第46話A 黒の魔法使い
私と同じ、真っ黒な装甲を身に纏う龍種が現れた。
龍種は口に咥えたファルセットを自らの背に乗せると、私に向けて頭を下ろした。
『乗れ。徒歩で呪いを祓って周るなんざ非現実が過ぎる』
二の句が継げずにいる私だったが、その理由は龍種の体格にある。私が姿を変えた時よりも幾分か大きく、筋肉の乗った肢体——ネリネやモミジと比べても、彼の姿には力強さが溢れていた。
「安心してください、涼華。彼は私が現地で知り合った人物、ロックです」
「——貴方が」
ファルセットに精霊裁定国の全てを伝えた人物、それが男性だとは聞いていた。
しかしまさか、その人が龍種だとは思うまい。
彼の背はとても硬く、高速で空を駆けていようと私たちが振り落とされる気配はない。
大きな岩の上にいるような気分だった。
互いに体の疲労を癒やし、龍の飛翔に従うこと十数分。件の自動手記に記録をつけた後、私は一日を過ごした家へと戻ってきていた。
体くらいは拭いておけ、という彼の言葉に従って、私とファルセットは身だしなみと手荷物を整え直す。
それからすぐ、黒い龍種はやってきた。想像通りの背丈と、想像以上の色気を携えて。
「おう、待ったか。いや、丁度良さそうで何よりだ」
「動くのが遅いんですよ。様子を見ていたのなら、余分な体力を使う前に教えてくれてもよかったでしょう」
「大雨に見舞われた夜の山を歩くような馬鹿、こうでもしなきゃ治らんだろ。……ああ、悪いな嬢ちゃん。俺はシャムロック、見ての通りの希少種族、龍種だ。さん付けもするな。ロックでいい」
ロックは乱雑に椅子を引くと、私の顔をまじまじと見つめ出した。
「……あの、何か?」
「違ったら悪い。お前さん、龍種か」
疑問形のような、断言してしまっているような。結局、彼の予想はほぼ正解ということになる。
「よくわかりましたね、言ってもないのに。そういうものなのですか」
壁に寄りかかるファルセットが、驚いた様子で口にする。
少なくとも、ネリネは私と出会った時に見抜いていなかったように思う。その旨を伝えると、当人も不思議そうな様子で言葉を返した。
「勘が当たったんだろ。嬢ちゃん、名前は」
「風晴涼華って言います。よろしく、ロックさん」
「おう、よろしく頼む。呼び捨てでいい」
想像以上に好意的な様子の彼は、その赤い双眸をぎゅっと細めて笑った。
直後、ファルセットが話を切り出す。
「ロック、精霊の話を彼女に。必要な情報は伝えてください」
「了解。……あの呪いに挑むってことは、精霊を殺す覚悟を持ってるんだろ。よく聞いときな」
私は首を縦に振り、記録のために手記を開く。
旱と雨、土と水。無数の生命が殺害され、今なお安寧のために奴隷として扱われている世界。
ロックの言葉は、私の想像をより強く固着させることになる。
「まずは基本的なところだ。千年も前の話だが……精霊ってのは姿形の曖昧な種族で、人間と共存するのが当たり前だったと聞く。奴らが精霊の数を減らす迄は、大した戦闘力も持っていなかったと」
突然、私の心臓が熱くなる。これは恐らく身体の反応ではなく、私が宿した精霊の目覚めだろう。
彼女に気づいたのは私だけらしく、ロックは気にすることもなく話を続ける。
「要するに、魔王による精霊狩りが行われたんだ。精霊は一気に数を減らして弱体化し、ついには人の体を借りて生きるようになった。そうして、人々の前に形を持って現れるようになった時、精霊は支配者になった。精霊の國、はじまりの王は四人。火、水、土、風……世界の時間を分割して、それぞれの世界を作り上げた。各国六時間、合わせて一日。山に囲まれた領域でありながら、それらは全く別の国だった」
国の始まりを作ったのは、やはり魔王と言って差し支えない。
また、現在残るのは旱の国と雨の国。それぞれが持つ時間が二分割されていることから、火と風の国は消え去ったのだろうと推測した。
「多少の戦乱はあれど、均衡は二十年前まで保たれていた。辺りの敵は少ないし、蛮族には精霊が手を下す。堅牢な国だったが、その分崩壊は簡単なものでな。何に唆されたのか、土が風を殺した。火と水は粛正の為に戦闘を繰り返したが失敗、火が死んだ。そうして二つの世界は消え、残された水は土の手に堕ちた。奴が持ち合わせる残虐性と狂気は正にこの為だ。狂気に当てられた精霊は、国をあらぬ方向に持っていく」
その時、ファルセットの顔が曇った。
かつて砂漠にいた時、エルフの王から聞いた経緯を想起する。
土の精霊による砂漠化は八から十年ほど前のことになる。土の精霊がエルフの森を砂漠に変えたのも、その何者かに唆されたことが切っ掛けとなるのだろうか。
「……失礼。外に出ます」
ファルセットは静かに席を立ち、早足でその場を去っていった。その手は真っ赤になって震えていた。
ロックは横目でそれを送るも、言葉を掛けることはしない。ただ淡々と、最も残酷な話を切り出した。
「土は水を虐げながら、雨の国の当主をなお務めさせた。その理由は単純明快……雨の国の人間から税を集め、得られた財を全て旱の国へと流すため。水が操るリザードマンは税を取り立てに人々の家を襲い、財とされるものを持っていく。一度でも逆らえば家は荒らされ、瞬間的に権利は消失する。……夜のみが活動できる時間なのに、多くの人間は街路に出ない。水の精霊による反逆罪の執行を、何よりも恐れているからだ」
その時、グルナさんの言葉を思い出す。
彼は「支払いが厳しい」と言っていた。それは間違いなく、ウンディーネによる強制的で恐ろしい税の徴収を指している。
全てを語り終えた後、彼は再び問うてくる。
「土の精霊の狙いまでは知らんが、この国の人間は皆が助けを求めている。だが戦いは命懸けだ、風晴涼華。改めて問うが——国一つ分の命を背負って、自分の命一つで立てるか」
こちらの全てを見抜かんとして、ロックは私の目の奥を見る。彼の真っ赤で力強い瞳は、私自身の弱さすらも穿ってしまいそうだった。
「覚悟なら、とうに。その約束をしたから、友と別れて此処にいるんです」
嘘偽りのない言葉と共に、私は彼の瞳をじっと見据える。一度は敗北を喫したものの、今の私にはサラマンダーとファルセット、二人の味方がついている。
負ける理由など、もう一つもない。
ロックは鋭い視線を解かず、私の心を見抜くように言葉を紡ぐ。
「苦労してるな、嬢ちゃん」
彼が何を思っていたのか、他人である彼が何故私に覚悟を問うてきたのか。
この時の私はそれを知らず、彼の気迫に打ち勝つ事と、あと一つを考えていた。私の鬼気迫る表情を見たからだろうか、ロックは満足そうな様子で椅子を引いた。
「その意志がありゃ精霊にも引けを取らんだろう。或いは、水の精霊にさえ届きうる」
話を締め括ろうとして立ち上がりかけたロックを、私は静かに呼び止める。
考えていたあと一つのこと、それを問いただすために。
「ロックさん、龍種はありふれた生き物じゃありませんよね。現地人にしたって、貴方は精霊に対する知識が深い。貴方は龍種でありながら、一体何のために、私たちの手助けをするんですか」
ファルセットが信頼する彼を疑う訳じゃない。しかし、龍種というだけで身構える必要があるのは事実だ。
ネリネが言っていたように、龍種は無闇に力を使ってはならない。あの時、軽率に変身しようとしたのは私だが、出会って一日の相手のために、神秘の存在が自らの姿を曝け出すものだろうか。
ネリネが見れば、きっと怒るのだろう。
「……龍種における暗黙の了解くらい理解している。あの不注意は本来死するべき失態だ。精霊に関する動機も、語ることはまだ出来ない。だがよ、嬢ちゃん。俺が力を使った理由は、自分自身がよく解っているんじゃねえか」
ロックの言葉に、私は何か気づかされた。
私たちはよく似ていて、力の使い方まで酷似しているということ。ゆえにこそ、私たちはファルセットを通じて出会ったのだということ。
意思に突き動かされる私の
「精霊討伐、行くんだろ? なら俺の仕事でもある。手伝おうじゃねえか」
「共に、戦ってくれるんですか」
ロックは懐から古びたアクセサリーを取り出し、それを言葉の代わりとした。
魔道具なのか、ただの装飾品なのかはわからない。一眼見て取れたのは、彼が長年大事に持ち歩いているモノであるということだ。
「なら、改めて自己紹介だな。当面の仕事は精霊の殺害。こいつの持ち主から請け負った」
アクセサリーを机の上に優しく置いて、彼は慣れた口ぶりで言葉を続ける。
それは、この国において私の探し求める名前だった。
「本来は仕事を請ける柄でもないが、事情が事情……〝黒の魔法使い〟という名でやらせてもらってる」
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