第52話B 絶望の淵で

 呪詛は人の形へと姿を変え、武器をその手に造り出す。

 各個体がリザードマンを仕留めうるだけの魔力を有しており、突破が簡単でないのは一眼見ればわかることだった。

「涼華、まだ動けるか」

「倒れられないよ。ロック、もう一発撃とう。私も踏ん張るから力を貸してほしい」

 曇りなき眼でロックを見つめた涼華だったが、彼の反応は我々が求めるものと違った。

 狩人は重々しく首を横に振り、否定の意を示した。

「ッ、どうして!? 魔力ならまだ残ってる!」

「取り乱すな。……ソラに射ることができたのは反撃がなかったからだ。万が一呪詛を正面から浴びてみろ。お前のような、——いや、余程精神が強くなきゃ耐えられない。簡単に廃人になっちまう」

「あれは触れても駄目なのか」

「触れるだけならば呑まれはしませんが、それでも精神が揺さぶられる。隙を生む要因となるので避けたいところです」

 私の疑問に答えると同時、ファルセットは右手の刃を長くする。彼女は蝗のように跳躍し、左腕を掲げて言霊コードを詠唱した。


色彩溢れる騎士の舞台セーヌ・トルバドゥール


 ファルセットを中心に吹き荒れた暴風は回転し、ソラから落ちてくる泥を霧散させていく。

「魔龍戦以来だな。どのくらい保つ?」

「魔力の限り。ですが戦いながらですから、踏ん張っても五分は保たない」

 ファルセットが唱えたそれは、場の邪悪を打ち消す魔法。元々ある呪詛の塊は兎も角、新たな敵の出現は暫くの間防げるということになる。

 

 どうやらその計算を、我らが狩人殿も同時に済ませていたらしい。

「なら、此奴らを同じ時間だけ止められるか。一つ秘策がある」

 彼は不敵に笑ってみせた。……その陰に、僅かな後悔と確かな覚悟を宿しながら。

「——あれを使うのか」

 戦いに出る前、本人から聞いた絶大なる覚悟。その全てを解き放つ時が来たのかと、他人事ながら私は思わず問うていた。

 ロックは、どちらともわからない反応を見せた。

 

「御託はそこまで! 魔力の蕩尽とか笑えません。でも、必殺技があるなら託しますよ、ロック。……さぁ、涼華、メリア。油断は出来ませんが圧勝は出来る。いきましょう」

 ファルセットが隠した感情は、私が抱いたそれと相違ない。つくづく優しい二人だと、誰にでもなく心の内で呟いた。

「ああ。今度こそ、決着をつける」

 我々はロックを背に、最後の臨戦態勢へと切り替えた。


 初めに動き出したのは我々の誰でもなく、我慢の限界を迎えた呪いの側だった。

 呪詛の一体が奇妙な唸り声を上げてこちらに駆けてくる。呻きは反響しあって巨大化し、最終的には金切り声の演奏にまで化けてしまった。同時に、無数の呪詛が武器を振るって襲い来る。

「aaaaaaa!」

 真っ黒な人形が斧を振り下ろす。私は大ぶりにそれを避け、敵の体に魔力を叩きつけた。間髪を容れずに二人目、三人目と、獲物を見つけた狩人が如く、その呪詛は私の首を切り落とさんと迫る。

「させない」

 ほぼ同時に涼華が叫んだ。右腕に出来上がった龍の鱗を振り回して呪詛を弾き、奴らが地面に倒れたところを腕の質量で叩き潰す。

 しかし事はそれで済まない。涼華の攻撃が済んだところを狙って、別の呪詛が弓を放った。

『涼華!』

 私の叫び声とファルセットのそれが重なる。

 ファルセットが暴風で弓の軌道を逸らすのと、私が奴らの脳天を撃ち抜くのも同時のことだった。私は涼華のすぐ傍まで後退り、先ほど抉られた左肩に回復魔法を施してやる。

「すまない、回復が遅れた。しかし呪詛は増えていないはずなのに、どうしてこれだけの数が」

「二人とも、あれを!」

 ファルセットが呪詛を斬り倒しながら声を張り上げる。視線の先を見てみれば、そこで呪詛同士が交わっていた。互いに密着し、何かを寄せ集め、やや小さめの個体を生み出していた。

 生命でないものが生殖によって新たな個体を作り出す。血も凍るほどに悍ましい光景だった。

 思わず言葉を失った私とは対照的に、涼華はなんとか口を開いた。

「きっと、知性があるんだ。だから連携を取って攻撃してくるし、数を増やして有利を取ってくる」

「この前の呪詛とはレベルが違うのですね。……あれがウンディーネの死そのものだからでしょうか」

「最早人ではなく、怪人とでも呼んでやるべきか。まぁいい、来るぞ」

 増殖を済ませたと思わしき奴らが、先の倍近い数で攻撃を開始した。

 私は先陣を切って敵の群れに突っ込み、瞬間的に言霊コードを詠唱する。

握槌ハンドアックス。全員吹き飛べ」

 雷霆を纏った一撃を地面に叩き落とせば、奴らの体は宙を舞う。一度で二十体近くの呪詛が空へ吹き飛び、二度と地面に接触することなく消滅した。

 背後で魔力が爆発し、私のそれと同様に人形の呪詛が勢いよく吹き飛んでいく。自分の数倍はあろうかという腕を振り回しながら、涼華は此方の助っ人に来た。

「私が前に出る。メリアは援護をお願い」

「わかった、合わせ——っ」

 背後の空気を察知して横転してみれば、私のいた場所に青黛せいたいの矢が飛んでくる。斧や剣を持つ呪詛の数に対して、弓兵の数はかなりの割合を占めていた。

「作戦会議は戦いながらだ。このままでは先にファルセットの魔力が尽きる」

 涼華は深く頷いて、颯の如き速度で前に出た。

 それはドラゴンが突進するのと同等、圧倒的な質量と威力を誇る。雄叫びと共に放たれた攻撃は敵の防御を打ち消し、見事に相手を圧死させた。しかしそれだけ大きい一撃である以上、終わりを狙われやすいのは至極当然。

 無数の矢が涼華目掛けて射られる中、私は最速の脚を以てして移動する。そのまま、雷を纏わせた脚で矢を蹴り飛ばした。

「っ、この程度」

 尤も互いに無傷では済まない。防ぎきれない矢を数本だけ体に受けながら、私たちは別の方向に向かって魔力を解き放つ。

 雷と炎の応酬は武器を振り回すだけの呪詛に比べれば遥かに強固で、その数を減らしていくのは簡単なこと。

「だが、母体数が多すぎる……!」

 敵の群れに駆けていけば、近接武器を持った呪詛が私の頭を割らんと得物を振りかぶる。それを跳んで避けるまではいいものの、奥の方にいる弓兵が総攻撃を仕掛けてくる。

 属性の伴わない魔力を爆発させて矢の勢いを喪失させ、第二撃の前に地面へと逃れていく。

 着地時に雷霆の斧を叩きつけて数を減らしたはいいものの、殺意の嵐が止むことはない。人間の戦士と比べても遜色ない速度で、別の呪詛がまた石器を振った。

 避けられないと踏んだ私は、両腕に魔力の七割を込めて硬化させ、石器を弾き返す。同時に鮮烈でグロテスクな映像が脳を流れるが、この程度毎日見続ける夢に比べれば屁でもない。私は歯を食いしばって踏みとどまり、近くの敵ごと纏めて魔力で吹き飛ばした。

 敵を引き剥がして大きく息をついたところで、同じく呪詛の殲滅を終えた涼華が滑り込んでくる。

「あともう少し。背中、預けてもいいかな」

「もちろん。だが一つ作戦がある。私の対角線側に回って、その盾を全力で構えてくれるか」

「狙いは?」

「一撃でこちら側の敵を掃討する。だがそれでは街に被害が及ぶから、キミに受け止めてほしいんだ」

 できるか、と意味のない問いを投げる。

 言葉の代わりに、涼華は空へと舞い上がっていった。

「……さて、あと一撃くらいは宝石なしでも」

 右の手に魔力を注ぎ込み、砲台を押さえるように左手を添える。

 涼華が鱗で呪詛を潰し、巨大な右腕を盾の如く構えたのが確認できた——その瞬間。

 もう言葉など要らなかった。彼女の目を見て覚悟を決めると、私は声を張り上げた。


嵐の王、其の砲撃ヴァレ・カノン


 ソラの精霊に放った時とは違い、今度は反動を受け止めきれる地面がある。より正確なコントロールで発射された魔力はより大きな一撃となり、瞬きの間に大半の呪詛を飲み込んだ。

 大地を覆う煉瓦が抉れ、通った後には何も残らない。

 今回ばかりは、涼華が鱗から煙を上げて踏ん張ってくれていたが。

「怪人、厄介な相手だ。まだ動けるか」

「うん。後少しで魔法が解ける。急ごう」


 ファルセットの奮闘故か、反対側の群れもその数は四分の一ほどにまで減っていた。

 涼華が先に敵陣へ突っ込んでいく中、私は足を止めてロックに問うた。

「あとどのくらい持たせればいい」

「すまねぇ、漸くが終わったところだ。もう五分、いけるか!」

「——まさかキミ、この一撃に全てを払ったのか。それは、あまりに払い過ぎだろう」

 ロックは私の言葉を無視して、ソラを見上げた。

 契約を済ませたと告げる彼の右手には鈍色に輝く漆黒の弓が、その背には青銅で出来た矢筒がある。矢筒に装填された矢はたったの一本。彼が支払いを済ませて手に入れたのは、ただそれだけの装備だった。

 が、運命を変えるに足る装備だった。

「そら、じきにファルセットの魔法が解ける。……頼んだぞ」

 彼が何を支払うのか、二人は知らないのかもしれない。最終決戦のこの時になっても全てを語っていない以上、きっと、私以外の誰にも話さないつもりなのだろう。

 私は彼の過去を知らない。そんなもの、語る間柄でもない。

 ただ、一人の戦士として在る彼の決意を無下にできるほど、下賎な間柄でもなかった。

「全く、キミのせいで怒られる私の身にもなってくれ。後は、そうだな。先の非礼を詫びておく」

「何、行きがけの駄賃さ。……武運を祈る」

 私はグッドサインを右手で作って、そのまま二人が戦う場所に突っ込んでいく。


 その時、また呪詛が生まれ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る