第9話:私の感じる疑問点 ②

だからこそ、働き方改革の一環として試験的に導入し、段階的な変更や改善を重ねて全ての人が働ける環境の整備を進めていく必要がある。例えば、就職してもうまくいかない人ややりたいことがあっても一歩を踏み出せない人がいた場合にそのような人たちが個人で活躍できるフィールドを整備し、そのフィールドで活躍できるかどうかを試してはどうだろうか?


これは、若年層を中心に未就業ならびに長期離職者を振り分けて、組織で活躍できる人が多いなら会社に向けて受け入れ態勢などの整備や雇用補助金などの整備を行い、社会からこぼれることがないよう受け皿を確保することが大事では無いだろうか?


 そして、会社などの組織よりも個人で活動をする方が良いという人には国や企業などが積極的にタイアップやスポンサードして、個人でも認められているという自己肯定感を低下させないことが重要だろう。


 日本というのは企業に属することが良いことになってしまう。しかし、それを私は古いのではないかと感じる反面、そのような風潮を壊すことは生活基盤など今まで構築してきたものが崩壊してしまう可能性があり、これらを撤廃した方が良いとは言いがたい。ただ、組織でしか所得を得られない状況では個人の個性や感性など尊重するべき点がないがしろになってしまう場合もあり、これらの問題に対する重大な欠陥が出てしまわないよう十分に考えていく必要がある。ただし、所得を得られる人と得られない人ではなく、きちんとベーシックインカムを導入した上で相対価値などを上乗せすることで本人も努力をすると所得にも反映されるという達成感や評価感を得ることが出来る。つまり、彼らにとっては自分の活動をどのように評価されているのか?それは、適正な評価なのか?など第三者からの評価が適正なものなのかを考えなくてはいけない。


そのうえ、彼らの中にあるベクトルが1つの考え方の基礎となるものとして考えられなくてはいけない。つまり、個別の考え方をどのように社会に反映させていくのか?という個別のプロセスと社会共有における一定の感覚がずれたとしても否定するのではなく、これらの問題点を部分修正し、融合させていくことが大事になってくる。今は年上の意見を正として、それらをベースとした骨組みがくみ上げられてしまう。その結果、年功序列や至上主義など悪い風潮が言い風潮を壊すように混同してしまっており、自分の意見をしっかり持っている若年層や息苦しい労働環境を嫌う若年層を含む人にとっては会社という組織はどちらかというと“生き殺し”や“飼い殺し”という印象を持たれてしまう。その結果、そのような人の離職が進み、彼らの思い描く生き方を念頭に置いてしまうのだろう。

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労働基準法における健全な運用と改善点 NOTTI @masa_notti

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