第50話B ソラを裁けば

 不気味だった。

 ソラに鎮座した精霊の亡骸は、きっと私に気づいている。敵対していたのだから当然だ。

 ただ、魔力反応もなければ攻撃も無い。ただ其処にあるだけ。

 雨の国を存続させる為に空へ逃れたという解釈もできるようで、私は何か、言われようのない恐怖を覚えた。

 加えて心待ちに影響したのは、腹部から伝わる痛みと熱、逆に引いていく全身の熱が原因か。

「さっさと、戻るか。私一人では対処できない。せめてファルセットのところへ」

 重たい体を引き摺って、私は彼女のいる拠点へと帰っていった。


 腹部の治療に関しては、ファルセットの手伝いもあってか特別の苦しみなく成功させることができた。

「青銅の矢など、本来儀礼用の道具です。聞いた時は吃驚しましたが……、これ、中身は鉄ですね」

「にしても相当な膂力だよ。金属の矢をあの速度で飛ばす魔法など、切り札以外の何物でもなかっただろう」

 私はカバンから携帯食を取り出してまた食らう。

 ファルセットは首をすくめて小さく笑った。

「……ウンディーネの討伐、お見事でした。ですが現在、ソラに謎の物体が浮かんでいる、のですよね」

 もはや人の姿をせず、機械的に揺らめく異様な風貌の水の精霊。

 あれを倒してこそ、雨の国での戦いにも決着がつくのだろう。だが、もはや。

「奴は狩人でなくなった。あれは、ソラに煌めく星と何一つ変わらない。相当な魔力量でなくては、星を撃ち落とすだけの一撃には至らないだろうな」

「間違いありません。涼華のアルビオンであっても、星に届かせることができるか否か。これに関しては、私たちが束になって威力を上げようとも意味がありませんからね」

 私は深く頷いた。

 ただ相手が巨大なだけならば同時攻撃で解決する。魔龍モミジの一件がそれだった。しかし相手が星と同じ距離にいるのであれば、神秘を超えた神秘にでも辿り着かなければならない。何の代償もなしに放った一撃では、到底届かない。

「厄介なことをしてくれる。……尤も、ウンディーネの意思だけではなかろうが」

 肉体に異常な魔力回路を作り上げ、死してなお肉体を操作可能な領域においておく。尋常の魔法使いには作り得ない事実を実現させている以上、背景にいるのは土の精霊だけでないのだろう。

「先ほど仰っていた話ですか。一体誰が斯様なことを」

「魔王に仕える九つの悪鬼、そのいずれか数名。大体の目星はつくが今はいい。……それより今は、水の精霊だ」

 話をそちらに戻してみるも、我々だけで考えつく作戦など高が知れている。

 それでもと思案を巡らせる中、私はふと思い立った。

「ファルセット、君は剣を失くしたと言っていなかったか。今後の戦いを考えれば回収しておいた方がいい。まずは剣を探しに行かないか」

「……そう言っていただけるのは有り難いですが、あの剣は折られているでしょう。私が対峙した時も、奴から慢心の類は殆ど感じられませんでしたから。それを直すとなると時間が足りない」

 確かに、本気のウンディーネを相手に得物を手放せば使い物にはならないかもしれない。得心がいった私は、どうすることもできず頷いた。

「なら、どうする。この国に武器屋がないのなら、向こうにキミを送ることも考えるが」

「一つ思い当たる場所があります。そちらに向かっていただけますか。剣の問題はそれで解決できるかもしれない」

「ならば行こう。涼華との合流も今日中に済ませたい」

 互いの体が請け負う疲労は軽からぬモノ。それでも、ソラに咲く絶望の大輪を突き落とすためには力が要る。

 私はファルセットに従い、雨の匂いがぼんやりと残る外へ出た。


 

 出迎えたのは初老の男性だった。彼の特徴に関しては、恐らく涼華が事細かに記しているだろうから割愛する。

 グルナと名乗った宝石商だが、ファルセットの姿を見て雰囲気を変えた。察するに、特殊な仕事も請け負うのだろう。入ってすぐ、私たちは奥へと通されて——幾つか言葉を交わすことになった。

 初めにファルセットがウンディーネの話をした。戦いの決着が一度ついたことを聞いて、彼は神妙な顔つきになった。


「君がメリア嬢か。話には聞いているよ、とても強いと。今日の要件は……ファルセット嬢のようだね」

「察しが良くて助かる。詳しくは当人から聞いてくれ」

「ええ。先の戦いにて、不覚にも剣を折られてしまいました。見合うだけの剣があれば、高額でも構いません。譲っていただきたい。そうでないのなら、……刀鍛冶でない貴方に頼むのもお門違いかとは思いますが、剣を作って欲しい。きっと貴方であるならば、精霊を退けられる剣を作るのも難しくないはずだ」

 グルナ氏は暫く考え込んだ後、答えの代わりに一つ問うてきた。

「仕損じた剣は何処にあるかな」

「状況が状況であった為に、回収は難しく。行方はわかりませんが、川を流れていったので発見は容易かと」

「なら今は役立たずとも、この国を出る前に拾っておくといい。代わりになる剣の用意はできるが、用途を限定する以上長くは持たない。直すだけの時間がないのなら仕方ないさ。だからそれは、君が在るべき場所へと帰った時に修復するといい」

「ならば剣を任せても良い、のですよね。……そう、なら貴方に託します。剣を探してくるので、少しお待ちを」

 剣の用意をグルナ氏に預け、途端にファルセットは外へと飛び出していく。

 ファルセットがこれだけの信頼を預けるのなら、私が今更疑うべくもない。ただ、眼鏡を掛けたこの老人の顔を見て、私は一つ、旱の国で出会った別の老人のことを思い出した。

 雰囲気も見た目も、一見すれば別人にさえ思える。しかし髭の奥にある面影は、二人の間にある繋がりを物語っていた。

「グルナ氏。旱の国に、兄がいるんじゃないだろうか」

 私の問いに彼が見せたのは驚嘆だった。

 彼はその丸い眼鏡をゆっくりと外し、兄によく似た面影を見せて言葉を返す。

「わかるのか。もしかして、君は旱の国から?」

「向こうでも仲間が戦っている。こちらの戦いにケリをつけるため、私が来た」

「そうか。……君はどこか、此処にいる者たちと顔つきが違う。僕の兄貴によく似た、戦い続ける者の顔だ」

 戦い続ける者の顔。その言葉が気になって問い詰めてみると、彼は意外にもあっさりと口を割った。

 平和な世界に居続けた涼華、鳥籠の中に囚われていたファルセット。両名と私にある決定的な違いは、幼少から死を味わい続けているということか。グルナ氏は其処に一つの信頼を見出したらしかった。

 

「僕と兄貴は火の精霊に仕えていた。火の国がなくなって三十年くらいかな、僕は此処に住み続けている。そして僕もウンディーネも、背負いきれぬ業を負った為にこの結末を迎えた。……理想のために民を虐げる世界、それを作らずには世界を護ることが出来なかった。その業を清算するため、僕ら敗北の徒は今なお戦い続けている。君にはどこか、近しいものがある。あまり踏み入ることはしないが、何か、己が過ちに囚われているように思うんだ」


 彼が私に見て取った信頼は、何かに囚われ戦い続ける者——即ち、同類に対する危惧のようだった。

 彼らが如何なる過去を過ぎ去ってきたのか、それは重要でない。ただ、彼らが今なお囚われ続ける苦しみ、為さねばならぬ仕事を持ち合わせている点において、私と酷似しているのだ。

「そうだな。私も為さねばならぬことがある。生涯を懸けた贖罪と世界に対する復讐を」

 不思議と私は、自らの胸中にある一部を吐露していた。

 彼も私も、戦いに囚われた同類。しかし其処にある決定的な差異こそが、彼を救済する足がかりとなる。

「だから私は殺し続け、私達は戦い続ける。誰かは救い続けるために、誰かは願いを果たすために。その先に精霊の国があるのなら、キミ達の罪は私が裁定しよう。貴方には為せぬことであっても、私には実現の力がある」

 意味のない意志の発露かもしれない。

 ただ、言葉には理由がある。彼が見ず知らずの私に並々ならぬ過去の片鱗を語ったのも意味のあることだ。

 私は直感的に悟った。この純真かつ穏やかで、それでも罪深き老人と相対するのは今日が最初にして最後のことだと。

「……ならば託そう、雷電の君よ。君と風晴涼華ならば、この国の罪を裁いてくれる」

 今度は私の方が驚かされた。

 この老人は、私だけでなく、涼華にも希望を託していたようだった。


 会話は其処で終わりだった。

 グルナ氏が剣を作るための作業に向かって、ファルセットが剣を持ち帰ってきて。

 私達は代金を置いて宝石商の店を後にした。

 旱の国で見た煌びやかなあの看板は、今やどこか古びていた。

 ソラの罪を裁けば、この国に輝きは戻ってくれるだろうか。

「……いいや、戻さねばならぬ」

 腹部の痛みと別れを告げて、私は静かに覚悟を決めた。

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