第九節 生きとし生けるものの為に
第63話 轟け、我らが咆哮よ
◇
邪竜とネリネが刃を交える。
溶解した呪詛の棘が剣の代わりとなって彼女を襲うが、抱えられた両手の槍が無類の防御となっている。その証拠に、私が件の魔道具に魔力を注いでいる最中、邪竜が仕掛けた攻撃は全て受け流されていた。かといって反撃を狙うこともない徹底ぶりは、他の誰にも真似できぬ技術の高さを裏打ちしている。
「……驚いた。斯様な守護の手段があるなら、キミが前に出るべきだったろう」
「戦うのは好きじゃないのよ。今の私だって正気じゃない」
ネリネは槍を交差させて邪竜の腕を挟む。そうして反撃を防いだ後、流水の如き軽快さで跳躍した。
「厄介なことをしてくれるナ、全く」
「まさか貴様に同意できる事があるとは思わなかったよ、精霊王」
邪悪なる魔力が弾けた時、私も切り札の一つを使用する。敵の死角をついて駆け、同時に本を放り投げる。すると本は頁を開いた状態で静止し、其処に激しい魔力の渦を作り出した。私が所持する全ての
「桁違いの魔法ね。そんな切り札があるなんて」
「こんな無茶苦茶な代物、扱うだけで一苦労だ……だが、これならばっ」
言葉の途中で鋭い痛みが私を苛む。
これだけの魔法に飲まれていながら、奴は此方に反撃してきた。
「ああぁ、そうか、そうだろう。
直後、脳髄が揺れる。地面に叩きつけられたのだと悟った時には、奴の掌が私の首を掴んでいた。
「が、あ……あ、っ」
変質したアルビオンの鎧は、次々に発動される魔法の大半を防ぎ切ってしまっていた。
奴は私を見下ろしながら、嬉々とした様子で首を絞めてくる。
「ウンディーネを倒したのはお前だったナ。丁度いい、お前から殺すとしよう」
私の体が限界を迎えようとするその直前、ネリネが邪竜の頭を蹴り抜いた。
「蹴りなぞ意味は無い。諦めるといいさ」
それでも余裕を露わに笑い続ける精霊王だったが、その背後に彼女はいない。
「冗談でしょう——?」
音を置き去りにして投擲された真槍が、邪竜の肩を貫いた。彼の残った片腕は尚もこの首を絞めあげるが、再び放たれた紺碧の一閃がすんでのところで攻撃を中断する。
邪竜の両腕はその瞬間に失われたが、彼は一切の動揺を見せずに空へと逃れた。
背に巨大な二つの翼を生やし、精霊王は笑う。紅に輝く星々は奇妙な紅蓮の色に輝いて、精霊王に喝采を送っているようにさえ思われた。
「魔力を一点に込めれば鎧は破壊できる。コレに気付き、再現してみせるとは大したものだよ。だが所詮は余興だ」
直後、全身が総毛立つほどの悪寒に襲われる。
脳髄で反響する幾度目かの警告音は、されど今までの比にならず。発した言葉の震えを、私は抑えることができなかった。
「貴様、何を」
「終焉だよ。……この宮殿ごと消えてくれ」
突然、魔力が爆発的な昂りを見せる。何時から奴が備えていたのかは解らない。だが星に見えた紅のそれすら、奴の武器になり得るようだった。
かつて魔王と対峙したからこそ、経験が全てを物語ってくる。今、私に一撃を防ぐ術は無い。奴の切り札は、文字通りの終焉を生み出す力を持っているのだと。
「流れ弾に備えて。あと少し、時間を稼ぐ」
……それでも、ネリネは諦めていなかった。
三人が如何なる状況にあるのか、我々には解らない。それでも彼女は敵へ立ち向かった。
奴が一斉掃射に踏み込む直前、ネリネが空中で槍を振るう。しかし其れでは届かないと解ると、彼女は己が全霊を駆使して、邪竜に掴みかかったのだ。空中で一人分の体重が加われば、両腕のない奴が体勢を保つのは容易でない——その努力が功を奏し、一撃の発動は確かに遅れた。
しかし、代償は軽くない。
「っ、あ」
飛ぶことを捨てて跳んだ彼女は、邪竜の魔法を全身に受け、鮮血を撒き散らしながら地に堕ちた。
奴は呪詛で片腕を再生し、何処か気怠げに呟いた。
「……漸く一人か。現実に生きる人間は、兎に角粘るから嫌いなんだ」
私は必死の思いで立ち上がり、此方を見下ろす最悪の精霊を睥睨した。
「貴様、だけは」
この怒りを嘲笑って、邪竜は又魔法を生成する。
あと少しの時間を繋ぐため、私は魔力の残滓を絞り出す。飛び上がるために、翼を作ろうとした。
「
その時、聞き慣れた
私と邪竜が出所に視線を向けるのと、それが彼女から放たれるのは同時のことだった。
「
炎の銃弾が、空を裂く。
高密度に編まれた一塊の魔力は邪竜の翼を見事に撃ち抜き、失墜させた。
「メリア、ネリネ。……戻ってきたよ」
私の背後で轟々と炎が燃えている。
太陽にすら劣らぬ輝きを携えて、黄金を身に纏った涼華が現れた。
◇
此処に至るまでの話。邪竜に敗れたファルセットを回収した後のこと。
私はモミジに、奥の手の正体を問うていた。その時彼女は両の目を僅かに開き、水色の双眸を露わにして告げた。
「……これは、一回きり。さばくに眠るわたしのからだと、お前たちの魔力をつなげる」
「斯様なことが、実現できるのですか」
仰向けに倒れるファルセットが口を開く。モミジは首を縦に振った。
「彼処のわたしの魔力は、しょうじき、無限大だ。繋ぐことができたなら、もう一段階上に至れる」
私は砂漠での決戦を想起した。あの時のモミジが持ち合わせていた魔力、それが全て利用できるならば、あの邪竜にさえ届く可能性があった。
モミジの双眸から溢れる濃密な魔力が、その事実を裏打ちした。
「なら、やろう。肩を貸すよ」
傷に呻くファルセットを起こして、私はモミジへと視線を飛ばす。未だ尽きぬこの覚悟を見てか、彼女は満足そうに笑ってみせた。
そうして、私たちは砂漠に眠る竜種の肉体と魔力回路を接続した。普段の比にならない位に溢れる魔力は、肉体の疲労を自然に取り払ってくれる。ファルセットも、全盛期の姿を維持したまま其処にいた。
「わたしと、母にできることはした。あとはおもうままに、魔力をつかいなさい」
そう告げると同時、モミジはまた目を閉じる。
溢れる魔力を噛み締めて、ファルセットは優しく感謝を呟いた。
「——貴方は、確かに私の母でした。私を此処まで守ってくれて、ありがとう。貴方と巡り会えたから、私は未来に向かって往ける」
彼女は涙を流していた。
一方的な言葉の後、ファルセットは
『
その時、黄金の衣が彼女を包む。荘厳さを得た肉体、太陽の如く光り輝く精霊殺しの剣。
それは二度とは見られぬ奇跡の集積、新たな世界の誕生に相応しい者の姿だった。
同時、私の内でサラマンダーが口を開く。
『何を呆けている、涼華。新たな姿を選び取る役目は貴様にあるのだ。忘れるな』
「うん、わかってるよ」
私は息をついて目を瞑る。想像するのは、負けることのない自分自身。ファルセットのように輝かしく、メリアやロックのように強靭な肉体を、此処に。
人々の夢を終わらせる為の、狼煙となる力を。
『其は全てを治めんとする野望の輝き、楽園を夢見た者の果て。……堕落を裁く、人の形』
想像が一つに帰着した瞬間、口をついて
言葉はサラマンダーのモノだった。
身体は私のモノだった。
見据えるのは、二人とも同じモノだった。
体を、黄金の鎧が包む。
『
——その後。私は炎から飛び出して、漆黒の空に笑う邪竜を撃ち落とした。
全力を賭して散ったネリネと、必死に立ち上がらんとするメリア。
二人の覚悟を目の当たりにして、全身の炎が息巻くのを感じた。
「風晴クン。一体、それは何だ。アルビオンはどうした」
「貴方相手には、使わない。見れば解る筈だけど」
邪竜ノームは立ち上がり、三度全身に魔力を充填する。たとえ今の魔力を駆使しても倒し切れるか定かでない力量——だが此処には今、もう一人。
「この場に、アルビオンの必要があるか。……これ以上の姿、此処には要るまい」
黄金の鎧を纏った太陽の王は、私に並び立って呟いた。眼前に聳える精霊の王は、不退転の意を示すように、溜め込んでいた魔力の全てを爆発させた。
「最早退けとは言うまいよ。殺して礎にするまでだ」
呪詛を伴う闇の奔流は、対峙する私を微かに慄かせる。ファルセットは、私の肩に優しく触れて言った。
「大丈夫。本気になった貴方は、この世界の誰よりも強いのですから」
その言葉は、私に我武者羅を思い出させてくれるような気がした。だから覚悟は、確かなモノとなる。
黄金の輝きが極地に至った時、邪竜ノームは笑い声を上げる。
漆黒の空に昇る二条の光は、敵の姿を照らし尽くした。
「……決着を」
そして、昂る魔力が一つに集約した。私たちは、最後の咆哮を轟かせる。
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