第2話 そんな話聞かされても

「というわけでワシが生まれたのは1400年前で歴史が云々カンヌンかくかくしかじか......」

誰もいない、否。俺と猫耳少女しかいない道を歩いていた。時刻は午前3時、新聞配達のバイクが街を走り出す頃合いだった。そして、自称神様の猫耳非行少女を家まで帰すところであった。

「あ、終わった?」

「聞いとらんじゃろお前!」

ぷんぷんと可愛らしく怒る猫耳少女は俺の数歩前を歩いていた。警察に突き出すまではないにしろ、家まで送るのは道義だろう。“愛おしくてたまらなくなってしまった”そう言って彼女は俺の前で涙を流した。何も話していない、俺の何が愛おしいのかも分からない。けれども、他人の思いを推量してそこまで泣ける彼女に少しだけ救われたのも、また事実だった。恩に報いる。これぐらいはやらなきゃダメだ。

「......お主も気づいておるじゃろう」

ため息を吐くように少女はそう呟いた。

「ワシが中学生ではないことぐらい、とっくにわかっておるじゃろう」

じゃあ小学生?

「違うわい! そうじゃなくての......しらばっくれるのは構わん。それが己を守る手段になることもある。じゃが、今はしばしワシの言葉に耳を傾けてくれ」

「......ああ」

何となく分かってるよ。君が少なくとも人じゃないなんてことは。

「うむ、それでいい。素直な奴は好きじゃぞワシは」

そう言って自称神様は俺の頭を撫でた。中学生が高校生を撫でる。誰かに見られたら不審者確定だろうな。

「その辺は大丈夫じゃ、ワシはお前以外に姿は見えておらんからの」

そうか。

「うむ、そうじゃ」

自称神様はイタズラが成功した子供のように俺の顔を見て笑った。そんな笑顔にドキッとしたとは言えない。相手は年はもいかないガキだし。

「聞こえておるぞ中二病。というか、う〜ん? ワシにドキッとしたのかお主? 愛い奴じゃのぉ」

こいつ......ここに置いていくぞ。

「構わん、勝手について行くからの。というかお前の心にリンクした以上そうそうお前の場所を見失うこともない。早う炬燵に入らせろ」

はぁ......もう何が何だか分からない。頭がパンクして一つ一つにツッコミを入れる余裕すらない。とりあえず早く寝たい。もうさっさと寝たい。眠れば神様も

「ワシの事はツムギと呼べ、漢字で紬でも良いぞ」

声に出すなら分からないだろそれ。

「こういうのは気持ちが大切なのじゃ。さ、呼んでみ」

......ツムギ。

「なんじゃ?」

「呼んでみただけだよ......」

「そうか! いいぞ、どんどん呼ぶのじゃ!」

紬は嬉しそうに前を進んでいく。一体なんだっていうんだ......どうにも納得がいかないことが多すぎて、脳は目の前のことを処理するのに精一杯で、どうして今日ここに散歩に来たのかももうよく分からなくなっていた。楽しそうに前を歩く彼女しか今は見えなかった。


「随分良い家に住んでおるんじゃのうお主」

マンションのエントランスの前で紬がほーっと感嘆の声をあげる。タワマンなんていう言葉が世に出て久しくなったが、そんな虚栄の塔に俺は住んでいる。いや、違う。住んでいるのは両親と妹だけで、俺はただそこに居るだけ。住むなんて言葉が使えるのはちゃんと行く場所がある人間だけが使える言葉だ。俺はただ朽ちているだけで、本来はいてはいけない存在だ。

「自罰的じゃのうお主は.......寒いから早くワシを中に入れてくれ」

こいつは......合鍵でエントランスのドアを開けてエレベーターに乗る。死んだ顔をしたサラリーマン風の女性が一緒に入ってきた。なんかいたたまれないな.......。

「女性ならウーマンじゃないのかの」

うるせぇ。別に気にしてないけどサラリーマン改めサラリーウーマンに一礼をして先に降りる。少し歩いた角部屋の前で止まり家族を起こさないようにゆっくりと鍵を開ける。中に入り靴を脱ぎ、そそくさと部屋に向かう。よし完璧だ、この時間に起きている家族はいないはずだ。自分の部屋のドアに手をかける。だが、不意に声をかけられた。

「帰ってきたんだ、そのままいなくなればよかったのに」

リビングのドアにもたれかかり、とてもだるそうにその人物は俺に毒を吐いた。薄手のパーカーにショートパンツ、長い黒髪をそのままにしたその人物は俺の事を鋭い眼光で睨みつける。俺のよく知る人間だった。

「悪かったな」

「まだ中二病やってたんだね、おに.....クソ兄貴」

「中二のお前に言われると説得力が違うな」

「うるさい、さっさと消えて。もう一生出てこないで」

バタン、と強くリビングの戸が閉められた。

「言われなくても出てこねぇよ」

部屋に入り鍵を閉める。電気もつけずにコートを脱ぎ捨てて、ベットに潜り込む。嫌な奴と会っちまった。早く寝よう。

「何も見えんぞ、電気をつけても良いか」

「今から寝るから」

「ならワシも入れろ、炬燵で寝ると風邪をひく」

反対する気力も残っていなかった。俺は壁の方に体を向けて人が一人入れるだけのスペースを作る。ハンガーを使う音が聞こえてくる。数十秒経って紬が俺に背を向けて毛布の中に入ってきた。

「さっきのはお主の親族か」

眠らせてくれ。

「ワシが眠れるまで付き合え、少しでいい」

......妹だよ。さっきのが半年ぶりの会話で、俺が引きこもってからは2回目の会話。わかるんじゃないのか、神様には。

「具体的な事は分からん。分かるのはお主の気持ちだけじゃ」

そうか。

「うむ、そうじゃ!」

見えなくとも紬が笑っているのが分かった。ゴソゴソと背後から音が聞こえる。紬が俺と同じ方向を向いたらしい。そして、紬が優しく俺の頭を撫でた。

「大丈夫か?」

俺は、静かに頷いた。

「良い良い。明日からは積極的に救って行くから楽しみにしておれ。明日は外に出るんじゃからな」

「出るんじゃぞ」

え、いや出たくないです。

「出 る ん じゃ ぞ」

......おやすみなさい。

「おい寝るな! 行くんじゃぞ学校、分かっておるな? 分かっておるよなぁ!」

その辺で今日の俺は眠りに落ちた。同級生がSNSにあげた画像で劣等感でいっぱいになって、神社で出会った謎の神様は自分勝手で子供みたいで、半年ぶりに会話をした妹とは喧嘩になって、紬に頭を撫でられて、色々なことがあった。最後に何か言っていたような気もするが.......いや何も言ってないな、明日からまた引きこもりライフが始まるだけだ。停滞するばかりのぬるま湯で、俺は生きるんだ。


「朝じゃぞ、さっさと起きるんじゃ」

ううん.......あと5分。

「お主の5分はもう1時間続いておる、さっさと起きろ」

なんだよもう少し眠らせてくれても良いじゃないか......

「いかんいかん、今日はお主の引きこもり脱出記念日じゃからな、早う起きろ。いい加減昨日みたいにドロップキックをお見舞いするぞ」

言葉が通じなかったらすぐ暴力、さすが中学生だな。

「ぶち殺すぞお主」

ごめんなさい起きます。

「んーっ」

軽く伸びをしてスマホの時を確認する。時刻は朝7時。あと5分が1時間続いてちょうどいいぐらいじゃねぇか。いつの間にかパジャマ姿になっていた紬を睨む。

「いいじゃろ健康的で!」

こいつは本当に......カーテンから差し込む日の光を見て、俺は朝が来たことを確認した。実は昨日俺の見ていた光景は全て幻覚で、寝て起きたら治るかなぁとかそんな楽観的な事を考えていたが、どうやら全ては現実らしい。今日も紬の耳は縦にピンと伸びたままで、どうやらこいつが本当に神様らしいという事を否が応でも実感しなければいけないようだった。

「もう一回寝るよおやすみ」

「寝るな! 今日は学校に行くんじゃ!」

紬が毛布と俺をバンバン叩く。

「え、普通に行かないんだけど」

「制服も用意したから着替えよ! 行かないなら狐火でこの部屋を燃やす」

そんな能力あったのかよ......

「それに、お前自身はためらいの心があるようじゃがそれは学校に対してではない」

意味が分からん。

「学校や高校という言葉に対してそこまでの嫌悪感を抱いておらんという事じゃ。概ね、問題なのは特定の生徒とかじゃろう」

「なぁ神様、あんたずっとあの神社に閉じ込められていたのにどうしてそう現代の事情に詳しいんだよ。」

「神社に来る信徒たちの供物じゃ。恋愛漫画とか供える愛い奴がおってのう。昭和の後期からは神主の部屋にテレビが入ってきてすごく快適になったんじゃ! ド●フとか、ヨ●モトとか大好きじゃ! 最近はyoutubeが面白いのう」

だからTikTokとかも知ってたのか......

「お主の心に動揺や緊張が走ったらワシが一瞬お主の心を乗っ取る。それで大丈夫なはずじゃ。行くだけなら、できるじゃろう?」

簡単に言ってくれる。ただでさえ普段から外に出ることがないのに。そんな話聞かされても

「いいから、行くんじゃ。大丈夫、ワシが付いておる」

いつの間にか俺が通う高校の女性用制服に着替えた紬はそう言った。山の高校なのにセーラー服とはいかに。少し幼いがどこからどう見ても、うちの生徒にしか見えない。ただし猫耳を除いて。

「本当に見えてないんだろうな......」

「うむ。結界の中であるならまだしろ、今のワシは霊力のあるものが陣でも組まぬと見える事はない」

壮大なフラグがったような気がするんだが......

「大丈夫大丈夫。霊力を持ってる奴なんてそうそうおらんから、いても陣を組もうとする奴もおらん。お主も気づかれたくないなら声を出すなよ、心で会話するんじゃ」

紬が俺の胸をバンバン叩く。痛い。

「そんなわけでレッツゴー! なのじゃ」

「おい待て、まだ早いって」

この時間はまだ父も母も仕事に出ていない。妹の登校時間までもまだ時間があるはずだ。誰とも顔を合わせたくない。

「お主の両親は何の仕事をしておるのじゃ?」

「父さんが医者で、母さんが看護師」

「ふむ、そうか」

紬はそれ以上何も聞いてこなかった。みんなが出るまで待ってくれるんだろう。母さん。看護師の母さん、看護師だった母さん。医者の父さんと結婚して看護師じゃなくなった母さん。母さんは俺の事を疎んでいる。父さんと同じ医者にさせたくて、中学受験をさせられて、失敗して高校受験をさせられて。高校は“母さんの”第一志望に入れてとても喜んでいた。親戚の集まりでも誇らしげに、どこに行っても俺の話をしていた。俺も嬉しかった。言われるがままだったけれど、高校に受かった時は本当に嬉しかった。これで母さんに認められるって。ようやく母さんの自慢になるような子になれたって。だから俺が引きこもりになった時、母さんがゴミを見るような目で俺を叩いたのを忘れない。

「恥晒し、学費泥棒、私の教育費、結衣にも迷惑をかけるのよ、お父さんも落胆しているわ、塾代返しなさい、返しなさいよ、私の6年を返しなさい。それぐらいは出来るわよね。あなたは賢いものね? だって父さんの子でしょう? 返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返せ、返しなさい、早く返しなさい」

母さんが合格祝いに買ってくれたコップを割って、会話は終わった。それからは毎日部屋の前に無機質なご飯が置かれるだけになった。


そんな昔話を思い出していると、目の前に水滴が落ちてきた。結露でもしていたかなと顔を上げると、紬が泣いていた。ゆっくりと俺に近づいて俺の頭を抱え、俺を胸に引き寄せるようにしてそれでも泣いていた。流れる涙は俺の顔に落ちてきて、俺が流す涙と一緒になっていた。

「そんなことが......大丈夫じゃぞ.......大丈夫じゃ......ワシが誉めてやる......こっちへ来い......お主はよう頑張った......ワシの胸で泣け......よう頑張った......」

誰かにこの事を言ったのは初めてだった。こんなふうに泣いてくれるのも、俺に頑張ったって言ってくれたのも。紬の優しさに、紬の暖かさに、止めようとしても涙が止まらない。とめどない感情が溢れ出してくる。

「ごめん......ありがとう、ありがとう紬......」

心の栓が少しだけ抜けたような、そんな感情だった。学校に行く前の何でもない朝の部屋で、俺は紬に救われた。

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