第49話B 嵐の王
◇
ウンディーネの弓が煌めくのと、私が全速力で駆け出すのはほぼ同時のことだった。
青黛に煌めく流星の如き矢を避けることはかなわない。私は僅かに身を逸らして一撃を肩で受け、奴の懐に滑り込む。有無を言わさずに顔面目掛けて放った雷霆だったが、ウンディーネは涼しい顔で避けてみせた。それどころか攻撃の隙をついて、私の腹部に強烈な蹴りを叩き込んでくる。
「がは……っ」
「直情的ね。貴方が私の攻撃を見切ったとして、私が見切れていないとでも思ったワケ?」
私は咄嗟に身を引いて、可能な限り距離を取る。
青銅色の弓がしなり、また完璧な精度の矢が放たれる。やはり避け切ることは能わず、今度は脇腹に矢が突き刺さった。体のバランスが崩れ、生まれた隙を奴は逃さない。また矢が来るか——その予測とは裏腹に激しく明滅する私の視界。ウンディーネは私との距離を一気に詰め、頭に弓を叩きつけた。
金属で作られた弓だけに、その一撃はかなり重い。勢いよく下に落ちた私の顔面を待っていたのは、猛烈な速度の膝蹴りだった。
「チッ……!?」
一瞬で視界が上下し、私の判断力は著しく低下する。意識と理性の復帰よりも、ウンディーネの第二撃の方が先だった。
「
身動きが取れなくなると同時、腹部に痛みと重い感覚が走る。
冷たい地面を勢いよく転がりながら、道中で拘束を解き体勢を立て直す。追撃で飛んできた矢を
「随分と汚れたわね。でも本気の私と対峙した以上、高次の戦いが求められるのは当然よ」
「理解しているさ。だが生憎命の取り合いは久々でね……体が少々感覚を忘れていた」
奴の戦い方は今ので見切った。ファルセットに残してきた言葉を強く想起して、私は宝石を叩き割る。
直後、雷をウンディーネに向けて解き放つ。凄まじい速度で空気を引き裂くそれを躱すのは、いくら奴とて難しい。弓を盾の代わりにして防御を試みた奴だったが、その程度で防げるようならこの魔法が神の象徴になることはない。
「覚悟はいいな」
奴の動きが著しく鈍る。私はその隙を見逃さず、
しかし、一投が奴を捉えることはなかった。背後から現れた水の楔が私の右腕に絡みつき、投擲の方向を僅かに逸らした為だ。
霧の向こうで魔力が猛る。雷に耐え切ったウンディーネが魔法を使ってくるのは、それは返礼の大技に相違ない。
総毛立つ感覚に襲われた私は、反撃として最速で出しうる最大火力の魔法を選んだ。
「
指先から弾丸を解き放つ。
それでも一撃を止めるには遅かった。
『
かつて涼華がアルビオンを覚醒させ、サラマンダーと戦ったあの時。
追い込まれたサラマンダーが用いたと聞く、精霊にとって切り札となる
辺りの雨を吸収して体積を増しながら、大波が私目掛けて迫り来る。私はなんとか逃れようとしたが、当然ながら向こうの方が早い。私は波に飲み込まれ、呼吸機能を奪われる。
「消えるがいい。全て、全て平和のための礎となれ。さもなくば、お前に生きる資格なし」
奴の声がすぐ背後から聞こえてきた。しかし俊敏さを欠く水中では防御を取ることも出来ず、私は直接ウンディーネに拘束されてしまう。
この国の雨が奴の制御下にあるとするのなら、雨を飲み込んで作ったこの波は全てが水の精霊そのもの。
(これでは宝石を叩き割ることすら難しい。加えてこの拘束力、息が保たん……!)
ウンディーネの手が首に伸びてくる。それは私を確かに死へと誘うモノ。故に一切の無駄がなく、私がいくら集中していようとも魔法を避けることは出来なかっただろう。
ただ、拘束が後ろ手であったことが幸いした。片方の腕を服の後ポケットになんとか回し、悟られるより先に魔法で生成した弾丸を用いて宝石を割る。
一つ、二つ、三つ。水中で弾けた魔力がすぐに吸収されることはない。
浮かぶ魔力をぎゅっと握り締めた私は、宝石を錬成する要領でそれを硬化する。消えかける意識の中、私はどうにか奴の鳩尾へと魔力の篭った拳を当てた。
「……
「ッ!」
大波全てを激しい稲妻が駆け巡った。常人なら黒焦げになるだけの魔力量——それを受けて魔法を保っていることなど、生命であれば難しい。
奴は咄嗟に私から逃れ、切り札であった魔法を霧散させた。
途端に波が消滅し、冷たい雨となって落ちてくる。死の危機から解放された私とて無事ではなく、受け身も取れずに地面へ落ちた。
「はっ……はっ……、それが、貴様の切り札か。弓を起点としてっ、濁流を作り出す魔法とは恐れ入る。常人ならざる芸当だ」
「あの状況から逃れておいてよく言うわ、貴方。……いい加減、終わりにしましょう」
ウンディーネが腹部に負った傷は戦闘を続行するには深く、無理をしたため相当に血を流していた。
たとえ彼女自身が無事であろうとも、その肉体が限界を迎える時は近かろう。
私とて、今の一撃を受けたが為に長期戦を続行できる体力は無い。血汐を流れる雷の感触を確かめて立ち上がり、私は全霊を賭す決意を固めた。
「いいだろう。お前の攻撃は全て見切った。この勝負、私が勝つ」
「いいえ。たとえ天地がひっくり返ろうとも、この狩人が貴方を仕留めるわ」
ウンディーネの魔力も限界のその先へと向かっている。
互いの全存在を賭けた戦い。奴の背後で水の刃が唸りを上げるのと、私の拳が銅鑼を鳴らして稲妻を解き放つのは、ほぼ同時に起こったことだった。
魔王と対峙した時を思い出す。奴の強さも信念も、かつて対峙した悪鬼のそれに負けないくらいに硬く折れない。
強い。戦いの中にあった彼女の慢心は、全て優しさであったのではないかという程に。慢心のない奴の攻撃には遊びがなく、相手が獣であろうと人間であろうと、殺すことだけが考えられている。正面からの撃ち合いで私に勝る技術を持っているなど、到底信じられない事実だった。
だが、だからこそ活路はそこにある。
狩人に対して、獣は獣であるだけで相性が悪い。故にこそ、限界を越えるのならば今この瞬間。
己が内側に強く求む。この応酬を全て無に帰する、それほどの一撃を私に。
一度始まった魔法の構築は、されど相手に異変を伝えず組み上げられていく。
「覚えておくがいい、水の精霊ウンディーネ。我が名はメリア・アルストロ。貴様を倒す者の名にして、世界を淘汰する嵐の王」
魔力が一点に集約する。掌に宿るのは雷と暴風。雨の国の豪雨を溜め込むが如き嵐の象徴。
それでも、私が名乗りを上げる前には本能で悟っていたらしい。奴は奴で、再び最大火力の魔法を放つ心組みのようだった。
だが、本気を出せば雷の方が当然早い。
私は右手を前に突き出す。
そのまま一つ、
『
ひゅん、と。まるで音を置き去りにしたように、雷霆が突き抜けた。
それが通った後には、焼け焦げ抉れた地面と満身創痍のウンディーネのみが残っている。涼華のアルビオンには劣るが、この距離差を一瞬で潰すことができる絶対的な雷の魔砲——それが嵐である以上、雨の魔法に打ち勝つのは当然のこと。
砲撃を正面から受けたウンディーネは、己が肉体を支えきれずに地面へと墜落する。
「貴様の敗因は、私を獣と見誤ったことだ。貴様が狩人であった以上、嵐には勝てまいよ」
ウンディーネから言葉が返ってくることはない。それが命の潰し合いである以上、戦いの後に特別な言葉を交わす必要はなかったし、彼女は、きっともう。
だが、私も無傷という訳にはいかなかった。一切の躊躇なく放たれた青銅の一射——それは私の腹に深々と突き刺さっていた。
「……
止血が出来ぬ以上抜くのは得策でない。ウンディーネの魔力は完全に消え去った。先の一撃で絶命したことくらい、考えずとも明らかだった。
しかし。
やはり、奴の肉体は尋常のそれではなかったのだ。
どくんっ、と。ウンディーネの亡骸が大きく跳ねる。思えばこの時、既に雨は止んでいた。
亡骸に何者かの魔力が集約する。激しく、かつ気味悪く胎動するそれは、決壊した堤防のように激しく濁流を吹き出しはじめた。
「チッ、一体何が!」
濁流を放つソレは空へと舞い上がった。私の攻撃が届く範疇を更に超えて、空へ、ソラヘ——。
奴はやがて星のように、人ならざる、生き物ならざる存在としてソラに座した。
それは遠く、視認できない。
だが、一つだけ。
「最早人間の体はない。あれは何か別のモノによって作られた、悪意の集合体だ」
ウンディーネとの戦いは終わった。
しかし、これは魔王へ反旗を翻す戦い。精霊に牙を剥いたのなら、その奥にある脅威との対峙は当然ながら避けられぬ話だった。
戦いは、一つ先の段階へと進む。
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