神様、かく語りき

芳乃しう 

第1話 プロローグ

坂道を登っていた。つんざくような寒さに耳を冷やしながら、雪の残骸を踏みしめながら。吐く息は街灯に照らされて白く光っていた。坂道には誰もいない。右手にはキリスト系の修道院があって、左手には坂道に沿ったような巨大なマンションがある。聞こえるのは自分が鳴らす靴の音と、遠くから聞こえてくる車の走行音だけだった。誰もいないような、世界が眠ってしまったような、そんな気分すらするような、無機質で冷たい夜だった。坂道を登った先には6年通った小学校がある。右手には神社があって、そこも小学生の頃によく通っていた。長い階段があってとても疲れるのに、そこから見える景色がとても美しくて、毎日のように通っていた。いつも誰かが近くにいて、一人じゃなかった。しかし、ここには誰もいない。重い足を使い、坂を登る。運動不足が身に沁みる。これは数日筋肉痛だな。そんな事を思いながらゆっくりと坂道を登り切る。荒くなった息を整えて顔を上げる。開けた視界には小学校の正門と、右を見れば神社の鳥居、左には神社から真っ直ぐ伸びる道が見えた。そこにも誰もいない。

「まぁ.......夜だから当たり前なんだけど」

小学校は当然閉まっているし、警備会社のシールが正門前にはこれ見よがしに貼られている。校舎にも灯りは見えない。冷たくて寒い、白い街灯がポツンポツンと学校を穴だらけにして光らせているだけだった。

「流石にな」

こんな時間に人がいる方が珍しい。明日も普通の平日で、起きている人なんてそれこそ俺のような引きこもりぐらいだろう。

「こっちも真っ暗ですか......」

神社には灯りがついていなかった。長い階段までの参道にも、そしてその先にある本堂にも一つも灯りがついていない。入るのも躊躇われるような不気味さと神聖さが同居しているようだった。

「いい雰囲気出てやんの」

強敵と出会った時の主人公のような、そんなセリフを吐いてみた。だけど、うん、ごめんなさい。内心超ビビってた。なんだよ怖すぎだろここ。よし、帰ろう。クルッと踵を返して左手側に進む。夜中にインスタなんて見るんじゃなかった。同級生が楽しそうにしているストーリーを見て、孤高を気取ったような写真をあげたら対抗できるなんて考えなければ良かった。早く帰りたい。

「それになぁ......」

ため息を吐く。こんなことをしても意味がないなんて分かっていた。何かを取り繕うように、今も幸せだって主張することに何の意味があるのだろう。そう思った瞬間に幸せなんて消えてしまうなんて事はもう分かっていた。孤高なキャラになった。そんな誤魔化しなんて、自分にすら効かないのは分かっていたはずなのに。

「......帰るか」

寒くて凍えそうだが、いい運動になったと思って今日はすぐ寝よう。来たところで何か変わるなんて思うのが、甘い考えだった。一歩、一歩、家に近づいていく。パソコンと炬燵と、毛布がある部屋に戻って行く。神社から伸びる道は昨日降った雪の残骸がそこらにあって、転けたら寒そうだと思った。国道に出るちょうど半分ぐらいのところで唐突にこんな事を思い出した。小学校の時にこんな噂があったっけ。

『丑三つ時、神社から帰る道の途中、真ん中で絶対振り向いてはいけない。恐ろしい神様に呪われて、君はもう君じゃなくなる』

誰が言い出したかも分からない噂で、しかも小学生が一人で夜中に出歩くなんてできっこないから誰もその真偽を確かめることができなかった噂である。スマホの電源を入れる。ちょうど、2時だった。足が止まる。何かが起きるかもしれない。何かが変わるかもしれない。回れ右で振り返る。

「......」

何も起こらない。少し遠くなった鳥居が見えるだけで、ただ俺は後ろを振り向いただけだった。

「ふっ......」

べ、別に信じてなんかいないさ。ただちょーっと昔を思い出して少し感傷的になっていただけで、たまたまそんなことを思い出しただけで、そんなふうに気分が乗っていたからやってみようと思っただけなのさ。誰に言うまでもなく自嘲的に笑う。

「ほう、そんな風に思っていたのか」

声が聞こえた。誰もいないはずの静寂の中で、背後から声が聞こえた。少女の声に聞こえたそれは、確かに背後から存在感を放っていた。一瞬何が何だか分からなかった。周りには誰もいなかったはずだ。そして誰が近くを歩いている気配すらなかった。ましてやこの時間に少女の声が聞こえるなんていうことも、普段ならあり得ない。困惑と、少しの恐怖を持って振り返る。

「えっ......」

振り向いた先には声のまま、少女がいた。紺のダッフルコートに身を包み、涼しそうな色をした手袋とマフラーを身につけ、一見するとどこにでもいそうな中学生ぐらいの少女がそこにいた。しかし、少女には明らかに人間が持ち得ない身体的特徴を持っていた。猫のようにふさふさした、そして縦に伸びた耳が付いていたのである。黒い耳当てがそんな、少女の猫耳とでもいうべき耳に付けられていた。街灯の光が彼女のためだと言わんばかりに、少女を照らすように光る。

「神を舐めるようでは、いい死に方はせんぞ小僧」

神様だと自らを称する少女は腕組みをして屹立していた。異様な威圧感を感じる。

「......」

神? 何を言ってるんだこいつは......目の前の状況を理解しようと脳が現実的な結論を導き出そうとする。そして一つの結論を導き出した。論理的かつ現実に即した最も妥当な回答。そう、彼女はコスプレイヤーで、夜中でもなければ外に出て歩くことが出来ない中学生なのだと。

「誰がコスプレイヤーじゃ!!」

ものすごく怒ってる。これは、あれだろうかZ世代というやつなのだろうか。イマドキの若者? Tiktokで違法アップロードの曲に合わせて二倍速ぐらいで踊り出すのだろうか。

「我はZ世代などではない! Tiktokもやらん。神社でよく動画を撮る阿呆どもは知っているがな」

少女はそう言った。“俺は何も言っていないのに”そう言った。

「中二病のお主ならわかるじゃろう、これがどういう状況か」

分かるかクソガキ、と咄嗟に出そうになった言葉を飲み込む。

「誰がクソガキじゃ、殺すぞ」

「.......」

どうやらそういうことらしい。最近の中学生はあまり抵抗もなくアニメとか見るらしいからな。こんな風に影響された子も出てくるんだろう。ましてやSNSで注目を浴びるために少し過激なことをしたりもするらしいからな。こんな夜中なのだし高校生らしく、それとなく諭そう。

「中学生が危ないよこんな時間に。君の格好は似合ってると思うけど程々にして、早く帰りなよ」

「誰が中学生じゃ! というかワ シ はコスプレイヤーじゃない!」

そういうやいなや少女がものすごい勢いでみぞおちにドロップキックをかましてきた。頭をぶつける。腕を打つ、足を捻る。道に落ちてた雪の残骸が口の中に入る。痛い寒い痛い

「......ってぇ! 何するんだこいつ!」

俺は少女に飛びかかった。俺の必殺技、手首を怪我しない程度に捻らせる! を食らわせようと手首を掴んだ。両手で少女の左腕を掴み捉えた! こんなに弱そうなら少し捻るぐらいでいいだろう。そう思った瞬間、視界が回った。

「は?」

気づいた時には、両目は綺麗な星空を捉えていた。

「なんじゃこいつ.......神に逆らうとかありえんのだわ」

語尾が無茶苦茶だなという冷静な思考が一瞬回って脳裏をよぎる。立ち上がる気力もない。丑三つ時の空はその言葉が持つイメージとは裏腹にとても綺麗だった。手を伸ばしたら掴めそうなぐらい星が煌めいていた。今日は満月だったっけ。なんとなく、このまま死んでもいいと思った。きっとこれぐらいなんともない時に、死ぬのがちょうどいい。苦悩や葛藤、そんないろいろが薄れて消えるようで。今なら

「何を馬鹿なことを思っておる。ワシの10分の1も生きていないような小僧が死ぬなんて思うな、早う立て」

少女が手を差し伸ばす。手は取らなかった。

「......君に何が分かる」

思わずそんなことを言ってしまった。初対面の、それに何歳も年下の子に、俺は何を言っているのだろう。嫌になる、こんな自分が嫌になる。何も言わないくせに、理解しろなんていう上から目線。言っても分からないだろってどこかで思ったからこそ出てくる言葉。

「......」

ゆっくりと立ち上がる。コートについた砂利と雪を払って、靴紐を締め直す。

「待たれよ」

「......なんだよ」

少女が後ろから声をかける。その呼気は先ほどとは変わらない威圧感を放っていた。本当に神様のような。

「ワシがなんとかしてやろう。其方を丁重に救ってやろう」

救うってなんだよ。

「悪いな小僧、お前はワシのことをそんなに好いていないようじゃが」

少女はそこまで言って一呼吸置いた。そしてその両目から涙を流して、しかしにっこりと笑った。

「お前の心を見て、愛おしくてたまらなくなってしまった」

そう言って少女は俺を抱きしめた。

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