第2話 妖怪横丁の妖怪たち。

 私は、気乗りがしないまま、横丁に着きました。

「とにかく、がんばって。なんかあったら、連絡してね。すぐに助けに行くから」

「うん、ありがと、ウサちゃん」

 私は、そう言って、妖怪アパートに戻りました。

「ただいま」

「お帰り」

 出迎えてくれたのは、大家さんの砂かけのおばあちゃんでした。

「お母さんは?」

「今、買い物に行ってるところじゃよ。すぐに帰るだろ」

 私は、部屋に戻ると、制服から着替えて、お母さんの帰りを待ちました。

部屋でテレビを見ていると、お母さんが帰ってきました。

「ただいま。あら、帰ってたの。今夜は、ロク美ちゃんの好きなすき焼きよ」

 そう言って、買って来た物を台所に持って行きました。

「どうしたの? いつもなら、すき焼きって聞くと、喜んでくれるのに」

 私の大好物は、すき焼きです。いつもなら、喜ぶところだけど、なんか素直に喜べませんでした。

「学校で、何かあったの?」

「別に、そういうんじゃないの。あのさ、今夜、友だちのところで宿題することになったから、夕飯はいらないわ」

「あら、残念ね。余り遅くならないように帰るのよ」

 お母さんは、台所から首だけ伸ばして、私に言いました。

こんなときは、ろくろ首は便利です。

でも、お母さんにウソをついたのが、なんとなく心に引っかかりました。

「しょうがない。今夜は、お父さんと二人で食べるわ」

 お母さんは、残念そうに言いながら、伸ばした首を元に戻します。

「それで、何時ごろ行くの?」

「約束の時間が、7時だから、その前に行くわ」

「夜は、危ないから、気をつけるのよ。終わったら、連絡くれれば、お父さんが迎えに行くけど」

 また、首を伸ばして私の顔の前まで着て言いました。

「ううぅん、一人で大丈夫よ。私も子供じゃないんだから」

「そう」

 お母さんは、そう言って、また、首を戻します。

結局、私は、時間までイライラしながら、テレビをなんとなく見ているだけでした。そして、6時30分を回った頃、私は、ウチを出ました。

「それじゃ、いってきます」

「気をつけるのよ」

「ハ~イ」

 私は、なるべく明るい声で言いました。

お父さんとすれ違いにならなくてよかった。きっと、お父さんのことだから、ものすごく心配する。

「ああ~ぁ、こんなこと、引き受けなきゃよかった」

 私は、夜空に呟きながら、横丁を歩きました。

夜の横丁は、暗いようで、実は明るいのです。あちこちに外灯があるからです。

外灯と言っても、人間の街のようなライトではありません。

つるべ火という、炎の塊の妖怪が外灯代わりにたくさん照らしているからです。

「ロク美、こんな遅くにどこに行くんじゃ?」

 声をかけてきたのは、子泣きのおじいちゃんでした。見た目は、子供なのに、実は、何百年と生きているおじいさんの妖怪です。頭は、ツルツルなのに、ヒゲが生えて、赤ん坊のように腹掛けをしてわらを背負っている、いつも酔っ払っている妖怪でした。今夜も、店先でお酒を飲んで、真っ赤な顔をしています。

「ちょっと、友だちのウチで宿題をしてくるの」

「そんなのどうでもいいから、一杯飲んで行け」

 まったく、未成年の女の子に、お酒を飲ませようとするなんて、どんな性格してるんだろう。

「こらっ、子供に何てこと言うんだい、この酔っ払いじじい」

 そう言って、子泣きのおじいちゃんのピカピカの頭を平手で叩いたのは、濡れ女のおばさんでした。

「こんな酔っ払い、相手にしなくていいから、早く行きな」

「ありがとう、濡れ女さん」

 私は、そう言って、駆け足で横丁を通り抜けました。

濡れ女さんは、妖怪でありながら、実は、本物の幽霊でもあります。

全身濡れた白い着物を着て、水を滴らせながら、この世とあの世を行ったり来たりしています。

砂かけのおばあちゃんの話では、いまだに成仏できない、幽霊という話でした。

 私は、そんな本物の幽霊を見ているだけに、オカルト研究会の話は、とても真面目に聞く気にはなりません。

気乗りしないまま学校に着くと、すでに他の人たちは待っていました。

「こんばんわ」

「来ないかと思ったよ」

 私が挨拶すると、内藤くんが笑いながら言いました。

「約束は、ちゃんと守るよ」

 私は、軽く抗議すると、部長の花澤先輩が、懐中電灯をつけて言いました。

「それじゃ、行こうか」

 夜の学校は、真っ暗です。確かに、人間が見たら、怖くて不気味に見えるかもしれません。私から見れば、暗闇は、むしろワクワクするのです。

「あの、どこから入るんですか?」

 見れば、門はすでにしまっていて鍵もかかっているので、乗り越えるしかありません。

「こっちよ」

 日向先輩がニッコリ笑って、手招きしました。

私は、その後を続きます。すると、正門の横に、職員用の通用門があります。

それを軽く手で押すと、静かに開きました。

「これは、宿直用の先生のために、鍵はかかってないんだよ」

 内藤くんが言いました。そこまで、調べてあるのか。さすが、オカルト研究会だ。

私たち四人は、足音を忍ばせて、花澤部長の照らす光に沿って、静かに中に入りました。

裏庭に入って、さらに進むと、一階の視聴覚室が見えてきます。

でも、真っ暗で電気も付いていないので、中は見えません。

「冬樹くん、怖いわ」

「大丈夫だよ。ぼくが付いてるから」

 こんな夜に何をやってるんだろう。私は、自分のことをそう思いました。

なんだか、だんだんバカバカしくなってきて、早く帰りたくなりました。

 しばらくじっとして、中の様子を窺っていました。でも、何も起こりません。

「ねぇ、もう、帰りませんか?」

 私は、小さな声で言いました。

「もう少し、様子を見てみよう」

 花澤先輩が言いました。でも、このままいても、きっと、何も起こりません。起こるはずがないんです。

その時でした。真っ暗だった視聴覚室に薄明かりが見えました。

「あっ、アレ、アレ……」

 内藤くんが声を震わせて、指を刺しました。

見ると、カーテンが揺れて、なにやらボンヤリと人影が見えました。

「間違いない、幽霊だ」

「いえ、オバケよ」

「妖怪かもしれないぞ」

 私は、そんな三人の声を聞きながら、じっと目を凝らしました。

確かに人影が見えました。誰かいる。私の妖怪としてのカンがそう感じていました。

 私は、ゆっくり近づきました。

「キ、キミ、鷹野さん、危ないぞ」

「大丈夫よ。皆さんは、そこでじっとしてて下さい」

 誰がいようと、ここは、私しかいない。私は、妖怪人間だから、何があっても逃げたりしない。

私は、ゆっくり窓に近づきました。そして、その窓に手をかけると、鍵が開いていました。

鍵をかけ忘れたのか、中の誰かが開けたのか、それはわからないけど、これで中に入れます。

私は、音がしないように気をつけながら、ゆっくり窓を開けました。

そして、人が通れるくらいまであけると、一気に中に飛び込みました。

「アイタッ!」

 私が飛び込むと、足の下になにかを踏んづけていました。

その何かが、声を上げたのです。

「誰?」

 私は、飛び退いて、そこにいる誰かを見ました。

すると、その誰かが顔を上げました。

「アンタ、イタチ男!」

「その声は、ロク美か?」

「なんで、アンタがいるのよ?」

「それは、こっちの台詞だ」

 その男は、私が一番嫌いな妖怪でした。イタチ男といって、とにかく臭いのです。お風呂なんて産まれてから一度も入ったことがないと思います。

ボロ布を体にまとって、細長い顔に細い目をして、汚いヒゲをビンビンさせています。

腰を摩りながら立ち上がったイタチ男は、私を見下ろして言いました。

「いきなり、なにすんだよ」

「ちょっと、声が大きいわよ。外に、友だちがいるのよ。聞こえちゃうでしょ」

 私は、そう言って、ヒゲをつかんで床に押し付けました。

「いてぇよ。離せよ」

「いいから、なんで、ここにいるのか、白状しなさい。幽霊騒ぎは、アンタの仕業ね」

「違うよ、違うって……」

「なにが違うのよ」

「俺じゃねぇよ。信じてくれよ」

「アンタの言うことなんて、一ミリも信じられないんだけど」

 汚くて、臭くて、ウソばかりついて、妖怪横丁からも嫌われている、半妖怪のハンパ者の言うことなんて聞く耳は持っていません。

「ホントだって、俺じゃないってば」

「アンタじゃないなら、誰なのよ?」

 私は、ヒゲを離して、その手を履いていたジーパンで拭きました。ウチに帰ったら、手を洗わなきゃ。

「俺はよ、ここで寝てただけなんだって。鍵が開いてたから、入っただけなんだよ」

「ウソばっかり」

「ウソじゃねぇよ。それより、この学校には、ホントに妖怪がいるぜ」

 呆れて、言葉も出ません。

「あのね、いい加減にしないと、砂かけのおばあちゃんに言いつけるわよ」

「勘弁してくれよ。砂かけは、怒ると怖いんだよ」

「怒られるようなことするからいけないんでしょ」

 私は、イタチ男の前に、仁王立ちして睨みつけました。

「わかったよ。出て行くよ。出て行くから、怒るなよ」

「いいから、さっさと出て行きなさい」

 私は、小さな声で言いました。

「でもよ、ホントに妖怪はいるんだぜ」

「ハイハイ、わかったから」

「ウソじゃねぇって。後で、大事になっても知らないぞ」

「誰が、信じるもんですか」

 私は、そう言って、イタチ男のお尻を蹴っ飛ばして廊下に追い出しました。

「まったく、もう。よりによって、イタチ男だったなんて、シャレにもならないわ」

 私は、そう言って、窓から体を乗り出して、外にいる三人に言いました。

「大丈夫よ。見間違えだったから、もう、誰もいないわ」

 私は、そう言って、三人に手を振りました。

なのに、三人は、震えて私のほうに近寄りません。

「どうしたの?」

「た、鷹野さん、う、う、後ろ……」

 内藤くんの上擦った声が聞こえました。

私が振り向くと、真っ暗な部屋の中に、巨大な影が見えました。

「まさか、ホントに妖怪……」

 でも、それは、一瞬のことで、すぐにその気配が消えました。

部屋の中は、また、静かになりました。私もなにが起こったのか、わかりませんでした。

でも、確かに、そこには、何かがいました。まさか、ホントに、幽霊とか、妖怪がいたのか……

 私は、窓から外に出ると、三人は、腰を抜かしたのか、その場にグッタリ座りこんでいました。

「大丈夫ですか?」

 私は、三人を助け起こしました。

「鷹野さん、キミは、大丈夫なのか?」

「私は、このとおりです」

「見ただろ。やっぱり、なんかいたんだよ」

「そうね。確かに、なにかいたわね」

「あなたは、怖くないの?」

「怖いわ。でも、ホントに学校の怪談てあるのね」

 私は、このとき、自分でも不思議なくらい、落ち着いていました。

その後、私たちは、それぞれウチに帰りました。

 私が横丁に戻ると、時間は、まだ8時にもなっていませんでした。

さて、このことを誰にどうやって説明するか、それを考えていました。

「ただいま」

「お帰り、早かったな」

 先に帰っていた、お父さんは、すき焼きを食べていました。

「ロク美ちゃん、ご飯は?」

「お腹すいてんだ」

「アラ、お友だちのウチで、ご馳走になってきたんじゃないの?」

「実はね……」

 私は、怒られるのを覚悟で、ホントの事を言いました。

「まったく、ロク美ちゃんは、無茶するんだから」

「もし、ロク美に何かあったら、どうするんだ? 相手がイタチ男だったからよかったものの得体の知れないものだったら、どうするつもりだったんだ。ロク美一人じゃ、何も出来なかっただろ」

「わかってる、ごめんなさい」

 両親にたっぷり、油を絞られて怒られました。でも、それとこれとは別の話です。

「それで、その、なんかの影って、なにかな?」

「さぁ……」

「正体を突き止めたいんだけど……」

「ダメに決まってるでしょ」

「そんな危ないことをするんじゃない」

 予想通り、お父さんもお母さんも許してくれません。

「でも、あたしの学校なのよ。それが何者か、知りたいじゃない。危険だったら、砂かけのおばあちゃんとか下駄履きのお兄ちゃんとかに頼んで退治してもらえばいいでしょ」

「例え、そうだとしても、それは、ロク美ちゃんのやることじゃないでしょ」

「そうだよ。お母さんも心配してるじゃないか」

 ウチの両親は、子供のことを心配しすぎなのよね。私も、もう、子供じゃないんだし、もう少し冒険させてくれてもいいんじゃないかと思う。

でも、こうなると、私一人じゃ勝てないので、この場は、いうことを聞くしかない。

お腹もすいてるし、今夜は、すき焼きだし、この話は、また、明日にしよう。

「ごめんなさい。もう、危ないことはしません」

 素直に頭を下げました。

「わかってくれればいいんだよ。もう、お父さんたちも怒ってないから」

「ほら、お腹すいてるんでしょ。まだ、すき焼きもあるから、食べなさい」

 すっかり機嫌を直したお母さんが、ご飯をよそってくれました。

とりあえず、ご飯を食べよう。お腹が一杯になったら、また考えよう。

そう思って、大好きなすき焼きを、お腹一杯食べました。


 食事の後は、家族三人で、銭湯に行くのが日課です。

お歯黒さんのお風呂屋さんです。着替えとタオルに、桶を抱えて三人でいくのが、いつものパターンです。

「いらっしゃい」

「お歯黒さん、今夜もよろしくお願いします」

「ハイよ、三人さんね」

 お父さんは男湯で、私とお母さんは女湯に別れて入ります。

番台で、お歯黒のおばさんにお金を払って、それぞれ別の入り口に分かれます。

「出るときは、合図してくれよ」

「わかってるわ」

 お父さんだけ一人で、お風呂に入るのは、なんだかちょっと淋しい気がします。

砂かけのおばあちゃんが、アパートにお風呂を作ってくれないかな……

そうすれば、みんなで入れるのに。私は、そんなことを考えていました。

脱衣所に入って、服を脱いでいると、女湯のほうは、何人かお客さんが入ってました。

 私とお母さんは、裸になって、桶とシャンプーや石鹸とタオルを持って、中に入ります。

かけ湯をしてから、大きな浴槽に入ります。

やっぱり、銭湯は、お風呂が大きいから手足を伸ばして入れるので、ゆっくり出来ます。

 今日のお湯は、箱根のお湯とのこと。といっても、箱根なんて行ったことがないので、そういわれても、サッパリわかりません。でも、気持ちがいいことだけは確かです。

 その前に、隣にいるお母さんがスタイルよすぎて、大人の女って感じがして羨ましい。

肌は白くてきれいだし、胸も大きいし、腰のくびれもあって、お尻も大きい。

それに引き換え、私の胸は、全然小さい。もちろん、高校生だから、ある程度は膨らんではいても、お母さんの胸と比べたら、全然小さくて、カッコ悪い。

「こんばんわ、今日も親子で仲がいいわね」

 湯気の向こうから話しかけてきたのは、口裂け女さんでした。

この人も大人って感じで、とてもきれいな人です。もっとも、口は、耳元まで大きく裂けているけど。

お母さんとは、友だちなので、楽しそうに話をしています。

だから、女は、長湯なんだな。

 その向こうには、一人ゆっくりしている、二口女のお姉さんです。

前を見ると、とてもきれいな人なのに、長い髪の後頭部には、もう一つ口があるのです。クールな感じがして、なんとなく会っても話しかけることができません。

 すると、洗い場で頭を洗っていた、可愛い女の子が話しかけてきました。

「あら、ロク美ちゃんもきてたの」

「花子ちゃん」

 その子は、トイレの花子さんです。私の友だちの一人でした。

「先に洗ってるね」

 私は、話に夢中のお母さんに言って、先に浴槽から上がると、花子さんの隣に座りました。

「いいなぁ、花子ちゃんは、胸が大きくて」

 私は、鏡に映る花子さんの裸を見て思わず口にしてしまいました。

「そんなことないよ。ロク美ちゃんだって、すぐに大きくなるって」

「そうかなぁ……」

「だって、ロク美ちゃんのお母さんを見て見なさいよ。ロク美ちゃんも大きくなったら、あんな感じになるのよ」

「そうだといいんだけどね」

 私は、そういいながら、タオルを泡立てて体を洗い始めました。

洗いながら、花子さんに、学校のことを聞いてみました。

「ふぅ~ん、それじゃさ、井戸仙人に聞いてみたら」

「井戸仙人?」

「森の奥に空井戸があるんだけど、その中に住んでる妖怪よ。何でも知ってる物知りって話よ」

「そうなの! ありがとう、花子ちゃん。早速、聞いてみるわ」

「でも、やめた方がいいんじゃない」

「どうして?」

「井戸仙人て、すっごい顔してるから、見たらビックリするというか、気持ち悪くなるわよ」

「えっ? そうなの…… どんな顔してるのよ」

「う~ん、なんていうか、ちゃんとした顔になってないというか、バランスが悪いというか、とにかく、気色悪いわよ」

「そうなんだ……」

 なんだか、会うのが怖くなってきました。でも、会って聞かなきゃいけない。どうしようかしら……

「あっ、ロク美ちゃん」

 脱衣所からドアを開けて入ってきたのは、ウサちゃんでした。

「花子ちゃんもいっしょなんだ」

 ウサちゃんは、そう言って、私の隣に座りました。

ウサギ娘のウサちゃんは、全身が白い毛で覆われているので、お風呂に入らなくてもいいと思うけど、実は、お風呂が好きで、ときどき会うのです。

「相変わらず、ウサちゃんは、賑やかね」

 花子さんは、そう言って、浴槽に入りました。

「なになに、花子ちゃんと何を話してたの?」

 話好きなウサちゃんは、早速、聞いてきました。私は、学校のことを話しました。

「そのこと。まだ、考えてるんだ。だったら、妖怪パトロールの人を紹介するから、その人に任せたら」

「でも、自分の学校のことだから、放っておけないのよ。それよりさ、井戸仙人て知ってる?」

「知ってるけど」

「どんな妖怪?」

「どんなって、気味悪いわね」

 そう言いながら、ウサちゃんは、体中にシャンプーして、あっという間に、全身泡だらけになりました。

「会ってみたいんだけどね」

「えっ? 井戸仙人に会いたいの? やめた方がいいって、あの顔見たら、吐くよ」

「そんなに酷い顔なの?」

「酷いって言うか、気持ち悪いのよ」

 ウサちゃんは、長い耳も丁寧に泡立てて洗っています。

私も、そんなウサちゃんを見ながら、頭を洗い始めました。

 気持ち悪いって、どんな顔なんだろ? だんだん見てみたくなりました。

私は、体と頭を洗ってから、もう一度、大きな浴槽に肩まで浸かりました。

「ウサギ娘と何を話してたの?」

 お母さんが隣にきて言いました。井戸仙人の事を聞いてみようか迷ったけど、ちょっとくらいならいいかと思って試しに聞いてみることにしました。

「お母さん、井戸仙人て、会ったことある?」

「ええぇ?」

「だから、井戸仙人て知ってる?」

「知ってるけど、それが、どうかしたの?」

「どんな顔してるの?」

「どうって…… なんでそんなこと聞くのよ」

 お母さんは、長い首を傾げて言いました。

「どんな妖怪なのかなと思っただけ」

「井戸仙人は、横丁の中で、一番物知りだけど、気難しいからねぇ。変わった妖怪よ」

「そうなんだ……」

 話は、それきりで、お母さんは何も言いませんでした。

すると、水風呂に入ってた、きれいなお姉さんが私に手招きしました。

その妖怪は、雪女のお姉さんとツララ女のお姉さんでした。

二人とも、とても美人な女の妖怪です。熱いのが苦手なので、水風呂に入っています。

 私は、熱いお湯に入ったまま、隣の水風呂に近づきました。

「ちょっと聞こえたけど、ロク美は、井戸仙人に会いたいのか?」

 雪女さんが言いました。

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

「何の用かは知らんが、ロク美みたいな子供が会うような妖怪ではないから、やめとけ」

 雪女さんがきつい言い方で言いました。

「そうね。あのへそ曲がりの老いぼれじじいが、アンタみたいな子供の話しなんて、聴くわけがない」

 ツララ女さんも同じことを言いました。二人からそんな言い方をされると、私も会う自信がなくなる。

「そうかしら? 別にそれも、社会勉強だから、会ってもいいんじゃないかな」

 私の隣に入っていた、花子さんが浴槽の縁に頬杖を付いて、水風呂の二人の美人の妖怪さんたちに言いました。

「会うだけムダだぞ」

「それなら、それでもいいんじゃない。会えなくても、ロク美ちゃんの気が済むなら、それでいいと思うけど」

 花子さんが、フォローしてくれました。

「だったら、好きにすればいい」

 そう言うと、雪女さんとツララ女さんは、水風呂から出て行きました。

「まったく、あの二人は、相変わらず言葉がきついんだから」

 花子さんは、そう言って、私の方に向き直りました。

「それで、どうする? 会うの会わないの……」

 私は、お母さんの方を気にしながら、小さな声で「やっぱり、会ってみたい」と言いました。

「とにかく、一度会ってみれば、ロク美ちゃんにもわかるから。まぁ、がんばってね」

 花子さんは、そう言って、私の肩に手を置いて、お風呂から出て行きました。

なんだか、複雑な気分でした。

「お~い、ロク子さん、ロク美、もう出るぞ」

 男湯から、お父さんの声が聞こえました。

「は~い、わかりました」

 お母さんが返事をしました。それを合図に、私もお母さんとお風呂から出ました。

タオルで濡れた髪と体を拭いて、服に着替えました。ここの銭湯は、いつまでも体がポカポカして湯冷めとかしたことがありません。ある意味、不思議なお湯です。

 番台を出ると、お父さんが待っていました。

「ほら、ロク美が好きなフルーツ牛乳だ」

「お父さん、ありがとう」

 私は、このフルーツ牛乳が大好きでした。特に、お風呂上りに飲む一杯は、特別な味がしました。

「ロク美ちゃんは、それが好きだね」

 番台の上から、お歯黒のおばさんが言いました。お風呂上りに、これを飲むのが、私の小さな頃からの楽しみでした。

「それじゃ、帰りましょう」

「お歯黒さん、ご馳走様でした」

「いいえ、どういたしまして」

 お父さんとお母さんが挨拶します。

「それじゃ、また、さようなら」

「ハイ、さようなら」

 私もお歯黒さんに挨拶して、暖簾を潜りました。

ウチに帰ると、まだ、少し濡れている髪を、お母さんに漉いてもらいました。

私の自慢の長くて黒い髪は、お母さん譲りらしいです。

今は、肩までしかないけど、そのウチ、お母さんみたいに腰の方まで長くなるかもしれません。

「ロク美ちゃんの髪は、ホントにきれいね」

「ロク子さんだって、まだまだ、きれいじゃないか」

「あなたったら、恥ずかしいじゃないですか」

「イヤイヤ、ホントのことだし、ぼくが好きになったのは、ロク子さんの髪がきれいだからなんだし」

「もう、イヤね……」

 何だ、この天然夫婦の会話は…… 

傍で聞いてる娘の私のが、恥ずかしくなる。

年頃の子供の前で、こんな会話が出来るなと感心するけど、ちょっと羨ましくなる。私も、お父さんみたいな、素敵な男性と結婚したいなぁと思いました。

 その日の夜は、ふとんに入って寝ると、明日は、学校が終わったら、井戸仙人に会いに行こうと思いました。


  

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