第45話A 背負うもの
墓石の破壊によって、奥底に封じられていた呪いが目を覚ました。
呪詛は質量を伴って形を成し、鎧を彷彿とさせる輪郭を得た。
「エルフよ、解っておろうが油断するな。此奴には何百という魂が籠っておる」
「ええ、しかし好都合です。奴が形を持った以上、これで斬れる」
騎士らしき力強さで笑むファルセットを見て、サラマンダーも笑ったらしい。私の意思と無関係に口元は緩み、この両手は激しく紅い炎を纏った。
相対する人型の呪詛は、幾重にもなった呼吸音を響かせて私たちに目と思わしき光を向ける。
「来る前に攻めるぞ」
「合わせます」
互いの間合いは極めて近く、雨の音も届かないこの洞窟は静寂に包まれる。
私の足が宙を蹴る——それが開戦の合図となったが、初めに攻撃を与えたのは彼女ではない。遅れて飛び出したはずのファルセットが、あの時に近しい巨大な魔力と共に剣を振り下ろした。
『Caaaaaaaaa』
直後に響いたのは甲高い金属の音色。人型の呪詛は漆黒の装甲で剣を掴み、そのままファルセットを投げ飛ばした。
「……疾い」
空中で半回転しつつファルセットが着地して、入れ替わるようにサラマンダーが懐を取る。
「ただの民衆が騎士と競り合う怪人に化けるか。彼奴ら、考えたな」
右の手を呪詛の腹部に突き刺して、サラマンダーは魔力を炎の形に作り替える。
煌めく赤は瞬く間に敵の体躯へと伝播し、相手の核は私の手によって確実に握られる。有無を言わさず、サラマンダーは
「アルビオンの子よ、名を借りる。
呪いの集合は火炎に包まれた。しかしこの呪詛は何一つの反応を見せず、淡々と魔法の刃を振り下ろした。
「退くのです、この馬鹿者!」
全速力でファルセットが攻撃を挟み込み、視界は弾ける魔力とその火花によって埋め尽くされる。
地面を勢いよく転がる感覚と同時、体に痛みは現れた。
「チッ、このように虚を衝くか。……ああ、あの中には騎士もおろうな」
ファルセットは呪詛と得物を眼前でぶつけ合ったが、すぐに押し切られて引き退がる。
サラマンダーがその塊を騎士と呼んだ瞬間、不明瞭な輪郭は鎧と明確に適合する。現実には想像もつかないような刺々しい鎧を身に纏い、恐ろしい形相の兜で顔を隠した戦士がそこに現れた。
「精霊の手で奪われた者が此処に取り込まれるのならば、或いは」
ファルセットの頬を汗が伝うと共に、彼女は小さく身震いした。
「剣の手練れや魔法の秀才、精霊に届きうる逸材も眠っていよう。厄介だ」
「……あれが呪いの集合ならば繋ぎ目がある。それを壊しましょう」
サラマンダーは同意の旨を口にして立ち上がり、ファルセットの横に並び立った。
「貴方まで出ては誰が撃ち抜く。前は私が務めます」
「冗談を言うな。あの程度を殺すのに魔力装填の時など要らぬわ」
少々呆気に取られた様子のファルセットだったが、伊達に私と戦ってきたわけじゃない。彼女は口角を釣り上げると、一言残して敵に突撃した。
「やるからには無傷で済ませること。涼華の体を使うのですから、その程度出来なくては困ります」
「ああ、誰に物を申しておる」
四肢に溢れんばかりの炎を纏わせ、サラマンダーは目にも止まらぬ速さで人型の呪詛を捕捉する。
敵とファルセットが互いの位置を入れ替えながら斬り合う中、サラマンダーは二人の間に飛び込んで、何の躊躇いもなく呪詛に炎を叩きつけた。呪詛が反射的に返した刃を回避して、サラマンダーは再び彼らと距離を取る。
その間にも高速で打ち合いがなされ、ファルセットと呪詛の間で無数の火花が散っていく。
『Gnooooo……』
尤も、この呪いに宿るのは魔王の支配に抗い続けた者たちの魂。いくら熱砂の騎士が強くとも、形勢が傾くのは必然のこと——瞬間、ファルセットの剣は弾き飛ばされてしまった。
「くっ」
「退かぬか」
呪詛の手が鋭い刃となって、ファルセットの肉体を勢いよく切りつける。すんでのところで飛び込んだサラマンダーが刃を蹴り付けなければ、彼女は危うく致命傷を受けていたに違いない。
敵の相手を私に任せて剣を取り返し、ファルセットは戦場へと舞い戻る。
『sala,maaaa!!』
痛みまでは伝わらないものの、眼前の呪詛が放つ怒りと狂気、体に走る衝撃はあまりに力強く生々しい。サラマンダーの防御が崩れかけるのも時間の問題だと、すぐに悟った。
二人が出揃っているにもかかわらず、傍から見れば戦況は最悪。
しかし、呪詛の背後を取った熱砂の騎士は、彼らさえ凌駕しうる力を爆発させた。
『
風が叫ぶ。
魔龍を鎮めたかの一撃は背後から呪詛を斬り裂いて、その核を剥き出しにした。
「——上出来だ」
サラマンダーは詠唱を選ばなかった。
高密度の魔力を指先で練り上げて、秒と経たぬうちに発射する。炎が筒音を上げた時にはもう、鋭い錐が敵の核を穿っていた。
『oo……』
しかし、彼らは踏みとどまった。
私達を睨みつける赤い光は肉体の再生を試みると共に、反撃の一手を投じようとする。
「見事。だが甘い」
直後、兜が地面に転がり落ちる。
賞賛を連携の合図と受け取り、ファルセットは呪詛の頭を十字に裂いた。
洞窟を覆う無数の悲しみは、その瞬間に塵となった。
再び静寂が舞い戻る。
サラマンダーが意識を手放したため、私は肉体の制御権を取り戻す。途端に倦怠感が体を襲って、私は思わず項垂れた。
「戻られたのですね、涼華」
ファルセットの声音から何かを察し、私は顔を上げた。
呪いは黒い煙を発しながら、その場でのたうちまわるようにして体を失っていく。
最早先ほどの活力はそこに無い。消え行く彼らは、消えながら既に死していた。
「……万物には綻びがある。終わりは必ず訪れるものですから、呪いが物である以上、その法則から逃れることはかなわない。呪詛は仮初の生に過ぎぬから、彼らを放置することは許されない」
もう斬るものはないと、無言の立ち振る舞いでファルセットは剣を仕舞った。儚い視線を地面に横たわる彼に送り、熱砂の騎士は言葉を続ける。
「終わらせることで救われる苦しみがあるのは事実ですよ、涼華。呪いを祓うということは、彼らの苦しみと向き合うことではありません。全てを救いたいのなら、命を奪うことも覚えなくてはならない。その覚悟が決まらねば、土の精霊に牙を剥くことなど夢のまた夢だと、私は考えます」
終わらせることで救われる苦しみ。そんなモノは信じたくないが、目の前で繰り広げられた激戦は、ファルセットの言葉通りだった。
「……この国の呪いを祓うってことは、何百、何千の人をもう一度、何回も殺すってこと」
ファルセットは無言で頷いた。
覚悟があるか。初めに彼女が訊いたのは、この国の呪いが祓いようのないことを悟っていたからなのだろう。
崩れそうになる心臓をひたすらに押さえつけて、私は何とか意識を保つ。何千人の命を終わらせた事実、これから奪わなければならない現実に、打ちひしがれたのは否定できない。
「……でも、覚悟は決めた。周れるところは今日中に済ませよう」
連なる山々を巡っていけば、いつか必ず一周にはなる。
一度動きは見たから、私にも難しい話ではない筈だ。
「涼華」
思考を巡らせる私の肩に、彼女は優しく手を置いた。
「ひとまず外へ出ましょう。もう、此処に用は無いのだから」
背負うものの重さは計り知れない。
壊れそうな自分を顧みず、私は次の地点を目指した。
洞窟を抜け出した途端、囂々と降り注ぐ大雨が私達を襲う。足場の悪さが目立つ中、魔力の感覚を頼りにして、次の呪いが封印される場所へと進んでいく。
「やたらと滑るね……気をつけて」
「はい。ですが、視界が悪いのは不味い。ランプの類は作れますか」
「簡単なのでよければ」
懐から小瓶を取り出し、中に適当な木の葉を入れて魔力を投じる。濡れた葉は簡単に乾き、ランプの為に燃え始めた。
洞窟を超えて暫く道なりに歩いていくが、呪いの濃ゆさはあまり変わらない。過酷になっていく道の中、私達はある崖で足を止めた。
私が底に目をやった直後、入れ替わりでファルセットが崖淵に立った。
「底が全く見えない。引き返す?」
「それも一つの手ですが、もし
「やってみようか」
私が龍になろうと荷物を仕舞い、同時にファルセットがこちらを振り返った、まさにその瞬間。
大雨と苔がファルセットの足を奪った。彼女は受け身を取ることもできず、後ろ向きに崖の向こうへと落ちていく。
「っ、ファルセット!」
「あ——」
私は咄嗟にスタートを切り、彼女に全力で手を伸ばす。しかし、二つの手はすんでのところですれ違ってしまった。
「待ってて、すぐ
私が崖に飛び込もうとした直後のこと。
その覚悟を不要だと一蹴するように、黒い影が私の真横を過ぎ去った。
「馬鹿野郎。余計な面倒をかけさせるな」
崖下で眩い光が爆発した。光から現れたのは真っ黒な装甲——その白い牙にファルセットが咥えられていたことで、その存在が生物であることを知る。
男の声と共に突然現れ、ファルセットを救った生き物。
それは、紛うことなき。
「——龍種」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます