋愛はご法度や。女の子は大事な商品なんや。それを、黒服が手を付けるなんて、もっての外や。よく覚えておくんやで」


 支配人の強い口調に、僕は肩をすくめてしまう。


「はい、分かりました」


 ――茂のアホ! やめた原因は、女か!


 心の中で毒づいた。


「話が脱線したけど、君は黒服として受け入れる。けどな、店としては、舞台に上がってくれた方が助かるんや。舞台に上がれるようになったら、出演料を別途支払う。よく考えてみてくれ」


 ――なぜ僕が?


「は〜」


 面接なのに、つい自信のない返事をしてしまった。そんな僕を見て、支配人が僕を睨む。


「は〜、って。やるの、やらんの、どっちや?」


 投げやりな言葉を、僕に浴びせかけた。とても面倒くさそうだ。背筋を伸ばすと、僕は慌てて頭を下げる。


「はい、頑張ります。直ぐには出来ませんが、やってみたいと……思います」


 僕の決意に、支配人が態度を変えた。ニヤリと笑う。


「絵が描けるなんて、凄いことやで。俺なんか、全く描けない。才能やで、才能。君には才能があるんや」


 今度は僕を持ち上げ始めた。なんだか居心地が悪い。


「いえ、そんなことないです」


 支配人が、身を乗り出した。


「そうや、君の才能を生かして店のポスターを描いてくれよ。それも出来るだけド派手な奴。マネージャーを呼ぶから、必要な材料の段取りは彼と相談してくれ」


 一方的にそれだけ言うと、支配人は事務机の上にある黒電話の受話器を持ち上げた。ダイヤルの穴に指を入れてクルリと回す。指を離すとジーと音を鳴らしながらダイヤルが戻っていった。同じことを何度か繰り返す。受話器を耳に当てた。電話が繋がる。


「アキラか、忙しいか?」


 受話器に耳に当てながら、支配人が何度か頷く。


「分かった。その件はそれでいい。お前に任せておく。それよりも、新人が入ったから、ちょっと上がってきてくれ」


 支配人が、受話器を戻した。僕を見る。


「ちょっと待っててくれるか。マネージャーの高橋がやってくるから」


 支配人は、また帳簿に目を通し始める。

 支配人から視線を外すと、僕は部屋の中をグルリと見回してみた。ホワイトボードで出来た二週間分の予定表が貼り付けられている。ステージに立つ歌手や芸人の名前らしきものが書き込まれていた。テレビで見たことがある演歌歌手の名前や、漫才師の名前がいくつかある。でも、所々が空白になっていた。スケジュールを埋めるのも大変なのかな、と想像してしまう。


 反対の壁には、在籍しているホステスの名前らしきものが張り出されていた。名前と一緒に、指名数とか同伴といった単語も書き込まれている。ホステスの女の子たちが必死でお客を取ろうとしている様子が、目に浮かぶ。

 先程、支配人が口にした月夜という名前もあった。他のホステスよりも、売り上げが多い。美人だったし、かなりの人気者なんだろう。

 その時、支配人室のドアが、ノックされた。


「高橋です」


 支配人が顔を上げる。ドアに向かって声をかけた。


「アキラか、入ってくれ」


 高橋マネージャーが入ってきた。


「失礼します」


 高橋マネージャーは、二十代後半くらいのハンサムな男だった。ポマードで髪の毛をオールバックにしている。瘦せ型の長身で、この世に背を向けているようなニヒルな空気が漂っていた。支配人は、持っていたペンを僕に向ける。


「凄い逸材が入って来たから紹介する。えーと……」


 支配人が僕を見つめる。僕の名前が出てこないようだ。履歴書に書いてあるのに……。

 僕は、素早くパイプ椅子から立ち上がった。高橋マネージャーにお辞儀する。


「寺沢譲治と申します。宜しくお願いいたします」


 支配人が、嬉しそうに高橋マネージャーを見上げた。


「そうそう、ジョージ君や。アメリカ人みたいな名前やろ」


 支配人が面白そうに笑う。話を続けた。


「ジョージ君はな、芸術家なんや。それも絵描きのな。今度、舞台で活躍することになるから、宜しく頼むわ」


 支配人の過大な評価に、僕は首を横に振る。


「いえいえ、そんなことないです」


 支配人が、ニヤニヤと笑った。


「ええねん。そんなに謙遜せんでも、これから、そうなっていくんやから」


 支配人が、真顔で僕を睨んだ。その後、直ぐに笑い出す。どうも、支配人に揶揄われているようだ。

 高橋マネージャーは、そんな支配人の性格を知っているのか、鼻で笑っている。

 支配人が真面目な顔を見せた。話を続ける。


「ジョージ君は黒服での採用やけど、少し特例で扱ってくれるか。系列店にうちのポスターを張る話があったやろ。ジョージ君にお願いした。必要なものやイメージについて、相談に乗ってやってくれ。店の名前が、ジュエリーボックスやから、キラキラと輝く宝石のようなデザインで頼むで」


 高橋マネージャーが頷く。


「分かりました」


「それとな、彼の絵の才能を活用して、ゆくゆくは舞台に上がれるようにしたい。即戦力には、まだまだ時間が掛かるやろうけどな。そこのところも宜しく」


 支配人は、僕の扱いについてマネージャーと意見を交わしている。

 僕は、そんな二人の会話を聞きながら焦っていた。これは大変なことになってしまった。かなり無茶ぶりな支配人だ。僕は、ここでやっていけるのだろうか。不安な気持ちが、胸の中から込み上げてくる。断るのなら、今しかない。


 ――断るか?


 コンコン。


 自問自答をしていると、またノックの音がした。支配人の目が、ドアに向けられる。


「どうぞ」


 ドアが開くと、一人の女性が入ってきた。


「失礼しまーす」


「ああ、月夜ちゃんか」


 月夜と呼ばれたその女性は、先程のお嬢さんだった。僕を見て微笑む。

 月夜さんが、支配人に微笑みかけた。


「この子、面白いでしょう」


 月夜さんに挨拶しようと思い立ち上がった。しかし、その姿に見惚れてしまう。

 赤いコートを脱いだ月夜さんは、サテンの黒いロングドレスに着替えていた。

 胸と腰の曲線が強調されたそのドレスには、太ももの辺りから大胆なスリットが入っている。白い太ももがチラリと見えて、とても眩しい。

 黒くて長い髪の毛は高く結い上げており、銀色に輝く髪飾りがあしらわれていた。まるで、どこかのお姫さまのようだ。


 ――美しい。


 月夜さんを見つめながら、僕は闇夜に浮かぶ美しいお月様を想い描いていた。

 月夜という名前は、源氏名だと思う。とてもピッタリだと思った。

 面接に来ていることも忘れて、僕は、月夜さんを観察する。似顔絵を描くとしたら、お月様をイメージしても面白いかもしれない……。


「何よこの子、私のことをジーッと見つめて」


 挨拶も忘れて、僕は月夜さんを見つめていた。

 月夜さんは、高橋マネージャーに助けを求めるような視線を送る。

 その仕草を見て、挨拶をするために立ち上がったことを、思い出した。僕は、慌てて頭を下げる。


「こ、これからも宜しくお願いします。寺沢譲治と言います。す、すみません……とても、綺麗だと思います」


 ご機嫌を取るつもりではなく、素直にそう言った。月夜さんが、また、笑い始める。


「アッハッハッ、あんたって本当に変な子。これからも宜しくね。私は、月夜」


 月夜さんが、僕に右手を差し出す。僕は、緊張しながら月夜さんの右手を握り返した。小さくて可愛らしい手だった。


「よ、宜しくお願いします」


 握手しつつ、また頭を下げた。

 月夜さんは僕に微笑んだ後、右手を引き抜いた。

 その時、パタッと幕が下りたように感じた。月夜さんの関心が僕から離れる。


 ――どうしたんだろう?


 月夜さんが、支配人の事務机に歩み寄る。支配人に顔を寄せた。何かを囁く。

 支配人が、眉間に皺を寄せた。とても不機嫌そうだ。


「もう、良いぞ」


 支配人が、高橋マネージャーに向かって手を振った。まるで犬でも追い払うかのように。

 高橋マネージャーは、支配人に頭を下げる。僕の肩を叩いた。


「じゃ、行こうか。店を案内するよ」


 高橋マネージャーが、部屋から出ていく。僕は、支配人に頭を下げた。マネージャーを追いかける。

 支配人室の扉を閉める時に、もう一度、月夜さんの姿を見た。ドキドキと、僕の胸がときめいている。これから何かが起こりそうな予感がした。なんだか、落ち着かない。

 人を喰った雰囲気の支配人は、ちょっと苦手だ。だけど、このジュエリーボックスで働くことが楽しみになってきた。

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