(2)訴状が届いていないので

「や、山下さん」


 外出先から戻ってきた亀男が、肩を荒く上下させている。


「なんだい」

「ダメです。連日『担当者は戻りました?』って、取材の申し込みを受けてます」

「ふむ」

「特に一人、やっぱりしつこくて」


 泉が席を立ち、窓のブラインドを指で下げた。

 まだメディア関係者が多く詰めかけている。数は三十人くらいだろうか。先日よりも増えてしまっているようだ。

 その先頭には、クロッシェ帽子をかぶった例の女性記者がいる。

 手に掲げられたプラカードには、


『山下議員、訴訟について一言』


 と書かれていた。


「こんなに粘着攻撃されるものなんだな。すぐ飽きて止まるかと思ってたんだが」

「山下さん議員で一番若いし、イケメンじゃないですか。ターゲットとしてはおいしい相手なんだと思いますよ」

「へえ」

「そういえば、なんでママ活なんてやったんです?」

「大学生はカネがないからな。特に遊ぶカネが」

「たしかバイトしてませんでしたっけ? 塾講師の」

「塾に着ていくスーツを買うカネがないことに気づいて、な」

「なるほど。服を買いに行く服がないみたいな」


 お互い家があまり裕福じゃなかったですもんね、と亀男が軽くため息をつく。


「というか時効じゃないのか? もう何年も経っているんだが」

「時効の起算日は不貞行為を知った日です。行為の発生日ではありません。不貞行為を知ったのが三年以内なら、相手の配偶者が訴訟を起こすことは可能です」

「お前、法律の知識なんてあったのか? 魚屋と豆腐屋と肉屋でバイトしたくらいしか勤務経験なかっただろ」

「さっき、あの記者が教えてくれたんですよ」


 亀男も窓まで来て、ブラインドの隙間をあけて指を入れる。

 もちろん示す先は、例の女性記者である。


「そうか。まあ、そのときの相手は『私は未婚だ』と嘘をついていたから、裁判ではまず間違いなく俺が勝てるだろ」


 証拠のメールもまだ家のパソコンの中にあるしな――と泉は席に座りながら言った。


「裁判はともかく、この場はどう切り抜けるんです? 素直に説明したほうがいいんじゃないですか?」


 亀男がそう言うと、また泉は腕を組んでうつむき、やがて笑い出した。


「やっぱりご乱心ですか」

「違う違う。まだ手はあるんだよ」

「今度はなんて?」

「この状況でのベストな回答、それは『訴状が届いていないのでコメントは控えさせていただきます』だ」

「はあ。そうなんですか」

「実際届いていないからな。頼んだぞ」


 大丈夫ですかねえ、とぼやきながら、亀男は部屋を出て行った。

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