第7話 林立する黒い塊へ向かって


「う……うぅ……」

俺は、見知らぬ部屋のベッドの上で目を覚ました。

まだ薬の影響が残っているようで、頭はクラクラし、体にも力が入らない。

ベッドから起き上がることも出来なかった。

「やっと気がついたか、ダンディー」

声のする方へ視線を向けると、そこには、車椅子に乗った懐かしい顔があった。

「ジャック?…ジャックじゃねーか!」

「久しぶりだな。20年ぶりか?」

男の名はジャック。

まだ駆け出しの新米刑事だった頃から、信頼できる情報屋として協力してくれていた人物だった。

「ここは?…」

「汚ねえ部屋だが俺の家だ。誰にも知られちゃいないから安心して休めばいい」

「そうか、すまない。しかし、なぜ俺がジャックの部屋に?…」

「さぁな。あらかたヘブンでも打たれたんだろ、下水道でブッ倒れてるのを仲間が知らせてくれたんだ。最初に発見したのが仲間で良かったぜ、さもなきゃ今ごろ身ぐるみ剥がされて砂漠の砂の中だ…」

「助かった、ありがとう」

「あんたを助けるのは俺の天命なのかも知れないな、まったく迷惑な話だぜ、ハッハッハ☆」

そう、俺は過去にも一度、ジャックに助けられていた…


今から20年前。

まだ若く、血気盛んなだけで経験の乏しかった俺は、犯罪組織のアジトが地球にあることを知ると、協力者であるジャックの忠告を無視して、東京シティで一番の繁華街にあった組織のアジトに無謀にも単独で突入した。

当然のごとく俺は返り討ちに遭い、満身創痍で追い詰められ、ついには死を覚悟した。

その時、警察の機動部隊を引き連れて突入してくれたのがジャックだった。

逆に追い詰められた相手が、地獄の道連れにと動けない俺に向けて放った一発の凶弾。

それを、身を呈して庇ってくれたのもジャックだった。

俺はそのまま気を失い、気がついたのは三日後、病院の集中治療室だった…。


「…あの時もジャックに助けられたんだったな。それっきりになっちまって、マトモに礼も言えずじまいで……スマンm(__)m」

「気にするなって。俺はあの一件以来、情報屋からは足を洗ったが、それからのダンディーの活躍をニュースで知る度に嬉しかったんだぜ☆俺は銀河一の刑事さんを助けたんだって、自分の中で今でも誇りなんだからよ☆」

「銀河一ってのは大袈裟だ…そんなもんはメディアが造り上げた過大評価に過ぎねぇよ。俺は刑事として、やるべき事をやってるだけだ」

「ときどき勢い余ってやり過ぎることがあるのは、若い頃から変わってねぇみてぇだけどな☆」

「まぁな☆」

俺とジャックは20年ぶりに笑いあった。

こうして無意識のうちに気持ちをリラックスさせてくれるところも、昔から何度もジャックに助けられてる部分だった。

「ジャック、いつから車椅子に?」

「いつからだろうなぁ…もうずいぶん昔のことだから忘れちまったよ」

「ずいぶん昔って……まさか、あの時…」

「さぁな、忘れちまったって言っただろ?最近ただでさえ物忘れがひどいんだ、お互い歳は取りたくねぇもんだな」

「…………」

ジャックが本当のことを言わなくても、事の真相は簡単に想像できた。

俺を庇って受けた凶弾によって、ジャックはその後の人生を車椅子で過ごす生活を余儀なくされたのだろう。俺に余計な気遣いをさせないように、下手な芝居をしてるに違いない…。

気持ちが滅入りそうになった俺に、ジャックは温かいコーヒーを差し出し、違う話題で気を逸らそうとしてくれた。

「今回東京シティに来たのは何のためだ?……おっと、部外者への情報漏洩は御法度だったな」

「命の恩人に隠し事はできねぇよ……俺は今、ジョーを追ってる」

「ジョーって…スナイパー・ジョーのことか?」

「そうだ。偶然にもジョーの尻尾を掴みかけたんだ…」

「掴み損ねたせいで、そのザマってわけか」

「情けない話だがな…まぁ、そーゆーことだ」

「情報屋から足を洗った今となっては大して力になれねぇが…」

ジャックは引出しから紙とペンを持ち出し、何かを書いてよこした。

見ると、それはどこかの地図だった。メモの下の方には、地名と電話番号まで書かれている。

「この地図は?」

「その地図の✕印の場所にあるビルの地下にフリー麻雀の店がある、いわゆる雀荘ってやつだ。そこのマスターに話を聞いてみるといい、信頼できる情報屋だ。マスターには俺から連絡しておく」

「そうか、わかった。助かるよ」

「俺はこれから仕事に行かなきゃならねぇ。もう少し休んで体が回復したら行ってみろ」

「ありがとう。本当に何から何まですまないm(__)m」

「いいってことよ、気にすんな☆」

「情報屋から足を洗ったって、今は何をしてるんだ?」

「バーのマスターだ。店は小さいが、オープンしてから、かれこれ10年以上やってるんだぜ。俺の作る酒を楽しみにしてる常連がいるんでな、休みたくても休めねぇんだ」

「ありがたいことじゃねーか☆」

「へへ、まぁな☆ じゃあ俺は行ってくる。部屋にある物なら何を飲んでも食っても構わないから」

「お言葉に甘えるよ」

「事件が片付いたら飲みにこい☆おごってやるから☆じゃあな」

そう言ってジャックは出掛けて行った。

俺は、体が回復するまでもうしばらく休むことにして、ゆっくり目を閉じた…。


「チッ…降り出しやがった…」

車椅子のジャックにとって、雨はこの上なく厄介なものだった。

雨は次第に強さを増し、そこかしこに水溜まりを作る。

たまたま横を通りかかったトラックが水溜まりの水を跳ね上げ、ジャックはそれをマトモに頭から浴びてしまった。

「バカ野郎!どこ見てやがんだ!」

ジャックは遠ざかるトラックに向かって大声で叫んだが、荷台に何頭ものブタを乗せたトラックは、ジャックに詫びることもなくそのまま走り去って行った。

肩掛けカバンからタオルを取り出しズブ濡れになった全身を拭くジャックは、強まる雨音のせいもあって、すぐ後ろに黒塗りの車が停まったことにも、中から黒ずくめの男たちが降りてきたことにも気付かなかった。


そしてこの日、ジャックの店のドアにかかった札は、開店時間を過ぎてもCLOSEのままだった…




「ダメだ…眠れねぇ…」

もう少し休んで行こうとしたものの、色んな事が気になって、一向に眠気が襲ってくる気配がない。

「睡眠薬でも飲まなきゃ無理だな…」

俺は眠ることを諦め、ベッドから起き上がった。

最初にこのベッドで意識を取り戻した時よりも、だいぶ体の感覚が戻っている。

「よし…行くか!」

俺はコートを羽織り、ジャックの書いてくれた地図を握りしめて部屋を出た。

「雨か…。傘借りてくぜ、ジャック」

玄関にあったビニール傘を勝手に拝借して外に出た俺は、地図を頼りに歩きだした。

「新宿か…」

ジャックの書いてくれた地図には、大きく新宿という地名が書いてあった。

嫌が応にも20年前の不甲斐ない記憶が甦る。

「今回は昔の二の舞にはならねぇぞ…」

そう遠くない距離に、明かり一つ灯ってない黒い塊が林立しているのが見える。

それは紛れもなく新宿の超高層ビル群だった。

俺は、一歩一歩新宿に近づくに連れ、身体中に気合いが漲るのを自覚していた…。




頬を打つ冷たい雨で、小田切は意識を取り戻した。

「寒い……そして臭い…」

トラックの荷台で、ブタに囲まれながら小田切は考え込んでいた。

「確か、窓ガラスを突き破って脱出したんだよな……そうか、たまたま君達が下を通りかかって僕を助けてくれたんだね☆ しかし困ったなぁ…こんな格好じゃトラックから降りるわけにも行かないし…麻のロープだからチクチク痛いし、がんじがらめだから痒くてもかけないし…」

ブタと小田切を荷台に乗せたトラックは、急いでいるのか、かなり飛ばしていた。

「それにしても荒っぽい運転だなぁ…交通規則なんか丸っきり無視してるよ…」

やがてトラックは、水溜まりの水を跳ね上げ、不運にも横にいた車椅子の男性をビショビショにしてしまう。

車椅子の男性は何かを怒鳴っていたが、その声が運転手に届くはずもなく、トラックはお構い無しに爆走を続けた。

「ほ~ら、言わんこっちゃない……こんな格好じゃなきゃ現行犯逮捕してやるのに…」

そうかと思えば次の瞬間、今度は急ブレーキで急停車する。

慣性の法則で荷台の前方へ転がった小田切は、そこに取り付けられていた木製の棚に激突し、棚にあった紙袋が頭上に落下、破けた紙袋の中身を頭から浴びる結果となった。

「ゴホッ…ゴホッ…何なんだこの粉は!」

破けた紙袋には、大きな赤い文字で合成飼料と印字されていた。

雨でビショ濡れの全身にその合成飼料が付着した。

ブタから見れば大きなエサの塊に見えたのだろう、急停車の衝撃から落ち着きを取り戻したブタたちは、鼻をヒクつかせ、みんな揃って小田切を見つめている。中にはヨダレを垂らしてるブタもいた。

「ちょっと君たち…どうしたの?言っとくけど僕はエサじゃないよ?」

もちろんブタたちに言葉が通じるはずもなく、ブタたちは一斉に小田切に襲いかかった。

「ギャハハハ!…ちょっとヤメて!くすぐったい!痛い!くすぐったい!」

ブタたちの容赦ない猛攻に悶絶する小田切。

しばらく続いた猛攻がやっと落ち着くと、全身に付着した粉はキレイさっぱり無くなっていたのだが、代わりに無数の歯形が痛々しく残されていた。

小田切は、身体中についた歯形をチェックしながら異変に気付く。

「あれ?いつの間にかロープが無くなってる…」

それは思いがけない嬉しい異変だった。

よく見ると、何頭かのブタが口をモグモグさせている。さらにそのうち何頭かのブタの口の端からは、切れたロープが垂れ下がっていた。

「そうか!化学繊維じゃなくて昔ながらの麻のロープだったからだ☆ 雨で濡れて合成飼料の染み込んだロープは、ブタさんたちにとって格好のエサになったんだ☆」

がんじがらめの呪縛から解放され、体の自由を取り戻したとは言え、スッポンポンでは何も出来ない。

小田切は、棚にあった何枚かのボロ切れを繋ぎあわせて腰に巻き、即席のフンドシで局部だけは隠すことに成功した。

「とりあえず何もないよりマシか……でもこの後どうしよう…」

と、考え込む小田切を乗せたトラックの前方には林立する黒い塊、新宿超高層ビル群が迫っていた。



=つづく=

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