第42話B 旱の居城
◇
ネリネの魔力に当てられた従者二人はいとも簡単に崩れ去り、貴族気取りの家を守る者は誰もいなくなった。
「さ、中に入りましょう。宮殿内部の地図を確保してすぐに抜け出すわ」
「了解した。先頭は私が務めよう」
私は四肢に魔力を込め、二人を先導する形で前に出る。
民衆に悟られぬよう庭へと滑り込み、一度の着地で敷地内部へと到着する。持ち主の喪失によってすっかり静寂に包まれた邸宅を見回すと、辺りには書類が整えられた机やら家具やらが並んでいた。
外にいた従者が整理を済ませたことは察せられるが、どこに重要な地図が管理されているのかは見当もつかない。
「虱潰しに探すしかなさそうだ。手分けしよう」
「わたしは先に二階をさがす」
モミジが呟きと共に階上へと向かうのを見て、私は適当な机の上から捜索を始める。すると、ネリネが私のすぐ近くにまで現れて、小さく声を掛けてきた。
「今更だと思うかもしれないけど。あのモミジ、本当に砂漠で戦った相手と同一人物なのかしら」
「魔力と根本の気質は似通っている。元々がああいう性格なんじゃないか」
私たちごと砂漠を消滅させようとした魔龍と、土の精霊を圧倒した光の龍種が同じ存在だとは考えにくい。しかし彼女の持つ魔力の性質、特徴的な紫色の髪は二人の一致性を如実に示していた。
「少なくとも、信頼に足る相手と見て差し支えないだろう。本懐がまだ崩れていない以上、モミジを放っておくのは惜しい」
「そうね。土の精霊にも何か裏がありそうだし」
ネリネの言う通り、先にモミジが戦った相手は本体ではないと考える方がいい。事実、モミジがあの土の精霊を倒したと言うのに、旱の国は未だ崩壊の一途を見せていないのだから。
「細かな判断は後、ということで。先決は涼華とファルセットの捜索だ」
手探りで地図を探していくうちに、私は目的のものを発見する。
どこか古びた紙の中に紛れた質のよい一枚。白紙の裏面をひっくり返せば、建築の計画書らしきものが現れた。
「これか。二人とも、思い当たるものを見つけた」
「めりあ、本当か」
机に地図を広げてみるも、専門の固有名詞らしき語が並べられているために意味はよくわからない。
私たちの求める要素が記されていることが読み取れるという程度だった。
「地図の解読なら……あのご老人、グルナートさんなら可能かもしれないわ」
「確かに。もう少し情報を集めた後、向かうとしようか」
二人にそう指示を出して、書物の確認を再開する。
残る脅威の多さに辟易しつつ、私は差し込む陽光を見上げた。
「……取り敢えず読める形にはした。十分か」
外に二人を待たせ、老人の店へと入って数分後。
私は彼の手から地図を受け取り、改めて間取りを確認する。
街の中心部に建設された一つの宮殿は、他の建物と距離を取って作られていた。正面側に非常に長い二つの階段を携えており、外側から見た様子は三角と四角を重ねた形。内部の高さに関しては、発見された地図の枚数より三階建てと推測した。かつて義兄より聞かされた物語の神殿に比べ、高さやその他の構造に関して劣る部分も見受けられるが——二つの世界を移動するための道具を保有する場としては適当に感じられた。
「これなら足りる。お代はいくらだ」
「代金はいらん。見つかりでもすれば首が飛んじまうからな。使い終わったら燃やしておけよ」
グルナート老人は地図の解読に用いたペンを徐に屑籠へと投げ捨てた。
「感謝する。今後貴方を頼ってしまうことがないよう、心がけるとしよう。では、仲間が待っているので失礼する」
「いや待て。お前さん、例の道具が必要で出掛けるんだろう。もし雨の国に行くことが出来たなら、一つ尋ねてみてほしい」
去り際のドアに手をかけながら、私は頭を彼の方に向ける。
すると彼は、真っ白な髪を乱雑に掻きむしってから口を開いた。
「向こうの国のこの辺りに、グルナという名前の宝石商が住んでいる。俺がまだ生きてること、伝えてもらえるか」
私は胸元に潜めた地図の感触を確かめた後、視線を沈みかけの夕日へと決める。
「わかった。その約束、必ず果たす」
私はゆっくりと扉を開き、急ぎ足で店を去った。
ネリネ、モミジの両名を迎えた私は、なるだけ早く彼の店を離れようと、エレオスの死体が転がっていた辺りまで戻った。
その頃には既に日は殆ど傾いていて、旱の国の終わりが近いことを告げていた。
歩みの速度を落としつつあった頃、ふとネリネが口を開く。
「ひとまず、泊まる場所の確保くらいは済ませないと。モミジ、何か知っている?」
「そう、だな。こっちは、みんなが商売を愉しんでいる。どこかに宿屋があるんじゃない」
「そうね。……にしてもこの国、どこか気味が悪い」
私は頷いて同意を示す。
昼間の一件で貴族らしき立場の人物が死したというのに、街を練り歩く人々は全てを忘れ去ったような顔をしている。きっと奴の返り血がこびりついたタイルさえも、今の此処には無いのだろう。
そういう意味で、この国は異常に感じられた。
昼間はあれだけ恐れていた相手が、初めからないように扱われているのだから。
どこか異様な感覚を覚えつつも、ネリネが見繕った宿屋へと我々三人は入っていった。
部屋には綺麗に整えられた寝具が三つ。砂漠での滞在と同等、或いはそれ以上のクオリティを誇っていながら、その代金は砂漠のそれよりも安かった。
「さて、乗り込む為の作戦を立てておくとしよう。居城はかなり規模が大きい上、地図も一セットしか確保できていない。固まって行動するのが最適だと思うのだが、どうだろう」
机上に地図を三枚広げ、私は二人に問いかける。
先んじて意見を出したのはモミジだった。
「それで、いい。無駄なたたかいは避けるべき」
「でも、道具の位置はそこに記されていないのよね。神殿は三階建て、地図は三枚。目ぼしい場所のチェックを分担して、各階で先導者と援護を入れ替える形はどうかしら」
「そうしよう。では、私が最上階を務める」
私は地図の一枚を持っていき、件の邸宅から拝借した筆記具で印をつけていく。
建物の目的が王の権威を示すことだと仮定すれば、中は当然単純な構造になる。広間のように空間の取られた部屋に印をつけて、それらを線で結んでいく。候補となる場所は少なく、向かうべき場の絞り込みは簡単なものだった。
三階分の作業を済ませた後、私たちはそれらを照合する。体力及び魔力のことを考慮に入れても、十分に達成しうる行動指針が出来上がった。
「十分に仕上がったな。さて、軽めに夕食を摂って眠るとしよう。涼華たちの無事が確約できない以上、作戦の実行はできるだけ早い方が望ましい」
「そうね。伽藍堂だと助かるのだけれど」
「中身があってもいい。最終的にはそうしてやる」
私たちが言葉を交わす間にも、旱をもたらす灼熱の象徴は小さくなっていく。夕空は曇天が覆い隠し、この領域に雨の国を呼び寄せる。そのまま歓談を続けた私たちは結局、宿の食事処を利用することもせずに一日を終えた。
半日が経ち、再び旱の国がやって来る。
まだ民の多くが目覚めぬ頃、何を示し合わせた訳でもないというのに、私たちは同じ頃に目覚め、世界を行き来するための道具があるとされる精霊の居城までやって来ていた。
「一階は私が先導する。ついてきて」
私は魔力で体を浮かせ、地に足をつけることなく目的の居城へと侵入する。内部に入ってからも、私とモミジは浮遊状態でネリネの後を続いていた。
しかし、当の本人が浮遊を用いることはない。槍を片手に地を駆ける彼女からは一切の足音が聞こえず、また、それでいて常人には辿り着かぬ域の速度を保っていた。
ネリネが槍を持ち替えるのに合わせ、私は走る向きを変える。一階で立ち寄るべき部屋はただ一つ。到着後はすぐに二階へと進む算段だった。
「……しかし、何か」
小さな言葉が小さく漏れる。ふと、私は妙なものを感じていた。
辺りは異様な静寂に包まれ、我々の呼吸音以外には何の気配もない。権力を誇示するように建てられた宮殿のはずが、ここに来るまで一つの障害も寄越さないというのは奇妙な話だ。
「二人とも、視界をもらう」
次の瞬間にモミジが声を上げたことにより、私の嫌な予感は的中した。
全身が眩い白に包まれ、私のあらゆる視覚情報はシャットアウトされる。直後に硬いものが地面と衝突する音が響き、誰かが動いたことを悟った。
透明が晴れたとき、私とネリネの前にはモミジが立っていた。
私よりも先に事の顛末を悟ったネリネは、怪訝な表情を浮かべたまま踵を返す。
「想像しうる最悪の状況といったところね。ルートを変えるわ。此処、早く離れましょう」
「……ああ」
直後に私も成り行きを知り、モミジと邂逅した時、彼女が呟いていた言葉を思い出す。
本当に土の精霊が複数いて、それらがこの居城を守っているのだとしたら。
「多対三、或いは連携も取れない人数差か。敵の本懐、此処と見て問題なかろう」
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