第49話A 呪詛裁定

 ◆

 

 サラマンダーとグルナさんが繰り広げた言葉の数々は、より適切な機会に語るべきだと私は思う。

 それは、手記の幾つか先に預ける。


 ◇

 

 私が遅れて外に出ると、二人は所在なさそうに背中合わせで立っていた。

 ただ、ファルセットは腹を括ったような表情かおをしていた。

「ごめん、お待たせ」

「問題ありませんよ。ロック、目的地までどのくらいです」

「魔法ですぐだ。楽しい空の旅を案内してやる」

「涼華。この男、」

「え。何それ」

 ロックはただ、一点の曇りもない笑みを浮かべた。

 

 屈託のないロックの顔を目の当たりにして、数分後。彼の魔法は私たちを目的地へと

 到着地点には墓石があった。それは先の洞窟と同じような気配を纏っていた。

「ロック。貴方の頭にはお花が咲いています。首ごと取って治療しましょうか」

 空を経由して地面に叩きつけられる感覚はジェットコースターそのもので、ファルセットが怒るのも頷ける。

 尤も当の本人は、どこか子供らしい反応を見せるファルセットを鼻で笑っただけだったが。

「わかった、次はやらん。だからそんな目で見るな」

「……そろそろ始めよう。早く済ませるに越したことはないでしょ」

 私が呼びかけると、二人は視線をすぐさま墓石へ向けた。

 平常から険しい顔つきのロックはともかく、ファルセットの表情には、何か鬼気迫るものがあった。

「今から墓石を叩き割る。ファルセット、先に言った通りにしろ」

「承知。涼華、万一の際には頼みます」

「うん。絶対に気は抜かないよ」

 覚悟を決めた私は、眼前に聳え立つ悪意と後悔の集合体を睨みつける。

 ファルセットは鞘を掴み、ロックは右手を墓石に向ける。


 彼の放った赤色の魔球が墓石を壊し、それが作戦開始の合図となった。

 瞬間的に戦いは幕を開ける。呪いは墓石から溢れ出して闇となり、行き場を失くしたそれは勢いよく地面を抉る。

「お任せを」

 いつ抜いたのかも解らぬほどに静かな所作で前に出ると、ファルセットは流れるように言霊コードを唱える。

「悪の想いよ、邪なる意思よ。我は死者を裁く剣である。この国に眠る全ての魂よ。汝の嘆き、痛み、果てなき苦しみ——全て一刀にて裁定する」

 ファルセットは剣を振り上げる。

 たちまち暴風が巻き起こり、白刃は黄金の輝きを放って周囲の呪いを取り込み始めた。

「構えろ。地獄が始まるぞ」

 夜を裂く光の集合。その持ち主を喰い殺す為、墓石の下より溢れた呪いは暴風剣の刃を掴む。

 突然、ファルセットは呻き声を上げた。呪いとの接触は覚めやらぬ悪夢を対象にもたらす。此の墓に眠る魂がどんな夢を内包するのか、それは想像に難くない。

 また、一つの呪いが攻撃を始めた直後のこと。

 。泥は獣よりも速く暴風の剣に噛みついて、ファルセットの肉体を取り込もうと滴り落ちてくる。

「ファルセット!」

「待て、呪いに攻撃は仕掛けちゃならん。お前の仕事は最後の一発だ」

 ロックが私を静止するのとほぼ同時、ファルセットが絶叫を上げる。

 言葉にならない叫びが私の心臓をぎゅっと締め付ける。声の主は想像を絶するほどの苦しみを顔に出していた。

「ぐっ、う、あ……このッ、程度……!」

 暗黒は悍ましい悲鳴を重ね、暴風剣上でのたうち回る。体勢を崩したファルセットだったが、剣を杖代わりにして何とか持ち堪える。途端に剣は地面の上を這い始め、火花を散らしながらファルセットを引き摺った。

「ロック、一旦出るから」

 私はファルセットのもとに駆け寄って、彼女ごと剣を引き上げる為その肉体をぎゅっと掴む。

 

 その時、私の脳内に赤黒い記憶が流れ込んできた。途端に視界はハイジャックされる。

 荒らされた街並みと、そこら中に散らばる焼け焦げた肉や白骨の数々が脳を埋め尽くす。彼らの全ては、紛うことなき声の主。

 私はファルセットが立つのを助けた後、すぐに手を離してしまった。呪いは神経が擦り切れる程に傷ましく、私には数秒の接触が限界だった。なお正気を保たんとするファルセットに、私は思わずたじろいでしまった。

 

 悪の叫びによって地面は勢いよく捲れ上がり、吹き荒ぶ風は煉瓦を乗せて周囲を壊し尽くす。ファルセットが受け止める邪気は、全てを飲み込む大災害に他ならなかった。

「はぁッ、あ……ぁッ、がぷっ」

 ファルセットが何かを吐き出した。

 溢れるのは、赤黒く異質な物体。地面と接触したは石を溶かし、純白の煙を辺りに漂わせる。

「ありゃ拙い。生身で耐えられる苦痛じゃねぇぞ」

「もう、見てられない。今度こそ止め切るから」

 ロックの言葉を受け、私は前に踏み出した。

 剣の方に照準を合わせ、魔力を一気に解き放つ。その直前、私の行動を制する声が上がった。

「駄目だ! 我々しか……、いまを生きる私たちにしか、彼らは救えない。成せる者が成さねば、この国はいつまでも、……救われません、だからっ」

 喉が引き裂けるような痛々しい叫び声。言葉の度に口の端から汚濁を垂らし、剣を握る手を震わせながら、ファルセットは声を張り続ける。

「私が、私が彼らを掬うのです。この一国も救えずして、我が故郷が何故救えようか……ッウ、げほっ」

 呪いはファルセットの体を壊す。一千年分の死者の叫びは、ファルセットの剣を宿木として、その持ち主の心身に無数の穴を穿っていく。

 一秒経つ間に、いくら穴が空いたのか分からない。赤黒い泥が呪いなのか血なのか、もう判別はつかなかった。


 ——それでもなお、ファルセットは倒れなかった。


 たとえ倒れてしまいたくとも、決して地には身を預けず。狂気に呑まれど屈することなく、彼女は未だ剣を掲げる。

「……ファルセット」

 一度目の叫びから、苦しみの悲鳴が途絶えることはない。

 当然だ。呪いと信念の壮絶な喰らい合いは、常人には到底耐えうるものではないのだから。

 

 その時、グルナさんの言葉を思い出して、私は思考する。

 本当に、彼女を止めないことが優しさなのか。止めることが役割だと、そう言われたのに。

 一度その覚悟に制されてなお、私は目の前で戦う騎士を想う。

 呪いが消える気配はない。だが一方、ファルセットの覚悟が潰える気配もない。

 エルフの騎士は、千年間に死した魂とたった一人分の魂で我慢比べを続けている。持ち合わせる精神力は、一人の人間としてあまりに異常なものだった。

「此処で死ねば彼奴も取り込まれる。挑戦はもう終わりだ」

 今度は、ロックが我慢の限界を口にした。

 そうだ。失敗してファルセットが死んでしまえば、彼女は呪いに取り込まれる。そして砂漠で彼女の帰りを待つ王と騎士は、耐えきれぬ苦しみに打ちひしがれてしまう。

 その未来の方が、きっと辛い。

「アルビオン」

 たったの五文字。私は龍の右腕を作り上げた。

 その照準をファルセットに向ける。あらゆる苦しみに、私が此処で解き放つ。

「涼華ッ、まって。わたしならっ、彼らを」

 瞬く間に錬成される白色の光。右手に溜まった救済の力を、私はにぶつけた。

「っあ」

 ファルセットの体を渦巻く螺旋の炎。

 それはたちまち眩い光へと姿を変えて、ファルセットの体へと沈み込んでいく。


 彼女は驚いたような様子で私を見ていた。

 私は、思考の果てを口にした。

「……でも、そうであったとしても。私はキミを信じたい。そうして欲しい、そう出来るって言ったキミを、裏切る真似はしたくない。だからどうか、負けないで」

 瞬間。

 私の魔力の半分がファルセットと結びつく。かの騎士の全身からは、溢れんばかりの炎が湧き出した。

 風に乗って炎が舞う。ファルセットが剣を振り上げると、肉体と空気を循環していた呪いの全てが騎士の白刃に集約した。

「涼華、ありがとう。この魔力ならば」

 震える足取りを確かなものにして、ファルセットは割れた墓石の前に向き直る。

「……漸く。漸く理解した。旱や雨の国で死した者が集うのが呪いだと思っていたが、此処には、奴らが葬った者全ての魂が宿っている」

 奴ら——それが指すのは、土の精霊、水の精霊に相違ない。

 つまり、此処には。

「長寿のお前たちとはいえ、この汚泥は堪えたでしょう。斯様な姿に成る程には、辛かったでしょう」

 ファルセットは憐憫の表情を露わにしながら、緩急のある動作で剣を上段に構える。

 途端に魔力が揺れ動く。白刃は瞬く間に巨大化し、眩き王の大剣を作り上げた。

「でも、如何なる姿になろうとも、お前たちは昔と何も変わりません」

 乱れる呼吸は徐々に整い、やがては僅かな音さえも消失する。彼女だけが見た誰かに向けて、ファルセットは声高に叫んだ。

「だからもう大丈夫。待っていなさい。今、お姉ちゃんが助けますから——!」

 暴風剣が振り下ろされる。

 白刃を纏う光は無限の呪いと触れた途端、それら全ての闇を飲み込んでいく。

「行くよ」

 視界が白に遮られる直前で、私は人差し指に込めた魔力を解き放った。

 その魔法に特別の言霊コードは要らない。

 ファルセットの斬撃が剥き出しにした呪いの核に、魔力の四割を込めた砲撃を叩き込む。無辜の魂に向けた一撃ともなれば、それだけで十分な弔いになった。


 硝子の核は静かに割れた。そして、空間を覆い尽くす無数の邪悪は色を失う。

 ファルセットは大きく息を吐き、大剣を降ろす。剣を飾る魔道具の殆どは粉々に砕け散っていた。

「……無数の魂が、消えてゆく」

 ファルセットの呟きを聞いて、私は雨の降る空を見上げた。

 色を失った呪詛は光に取り込まれ、塵となって天に昇る。其処には騎士が愛した三人の家族や、かつてこの国で暮らした名前も知らない人々がいる。

 千年もの間溜められ続けた苦しみを、全て彼女は解放した。ファルセット・ジャルベールは、一つの物語に終止符を打った英雄に他ならなかった。

「こりゃ大変な話だ。別れた相手の顔をまた見るなんて、到底俺には耐えられん——」

「ファルセット」

 ロックに重ねて言葉を告げる。

 呪いの殆どが何も言わずに天へと召されていく中で、三つの魂だけがまだ空中に浮いていた。

「ええ」

 その魂に名前はない。ファルセットは一言二言何かを告げた後、淡い瞳に涙を浮かべ、彼らが天に昇るのを見送った。

 光は一筋の線となり、雲の隙間から消えていく。

 やがて彼らが無くなると、雨の国に降り頻る雨は、ほんの少し勢いを弱めた。

 暫く、誰も何も言わなかった。

 作戦の成功を告げるのは、僅かに薄くなった雲と、ひたひたと地に落ちる透明な雫だけだった。

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