第59話 王

 その意味を、私はすぐに問うていた。

 モミジは答えない。言い渋っているのか言葉を選んでいるのか、判別のつかない表情かおをしていた。

 不図ネリネに目を向けると、彼女は先ほどのような、らしからぬ冷ややかな視線をモミジに送っていた。故に奇妙な所感を覚えたのだが、話は一度切られてしまう。

 ちょうど二人が戻ってきた所為か、徐にモミジは話題を逸らしたのだ。

「ふたりが帰ってきた。まずは、はなしを聞いてからにしよう」

「……取り敢えず呼んでくるよ。後で話してもらうからな」

 私は小走りに門の方へ向かう。二人は、出て行った時よりも凄絶な表情で其処に立っていた。その様子に気圧されつつも、何とか言葉を絞り出して問いかける。

「一体、何があった」

 事実を語る涼華の唇は、鈍い赤色に滲んでいた。



 庭に戻ってきたところで、涼華とファルセットは事実を端的に報告する。

 冷ややかなままのネリネは、それを受けても特に動揺を露わにしない。対してモミジは、痛みを堪えるファルセットを見て、悲痛そうに眉を顰めた。

「涼華のおかげで、私は正気を保っています。ですが再度奴を見ようものなら、私は必ず怒り狂う。土の精霊との決戦、前線を入れ替えて戦うと聞きました。私は常に前線に置いてほしい。……止まることなど、出来やしない」

 想定通りの申し出に、私はネリネと目を合わせる。回復魔法の援護を前提に要望を受諾するつもりでいたから、何方の口から伝えるかを視線で決めようとしたのだ。

 しかし誰よりも先に声を荒らげ、ファルセットに反駁したのは、他でもないモミジだった。

「だめだ。ノーム相手にひとりなんて、今のわたしたちじゃ保たない。だから皆がいるのに、どうして一人で戦おうとする。ぜったいに、やめてくれ」

 子を叱るように声を張り上げたモミジだったが、言葉の終わりにつれて語気は弱まり、最後には嘆願の意がその大半を占めていた。……再会したばかりだというのに、この龍種と騎士の間には、並々ならぬ特異な関係があるように思われた。

 私は小さくため息をつき、樽から適当に水を汲む。カップを涼華のところに持っていって隣に腰掛け、他に悟られぬように耳打ちをした。

「さっきな、モミジと話をしたんだ。……だが、はぐらかされてしまってな。私よりキミの方が上手いだろう。訊いてみてはくれないか」

「え、うん。どんな?」

「モミジとファルセットの関係について。頼めるかな」

 上目遣いで頼んでみると、涼華は快諾してくれた。険悪且つ不穏な空気が辺りに立ち込める中、彼女は努めて勢いよく立ち上がり、穏やかな口調で話し始めた。

「……ファルセットの覚悟も、モミジの言いたいことも理解できる。でもそれを決める前に、話さなきゃならないことがあるんじゃないかな。私たちは、なんでモミジがファルセットを想うのか、ちゃんと解ってないから」

 砂漠での決戦を想起した。魔龍が地に伏したあの瞬間、彼女は何かを呟いていたから。

 蓋しモミジは、ファルセットと魂の面において深く理解している部分があるのではないか。彼女より真相を聞き届ける直前、私は斯様なことを想像した。


 当の龍種は、ファルセットに一瞥をくれる。僅かな視線の交差だけで、二人は全てを話す決意を固めたようだった。

 先に喋り出したのは、龍種だった。

 

「何千年も識る愛し子に、どうして死んでほしいと思うんだ。わたしの友が残していった、を持つ大切な子を、どうして死地に送りたいんだ。……これは私ではない。モミジ一人では足りない愛の話だ」


 彼女の言葉を聞いた瞬間、遠くにあった二つの何かが綺麗に繋がるような感覚に襲われる。

 同時、涼華がカップを握り締めて呟いた。

「ミネルヴァって、もしかして」

 ファルセットが首肯する。曰く、女王ファルセット・ジャルベールの友人であり、彼女を育ててくれた人物の名前。その言葉に続けるように、モミジは自身の正体の一部を告白した。

「わたしの内には、ミネルヴァがいる。女王と共に在り、その子を育て、結末には至れなかった人間。そのきおくを持つのが、——モミジなんだ」

 独白を耳にしたその瞬間、私は胸が詰まるような心持ちだった。

 本当の母から預かった子を最後まで見届けることも出来ずに消滅し、後悔の果てに当人と再会を果たした。得られた奇跡が如何に大切なモノかは想像に難くない。

 また沈黙が降り注いだ。誰も何も言えなかった。ファルセットでさえも、——全てを知るファルセットだからこそ、反対されてしまっては簡単に突っ撥ねることも出来ないのだろう。

 しかし、あまりに長いその静寂は、当人の手でかき消されることになる。

「だが、これは、全部がわたしなんじゃない。だから、重要なのはきっと、この魂の行く先だ」

 何処か不可解な発言だった。先の反駁は自身の意思とはまったくの無関係だと、そう告げているようにも聞こえた。

「ならキミはどうしたい。ファルセットにどうして欲しい」

「……わたしに、その意思はない。むろん無理を止めたくはあるけど、たとえこの魂が叛逆しようと、本人が選んだ道以上の正解など、ないのだから」

 少なくとも、主体はモミジにあるようだった。内側に在るとされるミネルヴァという女が、その精神に幾らかの作用を齎したのだとすれば——理論的に位置づけられる。

「なら、どうしてモミジの中にミネルヴァさんがいるの。言いたいことは解ったけど、そこはわからない」

 モミジの独白が終わって、涼華が初めて口を開く。同時、ネリネがより厳しい視線を送ったのを私は見逃さない。僅かなやり取りの間隙かんげきに、私は龍種の種族性に遡る話なのだということを察知した。

 推察するに、それはファルセットの話から脱線する。でなければ、モミジは喋ってくれていただろうから。

「それは、いまは、語れない。伝えられるのは、すべてを受け止められるようになったときだけ」

 如何なる話が待ち受けているのかまでは悟れない。ただ、きっとそれを語るということは、凄惨な世界を我々の前に、希望を持って生きてほしいファルセットの前に、曝け出すことになってしまうのだろう。

 或いは、何か。

 冷め切ったネリネの瞳は、人の手が届かぬ海の奥底を体現したような色だった。到底踏み込めぬ領域の話であることは、疑いようがない。

「ならば、然るべき時に。……改めて決め直すとしよう。正面切っての衝突なら、ファルセットは抜きん出ていると言えるが」

「現実的なのは二対一の連続かしら。私が後衛に回るとして、前衛と援護は入れ替わりかしら」

「ん、それでいい。今必要な答えは、ファルセット、キミが何処まで戦いたいと思うかだ」

 その時、皆が赤髪の騎士を見た。

 彼女が全てを知り、理解していたのは間違いない。或いは忠告を受け入れる未来があったかもしれない。

 それでも人は変わるモノ。故に私は、初めから彼女が発する答えの何たるかを心得ていた。

「私には、命を賭す責務がある。たとえ如何なる危険が伴おうとも、……お母様や貴方がそうしたように、全力を以て戦うのが騎士の責務。斃れた英雄の無念、失われた我が王国の未来。全て取り戻す為、私は一秒たりとも退くつもりは無い」

 黄金の瞳が炎を宿す。己が復讐だけでなく、衆生を、未来を想う一人の王としての決意が、器の上で燃え上がっていた。

 ファルセットは、王たりうる輝きをその身から放っていた。

 故に誰一人として、彼女の決意を否定する者はいなかった。私は唾を呑み込んで、作戦立案の決着を告げる。

「キミの覚悟、しかと受け止めた。ならばネリネはファルセットのサポートを中心に後衛を。涼華は私と攻撃を主にした前衛を、モミジは状況把握を主として入れ替わりで前衛を頼む」

 私の指示に皆が首肯し、最適な陣営はそれで成立した。この戦力と残りの時間があれば、決して倒せぬ相手ではない。

 此処にいる全員の顔がそれを物語っていた。

「……全て、取り戻そう。こんな悲劇がいつまでも続くなんてこと、あっちゃいけない」

「ええ。もう誰も、欠けない未来を」

 ファルセットが賛同し、黄金の剣を握り締める。その時にはもう、二人の龍種も平常の様子に戻っていた。

 欠片の迷いでさえ、誰の心にも残ってはいなかった。



 そうして、精霊の罪を裁く、不退転の戦いが幕を開けることとなる。

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