第8話 先手
新宿歌舞伎町。
大昔、24時間眠らない街と呼ばれていた東京シティ最大の歓楽街は、今では当時の面影を残すことなく、まるでゴーストタウンのような寂れた街に様変わりしていた。
そんなゴーストタウンと化した歌舞伎町でも、何件かの店が懸命に営業を続けていた…
小田切を乗せたトラックが停車したのは、そんな歌舞伎町の中でもひときわ目立つ中華料理店の裏手だった。
北京飯店通用口と掲げられた小さなドアと、その横の閉じられたシャッターには、いかにも手書きの下手くそな文字で搬入口と直接書かれている。
小田切は辺りを警戒して、ブタの集団の中へ隠れて身を丸めた。
すると、通用口のドアが開き、傘をさして店主とおぼしき人物が現れた。
「いやぁ、こんな大雨の中、ホントご苦労様アルね」
店主は笑顔で運転席に近付くと、ドライバーも運転席から降りてきて、二人は親しげに話し始めた。どうやら二人は以前から顔見知りのようだ。
「久しぶりだね王さん☆ それにしても、ただでさえ手に入りづらいブタを一度に20頭も注文するんだから、王さんの店は景気が良いんだね」
「じぇんじぇん景気良くないヨ…。ここだけの話、今夜ウチで裏社会のパーティーが開かれるアルよ。主催者の代議士からの注文でプタの丸焼きをテーブルの数だけ用意しないといけないネ…」
「裏社会のパーティーだって?じゃあ、その先は聞かないことにするよ。あとあと面倒な事に巻き込まれるのはゴメンだからさ」
「その方が身のためネ…ワタシも断れずに困ってるのヨ」
「商売のためとは言え、王さんも苦労するね」
「ホント苦労絶えないネ…。プタ下ろす前にお茶するアルか?美味しいお茶入れるヨ」
「予定より早く着いたし、頂こうかな☆」
そう言いながら、二人は通用口から建物の中へ消えて行った。
「…よし、いなくなった今がチャンスだ☆」
小田切は、ボロ切れフンドシの格好のままトラックの荷台から飛び降りた。
すると、荷台に残されたブタたちからブーイングが起こる。
小田切が飛び降りた途端に一斉にブーブーブーブー鳴き出したブタたちの声が、少なくとも小田切にはブーイングに聞こえたらしい。
「ん?どうしたの?僕は君達の仲間じゃないよ?」
ブーブーブーブー…
「……わかったよ、考えてみれば君達のお陰で助かったわけだし、このままじゃ君達は殺されて料理されて食べられちゃうんだもんな」
小田切が荷台のゲートを解放すると、ブタたちは嬉しそうに逃げ出して行った。
ブヒィ~☆ブヒィ~☆
「みんな達者で暮らせよ~☆」
小田切は最後の一頭が見えなくなるまで手を振った。
「さ、僕もこうしちゃいられない」
小田切は、右も左も分からない新宿の街に駆け出して行った。
そもそもゴーストタウンと化した夜の歌舞伎町は通行人などほとんどいない。それでもボロ切れ一枚を腰に巻いただけの小田切は、物陰に隠れながら進むしかなかった。
どこに向かえばいいのかも分からない小田切は、とりあえず近くの交番を探そうと、数少ない通行人を見付けては道を尋ねてみた。しかし…
派手な化粧の若い女性に声をかけると、
「キャーーッ!変態ィィーーッ!」
と、変質者と間違われる始末。
いかにも真面目そうな紳士に声をかけると、
「何なんだ君の体は!何かのウイルスか菌に冒されてるんじゃないのか?悪いが近寄らんでくれ!」
と、身体中に残る無数の歯形を何かの病気と勘違いされてしまう。
「こんな格好じゃ無理もないよな…」
小田切は、右も左も分からない新宿の街で、孤独と不安に押し潰されそうになりながら途方に暮れていた…。
ジャックが書き残してくれた地図は実に曖昧で、俺は、かれこれ小一時間も夜の新宿を彷徨っていた。
20年という時間の流れは実に残酷で、あれほどの栄華を誇っていた街並みが、たった20年でこれほどまでに廃れてしまうものなのかと切なくなってしまう。その上、道行く人も疎らで、そのほとんどの人が暗くどんよりした表情で、街並み同様に活気などまるで感じられない。何だかこっちまで暗くなってしまいそうな気持ちに喝を入れ、目的地を探し続けた。
『フリー麻雀の店 国士無双』
やっと見付けた在り来たりなネーミングの雀荘は、ジャックの地図とは北に2本と西に3本も道がズレていた。
「ま、助けてもらって文句は言えねぇか…」
地下の店内に続く階段を下りるとき、どこからか
「キャーーッ!変態ィィーーッ!」
という女性の叫び声が聞こえてきたが、そこは管轄の警察を信じて、俺は構わず店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃい、お客様お一人で?」
受付にいたボーイは無愛想に対応してきた。
「スマンが麻雀を打ちに来たんじゃない。この店のマスターに用があって来たんだ」
「ウチのマスターに?お約束は?」
ボーイは、あからさまに不審者を見る目で俺を睨んだ。
「アポイントは取ってない。ジャックに言われて訪ねてきた。マスターにも連絡が行ってると思うんだが」
「ジャックさんに?…少々お待ちを」
ボーイはそう言い残して、スタッフONLYと書かれたドアの向こうに消えて行った。
店内を見回すと、年配のサラリーマンのグループと、いかにも不良っぽい格好をした若いグループの二組が麻雀を楽しんでいた。
若い方のグループはちょうど終わったところのようで、負け込んだらしい一人が
「まったく今日はツイてねぇ!やってらんねぇよ!」
と、かなりの金額のお札をテーブルに叩きつけて店を出ていくと、残りの三人も後に続き、この日はお開きになったようだ。
そうこうしてるうちにスタッフONLYのドアが開き、
「お待たせしました、こちらへどうぞ…」
と事務所の中へ招かれる。
しかし、スタッフの鋭い視線は、まだどこか疑いを含んだものだった。
スタッフルームの奥に指紋認証型のデジタルロックが付いた鉄製の重厚な扉があり、店のマスターはその向こうにいるらしい。
説明を終えると、案内してくれたスタッフは店内に戻っていった。
俺が鉄製の扉の前に立つと、ノックするより早く『ピピッ!ガチャン!』とデジタルロックが解除される。
どうやら事務所内にいくつも設置された監視カメラで俺の動向を確認していたのだろう。
鉄製の扉といい、監視カメラの数といい、神経質なマスターの用心深さを物語っていた。
鉄製の扉を開けて中に入ると、すぐに『ガチャン!』とロックが掛かった。
正面の壁に設置された大型モニターには、16分割されたそれぞれの画面に、店の入口から店内、事務所からこの部屋の中まで、全てが映し出されていた。
目的の人物は、その大型モニターに向き合い、こちらに背を向けた形で背もたれの高い椅子に座っていた。
「ジャックから話は聞いている。まあ、座りなさい」
俺は促されるままソファーに腰を下ろした。
「話を進める前に、あんたがあのダンディー刑事だという証拠は?」
「あいにくだが証拠はない。情けない話だが、拉致されたときに警察手帳も銃も奪われた…ジャックに聞いてここへ来たことだけで信じてもらうしかない」
「それはなかなか難しい賭けだな。私もギャンブルは好きだが、この賭けに負けてしまうと私も命を落とすことになる…。まあ、既にこの話に首を突っ込んでいる時点で、私も、ジャックも、賭けに乗ってるようなもんだがな…」
そう言ってマスターは、背もたれの高い椅子に座ったままクルリと反転し、初めて俺と向き合った。
「ジャック?!」
服装が違うだけで、マスターの見た目はジャックと瓜二つだった。
「間違うのも無理はない、私の名前はゴンザレス、ジャックは私の双子の弟だ」
「ジャックが双子?付き合いは長いが、そんな話は一度も…」
「私もジャックも闇の世界で生きてきたからな、素性は明かさないのが闇の世界で生き抜く鉄則だ」
「確かにそうだな…。ヨロシク頼む、ゴンザレス」
「こちらこそヨロシク頼む。どんな勝負であれ、性格上、賭けには負けたくないんでね」
俺とゴンザレスは、固く握手を交わした。
「…スナイパー・ジョーを相手にする以上、命を賭ける覚悟はあるんだな?」
「もちろんだ!ジョーとの因縁は20年前から始まってる。いつまでもあんな暗殺者を野放しにしてられない」
「勝算は?」
「…………」
「出たとこ勝負ってことか」
「だから、どんな事でもいい、やつの情報が欲しいんだ!」
「知っての通り、ジョーが今ここ東京シティにいることは間違いない。次のターゲットの情報も流れてこないところを見ると、まだしばらくは東京シティに留まるんだろうが、ジョーの潜伏場所までは掴めていない。ジョーの用心深さは私以上だからな」
「…だろうな」
「それに、あんたが東京シティに来てることが知られてるなら、ジョーは全ての人脈と情報網を使って、あんたを狙ってくるだろう。そして、どんな手を使ってでもあんたを仕留めにくるはずだ」
「どっちが先手を打てるか、勝負はそこにかかってるってことか…」
ゴンザレスは、引出しからマッチ箱を投げてよこした。
箱には『お触りパブ 痴漢電車』という怪しい店名が印字されている。
「これは?」
「その店に行ってみるといい」
「気遣いは有難いが、今はそーゆー気分には…」
「その店のママに話を聞いてみろ、信頼できる情報屋仲間で、ジョーのことなら私より詳しい」
「そ、そーゆーことね…(* ̄▽ ̄*)」
「善は急げだ、今地図を書いてやるから早速行ってみろ」
ゴンザレスが書いてくれた地図を受け取る。
ジャックの双子の兄が書いた地図という不安が有りつつも、そこは口にせず、
「ありがとう、行ってくる!」
と、鉄製の扉の前に立ったときだ、
「ちょっと待て!ダンディー…」
とゴンザレスに呼び止められた。
「どうした?」
「店の様子がおかしい…」
二人とも話に夢中になり、話してる最中は監視カメラの映像にまで気が回らなかったのがマズかった。
あらためて確認した監視カメラの映像には、先ほどまでは存在しなかった黒ずくめの男が三人、店の中をうろつく様子が映っていた。
そして、麻雀を興じていた四人組のサラリーマンと店のスタッフたちは、麻雀卓や床に突っ伏してピクリとも動かなくなっていた。
16分割されたモニターのひとつが、この部屋の入口を映し出している。
店内からスタッフONLYの事務所に入った黒ずくめの男の一人が、鉄製の扉の前に立つ。
鉄製の扉に遮られたかたちで、その男と俺は対峙していた…。
一瞬の沈黙と緊張のあと、ゴンザレスが叫んだ。
「伏せろ!ダンディーッ!!」
ダダダダダダ…!
=つづく=
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