第48話B 雷電
小粒の雨を振り払いながら、全速力で大地を駆け抜ける。
向かう先は例の神殿。即ち、旱の国において私たちが土の精霊と対峙した地。敵の本拠地として想像がつくのは、精霊の国においてこの場くらいだった。
進行方向に向かって空を見上げれば、視界全体を覆うように巨大な城が聳え立つ。
私は速度を少し落として、建物に攻撃を仕掛けようとした。
しかし次の瞬間、その必要は突然消え去る。
入り組んだ道中、右の通路を進んだ先。其処に、数体のリザードマンを従えるウンディーネの姿があった。リザードマンは武器を持たず、強奪してきたと思わしき食物や金品の数々を抱えている。その中心に冷徹な視線で立つウンディーネも、話に聞く通りの悪辣さが全身から漂っていた。
咄嗟に身を翻して壁に隠れ、私は奴の様子を窺う。だが確認することは大してなかった。
「未だ民から巻き上げるか。たとえ全ての元凶が貴様でなくとも、私はお前の業を許さない」
足元に魔法陣を組み立て、右手に
その視線を天に送れば、奴らの頭上に同等の魔法陣が出来上がる。纏わりつく雑兵どもを一掃するため、魔力のコントロールを最小限に抑えながら、私は魔法を詠唱した。
『
高密度、高質量の物体が雷を纏って空より落ちる。それが持つ熱は並の攻撃を軽く凌駕し、隙を晒し続けていたリザードマンはその一撃で骨もろとも焼き払われて絶命した。
「何……? ああ、そこか」
だが当然とでも言うべきか、ウンディーネには攻撃の一切が届かない。
直後、奴の視線が確実にこちらを捉えた。
私は懐から宝石を取り出して叩き割る。瞬間、私の全身を駆け巡る眩い緑色の光——それを目印と定めてか、三本の刃が頭上より落ちてきた。
私は再び
そのまま視線を敵に向けると、隙のない立ち姿で私を睨みつける奴の姿が目に入った。
「貴様が水の精霊か。初撃から斯様な技とは、随分殺意に満ちているな」
「ハッ、アナタがそれ言う? いい加減鬱陶しいのよ。鼠の癖に何処までしゃしゃり出てくれば気が済むのかしら」
天才的な判断力の速さと、如何なる回避も許さない圧倒的な魔力操作の精度。ファルセットの話に聞く通り、この一瞬だけで恐ろしい魔法の使い手ということが察せられた。
「見くびらないことだ。鼠に喰われて死ぬなんぞ、狩人の恥に違いなかろう」
「あぁそ、遠慮も躊躇も要らないってこと? それなら惨たらしく殺してあげるわ、お望み通りね」
掲げられた左の掌に応じるように、奴の周囲で無数の雨が動きを止めた。それらは各々が鋭利な武器へと変化して、——そこに弓と弦が存在しているかの如く、奇妙な形にしなり始める。
「鼠の格付けはしてあげない。少し遊んで殺してあげる」
青黛の瞳がぎらりと輝く。瞬間、手前の矢が私を射抜くべく解き放たれた。
私は全身に雷を纏わせ、矢が体を射抜くよりも先に空へ逃れる。動きを読まれていたのか、異なる軌道で雨の刃が私を喰らおうと襲い来る。すんでのところで魔力を爆発させて命中を避けると同時、私は人差し指を奴に向けた。
「魔法? 無駄よ。もう撃ち終わっているもの」
「そう思っていればいいさ」
『
三本の矢が私目掛けて飛んでくる。当然、速度は既に操作を済ませた奴の魔法が勝る。詠唱とほぼ同時、矢は高速で動き始めていた。
「ッ!?」
しかし攻撃をより早く到達させたのは私だった。
奴は青褪めた様子で首を捻って攻撃を流し、紙一重で頭部が弾け飛ぶのを防いだらしい。一方の私は、魔法の反動に身を任せて大きく後ろに吹き飛んでいた。故に体は無傷を保つ。
民家の屋根に降り立って、私は狼狽する奴を見下ろす。
「どうした、水の精霊。貴様のお遊びはその程度か」
「本当、この手の馬鹿は何処までも付け上がるのね。一度命中させたくらいで調子に乗らないことよ」
ウンディーネがまた手を上げれば、周囲の雨が静止する。それらは拡大し、雫同士で結合し、無数の輪っかを生成した。
不可避というだけあって、私がどう動こうともその輪から逃れることは出来ないらしい。私の両腕は拘束された。
「
体が奴の手に応じるように浮遊した直後、——私の視界は民家の煉瓦と衝突した。
煉瓦の壁を突き破り、無人の民家に転がる家具と衝突する。車輪の後ろに繋がれて引き摺り回されるような、狂気的で拷問じみた魔法——私はその家が穴だらけになるくらいに転がされ、勢いよく吹き飛んだ。
両腕を縛り付ける輪は依然として消滅せず、簡単な力の掛け方では外れそうにもない。吹き飛んだ壁の向こうで、奴は再び水の刃を生成した。
「意味のない傷をつけるのが趣味か」
「その真っ赤な顔でよく言うわね。これくらいで死なれちゃ困るけど」
瞬間、ボロボロの民家と私に向かって殺意の雨が降り注ぐ。先のものより鋭利に、刺されば抜けない銛のように作られた武器の数々——それを躱そうと動く直前、体が敵の得物に向かって引き寄せられる。
「ッ!」
罠にかかった獲物が引かれていくように、私の体はまた宙を舞う。いくら魔力を爆発させようと弾ききれない武器の数、強力に結びついた水の拘束。
涼華やファルセットが敗れ去ったという事実にも納得がいく。如何に魔法が得意でも、この手を使われれば死を受け容れる以外のことは難しいだろう。
だが此方は既に対策を済ませていた。
「
稲妻の脚で銛を全て蹴り飛ばすと同時、全力を以て肉体に纏わりつく水の輪を引きちぎる。
そのまま身を翻し、迫り来る無数の武器を跳ね返す。蹴り漏らした二つの刃は肉を裂く前に両手で掴んだ。間髪を容れずに無数の刃が再装填され、的確な時間差を以て放たれた。
しかし、その刃はもう脅威ではない。
「見えているぞ」
短き完全詠唱と同時、舌の裏に潜ませていた小さな宝石を噛み砕く。
『
道を開くための魔法が私の視覚に作用する。苛立ちと共にこちらを見上げる水の精霊、その心臓が金色に輝いた。
直後に迫る多数の攻撃も、数秒時間を稼ぐだけならこの魔法で事足りる。刃と刃の合間を縫って直進し、奴の表情が細部まで窺える距離となった頃、私は左手の魔力をぶつけた。
「
「……? なっ」
放った魔力は直接的な攻撃ではない。
先とは真逆、奴の体は遥か上空へと吹き飛ばされる。奴が明らかな動揺を見せたその隙に、私は足元に作った魔法陣へと
「
雨の世界を稲妻が切り裂く。
雷電に穿たれた生命は白く輝き、真っ黒な煙を上げながら地面へと落ちた。私が奴から受けた以上のダメージをその体に追いつつも立ち上がり、ウンディーネは私を睥睨する。奴が筆舌に尽くし難い屈辱を味わっていることは、様子から十分に察せられた。
「ムカつく女ね。油断させる為だけにボロボロになるとか、本当に気持ち悪い」
「勘違いしているらしいな。お前が慢心だらけなのは対峙した直後に悟ったさ」
「そう。そんな物言いも慢心でしょうが」
直後、四肢が強く引っ張られる感覚が私を襲う。私の体を磔にした道具は奴が雨を操って作ったものだった。加えて上空には二つの刃が控えている。奴はこのまま、四肢を切り落とすつもりのようだった。
「貴方の同類が呪いなんて祓うから、武器生成にも時間が掛かるのよ。貴方を殺せば少しは元に戻るかしら」
「——ん、無駄と言いたかったのだが伝わらなかったらしい。貴様の拘束はもう見切ったと言っている」
奴が私の言葉に耳を傾けた、次の瞬間。
轟音が精霊の世界中に響き渡る。
「……は、は?」
未だ見えていた奴の心臓。それは本当の意味での心臓ではなく、魔力が集まる核だった。私は奴の拘束を一瞬で解き放った後、それを狙って最大火力の魔法を詠唱した。
ぴゅー、と間の抜けた音がする。弱点を掠めた奴の腹部は、僅か数秒で恐ろしい量の血を流していた。
「魔法を使うモノである以上、魔力が濃密に集まる場は存在する。大きさや強度、数には差があるが、普通は関節のように幾つか存在するものだ。そうでなければ致命的だから。だがお前は一つしか持たなかった」
「ッ、何が言いたいのよ」
「水の精霊ウンディーネ。お前は一体、何に体を弄られたんだ」
その問いを掛けようとも、奴の戦意は喪失しない。それはまるで、ウンディーネ自身が曝け出されてはならない何かを護っているようだった。私に対する殺意の中に、そんな想いが見え隠れした。
沈黙が辺りを包み込む。こちらへの警戒を一切緩めることもなく、それでいて己の中で逡巡を繰り返しているらしい。
ただ結局、私の欲する答えを奴が口走ることはなかった。
先の粗雑な作りとは違う、狩人の拘りが反映された青銅色の弓矢と矢筒。その装備と据わった瞳が意味するのは、一切の慢心なき本気の奴、雨の国の精霊王ウンディーネに他ならなかった。
「……貴方を鼠と称したこと、謝罪するわ。其処まで踏み込めたモノをそう呼ぶのは失礼に値する」
凛とした様子で、ウンディーネは矢を一つ手に取ってみせる。私は残る宝石と切り札の手数を思い返して、奴の一挙手一投足に全神経を注ぎ始めた。
「貴様とて同じさ。あの不意打ちを避けられる者がいようとは予想外だ」
奴は視線で頷いた。ただの娘らしい挙動は、後にも先にもこれだけだった。
「全身全霊を以て貴方を拒絶する。貴方を礎の一つとして、この地獄を続けてみせましょう」
本当の戦いは今始まったに過ぎなかった。
真っ黒なモノを背負いながら、——ただ一人の戦士として、私はこの狩人と対峙する。
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