こどものケンカ

こぼねサワー

第1話(完結)

  ”見よ、蒼ざめたる馬あり

   これに乗る者の名を死といい

   陰府よみ、これにしたがう"


   【ヨハネ黙示録】第6章8節




 ×-------×



「いったい、お宅では、お子様にどういうご教育をなさってるんですの?」

 ママの声がキンキン響く。

 ヨシオの家の玄関はすごくせまいからね。しようがないや。


「はぁ。本当に面目めんぼくしようもございません」

 ヨシオんちのパパは、しょんぼりした声で言いながら、玄関マットの上にしゃがみこんで頭を下げた。


 ヨシオは、その横に突っ立ったまま。

 ギュッと両手を握りしめながら、ボクをすごい目でニラミつけてきた。


「ママァ、こわいよぉ。ボク、またイジメられちゃうよぉ」

 って。ボクは、ママの後ろにサッと隠れた。


 ヨシオは、真っ赤な顔で言い返してきた。

「ウソつき! クラスのマリちゃんのことを、"生臭なまぐさい"って言って、目の前で鼻をつまんでバカにしてたのは、たぁくんのほうじゃん!」


「ウソじゃないもん。マリちゃんちは魚屋さんだから、お魚の匂いがしみついてるんだもん。前にマリちゃんがウチにお誕生日会にきたとき、ママがボクにそう教えてくれたんだよね?」

 ボクは、そんな匂いには気が付かなかったんだけどね。ママが言うんだから、間違いないじゃないか。


「あ、あら。そうだったかしら? ……とにかく!」

 って、ママは、ソワソワと口に手を当ててから、すぐにヨシオを怒鳴どなりつけた。

「とにかく! なにがあろうと、暴力をふるうなんて言語道断ごんごどうだんです。小学校の校長先生にも連絡して、たっぷりおきゅうをすえてもらうようにしますからね」


「そんな! ほんのちょっと押し合いになって、それで、たぁくんが勝手にコケて泣きベソかいただけなのに!」


「おおお、おだまりなさいっ! なんて生意気な子なの?」


「だいたい、子供同士のくっだらないケンカにママを連れて押しかけてくるなんてさ。みっともねぇの、たぁくん!」


「いい加減にお子さんをだまらせてちょうだい! さもないと、あなたのお勤めなさってる会社との取り引きを中止するようにと、たくの主人に申し上げましてよ?」

 ママは、くるんとカールした長いつけマツゲをバサバサとはためかせながら、ヨシオんちのパパに向かって叫んだ。



 ×-------×



「まったく! なんて非常識な父子おやこかしら!」

 ママは、ブツブツとぼやきながら、ハイヒールのカカトをカツカツと鳴らして早足で歩いた。

 頭のテッペンから、ユゲが吹き出そうなイキオイだ。

「やっぱり、父親に土下座どげざさせたくらいじゃハラの虫がおさまらないわ。うちのパパに言いつけて、ギャフンと言わせてやらなきゃね!」


 ざまみろ、ヨシオめ。マリちゃんの前でボクを転ばせて、大恥をかかせたバツだ。

 ウチのママは、ボクのためなら、なんだってしてくれるんだからな。


 それから、団地の敷地を出た道路のわきに停めてある白いベンツに到着すると、ママが、たちまちスットンキョウな悲鳴をあげた。

「まあああっ! なんなのコレ、気持ち悪いっ!」


 車の前のガラスのド真ん中に、ふで箱くらいの大きさの真っ赤なトカゲみたいなものが、四つん這いに貼りついてたんだ。


「うわあ、なんだこれ?」

 ボクもギョッとなってから、そうっと顔を近付けて、そいつをじっくり眺めた。


 ちょっとジメジメしてそうなヒフの感じと手足の格好は、やっぱり、トカゲっぽい。

 けど、頭と耳は猫に似ていて、シッポの先っぽはやりみたいに平たくとがってる。

 それに、背中には、コウモリそっくりの羽が左右にびよーんと広がって、ブルブルブルブル震えてるんだ。

 そうとうな"ビビリ"みたい。


 ちょっとでも怖がって、損しちゃった。


「ねえ、ママ! スマホ貸してよ。こいつの写真とって、クラスのみんなに送るんだ」


「大丈夫? 急に噛みついたりしないかしら」

 ママは、心配しながらも、ハンドバッグの中からスマホを出して、カメラモードにしてから渡してくれた。


 ボクは、トカゲコウモリ猫モドキにレンズを向けながら、ちょっとづつ撮る場所を変えて、シャッターボタンをタテツヅケに何回もタッチした。

 夕方で、空には薄むらさきの雲が広がってたし、道路の向こう側の公園には木がいっぱいあって、車のまわりは少し暗かった。

 だから、シャッターのたびに、フラッシュがピカピカと光った。


「ピピピピピピィーッ!」

 トカゲコウモリ猫モドキは、小鳥みたいな鳴き声をあげて、羽とシッポをキューッと小さくちぢこまらせた。


 ものすごく悲しそうな声。

 どうやら、まぶしいのが苦手らしいや。


「こんなんでビビるなんてさ。おっかしいの!」

 笑っちゃうよ、ホント。


 もっとビビらせてやろうと思って、どんどんフラッシュを浴びせてたら、トカゲコウモリ猫モドキのやつ、

「シュウウウウウン……」

 って、風船から空気がもれるみたいな声をだすと、ガラス窓から手足がツルルッとすべって。

 はらばいの格好でボンネットの上にポヨンポヨンと2回はずむと、道路の上にベチョッと落っこちた。


「うへぇ、なんだよぉ。弱っちいの!」

 ボクは、くつのツマサキでそいつをチョイチョイって、けとばした。


 はらばいだったトカゲコウモリ猫モドキは、アオムケに引っくり返った。

 猫そっくりの大きな金色の目が、ギョッとしたみたいに見開いて固まってた。

 けど、猫みたいなふわふわの毛ははえてない。トカゲみたいな真っ赤なヒフが、全身ぬらぬらとテカって見える。


「キモッ……!」

 ボクは、今度は遠くまでそいつをけっとばそうと思った。

 それで、右足を思いっきり後ろにふりあげたとき、


「おい、キミ。うちの子に乱暴なことはやめてくれ」

 こわそうなオジサンの声が、耳の中に急に飛び込んできた。


 ボクはビックリして、後ろに上げてた足がグラグラして転びそうになった。


「あら、危ない、たぁくん!」

 ママが、サッと両手で後ろからボクをささえてくれた。

 そうして、声のしたほうに向かってキンキン声をあげた。

「ちょっと! うちの子に、なにかご用でも?」


「お宅のお子さんが、私の子供に暴力をふるったんじゃないですか。いったい、どういう教育をなさっておいでで?」

 いつの間にか車の横に立っていた背の高いオジサンが、すごく怒った声で言った。

 もう夏がくるっていうのに、足元まで届く長いコートに、ツバの大きなヘンな帽子をかぶって、黒い大きなマスクもしているから、顔がカゲになって良く見えない。


「あなたの子供? その、おかしなトカゲみたいな生き物が?」

 ママは、あきれてたけど、ボクと同じようにオジサンのことを気味が悪いって思ったみたい。

 すぐにアタフタして、

「さ、早く車に乗ってちょうだい、たぁくん。日が暮れる前に帰りましょ」


「お待ちなさい! 何もしていない相手に一方的に暴力をふるうなんて、言語道断ごんごどうだんです。せめて、土下座どげざのひとつもして謝りなさい」

 オジサンは、路肩ろかたに転がったトカゲコウモリ猫モドキを白い手袋をはめた手で拾いあげると、もう片方の手で優しくナデながら、助手席のドアの前に立ちふさがった。


 それで、ボクは、車に乗ることができなくて、イライラした。

 かわいがってるペットのことを「子供」って呼ぶ人がたまにいるけど、このオジサンも、そういうタイプの人なんだろう。きっと。

 しょうがないから、ボクは言った。

「暴力なんてふるってないですよ! そいつが、うちの車の窓から勝手にスベり落ちただけで……」


「キミがしつこくカメラのフラッシュを浴びせて、私の可愛いベルゼブブを脅したからじゃないのかい?」

 オジサンは、帽子とマスクの間から、横長の両目だけをキラキラのぞかせて言った。


 ベルゼブブだなんて、おかしな名前。バカみたい!

「だいたい、こんなくっだらないことで、いちいち"親"が出てくるなんてさ。みっともないのな、ベルゼブブー!」

 ボクは、オジサンの手のひらにピッタリ貼りついてるトカゲコウモリ猫モドキに向かって言ってやった。


 そうしたら、オジサンは、みるみる目を吊り上げて、いちだんと低い声で言った。

「いい加減に、お子さんの生意気な口をふさいだらどうです、お母さん。さもないと、を今すぐ決裂けつれつするようにと、我が主君に申し伝えるが?」


「お好きに、どうぞ! たくの主人は政財界に顔がききますので。これ以上おかしな言いがかりをつけるなら、こちらこそ今すぐ警察を呼びますけど?」

 ママは、フンッて鼻を鳴らした。

 それから、ボクの手を引っぱって、運転席のドアのほうから車の中に押し込んだ。


 ボクは、座席の上をはって、助手席にうつった。

 ママもすぐに運転席に乗り込むと、急いでエンジンをかけて、車を発進させた。



 ×-------×



 ボクは、すぐに体をひねって、後ろの窓を振り返った。


 長いコートを着た背の高いオジサンの姿はなくて、かわりに、オジサンと同じ背の高さのトカゲコウモリ猫モドキが2本の後ろ足で立ちあがって、横に長い金色の目をピカピカさせながら、こっちを見てた。


 ボクは、ゾッとして前に向き直り、

「大変だよ、ママ! さっきのオジサンは……」

 そう言いかけた瞬間、そこかしこから、カミナリが落っこちるような音がバリバリバリッって聞こえてきた。


 それから、目の前の窓ガラスに、どしゃぶりの真っ赤な雨がバタバタと叩きつけてきた。

 燃えてるみたいな夕焼け空には、ヨシオが住んでる団地よりももっとずっと大きな馬が、青白い光に包まれながら浮かんでて、空中をのびのびと駆けまわってた。




   ---END---

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