第57話 死相
震える手を抑えることもできず、私は目の前の男に言葉を失っていた。
異質な沈黙をネリネが切り裂く。私が抱く恐怖を払拭するように、彼女は地を蹴った。
「その汚い目、涼華を見るには値しないわ」
魔法を用いない人体の移動にも拘らず、ネリネは瞬間的に土の精霊との距離を縮める。視認できる限界を超えた速度で槍を生成し、ネリネは全力で槍を突き出した。並の相手ならば一撃で絶命するような圧倒的な火力の大技——だというのに、響いたのは肉体が貫かれる音ではなく、金属同士がぶつかるような、防御を取られた時の音だった。
「待っているといい、我が君……いや、こう言えばいいのかな。風晴くん」
ネリネなど眼中にないと言わんばかりの様子で、土の精霊は此方だけを見ていた。私がよく知る、懐かしい声だった。
一点特化の攻撃が意味を成さないと悟ったネリネは、槍を起点にして後退る。土の精霊が反撃を放つことはなかったが、それでも仮定の結果は見えてくる。いくら近接戦に特化したネリネでも、あの体勢から攻撃を防ぐのは難しかっただろう。
「それで、今度は何が目的だ。聞くに堪えない言葉を並べようものなら、容赦はしない」
「……何が出来るのかな、キミ如キに」
「そうさな。貴様の代わりにこの国を壊すことくらい、私一人でも出来ようか」
怒りを隠そうともせず、メリアが前線に一歩踏み出す。土の精霊は彼女に一瞥をくれた後、また私の方をじっと見る。
でも、私の意識は敵でない方にあった。
「メリア。脅しでもそんなこと言わないで」
その時、土の精霊は大きな笑い声を上げた。私のよく知る人の顔で、ひとしきり、この国の山々が震えるほどに笑い狂った。
「変わらない。変わらないなぁ風晴くんは! だからこそ君は選ばれたのだろう。だからこそ、君は龍種であり続けるのだろう」
全てを見透かされているような恐怖。本当はそうでないとしても、そう錯覚してしまう気味の悪さ。
次の瞬間、彼はまさに目的を告げようとした。
しかし、私たちの間を神速で駆け抜けたエルフの騎士が、その会話を中断した。
「我が国を壊し、弟たちを殺し、挙げ句の果てには我が友を愚弄するか。お前に……ッ、貴様の何処に、斯様な権利があると言うのか!」
剣を持たないファルセットは、代わりにその腕を武器とする。尚も私だけを見ていた土の精霊だったが、このデザート・エルフにとって彼は最も殺すべき復讐の対象。烈火の如き騎士の怒りが、奇跡的に鋼鉄の防御を打ち破った。
彼の腕を跳ね除けてから第二撃に入るまで、そう時間は要らなかった。もう片方の手を魔力が覆ったかと思えば、長身の刃が土の精霊に牙を剥く。
『
熱砂の一撃は土の精霊を確かに傷つけた。
彼は勢いよく後退り、地に膝をつく直前で踏みとどまる。その時初めて、土の精霊はファルセットを敵として認識したようだった。
「……君が誰かは覚えちゃないが、相当非道いコトをしたようだ。だが悪く思わないで欲しい。理想郷を作る為なら、犠牲はいくらあってもいいからネ」
「——っ、貴様、何を」
瞳の奥に垣間見える狂気を悟ったのか、ファルセットも言葉を詰まらせる。
私たちが黙るや否や、土の精霊は低い声で告げた。
「よく聞け、人間。三日くれてやる。俺を殺したいのなら受けて立つ。そして敗北の代償は、戦った者全ての命。そして、風晴涼華。他でもない、君自身を奪い取る」
彼の体から溢れ出る魔力の色は、漆黒。
先ほどまでの宝石色とは何もかもが違う。魔力の濃度があまりに高いために、それは真っ黒に塗り潰されているのだ。
敵の体から滲み出る魔力が射出されれば、一撃で決着がつくに違いない。
決定的な力の差が、私に現実を突きつけてきた。
「……わかった。でも、一つだけ訊かせて」
黒く揺れる魔法の陽炎は、対峙するだけで私の意識を徐々に蝕んでいく。
それでも、訊かなければならないことがあった。
「伊桜さん。どうして貴方が其処にいるの」
ノームは、口角を吊り上げた。
伊桜——それは、もしこの世界に顔見知りがいるとしたら、唯一考えつく相手。
それは、私がシェーン・ヴェルトに辿り着いた時、隣にいた人の名前だった。
後のことは覚えていない。
私たちは山奥を離れ、拠点の一つへと戻ってきたようだった。
「へいきか、涼華。ぼさっとしてる」
「無理もない。よく戦ったよ」
ふと我に返って、こちらを覗き込むようにしてモミジとメリアが私を見ていたことに気付く。
周囲を見渡すと、其処は普通の民家よりも遥かに広い家だった。部屋の端に目をやれば、ネリネと喋るファルセットの様子が確認できる。
「ちょっと体力使ったかも。頭が重いや」
「気負わなくていいよ。彼奴は今までの敵と比べても桁違いの相手だから」
私の背中を摩りながら、メリアが優しい言葉をかけてくれる。
それでも思案に耽ったままの私に向かって、モミジが水を持ってきてくれた。
「飲みなさい、楽になる」
「ありがと。……挨拶、まだ済んでなかったね。知ってると思うけど、私は風晴涼華。モミジ、助けに来てくれてありがとう」
「気にすること、ない。与えられたものに報いるのはわたしの仕事。今後ともよろしく」
砂漠で対峙した時とは違って、両目はきゅっと閉ざされている。それでも笑顔が伝わるくらい、今のモミジは優しい雰囲気で溢れているようだった。
私は水を飲み干して、先の続きを話すことにした。
「土の精霊の、人間の方についてなんだけどさ」
ネリネの視線が此方を向いた。嘆き怒るファルセットを諌めるので手一杯に見えたが、話は聞いてくれるようだった。
「知っている人物だったと、言っていたな」
「伊桜さん、とだけ。彼は、私がシェーン・ヴェルトに呼び出された時、一緒に飛ばされた人なんだ」
「……そういえば、君からその類の話を聞いたことがない。君は一体、どうやって此処に?」
メリアに指摘されるまで、自分でも伝えていなかったことをすっかり忘れていた。
私は言葉をよく選び、この場にいる皆に語った。
エルフの砂漠と思わしき場所に、過ごしていた建物ごと呼び出されたこと。
突如として現れた龍に喰われて意識を失い、気が付いたらメリアの前にいたことを。
妄言と捉える方が現実的な話だと、自分でも思う。めっきり数を減らした龍種が私たちを喰らいに来るなんて、魔法の世界でも非現実だ。
メリアは何処か腑に落ちない様子を残していたが、ネリネとモミジは納得がいったような顔をしていた。
「特別だとは思っていたけれど、そういう事。少しスッキリした気がするわ」
「気づいたか、青いの。のーむはきっと、涼華のそれを狙っている」
「詳しく説明してくれるか。私には到底何の事だか」
首をひねるメリアと私を見て、ネリネは落ち着いた様子で説明してくれた。
「アルビオン。貴方が持つ龍種の器を、土の精霊は求めている」
「アルビオンの、器?」
ネリネの言葉を反芻する。するとモミジが、より大雑把に言い換えてくれた。
「涼華の珍しい力をあいつは求めている。それが欲しくて仕方ないから、涼華ばっかり見ている」
「——よく解った。彼奴が、涼華を道具として使おうとしていることがな」
私の背中から手を離して、メリアが忌々しげに舌を打つ。その
精霊の国を統治する者として、彼は私たちの前に立ちはだかるものだと思っていた。だが、彼は何かの目的で、狂気的なまでに私の力を求めようとしている。
だとすれば、やることは一つだけだ。
「……土の精霊を止めよう。そうすれば、全部解決するんだから」
私がそう告げた時、メリアとモミジは深く頷いた。
「奴は三日、猶予を残すと口にした。この期間に準備を整え、奴を打ち破ろう」
「そうと決まれば特訓だ。付き合えめりあ、あと、其処の青いのも」
モミジは静かに立ち上がり、大きめの窓から身を乗り出す。
戦いに向かうのと同等の闘気を放ちながら、メリアはそれに同伴する。
遅れてネリネが窓の方へ向かった。その時彼女が、——龍種特有のパスを用いて、私だけに聞こえるように語りかけてきた。
『私たち二人からの伝言。ファルセットと一緒にいて、……少し落ち着かせてあげて』
私は彼女の方に視線を送る。先の怒りを癒しきれなかったらしく、ネリネは懊悩を露わにした。
小さく頷いた後、深呼吸を繰り返す。そうして二人だけが残された部屋の中、私は意を決してファルセットに声を掛けた。
彼女の怒りを晴らすため、と言う訳ではないが——。
私はファルセットの剣を受け取りに、グルナさんの店へと向かっていた。精霊の国に区別がなくなった以上、この時間でも彼と喋れないわけではない。尤も、寝ている可能性の方が高いけれど。
私達に残された時間は少ない。故に、取り敢えず来てみることを選んだのだった。
「落ち着けって言っても無理な話だけど、グルナさんの前では丁寧にね」
「……すみません、先程から。皆に気を遣わせてばかりで面目無い」
憂き目を逸らして、力無くファルセットは呟いた。
「気にしないで。キミの葛藤を否定するつもりは、微塵もないから」
言っておいて、この言葉が大した意味を持たないことを自覚した。一言で怒りが収まるのなら、ネリネが苦戦する筈はないのだから。
ばつが悪くなった私は、仕方なく踵を返して店のドアに手をかける。どうしてか、私の心臓は酷く跳ね上がっていた。
閉店から数時間しか経っていない。しかし扉は簡単に、すんなりと開いた。
そして、暗い店内が視界に入る——。
私は、心の何処かで甘く見ていたのだろう。
土の精霊、
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