第48話A 夜は交差する
戦闘から十数分ほど経った後の話。
拠点に戻って荷物の片付けを済ませると、ロックは「呪いを祓った直後、何が起こるともわからん。飯と風呂は済ませておけ」と言い残して自室へと戻ってしまった。
ファルセットも剣を持っていない為か、戻って暫くは椅子に腰掛けて窓の外を眺めていた。
「どうしたの、ファルセット。もしかして緊張してる?」
「ええ。次の相手は呪いの塊ですが、やがてはウンディーネを超え、土の精霊を倒さなくてはなりません。そのことを考えると、身震いしてしまう」
ファルセットはぎゅっと拳を握り締める。ちょうど、窓が風を叩きつけた。
彼女の愛する兄弟を奪った土の精霊が、向こう側の世界を治めている。数え切れないほどの日々を後悔に囚われた少女が、ついに怨敵の首を掴みかけているのだ。その重圧と緊張は、並大抵のことでは和らいでくれないだろう。
「執念でも破れない相手は、格が違う。……私はこの戦いが、何か恐ろしいものに思えて仕方ありません」
ファルセットは慄然とした様子で言葉を紡いだ。自らの弱さに苦しんでいるようだった。
その時、私は彼女に、騎士としての人間味を感じた。少女としてのそれではなく、騎士道の裏にある弱みを。
「涼華は、怖くありませんか。この世界の裏に控える未知数の悪が。魔王に通ずる支配者の力が」
月を映したような瞳が、私の心に問いかける。
私は椅子に身を預け、自らの手に目を落として呟いた。
「うん。始まったころから、ずっと怖いよ」
「……え」
「私、生まれは別のところなんだ。此処に来るまで戦いなんて知らなかった。だから、初めてリザードマンを見た時も、ネリネと命のやり取りをした時も、モミジを倒した時も、ずっと心のどこかに怯えはあったと思う」
ファルセットの顔に憐憫が生じる。
彼女は視線を私へと移す。次の言葉を待っているように思われた。
「此処に来るまで、色々な人と出会って、彼らを助けてきた。だけど、いつも成功してた訳じゃなくて。私より幼い子供が目の前で亡くなったことがある。もっと早くから戦う決意ができていればって、後悔した。だから私は、恐怖を隠しながら戦うって決めた。怖いって考えないために、我武者羅だって叫ぶんだ」
言葉の一つひとつを丁寧に選びながら、私は自らの心中を吐露する。
誰にも打ち明けたことのなかった思いは、いざ口にしてみると覚悟のように伝わるもので。全てを聞き終えたファルセットは、言葉の数々を強く受け止めてくれたらしい。その顔から、迷いと畏怖は徐々に薄れていった。
続く沈黙を打ち破って、ファルセットは決意を口にする。
「涼華、ありがとう。いかなる恐れが迫っても、私は剣を振るい続けます。全ての者の名において戦い抜くと、あの時に誓いましたから。……貴方にとっての我武者羅は、私にとっての誇りだったのでしょう」
そう告げるファルセットの瞳には揺らぎがない。精霊の国を渦巻く無数の悪意、その全てに打ち勝つだけの心意気を感じた。
会話の終わりから数分と経たぬうち、ファルセットは思い立ったように外へと出ていった。戦いの前に少しでも修練を積んでおく、といった意味合いの言葉を残して。
二人がめいめいの用事に出かけ、手持ち無沙汰になった私は、荷物が散乱する自室へと戻った。
自動手記に触れて記録をつけた後、乾かした外套を適当なところに掛け、そのまま荷物の片付けに移る。
雨の国が終わるまで、時間はあまり残っていない。
ロックが用意した保存食を見繕って食べ終えた後、私は体を洗うことに決めた。
「先に使っちゃってもいいかな。よし」
入浴用の道具を適当に階下へ持っていき、浴室に鍵をかける。ふと外に目をやると、雨は山にいた頃よりも弱くなっていた。
胸部を覆う鎧を外して籠に投げ入れる。からん、と軽い金属の音が響いた。腹部から脚の一部にかけてを覆う装甲の留め具を外して籠の中に入れると、がちゃと質感のある音が鳴る。
シャワーと洗面具の一式が揃った浴室だが、湯船は無い。私は後頭部に手をかけて、ロングポニーに結いた髪の毛を解く。すぐに相当な量の髪の毛が解き放たれた。栓を捻ってお湯を出すと、そのまま頭を洗い始める。
欲を言うのなら、リラックスの為に時間を使いたいところだった。しかし私が確実に一人でいることを知った為か、此処に来てもう一人の住人が声を上げる。
「なに、サラマンダー」
『貴様、なんと雑な態度じゃ。まぁ良い……気づいているか』
「気づいているって、何に」
『精霊狩りを名乗る小僧めの事じゃ。事象使いとはまた気味の悪い話だが』
「あの人がどうしたの。精霊狩りだからって怯えてる?」
『
目を瞑って頭からお湯を被り、シャンプーを頭に馴染ませる。すると暗闇の中に仄かな橙色の光、サラマンダーが現れた。
『あの龍種は誕生から然程長くないが、既に何か負債を背負っている。それ故かは知らぬがな、目的の為の行動に関しては一切の躊躇がない。手元に置いておくには役立つが、目を離せば最大の障害にもなりうる。……ああ、兵器じゃな。あれは我の手にも余る異質さよ』
事象魔法。ロックの場合は、弓を射れば的に当たるという事象の結末が魔法属性に昇華している。
彼の特異な力なのか、龍種としての命運が影響を及ぼしているのか。私には負債の意味も正体もわからない。だがサラマンダーの言葉には不思議な説得力があって、どこか否定できない妙な感覚があった。
「忠告、聞いておくよ。だけどね、サラマンダー。彼は決して兵器なんかじゃない。人は、兵器じゃない」
『どうでもいい。残る忠告はあと一つじゃ』
私の言葉を無視したサラマンダーの霊魂は、ぼんやりと揺らめいて遠ざかる。
私は何も言わずに栓を閉めた。
『
「精霊殺し? ちょっと待って、それって」
『完全詠唱の言葉は使うべき時に教えてやる。だが短詠唱でも使い所を誤るな。たとえ仲間の危機であっても。肝に銘じておくことだ』
最後に不穏な言葉を残して、サラマンダーは肉体の深いところに逃げていった。味方の筈なのに掴み所のない——何か根本が相容れない存在だと、つくづく思わされる。
何を問うても返事はない。私は深いため息と共に体を洗い始めた。
それからすぐ、月は沈んだ。
雨の国は再び月を出迎えた。精霊裁定国、三回目の夜のこと。
私たち一行は、目的の道具を受け取りにグルナさんの店を訪れていた。
「おう、グルナ。調子はどうだ」
「良好だよ。それと、剣も出来ている。ファルセット嬢」
グルナさんに呼ばれてファルセットが工房へ入る。直後、カーテンに挟まれた向こう側で橙の光が爆発した。
光は暫くその場に残留していた。それから数分間、二人は何やら言葉を交わしたらしい。
次に感じるのは聖なる魔力——光の刃を鞘に収めて現れたファルセットは、その剣の輝きのためか、いつにも増して凛々しい佇まいをしているように思われた。
「剣の具合はどう?」
私が問いかけると、ファルセットは剣の柄から鞘にまで視線を流し、満足そうに言葉を返す。
「ええ、とても心地がいい。確かに魔道具が増えて華美にはなりましたが、その違和感もありません。この剣ならば、無数の呪いとて祓えるでしょう」
「違いない。後はお前の力と精神力次第……っと悪い、グルナ。支払いがまだだったな。いくらだ」
「いや、お題はこの前のお茶代で十分だよ。君たちなら悪を退けられると信じているからね」
グルナさんはロックの背中を強く叩いた。そのまま息をついて椅子に腰掛け、柔和な視線を私たちに向ける。
ロックは自身の両手に視線を落とし、普段よりも低い声音で呟いた。
「これだけの恩義を受けて退く訳にはいかねえ。安心しろ。ウンディーネは……あいつは、絶対に」
「わかっている。だが背負い込みすぎるなよ、ロック。今は君だけじゃないんだ」
私には、その会話の意味はわからなかった。
ファルセットの剣を受け取り終え、呪詛との戦いに向かう直前。
グルナさんは、最後に私を呼び止めた。
「急いでいるだろうに、すまないね。君に伝えておきたいことがあるんだ」
「ええ。戦いの事ですか」
グルナさんは首を縦に振った。
「この戦いは大きなものだ。そして、君と共に戦う者は皆、あまりに大きなものを常に背負っている。彼らの暴走を止めるのは、きっと君の役割だろう。……老人の余計なお世話に過ぎないだろうけど、言わせて欲しい。これから君は、精霊裁定国の悪と何度も対峙する。でもどうか気を病まず、君は君のままでいるんだ。終わりを迎えた国の王も、きっとそれを望んでいる。土の精霊を斃すには、その意思が切り札となる筈だから」
それは遠回しだが、ロックをよろしく頼むという意思と、ファルセットに対する心配の言葉。だが重要なのは其処だけじゃない。彼の言葉を聞き届けた瞬間に、全身を衝撃が駆け巡った。
——こちらを見つめる鶯色の瞳はきっと、もう一人の魂を見ている。
サラマンダーの彼に対する反応、そしてその逆。
「グルナさん。貴方は、もしかして」
彼は私の言葉に答えない。
ただ、私の内に眠る王様に微笑みかけていた。
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