第60話 精霊裁定国

 二日が経ち、決戦を迎えようという頃。

 皆より数時間先に目を覚ました私は、まだ陽も登り切らない街を歩いていた。決して清算しきれぬ罪を抱え、造られた平和を当たり前の物と思った住人が暮らす精霊の国。故にこそ、土の精霊が倒れた時、彼らは何か、恐ろしい罪の代償を支払うことになるのではないかと、私は妙な所感を覚えていた。

 小鳥の囀りを耳に挟みながら歩いていくうち、目的の場へと辿り着く。閉店を迎えた宝石商の店、その隣にある古びた本屋。たとえ開店しておらずとも、店主が起きているのは解っていた。扉を叩けば、当人はすぐに現れた。

「グルナート氏、調子はどうだ。聞くまでもないか」

「……ああ。最悪だ」

 此方を覗く瞳は憔悴しきっていた。二度目の来訪ともなれば、もう慣れたものではあるが。作戦立案から一日後、彼が火の国で戦士を務めていたことを聞いた私は、その戦い方と土の精霊の情報を知る為に此処を訪れていたのだ。

「貴方は真面目な男だ。それでも仕事の手を抜かない」

「当たり前だ。俺は、もう少し生きなきゃならん。お前さんたちの作る未来がどんなものか、土産話として持っていくつもりなんだ。まだ死ねんよ」

 彼は決して、私を店内に入れようとはしなかった。

 元来の寡黙な性格と、連日の騒ぎによる神経の摩耗。それが背景にある以上、この様子にも納得がいく。

 最後に彼は、扉の隙間から目的の魔道具を渡してきた。

「儂が昔使っていた魔道具を修復した。荷物にはなるが、あれば違う」

「感謝する。修理は骨が折れたか」

「まさか。あいつがいなくなってから、修復は儂の仕事だったんだ」

 老人の細い手が、似つかわしくない力強さで私の胸に道具を押し付けてきた。布に包まれたそれは、先に彼が申した通りの本型の魔道具だった。

「必ず、勝って来いよ。お前は一つの国を壊したんだ。もう一個も壊せ。それでなきゃ、儂はお前を生涯許さん」

「解っている。だが、貴方は私を許さなくていい。私であればそうしただろうから」

 その時初めて、老人は顔の全てをこちらに見せた。私が死を告げた時にも一切の動揺を見せなかった彼の顔は、真っ黒な隈と涙のあとで、戦士とは思えぬ様相を呈していた。

 私は魔道具を受け取って、必ず戻ると約束した。

 精霊との決戦前、最後の出来事だった。


 ◇


 太陽がまた現れる。壮絶な出来事の連続は、私に一切の休息を許さない。

 国の中心に在る巨大な宮殿——決戦の場に、私たちは足を踏み入れた。

 連続する無数の階段を一歩ずつ踏み締め、ただひたすらに進んでいく。横を歩くのはファルセットだった。しかし会話は一言も起こらない。不気味なくらいに静かな朝は、皆が共有する緊張の度合いを如実に示していた。

 宮殿の内側も、奇妙なほどの静寂に包まれていた。かつてメリアが乗り込んだ時はノームのレプリカが巡回していたそうだが、今はその気配すら見当たらない。向こうも、私が乗り込んできたことを知覚しているようだった。

 三階に辿り着いた時、宮殿に変化が起きる。建物が揺れたかと思えば、到達したはずの最上階に階段が追加されていた。

 私はファルセットに視線を送る。

 こちらを見た彼女は、何も言わずに深く頷いた。



 土の扉が脆く崩れ去り、外側の景色が私たちを出迎える。

 宮殿に広大な屋上が出来上がっていた。拝めるはずのない空は眼前に晒され、絶望的な紅に変色していた。

 向かい風が吹き荒れる。壮絶な魔力の先には一つの玉座があった。

 あの時ロックの記憶で見た、精霊国の王座と一致するものだった。

「……色彩溢れる騎士の舞台セーヌ・トルバドゥール

 ファルセットが剣を掲げる。それだけの動作で暴風は止み、玉座に座る男の姿も、目の前に晒されることになる。

 厄災の大王が、悪辣な笑みを浮かべていた。

「期日通り。好感の持てる一行だ。だからこそ、この国には相応しくナイ」

「神にでもなったつもりか、土の精霊よ。貴様は王座に在るべき人間ではない」

 空を見上げる剣の切っ先は、今度こそノームに向けられる。練り上げられたファルセットの魔力は、それ自体が刃のように鋭く尖っていた。

「で、決断はできたかな。お友達、今なら優しく殺してあげるよ」

 それでもノームは、私のことしか見ていなかった。

 何故私に執着するのか、それは未だに解らない。しかし問答を待っていられるほど、私の周りにいる者の心持ちは穏やかではなかった。

「話すことはない。どんな理由があったとしても、私は貴方を許さない。エルフの森を、平和な国を、返してもらう」

 私とファルセットが前に出た。この手には鎖、彼女の手には剣が握られる。メリアとモミジが私たちに続き、ネリネが後衛に下がった。

 そうして私が雄叫びを上げた時、戦いの火蓋は切って落とされた。

火の女イグニス・フェーミナ!」

 意識の半分がサラマンダーに渡される。かつてない程の同調を肉体に感じながら、私とファルセットは土の精霊の喉元を目指して駆け出した。

 その時、眼前でどす黒い魔力が爆発した。

 玉座から立ち上がった土の精霊は、ついに己が名を宣言した。

「我は魔王に仕えし九つの悪鬼が一人、。ノームとして、伊桜として、その蛮勇を受け入れよう」

 圧倒的な魔力の差を肌で痛感させられる。だが止まることなど出来るわけが無い。

 焼け焦げた鎖を投擲し、私は敵に向けて炎を放つ。同時前に出たファルセットが、炎の熱を一身に受けつつも斬りかかる。甲高い金属の音が響くと同時、精霊王の手から溢れた魔力が刃となってこちらに迫ってきた。

「気にするな、進め!」

 メリアは飛び込んできてそれを弾き飛ばし、進むべき道を示してくれる。

 黒い刃を避けながら精霊王の背後に回った。また鎖を解き放ち、今にもファルセットを跳ね返さんとする精霊王の首を絞めにかかる。

 その時、敵の意識が私に向いた。

「前に出てこられては困るな、風晴君よ。他と違って、まだ殺すわけにはいかないんだ」

 何度耳にしても憎悪と恐怖を覚えるような狂気的な声。それは私の肉体を硬直させた。だがそれにも負けないくらいの勢いで、燃え上がるサラマンダーの魂が、あらゆる感情を焼き払ってくれた。

『貴様はその慢心で敗北するのだ、土の精霊!』

 火の精霊が声を荒らげる。

 だが精霊王は私たちの方を見ることなく、必死になって食いかかるエルフの騎士を蹴り飛ばしてから呟いた。

「死に損ないめ。お前にも力を分け与えてやったというのに……、みすみす暴走して犬死にしたんだったか。今思えば、君は期待ハズレだった」

 腹部に重い衝撃が走る。土属性だと解らないほどに練り上げられた漆黒の魔力が、私を空へと吹き飛ばした。制御を失った肉体は紅の空へと堕ちていくが、城の外へ振り落とされるその直前、モミジが高速で抱き止めてくれた。

「このまま、なげる。一撃くらい決めてらっしゃい」

「っ、ありがとう」

 直後、視界と地面の距離が一気に近くなる。その中心に立つ精霊王は涼しい顔で剣と弾丸をいなしている。私は心の内でサラマンダーに合図を送り、瞬時に火の女イグニス・フェーミナを解除——そして、右腕に巨大なドラゴンの腕を作り出した。

 精霊王の頭が見えると同時、腕を力のままに叩きつける。聞いたこともないような鈍い音が辺りに響いた。高質量の鱗に落下の勢いが備われば、決して軽くない一撃が成立するのは疑いようのないことだった。

「メリアよ、涼華の着地を!」

 ファルセットが叫ぶよりも先、メリアが反射的に私を受け止めてくれた。軽く投げられて地面を転がった後、必死に起き上がって眼前の光景を見る。

 確かに一撃は届いていた。

 しかし、折れたかにも見えた精霊王の首は、床から飛び出してきた土の塊が粘土の要領で修復してしまった。

「直すことが得意な老人がいたろう。アレを見にいったのは……ああ、君ラか。剣の隠し方は見事だったが、あれくらいの価値を持たれちゃ困ル。我が国の民は、リザードマンくらい馬鹿でなきゃ」

 調子づいたように、精霊王はそんなことを口走った。

 私の中で、何かが激しく千切れて壊れた。

最初の灯火プルミエ・フラム

 黒く染まった左腕から、過去最大火力の炎が渦を巻いて飛び出していく。激情に伴って威力を増すこの魔法は、また土の精霊に確かなダメージを与えたに違いない。

「死者を愚弄するつもりか」

 ファルセットが炎に飛び込んでいく。己の体が焼かれようとも一切を気に留めず、彼女は最速で剣を突き出した。

 この連撃は、出しうる最善の手によって成立していた。故に確信に近い予感があった。

 精霊殺しの為に作られた剣は精霊の肉体を貫き、炎も打ち破って銀色に輝く刃を輝かせるものだと。


 炎が消滅したかと思えば、立ち込める煙の中を血飛沫が舞う。

 誰よりも先に状況を理解したメリアが、動揺を必死に押し殺しながらネリネの名を叫んだ。

「ネリネ、前へ出ろ! 陣形を組み直す」

 煙の中から現れたのは、苦痛に顔を歪めるファルセットの姿。その手に剣は握られているものの、肩から胸にかけて出来上がった三日月型の裂傷は決して軽くない。

 メリアがファルセットをすんでのところで救出し、後衛へと運んでいく。

 魔法の反動から体勢を立て直した私の前には、土の剣を手に取った精霊王の姿があった。

「慢心だけで埋められる差ならば、希望があるというモノだ」

 ファルセットの血を吸って鈍色に輝く刃には、直黒の魔力が迸っている。

 再び衝突が始まろうという直前、モミジが降りてきて私の前に立った。

「こうたい、だ。ファルセットがもどるまで、援護を」

「わかった。——アルビオン」

 幾許かの距離を取り、右手の鱗を攻撃特化の形に変える。

 サラマンダーとの戦いで目覚めた、私固有のドラゴンとしての力——それは、一撃必殺を約束された魔法。

 三度視線を精霊王に向けた時、狂気が再び私を襲った。


 精霊王は喜びに打ち震え、悪魔の如き笑い声を上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る