第69話 氷龍
矢の雨が私たちを襲う。
たとえ獣の為の道具だとしても、人を射殺せぬ道理はない。モミジの魔法がなければ、今頃絶命していたと思う。
私は魔力を叩きつけて粉塵を巻き起こし、攻撃を一時的に遮断する。すっかり閉ざされた視界の中、足音だけが白銀の世界に響いていた。
「先にいっておく。敵を殺さずに突破できるほしょうはない」
「……でも、
「あれは、簡単に使っていいものじゃない。青いのは、そう何度も変身したか?」
質問の意図は解らない。しかし答えは確かに否だった。
豪雪が辺りに降り積もる。自然の脅威は私達に一切の予断を許さないつもりのようだった。
アルビオンか、
それは先の疲労を加味しても、軍勢を突破できるだけの戦力か。答えはやはり否。手持ち無沙汰になった私は、訳もなく左手を真っ黒に変色させた——鱗が出来上がる一歩前の状態だ。
「どうするつもり」
「正面突破するしかない。向こうに戻れば、回復の手立ては残ってるから」
先頭を務めようとして一歩前に出ると同時、カラフルな魔力の礫に襲われる。真っ黒に変色した右手を振るえば、吹き出した炎が敵の魔力を払い除けてくれる。
「
モミジの魔法が発動する圏内を中心として、同心円状に炎を生み出す。敵が初撃に怯んだ僅かな間を狙って、私は只管に突き進んだ。
しかし炎は輝かなかった。追撃となる筈の魔法はこの手の中に留まったままで、代わりに一条の光が敵を吹き飛ばした。
「む、だめか。敵の数がおおすぎる」
私が何かを言うより先に、モミジは体内の魔力を爆発させた。
それが全てを物語っていた。
「……王都で落ちあおう。だからお前は、空から逃げなさい」
でもその背中は、全てを任せるに相応しいだけの力があった。私は黙って頷いた。
全速力で踵を返し、勢いのままに飛び上がる。詠唱された
同時、眼下で光が大爆発を巻き起こした。私は一瞬たりとも目を向けず、我武者羅にメリアの下へと帰っていった。
◇
ネリネと言葉を交わしながら、私は二人が帰還するのを待っていた。
街の方で無数の轟音が聞こえてくるのと、空から涼華が戻ってくるのは同時に起こったことだった。内での尋常ならざる様子については、彼女の様子から察せられた。
「モミジはどうした。中で何が?」
涼華は大きく息をついて、それから事の顛末を語り始めた。
女王グラシエの存在に、魔王の配下を名乗る男との接触。そして原住民からの襲撃と、王都での合流。
凄まじい情報の数々を受けて、ネリネは気怠げにこめかみを押さえた。
「疾く此処を離れるべきね。私達の存在がいつ感知されるのかも解らない」
「王都へ近づけば近づくほど、物資の補給は難しくなるだろうな。早くに女王と決着をつけねば」
「……そっか。ここから先は、全部が敵なんだよね」
誰にでもなく涼華が呟く。
口にされた事実によって、私たちが進む道の何たるかを痛感させられた。
「だが進まなくてはならないよ。精霊王を斃した以上、この道を避けられはしないのだから」
それからすぐ、我々は橇と共に街を発った。
街の外縁を大きく離れ、現地人との接触を避けながら先へと進んだ。
しかし王都に近づけば近づくほど、街の規模は必然大きくなってくる。索敵の全てを避けて通過するのにも限界があった。
慣れぬ吹雪に視界が奪われていたのもあるだろう。
此方に迫る敵の存在が、直前まで認知されなかったのは。
「メリア!」
ネリネが声を荒らげる。咄嗟に背後を振り返ると、此方を捕食せんとする猟犬が目の前にまで迫っていた。
その歯が落ちてくるよりも、紺碧の槍の方が速い。獣は口を横から刺され、瞬きの間に絶命した。
「助かった。それで、敵の数は」
「わからない。でも簡単に相手できる数じゃないのは確か」
白銀の床に朱が広がる。突き出た牙はレモンダンのそれと同種。即ち、人に飼い慣らされたモノ。
喪失に呼応するように、獣の咆哮が響き始める。雄叫びは忽ち規模を増して、ついに我々の全てを取り囲んだ。
「……こんなのから逃げてきたばっかりなのに」
心底嫌そうに呟いた涼華の表情は、直後此方に姿を見せた獣の存在によって変化する。
突如として金切り声が辺りを包み込む。涼華の視線の先には、白煙の遥か向こう側から堕ちてくる、——何かの姿があった。
「っ、何だ!?」
怪異が飛来するのと、涼華の両腕が鱗の盾を作り上げたのは同時だった。
想像以上の質量が彼女と衝突する。力が拮抗していたのも束の間のこと、彼女は空へと吹き飛ばされた。
「涼華!」
「メリア、貴方は向こうを。地上は私が引き受けるわ」
エルフの数が圧倒的に多いのは一目瞭然だった。加えて猟犬もいるとなれば、橇ごと守り抜くのはネリネのような手練れとて難しい。
「キミでも無茶じゃないか、ネリネ」
「安心しなさいな。あの紫に出来て私に出来ないなんてこと、この世に殆どないんだから」
「……道理で。ならば少々背を借りるぞ。彼奴を撃ち落としてくる」
ネリネはただ頷いた。
私はその背を軽く蹴る。涼華のように翼を生やして、
戦場に辿り着いてすぐ、質量の衝突を目の当たりにする。
両腕の鱗を駆使して涼華が激戦を繰り広げていたのは、氷で作られた巨大な
「人工の龍種か。よく考えるものだ」
体内の魔力を右手に集め、人差し指を敵の頭部に向ける。間髪を容れず、私は
「
氷龍は異常な速さで魔法を躱すと、甲高い鳴き声を響かせながら上空へと消えていった。
「あの
「空中戦は不得手だが仕方ない。次が来るぞ、涼華!」
氷龍は更に上空へと撤退する。一息ついたかと思った途端、奴は初撃と同じ急降下を見せた。
私が片目で視線を送れば、涼華は静かに頷いた。
直後、冷たい隕石が落ちてくる。我々は確かに息を合わせ、皮一枚でそれを回避した。
『〜〜〜〜〜!』
しかし氷龍は限界まで堕ちることなく、突然切り返して上空へと昇ってくる。
涼華が間に割って入った。漆黒の鱗は打突を弾き、その軌道をまた逸らす。彼女が吹き飛ばした方向に握槌を投げつければ、今度は確実に命中した。尤も氷龍が体勢を崩すことはない。体の一部を破壊しながら、奴は強引に此方へと迫って来た。
「涼華、交代だ」
「ん。わかった」
攻撃の対象は変わらないらしい。私は限界まで奴を引きつけ、勢いのままに脚を振り上げた。眼前で激しく散る火花は、圧倒的な質量と、それに並び立つだけの魔力の衝突が起こしたものだった。
氷龍は再び我々と距離を取る。頭部の軽度な損傷以外、ダメージらしいダメージは入っていないように思われた。
「ちっ、攻撃が早かったか」
「このまま続ければ問題ないよ。絶対に隙はある」
甲高い叫びに空気が震える。突撃のサインが向こうで示されたのを見て、再び防御の体勢へと移行する。今度は涼華が前衛を務め、私が後ろに回ることにした。
生物最強の名を冠するだけあって、氷龍は人間の理解を超えた速度で迫ってくる。しかし奴は口を開くと、
「あ、やばっ」
涼華が瞠目と共に声を上げる。高濃度の魔力光線は、威力だけで見れば魔龍のそれに匹敵しただろうか。しかし涼華は動きを止めない。己が鱗を左の腕で突き破り、吐息をかき消すくらいの爆炎を解き放った。
炎によって視界が消える。私は煙の中に飛び込むと同時、氷龍の手前で動きを止めた。
「うん。
攻撃の為の予備動作は必要ない。足元に得物を落とすだけで、
握槌は氷を砕き、その肉体を損壊させる。しかしそれでも足りぬのか、間髪を容れずに反撃が襲ってきた。今度は防ぐ術もない。脳は衝撃にぐらぐらと揺れ、両手に鋭い痛みが走る。
吹き飛ばされる直前で踏み留まり、再び魔力を叩き込む。御立派な翼に傷をつけ、涼華の下へと立ち返った。
「……まだ飛べるなんて。やっぱりアレは、作り物で間違いないみたいだね」
「ああ。だが此奴、ノームの土人形を凌ぐ性能だ」
「城にいたコピーのこと、だよね。それにノームの方は、生成量にも限界があるみたいだった」
「向き不向きはあるがな。恐らく女王グラシエが作ったモノに他ならないだろう」
女王の産物を目の当たりにして、蛇蝎の如き嫌悪に襲われる。あれほどの性能を備えた相手だというのに、それが我々と同じ魔法使いの産物なのだとしたら。想像するだけで嫌気が差してくる。
「ともかく、向こうを抑えよう。あの
涼華は魔力を昂らせる。彼女の全身は熱の色でなく、鱗の黒に包まれていた。
「サラマンダーはいいのか」
「頼ってばっかじゃ、いられないから」
「……うん。防戦も終わりにしてやろう」
私は宝石を懐の奥に仕舞う。対する
女王の支配を終わらせる為の戦いは、既に幕を開けていた。
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