第七節 精霊大戦
第56話 土の精霊
◇
ファルセットに揺さぶられ、私は目を覚ます。
あの戦いから半日が経過した。窓からは数日ぶりの陽射しが差し込んできて、精霊の国に二つの区別がなくなったことを如実に示していた。
「……おはよ。私、寝坊しちゃったかな」
「おはようございます、涼華。紛れもなく朝なのでご安心を。まだ眠られますか?」
「ううん、もう平気。体はちょっと痛いけどね」
疲労は色濃く残っている。少し眠るだけでは癒切らない体の重さは、倦怠感となって私を襲った。
それでも、必要以上に止まれば色々なことを考えてしまう。少し踏ん張るくらい、今までだってやって来たことだから。
ファルセットが不安そうにこちらの顔を覗き込んでくるものだから、私は意図を察して答える。
「大丈夫だよ、ちょっと疲れてるだけっ。それでメリアは?」
「相変わらず外で修行中ですよ。呼べばすぐに出立できるかと」
「なら、荷物を纏めて拠点を出よう。もう戻らないだろうから、忘れ物には気をつけなくっちゃね」
気丈に振る舞ってみせた私だったが、ファルセットの表情はどこか哀しげだった。
私は気にしないふりをして、また明るく振る舞うように努めるのだった。
出立の準備を終えたところで、私たちは合流する。
太陽は空に座し、時刻は市民の活動時刻であることを示していた。
「まずは街に出てみようか。今回の戦いで物資を消費したろう。ついでに何か食べようか」
「確かに。救急用の道具、殆ど残ってないもんね」
「そうだ、涼華。皆と合流したあと、グルナ氏の店に向かおうと思うのです。一緒にどうでしょうか」
「いいよ、行こう。買い物なんて久々だね」
メリアとファルセットが顔を合わせて笑っていたから、私も努めて笑みを浮かべた。
ロックの家は本来街外れに位置していたので、喋っているうちに中心街へと辿り着くことができた。エルフの砂漠と似たような街並みは活気に溢れていて、メリアが雨の国に絶句したというのも納得がいく。
適当な雑貨店で救急用の布を買って、露店で軽食を見繕う。朝食代わりに甘味を食べ歩いていると、ふと店主と客の会話が耳に入ってきた。
「そういや二丁目の鍛冶屋の息子さんよ、精霊王直属の使徒になったらしいじゃねえか。めでたいな」
「だが夜盗か何かに襲われたって話だ。なんだったかなぁ、直属の部下を狙っての犯行だとか」
「犯人は見つからないらしいねえ。そういえば今朝、人生で初めて悪夢を見たのよ。何か嫌な感じよねえ」
幹部に抜粋されたとする鍛冶屋の息子と、彼を襲った突然の襲撃。
私とファルセットには何のことだか判然としなかったが、メリアは思い当たる節があるようだった。
「精霊の幹部か。この前エレオスとかいう男を下したが、その類か」
「人間の部下を雇っていると。ですがただの人間ならば性能にも限界がある。一体何の意味があって」
ファルセットは怪訝な顔を浮かべて相槌を打った。
皆目見当もつかない話だが、敵は雨の国の住人を虐げた悪魔のような存在。まともな理由を期待するだけ無駄だと、メリアが言いそうな感想だけを心のうちに留めておいた。
「意図は知らないが、攻撃した側の犯人には心当たりがある。おそらく、ネリネとモミジだろうな」
「他に反逆者がいるとも思えませんしね。尚のこと、早く合流したほうがいい」
メリアの呟きとファルセットの賛同を受けて、私は勝手に驚いた。
何故かはさておき、モミジが私たちに協力してくれている。もっと早く知りたかったという心持ちもあったが、私がサラマンダーと協定を結んだのと同じことが起こっていたのだろうと解釈しておくことにする。
ともかく、私たちはその後も人混みをかき分けて歩き続けた。もはや買い物もなく、二人のあてを探しながら街を歩いていただけのことだったのだが、突然、街の向こうで何かの弾け飛ぶ音が轟いた。
「二人とも、今のって」
「ああ。鬼が出るか蛇が出るか。どちらにせよ倒すべき相手だ、注力するぞ」
人通りを離れたところで、私たちは個々人の方法で空へと舞い上がる。
煙の上がる山の方へ青空を突き進む道中。音の主へと出会う前にメリアが言った。
「先に言っておこう。土の精霊は自身の複製を何体も有している。だから目立った反逆を起こせば袋叩きになる。戦いには気を遣ってくれ」
「コピーですか。それだけの力があれば砂漠の侵攻も簡単だと思われますが、その真偽は一体」
「会ってみなきゃ解らないよ。土の精霊は、決してまともな人間じゃない」
私がそう告げた直後、眼下でまた煙が巻き起こる。
近くで視認されたのは、土が削れて吹き飛ぶ状態。伴って吹き荒ぶ煙のせいか否か、魔力の探知が極めて難しい。
私は思わず息を呑んで、二人と共に煙の中へ入っていった。
直後、眼前にある極小の魔力の存在を理解する。言葉の類を発するよりも先、煙が晴れて人の姿が現れた。
土人形が其処にいた。それは精霊の複製体、即ち最大となる脅威の一つ。同時に極小の魔力があるとするのなら、それは敗れ去った者の魔力。
彼の心臓を蒼く光る大槍が貫いていなかったのなら、私はきっと叫び声の一つでも上げていただろう。
「……言葉の一つも喋れないなんて、哀れな子」
槍を握る声の主。その視線は深海のように冷ややかで、一切の予断を敵に許さない。刺した槍を突き上げると、彼女は慣れた手つきで土人形の四肢をもぎ、胴体を砕いた。印象において多少の違いはあれど、間違いない。
紺碧の槍を操る絶世の槍使いにして三人目の仲間。ネリネが、其処にいた。
「朝から絶好調だな。ネリネ」
メリアが声を上げて一歩寄ると、絶対零度の視線が一瞬だけこちらを向いた。敵対の域を超えた冷ややかな目つきは、ほんの一瞬だけ私を萎縮させるも、すぐに見慣れた顔つきへと変わる。
先の空気が嘘であったかのように、ネリネは穏やかな雰囲気を醸し出しながら言葉を返す。
「あらおかえり。涼華とファルセットは、何だか久しぶりな気がするわね」
「向こうの戦いは終えてきたよ。もう残るのは、こっちだけ」
「何度死にかけたか解りませんけどね。此方の決着に向けて、当然覚悟は決めてあります」
出来る限りの気合を入れて、余計な気遣いを与えないように言葉を選んだ。ファルセットも似たような考えのもとに判断していたのだと知ったのは、直後にネリネが取った行動によるものだった。
ふわり、と。優しい風が舞ったかと思えば、私の顔はネリネの懐に寄せられていた。
「随分長いこと、気を張っていたのね。……お疲れ様」
無理やり騙していた心身の疲労が露呈しかけるような、それでいて全身が癒えていくような感覚。自分のモノでない魔力が微かに残っていたので、ネリネが回復魔法を使ってくれたのだとわかった。
どこか照れ臭くて二の句が継げずにいる私たちの代わりに、木に寄りかかるメリアがつまらなそうな様子で本題を切り出した。
「で、あれから変化はあるか」
「水の精霊が倒れてからのことは知らないわ。けれど貴方達が戦っている間に、私とモミジで敵の戦力は削っておいたわ。ついでに人間の幹部も仕留めておいた」
平然と告げるネリネに対し、ファルセットは驚嘆を露わに言葉を紡ぐ。
「例の部下とやらをもう倒したのですか」
「向こう側も無視できないんじゃないかな。ネリネ、土の精霊には会ったの?」
一度だけとネリネは答える。メリアはそれに頷いて、突然大木を登り始めた。
二人の支配者が同時に仕掛けても倒せなかった土の精霊、その存在が間近にまで迫っている。彼の強さが想像以上であることは、ネリネの口ぶりからも十分に察せられることだった。
「倒し方は思いつきませんが、残る敵が一人というのは好都合です。入念な対策が取れる」
「相手の思考が単純なら、それで済むのだけど。……少し下がりなさい、二人とも」
手元の荷物を地面に落として、毅然とした足取りでネリネは数歩前に出る。
此処が山の中である以上、木々の間からの襲撃であれば音で解る。だが気配は微塵もない。
そんな奇妙な当惑は、次の瞬間、実体を持って私の前に現れる。
強風と呼ぶにしても甲高すぎる風の音。同時に感ぜられるのは、肌を突き刺すような悍ましい魔力。一方は何処か覚えのある煌びやかなもので、一方は、畏怖すら感じさせる悍ましいものだった。
「ネリネ!」
私が声高に叫ぶと同時、遠くで戦う魔力の片方が地に叩き落とされる。砂埃を一身に浴びて吹き飛んだのは、葡萄色の髪を携える龍種——モミジだった。苛立ちを露わに空を見上げる彼女だったが、恐らく視線の先に敵はいない。
なぜなら、私の眼前で、ネリネと土の精霊が魔力をぶつけ合っていたからだ。
「……すまない、本物にみつかった。そっちの目まではごまかせなかった」
目にも止まらぬ速度で槍を生成し、ネリネは涼しい顔で敵の魔法を受け止める。
「いい判断だと思うわ、紫の。でも、巧く逃げられれば上出来だったわねッ」
同時、二人の接触点から魔力の塊が溢れ出る。塊は焦茶色の土となって、ネリネの動きを停止した。その時になって漸く、私とファルセットは臨戦体勢に入ることができた。
しかし、次に動いたのは私達のどちらでもない。
「殺してやる。
木々の隙間を魔弾が抜ける。
フードに覆われた敵の頸目掛けて、メリアが誇る最大級の一撃が解き放たれた。
敵は地面に沈んだように思われたが、その実、私たちから遠く距離を取っていた。
常識的に考えられないような移動法——たとえそうであったとしても、敵が土の精霊ならば納得がいく。
「全く、嫌われているらしい。折角我が君に会えたというのに、とても残念だ」
土の精霊は薄ら笑いを浮かべていた。瞳の奥にぐるぐると宿る狂気は、確かに私だけを見ていた。
同時、メリアとネリネが私を護るようにして前に立つ。
「……涼華、奴に見覚えはあるか」
不穏な空気を漂わせ、メリアが問う。
全身を駆け抜ける悪寒は、眼前の敵が強大であるという事実だけが原因ではない。
今私がいるのは、かつて生きていた世界とは全くの別物。故に知っている人間などいるはずはない。
こんな恐怖を覚えたことが、これまでにあっただろうか。
だって、土の精霊と呼ばれたこの男は、彼は……。
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