第67話 此処には無い
◇
それから私たちは、現地で出会った褐色肌のエルフ——レモンダンに導かれ、一つ目の町に辿り着いた。
しんしんと降り頻る雪の中、レモンダンから貰った紅色の菓子を口にした。すると横を歩くネリネが、私の肩に手を当てて、呆れた様子で声を掛けてくる。
「ねえ、無防備すぎない? 毒でも入ってたらどうするのよ」
「んー、そんな感じしないから平気かなって。それに万一のことがあっても、ネリネがいるから大丈夫だよ」
「なんとも仲がよろしいんですねぇ。で、ちょいとすまねえがこの辺で待っててもらえますか」
レモンダンは気怠そうに肩を回して、橇と猟犬を何処か奥の方へ連れていった。その姿が見えなくなってから、私はネリネに耳打ちする。
「ダークエルフが禁句って、どういうことなんだろ」
「砂漠の彼らはエルフと呼ばれるのに、此処のエルフは亜種のように呼称される……とすれば、腹立たしさにも納得がいくわ」
「私も同じ見解だ。だがそれだけで済むほど簡単な話ではないのだと思う」
それぎり会話は途絶えた。レモンダンを待っている間に吹雪は止み、落ち着いた空気感が辺りを包み始めていた。
私が例の手記に魔力を送り、記録をつけたところで彼は戻ってきた。
「や、遅くなっちまってすみませんね。情報が欲しいんでしょう。ちと移動しましょっか」
変わらず軽薄な笑顔のまま、レモンダンは目的の店へと進んでいく。その時、モミジが無言で私の前を歩き始めた。まだ彼を疑っているのか、真意は定かでないが——倣うように、ネリネも彼女の横に並んだ。
移動先は近くの食事処だった。昼間の比較的落ち着いた時間だからか、大きな店の中には数名の客しかいなかった。
レモンダンはカウンターの店主に声を掛けると、壁側の、それも端の席を選んで腰掛けた。倣って私たちが席につくと、彼は神妙な顔つきで口を開く。
「それで、あんた方は何をしに? こんな痩せこけた所、商売にも観光にも向いちゃいないっすよ」
メリアとモミジが視線を交差させたのが目に入る。
依然としてレモンダンへの信頼が薄いのは、彼が纏う空気にあるのだろうか。彼は恐らく美男子の部類に入るし、先の戦闘で援護を請け負ってくれたのも事実。だが緩み切ったその顔は、単なる感情の発露ではなく、内奥に潜む異様なモノを隠すための作り笑いと見ることもできる。
ともかく、其処で答えたのはメリアだった。
「旅の通過点だ。この吹雪は成程危険だが、回り道が出来るほど余裕のある話でもなくてな」
するとレモンダンは間延びした声を上げて、店主に食事を注文した。
「へえ、そいつは大変な事で。なら一番安全な道でもお教えしましょうか——なんて言えたら格好がつくんですけどねえ」
運ばれてきた魔獣の肉に食らいつくと、此方の返答も待たずに彼は続けた。
「知っちゃいると思いますが、此処はエルフの国。砂漠の方とはちと違ったナリですけどね、国民は八割以上がエルフです」
彼の指先が窓側に向く。
それは誰かを狙って指されたものではなく、この空間全てを示しているようだった。
「だが此処にゃ、
どういう事かと、私は問うた。
彼は世界の異常性を呪うように、忌々しげに呟いた。
「ドワーフって知ってるでしょ。膂力が売りの少数民族です。この国じゃ彼らは真面な福祉も受けられません。エルフが支配権を持っているから」
かつて砂漠だったファルセットの国を思い出す。確かにあの時、熱砂の騎士によって殲滅されたドワーフの盗賊がいた。あれから姿は見ていないけれど、故にこそ、二種族間の対立関係は窺える。
「女王の建国が始まってから、ドワーフだって砂漠に逃げたんですよ。精霊国は未知でしたから、行き場所は其処くらい……でも結局ね、此処が一番って事に気づいちまうんです。街の形を成しているだけマシなんで、誰も文句を言いやしない」
私の心を筆舌に尽くし難い感情が埋め尽くしていた。此処にある限り、絶対に救われることのない人々——そんな存在が認められていい筈はないのだ。
しかしメリアは、眉一つ動かしていなかった。
「差別と領土の危険性に、一体如何様な関連が?」
「此処はエルフの国です。部外者が立ち入る隙はないんすよ。勿論皆が皆そうじゃないですが、堂々と都に入ろうもんなら、いつ襲われたっておかしくない」
メリアが相槌を打った。彼女は確かに冷静に物事を俯瞰している。けれどそれは、人にしては淡白が過ぎるというもので。言葉にできない歯痒さが、その看過を許さなかった。
「どうして、そんな風にしていられるの」
「どういう意味だ、涼華」
「……差別の事、聞いても顔色変えないから。別に直して欲しい訳じゃないけど、——さっきから二人も同じ顔でさ。理由くらいは聞かせてよ」
場にいる四人の顔は対照的だった。
変わらず涼しい顔で此方を見つめていたのは、メリアとモミジだった。決定的な思想の差異を感じずにはいられなかった。
対して、ネリネとレモンダンは複雑そうに顔を歪めていた。憐憫を含んだ視線が私に向いた。
答えたのはモミジだった。
「むろん、目の前で見ればとめる。だけどそれは、一個の戦争を止めるのとは訳がちがう」
たった二言で、私は其処に含有された意味を理解した。意識に根ざす差別を失くすことの難しさは、全世界共通の事物に他ならないようだった。
「……その気遣いは優しいがね、お嬢さん。アンタが気負う必要もないでしょ。確かに差別はあるが、それは〝無い〟だけです。此処に福祉は決して無いが、危害も無い」
私は言葉を失った。
此処は、精霊裁定国とは根本の在り方が違う。王都に向かえば差別があるが、近づかなければ生きていける。時点、その国に否定できない悪性は存在しない。
これと闘う理由を、今はまだ見つけられなかった。
レモンダンは店員を呼びつけると、紅茶を五つ頼んだ。わざとらしく、奢りだと付け加えた。
「……王都にゃ行かん方がいい。別に王都に用事があるわけじゃないんでしょう? だったら遠回りした方が却って早く着きますよ。食料が補充したいんなら、此処みたいな集落を辿ってください。それなら案内できますから」
彼の言葉には嘆願の念すら載っていた。王都の様相を全て知っていなくては、到底滲み出ることのない感情の発露であった。
故にメリアは、彼の心に踏み入った。
「君は王都の人間だな。だが此処にいられるのは、特別な事情あっての事だと推測する」
ほんの一瞬、レモンダンの雰囲気が変わった。
「其処を明らかにするつもりもない。しかし我々が王都を離れることもない。だから、互いの事情は知らずにおこう」
結局、私がこの空気の正体を知るのはまだ先の事になる。
だがその時に至るまで、彼の様子は私の脳裏に残っていた。
運ばれてきた紅茶を飲み終えた後、レモンダンは先に席を立ち上がった。
「王都に行くって言うなら、此処でお別れっすね。……アンタら、何か人に言えないこと抱えてるでしょ。まぁ訊きやしませんし、
一枚の地図が示される。それはメリアの入手した物よりも縮尺が大きく、引かれた赤線が目的地までの道のりを示していた。
「この通りに進めば王都には着けます。また御縁があれば会いましょう」
根底に在る謹厚な彼の気質が、僅かに姿を現したような気がした。
私たちが言葉を掛けることはない。レモンダンは踵を返して、去り際に一つだけ呟いた。
「……
それから彼の背中は、あっという間に扉の向こうへと吸い込まれていった。
扉が閉じられた後、メリアは呟いた。
「どうやら、また会わなければならないらしいな」
言葉の意味は、あまり解らなかった。
それから私たちは、同様の店で食事を摂った。
ドワーフの町で一日を過ごすか、このまま王都を目指して進み続けるか。昼食と共に進めた議論の結果、必要な物資を揃え直した後、此処を去ることになった。
私たちが出立する頃は穏やかな天候だった。
いつの間にか、車輪に繋がれていた二頭の猟犬と、食糧を守るための木箱。それらを有難く譲り受けた後で、猟犬に車輪を弾かせ、僅かな光だけが差し込む雪原へと飛び込んだ。
拭い切れぬもどかしさを抱えながら、私たちは次の町へと辿り着く。
異変が起こったのは、ここからだった。
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