第68話 垓下ニ壁ス
レモンダンから譲り受けた地図を頼りにして、白銀の世界を只管に突き進む。
暫くのうちに辿り着いたのは、王都からやや距離のある街だった。どこか物寂しい雰囲気が漂う場所だった。
「此処は先の場所に比べて大きいな。尤も、別に物資を確保する必要もなさそうだが」
「情報を集めるには十分な場所よ。王都に乗り込む下準備は、此処で済ませてしまいましょう」
「ふたてに別れよう。メリアと青いの、ここの番を。まずはわたしと涼華で行く」
「む、了解した。行ってくるといい」
二人に荷物の番を任せて、私とモミジは街の中へと入っていった。
変わらず、人の気配は殆ど感じられない。
それでも雨の国と違う気がするのは、家々に明かりが点いていて、人の営みを感じられるからか。
「情報を探すなら、やっぱりお店かな」
「……ねらい目は、魔道具系。情報がたしかになる」
住宅街を通り抜けて道なりに歩くと、商店が立ち並ぶ通りに出た。
初めに訪れたのは魔道具の出店だった。聡明なエルフの店主に出迎えられた。此方を穿鑿しようともせず、彼女は淡々と、しかし丁寧に答えてくれた。
「女王陛下について? ええ。余程の事がなければ拝謁は難しいでしょう。それこそ、国を揺るがす一大事でもなければ。どうしても会いたいのなら、やはり王都を目指さねばならぬでしょう。しかし此処は幾度もの大戦で疲弊しきった薄氷世界。異人の来訪を快く受け入れる都とは、思わぬ事です」
それから先も聞き込みをして回った。だが特有の意識が根ざしているためか、異邦の私たちに易々と情報を喋ってくれる人は殆どいなかった。
「あー……困ったね。情報、全然集まらないや」
「民族意識がつよいな。あのおとこに、もっと聞いておくべきだったかも」
「でも、レモンダンさんと敵対したくない。仕方ないよ」
モミジは満足そうに、どこか呆れた様子で笑った。
もう少し情報を集めようとして、商店街の果てまで行くことを決めた。
道なりに進みながら、目的地までの情報収集を終えた後。初の異変が私たちを襲う。
「こんなところに龍種が二名。思いの外、早い出会いになったものだ」
私たちの横を何かが通り抜けた。自分が其処にいることを忘れてしまうような感覚。立っているだけで気が狂うほど、或いは空気が爛れるほどに濃密な魔力の渦。その正体が人間だと気づいたのは、背後を取られた後だった。
「何者だ」
モミジが光を纏って蹴りを放つ。しかし影に攻撃は届かなかった。
青い髪の中性的な人物だった。純白のスーツを纏う姿から、辛うじて彼が男だと判断する。
「龍種モミジ。お前の助力故に、精霊王ノームの討伐に成功したと聞く」
男は全てを知っていた。彼が現れると同時、辺りを薄暗い霧が包み始めた。
あのノームにすら匹敵しうる魔力は、対決するべきでないのかもしれない。
しかし男の存在を、私の全身が否定した。
「
炎は蛇の如く地を這いずり回る。そして狙いを男に定めると、容赦なく彼に食らいついた。
だが、其処に残ったのは足跡だけだった。
「やめておけ。届かぬ攻撃に魔力を蕩尽するなど、愚者の選択だぞ」
「やってみなくてはわからない」
屋根の上に逃れた男目掛けてモミジが隕石を射出する。輝く流星が迫り来る中、男は
「解るさ」
隕石と男の得物が衝突する。金切り音を上げて接触した両者だったが、均衡はそう長持ちしない。モミジの魔法は粉となって消え去った。
「何故なら、立っている次元が違うのだから」
男は
「モミジ下がって」
同時にサラマンダーへ合図を送る。同調を一時的に取り除き、右腕に鱗の盾を顕現させた。
息つく暇もなく魔力の礫が降り注ぐ。一つひとつの重みは精霊王に比べれば大きくない。にも拘らず、鱗は球体と衝突するたび、障子の如く簡単に破れていく。
「無理をさせた。ごめん」
モミジの言葉に振り返るが、背後にもう彼女はいない。
視線を戻せば、其処で蒼と菫の光が鎬を削っていた。二つの魔力は衝突するだけで空気を揺らす。しかし、やはり向こうが一枚上手か。最後に紫は失墜した。
私は彼女の名前を叫ぶも、当の本人は涼しい顔で立ち上がった。受け身を取ったのか、その肉体に傷はない。
「……お前は何者だ。邪なる魔力、決して尋常なる者のそれではないだろう」
男は黄金の双眸を細めた。
「解っているはずだ。この身こそが魔王から賜った全てだと」
魔王。凍土を統べる王の名前ではなく、確かに彼はそう口にした。であるのならば、私達と男の間にある圧倒的な戦力差は純然たる事実なのだろう。
それでもモミジは怯むことなく、淡々と男に問うた。
「直属の配下か。ならばお前はどうして此処に」
「物語を識る為だ。精霊王を打ち破り、為政者すら打ち立てたのだ。高評価に相当するぞ」
『……何様のつもりだ。道具に過ぎぬ貴様の何処に、此奴らを批評する権利がある』
体が再び臨戦体勢に移る。其処で男はサラマンダーの存在に気づいたらしい。
私が瞬きする間に、奴は屋根から降りていた。
「この身は道具に過ぎないがね。物語における享楽が糧となるのも事実らしい」
「サラマンダー。道具って」
『奴に魂などはない。性別もなければ信念も無い。存在が最悪だ』
心が嫌悪の念を抱いている。
敵の全容は理解し得ない。しかし彼から滲み出る悪意の数々から、斃さねばならない相手なのだと判断できる。
視線を正面に向けた時、総毛立つ感覚に襲われた。先の比にならないほどに膨れ上がった魔力は、殺戮のための攻撃が始まることを物語っていた。
「……風晴涼華。己が恩師を殺した感覚を、憶えているか?」
——それは、最悪の問いだった。
心の奥底に塞いでおいたモノをかき回されるような感覚。アレルゲンに触れた肉体のように、全身が強張り、猛烈な吐き気にすら襲われる。
「黙って」
汗の代わりに全身が燃えた。血液が熱湯の如く煮えたぎり、この足が踏み抜いた地面は灼熱を纏って変色した。
刹那のことだった。ひとたび激情に飲まれた身体は、止まることなく男の喉元に喰らいついた。
酷く頭が冴えていた。敵の魔力が全て見えた。
「今日は遊びの心算で来たんだがな。ともかく、感情による強化など時代遅れだ——っ」
血液が何度も何度も何度も何度も脳を巡る。
絶対零度に冷えた頭は、感覚的かつ理論的に、敵の実体を掴んでいた。
「
右手から飛び出た紅焔が敵を呑む。奴のスーツは瞬時に焼き切られた。
だが同時、先の歪な魔力が私の脇腹を掠める。この焼けるような痛みの正体も、理解は苦しくない。私は半歩退くと同時、モミジにアイコンタクトを取った。
休む間もなく横殴りの魔法が迫る。
「
あらゆる防御を蝕む攻撃は確かに肉体と衝突するが、何一つ起こさぬまま通り抜けていく。
心臓の鼓動が、喉元まで込み上げる熱が、私の全てを突き動かしている。
三度間合いが零になる。横には既にモミジがいた。
「さらまんだー。やり方、おしえて」
『我に解るか、戯け。無理やり合わせろ!』
酷く
鱗は敵の肉体を破壊する。モミジと調子を合わせて押せば、ついに奴は吹き飛んだ。
しかし私の手には、どこか奇妙な感触が残っていた。
「見事だ。ほんの一瞬にしろ、お前は此方のレベルに到達した。加えて評価しよう」
既に男の姿は眼前より消失している。今度はもう、男の所在は解らなかった。
対峙の証拠は残された真っ白なシルクハットだけだった。奇妙な言葉だけが辺りに響いていた。
「もしお前達が女王グラシエを倒せたのなら、次は嵐の大洋を越えるがいい。その時我々はお前達を、初めて脅威として認識しよう」
シルクハットが何かに蝕まれ、雪の中に溶けていく。男の気配は完全に消え去っていた。モミジは地面に触れてみるも、白銀の粉が彼女の指を細やかに伝わっていくだけだった。
「おそらく、力の半分も出していない。本当に厄介なあいて」
「……あれが、魔王の配下」
呟いてみるも、其処には寒さが残っているだけだった。
モミジは立ち上がり、未練もなさそうに踵を返す。だが直後、彼女は雪面へと飛び込んだ。
突然の出来事だが呆気に取られている暇はなかった。その場にしゃがみ込むや否や、頭上を鋭い氷の矢が走った。
「
戦いの音を聞きつけたのか、或いはあの男が知らせたのか。
天然の白煙が立ち込める戦場の中心で、戦士の武器による演奏を聴いた。
気づいた時にはもう遅い。既に四面を、街中のエルフによって囲まれていたのだから。
「魔王を討ち取るというのなら、その人生に価値は無い」
「人類にとっての大敵、即ち女王陛下の怨敵なり」
群衆の中の誰かが口々に呟いた。集まった者は皆、冷徹な狩人に違いなかった。
果たして大敵はどちらなのか。心の内で悪態をついて、私はまた立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます