第7話 妖怪漫画家、ひでり神。
そんなことがあってからも、私は、普通に学校生活を楽しんでいました。
ひでリン先生は、ときどきマン研にやってきて、指導してくれました。
連載で忙しいのに、大変だなと思いながら、私は、毎週楽しみにしていました。
その日も、学校帰りに、ひでリン先生と帰りました。
「毎週、連載があって、締め切りとか大変じゃないですか?」
「そうなんだよ。ぼくには、アシスタントがいないから、全部一人でやらなきゃいけないでしょ」
「あの、もし、よかったらだけど、私、お手伝いしましょうか?」
「えっ! ホントに? それは、助かるなぁ。うれしいよ」
まさかの展開でした。私のような素人が、プロのマンガ家のアシスタントなんて、できるわけがない。
でも、やってみたい。私は、ダメ元で聞いたのに、ひでリン先生は、あっさり承諾してくれたのです。
思いも寄らない返事は、私は、思わず首が伸びてしまいました。
「ロク美ちゃん、首、首……」
私は、慌てて両手で頭を押さえて首を戻しました。
「もぅ、ダメでしょ。人に見られたらどうするの」
「すいません。だって、うれしかったんだもん」
私は、素直にそう言って、頭を下げました。
「気持ちだけでも、うれしいよ。ぼくは、人間には見えないけど、編集さんとかには、会わなきゃいけないでしょ。だから、マネージャーがいると助かるんだよね。今までは、花子とかウサギ娘にやってもらってたけどあの子たちも、忙しいらしくてね。手伝ってもらえないんだよね」
「よかったら、それも私がやりますよ」
「そう、うれしいなぁ。でも、なんだか悪いわね」
「そんなことない。私は、大好きな1000%片思いのマンガのお手伝いができるんだもん。うれしいのよ」
これは、本音でした。私は、なんだか、うれしくなって、うきうきしてきました。
「でもさ、ロク美ちゃんは、学校もあるし、妖怪学校の先生もしてるんでしょ。大丈夫なの?」
「平気よ。だって、好きなことなんだもん。がんばれるわ」
「それならいいけど。それじゃ、バイト料も払わないとね」
「イヤイヤ、そんなつもりはありませんよ」
「ダメよ。ちゃんと、働くんだから、ちゃんとバイト料くらい払うから。これでも、漫画の印税とかアニメ化の権利とかで、少しは稼いでいるから、ロク美ちゃんのお給料くらい、払えるのよ」
なんだか、申し訳ない気持になりました。別に、アルバイトしたかったわけではありません。
「その代わり、ちゃんと、ご両親の承諾をもらってくるのよ」
「わかりました。お母さんとお父さんには、ちゃんと話をしてきます」
「それなら、これから、よろしくね」
「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします」
ひでリン先生は、大きな目玉をギロギロさせて、うれしそうでした。
そして、妖怪横丁に着くと、ひでリン先生が言いました。
「そうだ、丁度いいから、ぼくのウチに行って見る?」
「えっ? いいんですか」
「ウチがわからないと、お手伝いに来られないでしょ」
それもそうです。私は、アパートを過ぎて、ひでリン先生の後についていきました。
横丁を真っ直ぐ歩くと大きな森が見えてきます。そこを右に曲がりました。
確か右に曲がると、細い道があって、その先は、昔に妖怪学校があった洞窟があるはずです。
今は、吹き上げ入道先生がいる、お寺が妖怪学校です。
さらにその先に行くと、おじゃが沼と今の妖怪学校があるお寺に着きます。
「あれ? ロク美先生とひでり神じゃないか」
おじゃが沼から生徒の一人である、カッパくんとさら小僧くんが顔を出しました。
「あら、こんばんわ」
「こんなとこでなにしてんだ? 学校の時間じゃないぞ」
さら小僧くんが言いました。
「ひでリン先生のウチに行くのよ」
「ひでり神のうち?」
カッパくんが不思議そうな顔をしました。
「おい、さら小僧、ひでり神のウチなんてあったか?」
「さぁ、知らないぞ」
二人の話を聞いて、ますます謎が深まりました。
それなのに、ひでリン先生は、すたすた歩いて行きました。
私は、二人と別れて、ひでリン先生の後について行きます。
おじゃが沼を通り過ぎると、その奥は、暗い林で、私も行ったことがありません。その林を掻き分けると、ちょっとした広場に出ました。
「アレだよ。アレが、ぼくのウチさ」
そう言って、指を刺したけど、私には、真っ暗で何も見えません。
ひでリン先生の後について少し歩くと、足が止まりました。
「今、明かりをつけるからね」
そう言うと、ひでリン先生は、中に入っていきました。
中と言っても、どこから入ったのか、どこが家なのかもわかりません。
すると、オレンジ色の明かりがつきました。見ると、窓らしいものが見えました。
明かりに目が慣れてくると、ひでリン先生のウチが見えました。
それは、雲でした。灰色の小さな雲で、地面から少し浮いていました。
「こっちが、玄関だから、入ってちょうだい」
そういわれても、どこが玄関だかわかりません。
声がするほうに歩くと、雲がフワッと分かれて、ひでリン先生が見えました。
「こっち、こっち」
見ると、確かにドアがありました。ここが、玄関なのか。
「失礼します」
私は、雲の中に入りました。といっても、雲の中になんて入ったことがないので、よくわかりません。
「靴は、脱いでね」
「ハ、ハイ」
私は、慌てて靴を脱ぎました。でも、玄関の境目がわからないので、どこで脱いだらいいのかわかりません。
「そこでいいよ。狭いけど、入って」
私は、言われた場所に靴を脱いでから、中に入りました。
そこは、畳が敷いてあって、四畳半ほどの広さでした。部屋の中は明るいけど、この電気は、どこから通っているのかまったくわかりません。
窓際に小さな机があって、畳に直接胡坐をかいて座ってマンガを書いているらしい。
そして、何より、私が感激したのは、机の回りの畳の上に、書きかけの生原稿が散らばっているのをみたときでした。
「あの、これって、本物の原稿ですか?」
「そうよ、今度のマンガよ。今、書いてる途中なの」
私は、来週号に掲載される、本物の原稿を手にして、思わず手が震えました。
さらに、感激したのは、本棚には、私と同じ1000%片思いの本が並んでいたのをみたときです。
「どぅ、ビックリした? 売れっ子マンガ家と言っても、ぼくは、妖怪だし、人間の漫画家みたいな広くて豪華な家には、住んでないの。こんなに狭くて小さくて、ガッカリしたでしょ」
私は、長く伸ばした首を左右に振って言いました。
「そんなことはありません。ひでリン先生は、素敵な漫画家です」
「そう言ってくれると、うれしいよ」
そう言って、ひでリン先生は、私のほうに向き直ると、静かに話し始めました。私も向かい合って、きちんと座って話を聞きます。
「ぼくは、絵を書くのが好きでね。ロク美ちゃんが小さいころに、妖怪学校で絵を教えていたでしょ」
「それは、覚えています」
確かに、絵の勉強を教えてくれたのは、ひでリン先生でした。
「でもさ、ロク美ちゃんが卒業して、妖怪学校がなくなってさ、ぼくもやることがなくなったわけよ」
私が妖怪学校を卒業して、人間の学校に行ってからの後のことは、私は知りませんでした。
「その後さ、ぼくは、世界中を旅して絵を書いていたんだよ。ある国で、マンガを見たんだ。それが、ものすごく下手くそでね。だけど、おもしろかった。子供たちが、ボロボロになるまで回し読みしてて、ぼくは、それを見て、子供たちを楽しませたい。そんな絵を書きたい。それは、漫画だと思ってね、
日本に帰ってきたんだ」
私は、ひでリン先生の話に聞き入っていました。
「帰ってもさ、勝手に出て行ったぼくに、帰るところはないわけよ。妖怪横丁からも、黙って出て行ったんだからね。ホントは、帰れる立場じゃないんだよね」
私は、話の続きを黙って聞きます。
「このウチは、雲だから、空を飛んでいられるでしょ。だから、ウチなんていらないんだよね。便利でしょ」
そう言って、ひでリン先生は、豪快に笑いました。
「それでさ、たまたま書いたマンガを出版社に出してみたら、おもしろいって言われて、賞をもらって、気が着いたら、デビューして、連載が始まって、人気が出て、それが今なんだよ」
そんなことがあったのか。妖怪にも、いろんなことがあるんだ。
妖怪にも歴史があるんだということがわかりました。
「それでさ、アニメ化だの映画化だの、いろいろあってさ、疲れたんだけど、子供たちからのファンレターを読むと元気が出てくるんだよね。もっと、がんばろうってね」
そう言って、部屋の隅に置いてある、ダンボールを取り出すと、中を開けて見せてくれました。
その中には、読者からのファンレターがぎっしり入っていました。
私は、その中から一枚、二枚と取り出してみてみました。
『李神日出先生、毎週楽しく読んでます。いつも、ドキドキして、胸がキュンとなります……』
『ヒロインの気持ちが、今の自分と同じに思いました。なんだか、読むと胸が熱くなりました』
『これからもがんばって下さい。いつも楽しみにしています』
どのファンレターも、ひでリン先生に対する気持ちが熱いほど伝わってきました。もちろん、私も、この読者たちと同じ気持ちです。
「ねぇ、すごいでしょ。だから、ぼくも、がんばらなきゃいけないんだよ。ロク美ちゃんが手伝ってくれたらもっと、いいマンガを書けると思うから、頼りにしてるよ」
「そんな…… 私は、マンガって言っても、好きなだけで、書くのは下手だし……」
「なにを言ってるの。マンガは、好きって言うだけでいいんだよ。上手な漫画家なんて、今の世の中には吐いて捨てるほどいるんだから、ぼくが書きたいのは、マンガを読むのが好きな人に読んでもらいたいからなのよ。だから、ロク美ちゃんは、ぼくの読者第一号として、手伝ってほしいの」
なんだか、感激して、胸の奥が熱くなってきました。こんな私でも、役に立てるなら、何でもしよう。
私自身のためにも、ひでリン先生のマンガを楽しみにしている、子供たちのためにも、がんばろうと思います。
この日は、私は、ひでリン先生の話を聞いて、胸を焦がしながら、見送られてアパートに帰りました。
「ただいま」
「お帰り、ロク美ちゃん。遅かったのね」
お母さんが夕食の用意をしながら言いました。
「お父さんは?」
「もう、帰ってるわよ」
そう言うと、お父さんが、部屋から着替えて出てきました。
「ロク美、帰ってたのか」
「今、帰って来たところ」
「もうすぐ、夕飯だから、着替えてらっしゃい」
「は~い」
私は、一度部屋に戻って、制服から着替えました。
戻ってくると、丸いちゃぶ台には、今夜の夕飯が並んでいました。
今夜のおかずは、天ぷらの盛り合わせでした。
「一杯食べてね。あなたは、ビールをどうぞ」
そう言って、お母さんは、お父さんのグラスにビールを注いでいました。
おいしそうにビールを飲みながら、天ぷらを食べるお父さんを見ると、私は、幸せだなと感じます。
「どうしたの、ロク美ちゃん? 冷めないうちに食べなさい」
「ハイ、いただきます」
私は、海老天を思い切りかぶりついて、ご飯を食べました。
どれもおいしくて、お箸が止まりません。季節の野菜のてんぷらは、ほろ苦くて大人の味がしました。
食事も一段落したところで、ひでリン先生の話をしました。
お父さんもお母さんも、黙って話を聞いてくれました。
「ロク美がやりたいって言うなら、いいと思うけど、ロク子さんはどう思う?」
「人間の世界でバイトするって言われたら、心配だけど、ひでり神のお手伝いというなら横丁内だし、いいと思うわ」
「やったー!」
「でも、迷惑だけはしちゃダメよ。ひでり神は、プロの漫画家なのよ。わかってるわね」
「わかってます」
「それと、学校のほうも、がんばってもらわないとな。妖怪学校の方だって、あるんだろ」
「大丈夫よ。どれも好きなことだもん。がんばれるわ」
私は、アルバイトのことを許してくれて、ホッとしました。
この気持ちを大事にしようと思って、部屋に戻ると、もう一度、1000%片思いのマンガを読み直しました。
何回読んでも、胸がキュンキュンしてきます。これを、あのひでリン先生という妖怪が書いているなんて正直言って、今でも信じられません。
でも、それを、お手伝いできるということも信じられなくて
うれしくてたまらなくなりました。早速、明日、学校が終わったら、行ってみようと思いました。
翌日、この日は、土曜日なので、クラブ活動はないので、授業が終われば帰れます。早めに学校を出ると、まずは、横丁に戻って、ひでリン先生のお手伝いをします。
急ぎ足で横丁に帰ろうとすると、イヤなやつが話しかけてきました。
私の一番嫌いなイタチ男です。
「よぉ、ロク美。そんなに急いでどこに行くんだよ?」
気軽に話しかけないでよ。アンタなんかと知り合いなんて思われたくない。
私は、無視して歩きます。なのに、あいつは、私の後を追ってきて、しつこく話しかけてきました。
「おいおい、無視するなよ、ロク美ちゃん」
「ちょっと、話しかけないでよ。アンタなんか、知らないわ」
「冷たいなぁ…… せっかく、いい話を持って来たのによぉ」
「ふん、聞く耳持たないわ」
「あっそぅ、お前、ひでり神の手伝いしてるんだってな」
私は、足が止まりました。ひでリン先生のこと、もう知ってるんだ。
「あいつさ、儲けてるじゃん。俺をマネージャーに雇わない? あいつも世間知らずだろ。俺がいた方がいいと思うんだ」
何を言ってるんだろう。ふざけんじゃないわよ。イタチ男みたいなやつが、ひでリン先生のマネージャーなんて出来るわけがないじゃない。
「冗談じゃないわ」
「それじゃ、お前がやるのかよ? ロク美じゃ、出来ないよな。だから、俺がやってやろうと言ってるんだよ」
「お断りよ」
「そんなこというなよ…… お前から、頼んでくれないか?」
「ダメったら、ダメ。私、急ぐから、もう、付いてこないで」
「おい、ロク美~」
私は、イタチ男を振り切って、走って帰りました。
そして、制服のまま、ひでリン先生のウチに行きました。
「ひでリン先生、ロク美です」
「えぇ~、ホントにきてくれたのぉ?」
ひでリン先生は、ビックリした顔をしました。
「お母さんにも許可をもらったから、今日からアシスタントします。よろしくお願いします」
私は、丁寧にお辞儀をすると、ひでリン先生は、笑いながら中に入れてくれました。
「それじゃ、遠慮なく、頼もうかな」
「ハイ、何でも、言って下さい」
「それじゃね、ここにXが付いている部分を、マジックで黒く塗ってくれる。はみ出たら、ホワイトで消すから、余り気にしなくていいからね。こっちの机を使っていいよ」
ひでリン先生と背中合わせに置いてある、小さな机に、私は向かいました。
そして、言われた通り、Xが付いている部分をマジックで黒く塗ります。
はみ出ないように、丁寧に塗ります。何しろ、本物の生の原稿だから、失敗しないように注意します。
主に髪の毛や服などを塗るわけですが、初めてなので、緊張します。
「ひでリン先生、こんな感じで大丈夫ですか?」
「どれどれ。いいんじゃない。その調子で塗ってちょうだい」
「ハイ」
私は、緊張しながらも、マジックで塗っていきました。
ひでリン先生は、スクリーントーンを張ったり、ペン入れをしたり、難しそうな作業をしていました。
その後、出来た原稿を消しゴムをかけて完成です。
夕方くらいに、原稿は無事に完成しました。
「ハァ~、終わった。ロク美ちゃんのおかげで、早く終わったよ。ありがとうね。初めてだから、疲れたでしょ」
「いえいえ、私は、まだまだ大丈夫です」
私は、笑顔で言いました。
「ちょっと待ってね」
そう言うと、ひでリン先生は、私にお茶を入れてくれました。
「これね、お歯黒べったりからもらったんだけど、おいしいのよ。飲んでみて」
見ると、やはりというか、真っ黒いお茶でした。お歯黒のおばさんは、黒が好きなんです。
私は、一口飲んでみました。すると、なんと言うか、爽やかな味がして、喉がスーッとしました。
「おいしいわ」
「でしょ、でしょ。ぼくも初めて見たときは、真っ黒だから、イカ墨かなんかかと思ったんだけど、飲んでみたら、すごくおいしいんだよね。ビックリだよ」
ひでリン先生は、大きな目玉を細めておいしそうに飲んでいました。
「そうだ。学校の帰りなんだけど……」
私は、イタチ男のことを話してみました。すると、ひでリン先生は、大きな口をさらに大きく開けて笑いました。
「笑い事じゃないと思います」
「ごめん、ごめん。そうか、イタチ男は、また、そんなことを言ってきたのか。あいつも懲りないやつだなぁ」
ひでリン先生は、イタチ男について、話始めました。
「前にね、あいつが、マネージャーをやるって言ってきたことがあったんだよ。そのときは、ぼくもデビューした手で右も左もわからないし、編集さんは人間だから、ちゃんと会うことも出来なくてさ、この顔を出したら、逃げちゃうでしょ。だから、あいつにマネージャーを頼んだことがあったんだよね」
ひでリン先生は、そこまで言うと、お歯黒さんのお茶を一口啜って、話を続けました。
それにしても、このお茶は、どんなお茶なんだろう?
「そうしたらさ、マネージャーの手数料とかいって、ガッポリお金を取られちゃってさ、危なく連載を打ち切られそうになったことがあったんだよ。あの時は、花子ちゃんに助けてもらったから、よかったんだけどね」
トイレの花子さんは、妖怪の中でも、人間の姿をしているので、なにかと人間界に詳しい。
「そんなことがあったんだけどさ、なんか、憎めないんだよね」
「そうなんですか。あんな酷いやつ、ひでリン先生には、近寄らせませんよ」
「まぁまぁ、そういうなよ。あんなやつでも、いいところはあるんだよ」
ひでリン先生は、そう言うけど、私には、いいところなんて一ミリもないような気がします。
「それじゃ、今日は、もう、帰っていいよ。遅くなると、ろくろ首に心配かけるからね」
「ハイ、それじゃ、また、明日来ますね」
「イヤイヤ、明日は、大丈夫だよ。アイディアを考えないといけないから、まだ、原稿は書かないよ」
「そうなんですか。それじゃ、また、原稿を書くときに、呼んで下さい」
「うん、わかった、これからも頼むよ」
そう言われると、うれしくなりました。これからもがんばって、お手伝いしなきゃ。
「そうそう、大事なものを忘れるところだった。これ、少ないけど、今日の分。バイト料だよ」
「えっ? イヤ、そんな……」
「いいから、受け取ってよ。ちゃんと、お仕事したんだから、もらってくれなきゃ、困るよ」
ひでリン先生は、封書に入ったものを私に差し出しました。バイトとはいえ、ホントにもらうのも困ります。
「これからもやってもらうんだから、受け取ってね」
そう言って、私の手に封書を握らせました。
「おこづかいになるでしょ。それで、なんかほしいものとか、おいしいものとか、友だちと食べに行きなさいね」
そう言って、ひでリン先生は、大きな目を細めてうれしそうに言いました。
「それじゃ、遠慮なく。ありがとうございました」
「こちらこそ、助かったわ。また、よろしくね」
私は、ひでリン先生に見送られて、ウチを後にしました。
帰り道、私は、心が浮き浮きして、つい首が伸びてしまいました。
このバイト料は、どうやって使おうかな? 駅前のファミレスに友だちとなにか食べにいこうかな?欲しいマンガもあるし、買っちゃおうかな?
やっぱり、貯金しようかな?
そんなことをいろいろ考えながら歩いていると……
「ただい、イッタぁ……」
首を伸ばしたままなのを忘れて、アパートの軒先に思い切りオデコをぶつけてしまいました。
瞬間的に首を戻しながら、オデコを摩りながら、部屋に入りました。
「どうしたの?」
「ちょっとね。そこで、ぶつけちゃったの」
お母さんに言われて、誤魔化しました。
「それよりさ、見てみて、ひでリン先生のお手伝いしてきたら、バイト料をもらっちゃった」
私は、封書をお母さんに見せました。お母さんは、中をみると、真面目な顔をして言いました。
「無駄遣いしちゃダメよ」
「ハ~イ」
私は、そう言って、部屋に戻って、制服を着替えました。
そういえば、いくら入っているのかしら? 私は、まだ、バイト料を知りませんでした。そこで、初めて、封書を開けてみました。
「ウソッ!」
封書の中には、五千円入っていました。私の一か月分のお小遣いです。
それが、たった一回の、お手伝いでもらえるなんて、夢見たいでした。
「ホントに、どうしよう……」
今までは、毎月もらうお小遣いの五千円は、どうやって使うか、細かく考えて使っていました。
それが、一度のお手伝いでもらえると、なんだか落ち着きません。
「やっぱり、とりあえず、貯金しよう」
私は、そう言って、ブタさんの貯金箱にお金を入れました。
なんだか安心すると、急にお腹が空いてきました。私は、食いしん坊なのです。
「お母さん、お腹空いたぁ」
「ハイハイ、もうすぐできるから、待っててね」
お母さんは、首だけを伸ばして、私のほうに言いました。
「ただいま」
「あなた、お帰りなさい」
「ロク子さん、ただいま」
お母さんが、首を伸ばして、部屋に入ってきたお父さんを出迎えます。
体と手は、そのままキッチンで、動いています。お母さんは、首と体が別々に動くので器用だ。私だったら、絶対、包丁で指を切ってるに違いない。
「お父さん、お帰りなさい」
「ただいま」
お父さんは、そう言って、部屋に戻って着替えにいきました。
お父さんがちゃぶ台に付くと同時に、今夜のオカズが並びました。
今夜のおかずは、私の好きなから揚げです。
「おいしそう」
「たくさん食べてね」
そう言って、私にご飯をよそってくれました。
お腹が空いている私は、夢中でご飯とから揚げを食べました。
お父さんは、お母さんと話をしながらから揚げをツマミにビールを飲んでます。
「今日は、ひでり神の先生のアシスタントしたんだって?」
「そうなのよ。アルバイト料もちゃんともらったのよ」
「そりゃ、すごいな。大事に使うんだぞ」
私は、ご飯を口に頬張ったまま、首を縦に振りました。
今は、バイト料の話より、目の前のご飯のが大事です。
「明日は、妖怪学校だろ。ちゃんと予習くらいしてるのか?」
お父さんが言いました。それを言われると、ちょっと返事に困る。
「大丈夫よ。明日は、国語と算数だから」
私は、急いでご飯を飲み込むと言いました。
「しっかり頼むよ、ロク美先生」
お父さんは、そう言って、笑いました。
まだまだ、私は、頼りない先生なのでした。
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