第54話A 風の剣士と過去の王

 ◇


 それから決戦の時に向けて、私たちは各々準備の時間を取ることにした。

 メリアはウンディーネ戦で使ってしまった宝石の補充をすると共に、ロックとの徒手格闘訓練へと向かった。

 私は戦いに向けて、今一度サラマンダーと段取りの確認をしようか考えているところだった。

「あ、あのっ……、涼華。少し、時間をいただけませんか」

「え、うん。場所変えた方がいい?」

 ファルセットは頷いて、私たちが睡眠に使う上の部屋を指した。


 どこか躊躇いが見えた彼女の様子から、話の大枠はなんとなく掴んでいた。

 私たちはベッドに座って向かい合う。ファルセットの表情かおには奇妙な翳りが見えた。

 私が何を言うよりも先、彼女は話を切り出した。

「貴方ならば忘れてはいないでしょう。ロックの事情があったとはいえ、私は貴方を裏切った。……本当に、すみませんでした。貴方がどれほど傷ついたか、想像に難くありません。私は騎士としてこの恥を払拭したいのです。涼華よ、私に罰を与えてください」

 予想通りの独白とはいえ、ファルセットが想像以上に重く責任を感じていたことに吃驚した。

 ロックを許したのと同じように、私はファルセットだって許すつもりだった。それでも声を掛けられずにいたし、畢竟私はそれを無いままにしようとしていた。信念を貫く騎士だからこそ、行動に恥が伴うことには人一倍敏感なのだと思う。けれど私は、ファルセットがそうしたのと同様に、自分の行動を恥じなければならないように思われた。

「……ううん、罰なんて。私だってキミと向かい合おうとしていても、自分から話を切り出せなかったんだ。それにね、ファルセット。私だって一緒に戦えればよかったんだ。足りなかったのは私も同じ」

 そんなことは、とファルセットは反駁を試みる。

 けれど私の方が、言葉を紡ぐのは早かった。

「今度は私も本当の意味で命を懸ける。足りないモノは作らない。だからどうか、私と最後まで一緒に戦ってほしいんだ。もう、キミを置いて逃げることはしないから」

 ロックにしたのと同じように、私はファルセットへ握手を求める。

 自分が罰せられると思っていたのか、心の何処かでは私の動き方に予測がついていたのか。どちらとも分からない表情から一変、ファルセットは深く目を瞑った。

「有難きお言葉です。貴方が許してくれるのなら、この剣が惑うことはない。今度は、共に理想を成し遂げましょう」

 直後、彼女の手が私に重なる。王女の面影を残す小さな手は硬く、触るだけで修練の度合いが伝わってくる。

 これ以上、苦悩を一人で背負わせるもんか。

 心の内で奮起して、私はファルセットと共に立ち上がった。



 決戦に向かうまでは時間があったので、私はファルセットと一緒に訓練を積んでおくことにした。

 そうはいっても、基本的には私が教わる立場になるのだが——習うことにしたのは、魔法で戦うならば欠かせない魔力のコントロールだ。

「魔力を上手く固めるのなら、まずは出力の仕方から調整すべきでしょう。そうですね、では」

 ファルセットは紙にペンを走らせると、適当なサイズの火を描いた。

「これと寸分違わず同じサイズの火を作ってください。狙った通りの形に出来なくては、空中でアルビオンを正確に撃つことなど以ての外です」

 紙に描かれた炎の大枠を目で捉える。その形状を頭の中に落とし込み、余計な思考を取り除いて一つを作る。

 硝子細工を扱うが如く、私はゆっくりと手を開く。炎は元の絵と概ね同型、ほぼ同じだけの大きさとなって私の掌から出現した。

「どうかな、ファルセット。大体は仕上がってると思うんだけど」

 煌々と燃える小さな炎を見て、ファルセットは驚嘆を露わにした。

「……この類の訓練が初めてなのでしたら、きっと貴方は才がある。涼華、今はどのように思考イメージを?」

「ファルセットが描いてくれた絵を頭の中に落とし込んで、もう一度描き直した。でも難しいよ」

「成程。それでしたら、アルビオンを解き放つイメージを描いてみましょう。流石に撃つ練習はできませんが、魔法において想像力ほど大切なものはありませんから」

 そう言いながら、ファルセットはまた紙に絵を描いていく。素人が仕上げたとは思えないくらいに精巧かつ美しく、彼女は私の手から放たれる一撃と、それを受ける人の何倍も大きなウンディーネを真っ白な一枚の上に表現した。

「……絵、上手なんだね。なんていうか、魂がこもってる」

「なにぶん、数百年も引きこもっていると何かを創ることに興味が向くのです。母上の友人であった彼女……私にとってのもう一人の母に、森へ連れて行ってもらったこともありました」

 過去に想いを馳せるファルセットは、私が守りたいと思った少女の姿そのものだった。

 完成した絵を頭の中に落とし込みながら、私は彼女に問うてみる。

「魔法の訓練も、その人が?」

「ええ。名前をミネルヴァ、綺麗な光を操る方でした」

 ファルセットが受け継いだ技能を、私がまた紡いでいる。そんな当たり前の事実に、私はどこか喜ばしいものを覚えた。

 意識を会話に向けながら、眼前の絵を確かに捉える。攻撃は実戦で嫌というほど強いられてきたからか、この分野に関しては得意になっていたらしい。私は深く視界を閉ざし、同じ魔法を脳内に描くイメージを仕上げた。

「そっか。……なら、その人に恥じないくらい強くならなきゃだ」

 構築は済んだ。今度は、外からの衝撃に邪魔されないように注意すればいい。私は深く息をついて、上目遣いにファルセットを一瞥した。

 どこか儚く大人びた笑みを浮かべるファルセットに対して、私はとびきりの笑顔で応えた。



 ファルセットが最後の準備に向けて階下へ去ったので、私は暗いあの部屋に残り、サラマンダーの名を呼んだ。

 私の内から響く声は、どこか神妙なものだった。

『覚悟は決まったらしいな。敢えて問うが、貴様が倒さねばならぬのは誰だ』

「——この国にいる、キミを除いた全ての精霊。ウンディーネを助けて、必ずノームを倒す」

『ゆめゆめ、自分が吐いた言葉を忘れるな。ここから先の戦いに休みはない。即ち、もう恐れている暇はない』

 わかっているよと、反抗期の子供のように呟いてみる。

 ふと思い立って、私は火の精霊に問うてみた。

「それでさ、サラマンダー。キミはこの戦いが終わったら、また王になるの?」

『馬鹿を言え、貴様の体から出れば秒と保たぬわ。砂漠の脅威を退けた彼奴らならば、この国の民も救えるだろうさ……故に、我をどうするかは貴様に任せる。その答えは、全てが終わった後に聞こう』

 覚悟の決まった答えだった。

 自分がいつ死ぬことも恐れないで、戦いに全ての神経を注いでいる。私たち人間が見習いたいと思いながら、私たちが人である以上は届かない精神だった。

「わかった、その時まで答えは言わない。……ほんと、凄い心だね」

『精霊など消えかけの神秘に過ぎん、絶滅は避けられぬからな。——しかし、消えかけだからこそ払う代償は少ないものよ』

「代償?」

 彼女の言葉を反芻した私に対し、サラマンダーは同意を口にする。

『神秘を超えた神秘。神代に至るだけの魔法を再現するためには、多くの場合代償が必要だ。しかしこの消えかけの魂から何を奪えようか』

 きっと、命を全て犠牲にする魔法を除いた、果てしない神秘を指すのだろう。極小に成り果てた魂なら、もはや失っても変わらないと——サラマンダーは、そう言いたいのかもしれない。

 だが、本当に?

「……代償なんて無理に払わなくたっていいからね。少なくとも、私に相談して」

 魔法における高次の概念を理解できるほど、私の知識は進んでいない。

 故に私は、サラマンダーに制約をかけておくことにした。

 すると彼女はケラケラ笑って、最後に一つ言い残す。

『言わぬことはない。だがな、魔法とて魔力という代償を支払う現象の発露だ。その二文字を恐るることはない。いつか貴様たちは皆、それを使う選択を強いられるだろう』

 そう告げるサラマンダーの台詞は、嘘をついているように思えなくて、妙に説得力があった。

 私は彼女に言葉を返すのをやめた。すると、向こうの方から勝手に私の内側に帰っていった。


 気がつけば、もう約束の時が迫っていた。

 体の同居人がよく聞こえるように、わざとらしく大きな溜め息をつく。私は鎧の感触を確かめて、決戦の場所へと続く階段に足をかけた。

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