友達と勉強とキス

 風鈴の音が鳴る。

 部屋にはシャーペンがノートを擦る音だけ。

 開けた窓からは、涼しい風が入り込んできて、シイナの前髪を揺らす。


 私は友達が集中する顔を見て思う。


 いつまで、この時間が続くんだろう。

 早く大人になりたかったのは、高校二年生までだ。


 三年になると、途端に怖くなる。

 私や周りが変わっていくのは、考えるまでもなく分かる。


 その変化に怯えている。


 だけど、一番怖いのは、友達との関係だった。


「あー、ダメだ。集中できない」

「えー……、まだ始めたばかりだよぅ」

「いやだぁ。もうやりたくない」


 ノートに突っ伏して、力を抜く。

 考えたくない。

 私は駄々をこねて、そのまま寝てしまう。


「もう」


 目を開けると、ぷくっと頬を膨らませたシイナの顔が目についた。

 ぷにぷにとした唇。

 頭が小さくて、細い体つき。


 全部が私とは、真逆の女子。


「はぁ。……シイナが、もし私の彼女だったら、楽できるのにな」


 なんて、言ってみた。

 面倒くさいことは全てやってくれる家政婦感覚の一言だった。


 また、ぷりぷり怒るかな、と思ったけど、様子が違った。


「む? シイナ?」


 目を大きく見開いて、固まっていたのだ。


「や、冗談、冗談。本気にしないで」


 いつもの調子で、笑ってみる。

 シイナは正座をして、私の方を向いた。


「あ、あのね。ユズキちゃん。相談があるんだけど」

「ほいほい。何でしょう」


 シイナは下を向いていた。

 顔は赤らんでいて、何かを搾りだそうと力が入っている。

 真剣な相談かな、と思って私はテーブルから顔を上げた。


「……キスの、れ、……練習、……してくらしゃい!」


 舌足らずな言い方で、シイナが言ってきた。


「キス?」


 こくりと頷く。


 何の事を言ってるんだろう。

 と、考えて数秒が経ち、遅れて意味を理解した。


「え? キスって、あのキス? 魚じゃなくて?」

「はいっ!」


 元気よく返事をされて、私まで固まる。


「な、なんで?」

「それは……。好きな、人がいるので。うぅ」


 ちょっとだけショックだった。

 純真無垢なシイナが、こういう提案をするということは、もう付き合ってる人がいる、ということではないだろうか。


 私の知らぬ間に、大人の階段を上っていたと考えると、出遅れた気持ちになり、悲しくなってしまう。


「お願いっ。ユズキちゃん。キス、させてください!」

「え、でも、……さ。私たち、女同士――」

「こんなお願い、ユズキちゃんじゃないと、できないよ!」

「いやいや。マシュマロで練習するとか」

「食べちゃうもん!」


 甘いの好きだもんね。


 シイナはぐいぐいと前のめりになって迫ってくる。

 友人の必死なお願いを前に、私は断る言葉が思い浮かばなくなってきた。


 必死なお願いに加えて、シイナの泣きそうな顔を見ると、どうしても「いやだ」という言葉が出てこない。


 迷った末に、半ば自棄になった私は言う。


「あー……、じゃあ、やる?」

「い、いいの?」


 ぱあ、と明るい笑顔になる。


 私は座り直して、両腕を広げた。


「さあ、こい!」


 ムードなんてない。

 女同士のキスなんて、こんなものだと思っている。

 友達のノリで、遊ぶようにやればいいのだ。


「ユズキちゃん!」


 シイナが胸に飛び込んできた。


「違う。そうじゃない。キスでしょ」

「うん。……えへ。ユズキちゃんっ」


 あまり言いたくないけど、私は太っている。

 胸が邪魔で、つま先が見えないくらいには、肉がついている。


 その忌々しい肉に埋もれて、シイナがぬいぐるみに抱き着くようにして遊んでいる。


「わあ。ふかふかぁ」


 イラ、ときたので、私は頬を抓った。


「いはいっ!」


 こうなったら、さっさと終わらせよ。


 する前に、私は自分のファーストキスにお別れを告げる。


 さようなら、初キス。

 初めては、友達の女の子でした。


「えいっ」


 ヤケクソのキスだ。

 顔をがっちり掴んで、唇を重ねる。


 すると、想像以上に柔らかな唇に変な感覚がした。

 左右に揺すると、シイナの薄い唇が動いて、必死に吸い付いてくる。


 感想は、「あー、やっちゃってる」と言った感じ。


 熱い吐息が鼻から漏れていた。

 目を薄く開けると、心臓が飛び跳ねる。


 シイナは私に身を委ねていた。

 目を閉じて、気が付けば体重まで、こっちに預けている。


 軽くて、小さくて、思わず嫉妬してしまうような、可愛い女の子。

 八つ当たりは、ヤケクソのキスで済ませる。


「……ん、ぷぁ……」


 私が口を離すと、シイナが潤んだ目で見つめてきた。


「れ、練習は、終わり」


 たった一回のキスだけど、精神的にくるものがあった。


「う、……ん」


 シイナは私の腰に腕を回していた。

 ゆっくりと顔を胸に埋めていく。


 シイナの顔が熱かった。

 触れた胸には体温が伝わってくる。

 回された手は汗ばんでいるみたいで、触れられた場所が熱い。


「は、離れろ~……」

「うん。ごめんね」


 だけど、シイナは離れなかった。

 幸せそうな友人の顔を見て、私は思う。


 あー、やっちゃった、と。

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