第三節 役者は揃った

第45話B 因縁

 

 他の世界から現れた、未だ知る人のない希望の少女、その名前。

 それを何故、精霊裁定国を千年に渡って支配し続けるこの男が知っている。……わからない。瞬時に様々な思考を巡らせてみた私だったが、この時分の知識では判断のしようがなかった。

「何故貴様が彼女の名を知る。貴様は土の精霊の筈だろう」

「賢いな、キミ。その言葉だけで質問の同意になる」

「ああ。これで貴様にも答える義理が生まれた」

 向こうの論に則る形で、私は思いつく限りの言葉を並べ立てる。土の精霊は口角を上げると、私の周囲に無数の土剣を発生させた。土は材質を変えて急速に固まり、私の退路を瞬時に奪う。

「失礼。話の途中で逃げられては困るからネ、閉じさせてもらった。何故知っているのか、だったかな。簡単なことだよ、精霊としてのと人間としてのがいるからだ。後者が風晴くんを知っていてもおかしいことはない」

 おかしいわけがない。突然彼奴が口から飛ばした冗談に、私は乾いた笑いを漏らした。

 涼華は漆黒の龍として空から堕ち、絶望する私の前に現れた存在だ。涼華の生活環境は私たちのそれと大きく変わっていて、故に、彼女は私と別の世界に生きていた筈なのだ。

 そんな風晴涼華を知る人間が、このシェーン・ヴェルトに存在する訳がない。

 間違いない、断言できる。しかし、この男が嘘をついているようには見られなかった。

「もう一つだけ問おう。但し聴きたいのは土の精霊ではない。、一体何を考えている!」

 私が怒号を飛ばしたその瞬間、奴は乾いた笑い声を上げた。

 弱者を軽んじるような、嘲笑の視線が私に向いていた。

「何、捜し人だよ。の目的はそれぐらいさ」

「ふざけるな。貴様が涼華の何を知っている」

「知っているとも。少なくとも君よりは」

 瞬間、私の中で何かが切れた。

 私は剣を蹴り飛ばして跳び上がる。直後に襲い来る黄金の弾丸を腕で弾いて、私は後方に飛び退いた。

「待ち給えよ。君ら如きにそれを持っていかれては困る」

 土の精霊、その魔力が奇妙に蠢く。奴は大量の釘を生成し、全ての照準を私に合わせた。

 二人が逃げるのに十分な時間を取るため、そして、奴の存在を忘れぬために、私は言葉の悪あがきを止めなかった。

「……風晴涼華を捜していると言ったな。私を殺せば、目的の達成は不可能になるぞ。理由くらいは自分で考えろ」

 土の精霊が言葉を返すまで、暫くの間沈黙が続いた。私を殺すか否か、悪辣に塗れたその頭で狂気的な吟味を続けているに違いなかった。

「蛮勇だね。ああ、君の場合はどちらにもなりうる」

 突然、奴は魔力を霧散させる。土の剣は崩れ去り、天井を貫く無数の狂気は土くれへと退化する。

 少々強気に出た賭けは、結果的に私を生存させた。

「鏡は持って行くといい。だが、言ったからには目的を果たしてもらうぞ」

「そうさな。貴様とはまた相対することになりそうだ」

「いや、これが最後になるだろう。用があるのは君ではなくて、風晴涼華なのだから」

 最後の台詞を聞き流し、私は撤退した二人の後を追う。もし確り聞いていたとしても、私が意味を知ることは出来なかったに違いない。結局、私が辿る運命の先で対峙するのは、この男ではないだろうから。

 

 地図の記憶を頼りにして脱出用の窓へ向かうと、そこにはまだモミジが残っていた。

「待たせた。ネリネは無事か」

「先に戻った。あいつは?」

「詳しい話は後にする。いつ敵の気が変わるかも分からないからな」

 モミジは同意の意を示し、背後に広がる青空と町並みに視線を送った。その意味をわざわざ問いただす必要はない——彼女が躊躇なく窓から飛び降りたのに倣って、私も青空の先に身を投げ出した。

 特有の浮遊感が全身を包み、私は建物へと吸い寄せられていく。私は背中に魔力を寄せ集め、地面との衝突に備えた魔法を詠唱した。


雷の翼エレ・トネール


 稲妻を纏った白の翼を広げ、私は自らの落下を停止させる。飛び降り地点よりも上空を飛翔するモミジを見て、私は少し高度を上げた。

 ネリネと合流を済ませたのはそれから暫く飛行を続けた後のことで、主人を失った貴族の邸宅、その屋上に彼女はいた。

「お疲れ様。鏡は無事よ、安心して」

「二人とも、感謝する」

「礼はこちらも。あの悪魔相手によくやった」

「……そう、問題はそれよ。貴方達が何を見たのか知らないけれど、相手の魔力は相当だった。一体何があったのか、教えてもらえる?」

 私はネリネの言葉を受け、事の顛末を掻い摘んで説明した。

 現れた土の精霊の本体、それが依代としたのは風晴涼華を知る人間。涼華との相対を望む奴の目的は判然としないが、少なくとも、あの男が旱の国支配者に相違なかった。

 全てを聴き終えると、ネリネは神妙な顔つきで言葉を返す。

「精霊は人間と共生する、か。魔力と主導権の等価交換が王道のはずだけど、彼が持つ意思は確かに人間だったのでしょう?」

「間違いない。かつて戦ったサラマンダーも、依代となった人間の人格は反映されていなかったように見える。……その点においても、奴は特殊か」

 火の精霊サラマンダー。私たちが砂漠にいた時、エルフの王都に襲撃をかけた悪鬼の一人。あの時は涼華がアルビオンを以て撃退したが、その末路までは知り得ない。生死さえも不明であった。

「サラマンダー。わたしを呼び出した相手のことか」

「は?」

 私は驚きの声を上げ、ネリネと顔を見合わせた。思わぬところに存在していた因縁だったが、考えてみれば辻褄が合う——敗北したサラマンダーならば、砂漠の魔龍を蘇らせてもおかしくなかった。

「だが、封印を砕いた魔力はよごれていた。奴は正気を失っていたかもしれない」

「土の精霊が絡んでいたか、そうでないなら向こう側の誰かでしょうね。討伐は簡単じゃない」

 結局、全てはこの国の王に集約するらしい。——ネリネの立てた仮説、その前者が正解だとすれば、土の精霊の実力や手数は私たちの想像を超えた域にあるということ。後者が正しければ、此度の攻撃は魔王への確実な宣戦布告ということになる。

 どちらにせよ、敵に戦いを挑むのは変わらないが……それには、屈辱的な事実を認めるしかなかった。

「たとえ私たち三人が本気を出しても、土の精霊には勝てない。先に攻略すべきは、雨の国だ」

「同意見よ。……でも、こちらで何が起こるとも限らない。戦力の一点集中は得策じゃないわね」

 ネリネの言うことにも一理ある。世界の行き来がこれほどまでに困難である以上、未知の場所に全員が揃ってしまえば不都合も考えられるだろう。

 ならば、行くべき人間は決まっている。

「私が行こう。水の精霊を殺すのならば、私以上の適任はいない」

 ネリネは初めからわかっていたように、モミジは少々驚いた様子で、どちらも同意を口にした。

 単独行動は慣れている。それに、私の魔力を最大限に活かすことができる相手は、土の精霊ではなく水の精霊——そして、涼華にとっても、戦うべき相手は水の精霊ではなく土の精霊だ。

「雨の国はメリアに任せるわ。こっちは私たちで繋ぐとしましょう」

「おおむね、まかせろ。もう行くのか」

「いや、実行は次の旱にする。どうせ戦うのなら、先の戦いで減らした分を補充しておいた方がいい」

 私は懐に仕舞ってある宝石の数を確認した後、姿見の布を掛け直す。

「消費した魔力はちょっとやそっとじゃないし、これから先に備えて今日は休みましょう。昼ご飯は私が作るわ」

「本当か。モミジ、期待していいぞ。ネリネの手料理は絶品だ」

 戦いのことと脅威を頭の片隅に押しやって、仲間は階下へと向かっていく。

 どこからか吹いてきた風に呼ばれたような気がして、私は背後に広がる街を見た。

 

 青空の下に広がる精霊の国。魔王の支配区域だとは信じられないくらいに美しい生命の輝きがそこにはあった。

 照りつける日差しは依然として強く、砂漠にいた頃を思い出させる。生きとし生ける全ての人々が、あらゆる厄災に怯えることなく過ごせる理想的な世界。

 それはどこまでも理想的で、致命的な欠陥を持つ世界。

 築かれた平和と安寧の裏にある魔境——雨の国の存在こそ、土の精霊が起こした最大の過ちに相違ない。

「土の精霊。貴様は一体、幾つの罪を犯してこの国を作り上げた」

 言ってみた後で馬鹿らしくなって、私は静かに屋上を去る。

 小さな疑問は太陽に焼かれ、誰にも届かず消えてしまった。

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