逃げ水と向日葵畑

 ──日本特有の、高温多湿な気候。

 地平線は波打ち、向日葵ひまわりは陽を求め顔を向けていた。

 アスファルトの道路だけが、機械的な冷たさを作り出す。


 それにならったかのように、重機は重い音を立て、

 中心から血が跳ねていた。まるで、潰されてしまったかの様に。


「──あ、ぁぁああ……」


 大型犬と間違われやすい程の中型犬は、俺の人生の中で一番大事な家族だった。

 両親よりも優しくて、一緒に寝る時だって有ったんだ。なのに。

 俺がこの手で、殺してしまった。


 一%でもその可能性がなかったとしても、事実は変わらない。

 この世界での永遠というのは、『死』なんだ、と幼いながら知る。


■■■


「はぁ……あぁ。はは……またあの事だ」

 

 向日葵畑を見る度に思い出す。俺は太陽の様に謙虚ではない。

 刺す様に向けてくるその黒い顔が、凄く怖い。

 ──お陰で、学校に行く事も愚か、玄関から出られなくなった。


「赤羽くん、あーーかーーばーーねーーくん」


 背の低い男子が俺を呼んでいる。学校でできた友人。

 悪意が無い、良い人たちだからこそ、

 明るい声で外に出そうとしてくるのが怖かった。


りょうくん、またね」

 

 暫くの静寂の後、聴きなれない誰かの声が背後から聞こえる。

 誰なんだろうと振り向く。白と薄い空色の狼──いや、犬。

 犬が、喋っている。


 飼っていた犬と面影が似ているせいだろうか。

 とても嬉しくなって、気づいた頃には抱きしめていた。


「ワンワン? <何々、自分と遊んでくれるの?>」

「お前、良い物食べてるんだな……サラサラの良い毛だ」

「クゥ……ワン <ご主人が軽い……心配になるっス>」


 扇風機の風よりも穏やかな冷たい体。お腹を触ると温かくて、安心する。

 可愛らしい犬は何処から来たのかなんて考えず、

 ただ、この小さな幸せを抱き続けていた。


「ワゥン <信じてくれた?>」

「うん。ただ……聞いて欲しいお願いがあるんだ」

「ワン <どんな事?>」


「俺を無理やり外に出さない?」

「クゥン <やらないよ>」

「ずっと隣にいてくれる?」

「ワゥン、ワンワン <一人になっても、寂しくならない様にするよ>」

「……ありがとう」


 ダブルコートの毛が柔らかさに滑車を掛けている。

 厚い毛皮を着ていて暑いはずなのに、冷たくて寒すぎない。

 ずっと触っていたい……。

 

「このまま昼寝でもしたいな」

「ワンッ <良いと思うよ>」


 肌触りがとても良い。滑らかで、フワフワで、白雪に似てて──

 不意に、あの時の景色がフラッシュバックする。


「あ……」


 しつこい位に出てくる思い出。どうせなら幸せな時の記憶が良かったけど、十年を超えた今でも鮮明に出てきてしまう。隣にいる犬は何も悪くないのに、視界から離したくなってしまう。

 自分のせいだと思ってるからこそ……考え出したらキリが無さそうだ。


「ワフッ <遼くん、散歩しよ!>」

「あ、あぁ良いぞ」


 北風は喜んで俺の手にポンと手を乗せた。…………首輪が無い。

 それならと思って彼の頭の上に手を置いてついていく。少し広い和室を走り回る北風に振り回されるが、楽しくて仕方がなかった。


「ちょっと、お前さん元気すぎるぞ」

「クゥ……ワン <でも楽しいよ!>」

「はぁ……ははは……確かに、楽しいな」


 運動不足が響いてるからそこまで走れなかったけど、俺を背に乗せて走ってくれたお陰で長く楽しめた。遊園地の乗り物に乗っているみたいで、久しぶりに楽しかった。本当に、楽しかったが、その、凄く疲れた。


「満足、出来たか?」

「ワン! <ご主人が元気になったから出来た!>」

「聴き間違えじゃなかったから言うが、俺はお前さんの飼い主じゃ──」


 都心よりも少し涼しい風を感じて、日本で一番高い山とみかん畑が奥に見えていた、あの景色。蝉の鳴声だけが、しばらく鳴り響いていた。


 ──大人になってしまった。


「…………ニスト」

「北風、なんだよな。俺の悪夢の中に出てきて……見に来たのか?」

「見たくて見てるんじゃなくて、──いや、見たかったかもしれないっス」

「…………」


 ネクタイについている金色のピンを取って、顔に近づける。

 ──夢がめてくれて良かった。今日をやり過ごす事ができた。

 眠らない様に気をつけていれば見なくて済む。見苦しい姿見せない様に……


「嫌な事と暮らしちゃえばいいんスよ。消そうとするのは難しいと自分は思うっス」

「苦しみを背負い続けるなんて辛いんだよ」

「じゃあ、自分が壊しちゃうっス。毎回見た時に、良い夢にするんスよ」


 北風は玄関から見える向日葵畑を、手で一つ一つ折っていく。

 床に落ちた向日葵は枯れていき、種がぎっしり入った花になった。

 俺の見慣れていた景色が、辺り緑色の茶畑に変わる。


 大きなどんぶりの器を畳に置いて、向日葵の種をポロポロと落としていく姿を横で静かに見ていると、北風は嬉しそうに言う。


「これから、良い夢になれるっスね」

「……向日葵の種、意外とイケるな」


 柔らかい奴がリスみたいに口の中に種を食べる姿が面白くて、気が楽になれた気がする。それにしても、食べる手が止まってないな……夢の中とはいえ、食べ過ぎにならないか心配だ。


「良い天気っスねー」

「だな」


 青い空と白い雲と飛行機雲。

 青々しい木々が覆ってきた頃には、夢が醒めていた。




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そこに100円の人間がおるじゃろ? 平山美琴 @fact_news_

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