第39話B 我武者羅に

 炎が大嫌いだ。

 そんなこと、言うまでもないのだが。

 


 エレオスが炎の形を変えてこちらに解き放ってくるのに対し、私は全速力で奴との距離をゼロにする。私が奴の眼前に飛び込むと同時、猛っていた炎は全て雷によって消滅する。

「その腐った頭を一から作り直してこい。電光脚ブリッツ・バイン

「ひっ、やめろ!」

 右の脚を振り上げた私だったが、魔導具の補助を受けたエレオスの防御が僅かに速い。

 炎の盾が脚を受け止めると同時、カウンターが作用して私を無数の炎が取り囲む。

 その時脳裏を過ったのは、悲惨な現実でありながら私という存在を確固たるものとして証明する要素——かつて愛する者を焼き尽くした憎き炎だ。

 涼華の魔法であったとしても、炎そのものへの厭忌が消えることはない。

 そんな炎を、エレオスは私が最も嫌う形で使用した。その事実は、何よりも私を憤慨させた。

 奴の盾に手を添えて、私は稲妻の波エクレール・ヴァーグを詠唱する。私の手は熱に焼けるが、魔力で繋がる向こうの体にも相当な電流が流れたようだった。

「お前、お前お前お前——ガキの癖に生意気なんだよ!」

 しかし土の精霊に仕えているだけはある。エレオスは私の体を正確に狙って火炎の渦を放射した。

 頭に血が上っていた私は、奴のプライドを粉々に砕くことを選択した。敢えて防御を取らず、汚らしく燃える炎の渦を全身で受ける。

 

 その時、自分の中で何かを思い出した。


 夢を見るのだ。

 かつての屈辱の中には炎がある。それが私の炎に対する感情を歪めていった。

 涼華の戦いを見た日の夜、彼女の炎が自らの悪夢と重なることもあった。記憶のフラッシュバックがなかったと言えば嘘になる。

 それは今とて同じこと。ただ、涼華の人間性が私を繋ぎ止めてくれている。

 我武者羅に生きる涼華の姿が私の炎を変えていく。私の怒りを抑えてくれるかのように。

 故にこそ許せない。奴の下卑た炎は、私と同じ苦しみを新たに生み出しかねない。誰にも救えない炎への恐怖は、いずれ世界を救う涼華に恐怖を与えることになる。

 それを止めることこそ、私にとっての我武者羅だ。

 

「もういい。遊びは終わりにしよう——握槌ハンドアックス


 私は右手に雷の道具を作り上げ、それを地面に叩きつけた。

 たちまち炎は魔力を失って消滅し、私の視界に奴の醜き顔を届かせる。

「おもちゃの癖にうるさいよ。貧民は黙って遊ばれな」

 エレオスの右手がこちらに向けば、無数の火炎放射が迫り来る。猛り狂う炎は砂漠のエルフ相手にも多少は通用するだろうし、並の魔法使いを凌駕しているだろう。だが、それだけだ。

 魔力を一点に宿して槌をもう一度作った後、全身にくまなく魔力を満たしていく。雷は空で渦巻いて敵の上に魔法陣を作り、旱の世界に雲を呼び込んだ。

 私の下にも魔法陣が出来上がった。プライドを傷つけられて激昂した奴は私の下準備に気づかない。

 炎が私の眼前にまで迫り、ついには顔面を通り抜ける。だが私に傷はつかない。魔力が身体中を遍く駆け回れば、いち魔法使いが練り上げた矮小な魔法など簡単に消滅させられる。

 

稲妻の波エクレール・ヴァーグ


 二度目の炎はなかった。体を満たす魔力が正面を切って飛び出して、奴の魔法をその場で停止させたからだ。

「芸がないよ」

 簡単な相手でもない。この程度は見切られてしまうだろう。

 だから、新作をお披露目してやることにしたのだ。

「芸がないのはそちらだったな。貴様、魔導具に頼り過ぎだ」

 人の視力では捉えられぬ速度で、私は槌を魔法陣へと叩き込む。上空の雷の魔法陣はそれと同期し、空に張った根を切り落としながら一つの塊へと収束する。

 作り出した握槌に空で熟成した魔力を加えれば、大きさを変えずに濃密な魔力の塊を作り上げるのも難しくはない。

「喰らうがいい」

 想定していた言霊コードは、自らの感情が塗り替えた。より強い思いイメージを伴う形となって、それは私の口より発せられる。


遠く望む理想の灯イデアル・フラム


 落ちたる握槌は炎に非ず。それでも火の名を冠したこの魔法は、私にとっての理想そのものだ。

 爆音が轟き、集まった雲はこの一撃で吹き飛んでいく。広場に土煙を巻き起こして着地したそれは、この場における如何なる攻撃よりも速く、エレオスの肉体を捉えていた。

「か……ぺ……」

「お前に炎を使う視覚はない。二度と民に関わるな」

 私は奴からペンダントを奪い去る。特別な輝きを持つそれは、やはり特別な理由で手に入れられたものだろう。エレオスをネリネに預けて、私は呆然とする女性の手にペンダントを返した。

「あのっ、ありがとうございました」

 さっさと踵を返した私に対して、女性は声を掛けてくる。

 私は立ち止まり、一言だけ口にした。

「ただの我武者羅だ、気にするな」

 どうやら私は、自分が思う以上に涼華の影響を受けているらしい。


 エレオスを回収して広場を離れ、一目のつかない路地へと私たちは辿り着く。

 私たちは、先ほどネリネが口にした策というものを実行しようと試みていた。

「なぁ、ネリネ。私は何をすればいい?」

「後ろで圧をかけてくれれば十分よ。脅しは私の方が得意でしょうし」

 ネリネは白目を剥いたエレオスの前に立ち、冷水を顔面へと投げつけた。真冬の河水と同等の冷たさを受ければ意識も蘇るというもの——奴は勢いよく目を覚まし、視界に私たちを認めると、途端に耳障りな声を上げ始めた。

「ひゃめろ、僕に触るなっ。お前ら何が目的なんだ」

「いちいち煩い奴だ。歯を折られたくなかったら黙れ」

 ちょうど私が脚を振り上げるくらいの位置に奴の顔面はある。此奴の行為を考えれば二度くらい蹴り抜いても問題はないと思うのだが、それに関してはネリネの領分だろうから預けておく。

 ネリネは目にも止まらぬ速度で槍を生み出してエレオスに突きつけ、そのまま首筋に傷をつける。

「貴方、精霊の部下だと言ったわね。仕えているのは土の精霊?」

 ネリネの微笑が狂気を孕んでいるものだから、エレオスはたちまち震え上がって首を縦に振った。

「それじゃ、土の精霊の住まいはわかるわよね」

 ネリネは槍の向ける先を心臓へと変える。その背に立っていても強烈な圧を感じるくらいの力強さは、……味方であっても何か異様なものを感じさせる。

「ああ、わかる。知りたいんだな、特別に教えてやるからその槍だけはやめっ」

「宮殿内部の地図も用意できるかしら」

 徐ろに槍を動かすネリネに本気で刺す意思があることを悟ったエレオスは、自分の命を守るために全力で自らの弁明を行い始めた。

「今は持っちゃいないんだ! ここからすぐのところに僕の別荘があるっ。今魔導具で従者を呼びつけるから、やめてくれっ」

 あまりの恐怖に錯乱し出したのか、エレオスは体をジタバタと動かして声を張る。どこまでも情けない奴だ——私はその程度しか考えていなかったし、この男への軽蔑を強めただけだった。

 しかしネリネは違った。最速で氷の刃を作り出すと、エレオスの足に勢いよく突き刺したのだ。

 辺りにエレオスの痛々しい悲鳴が響き渡る。何故突き刺したのかを問うまでもなく、ネリネは奴の手から魔導具を取り上げた。

「逃走用の魔導具、いえ、違うわね。貴方、まさか——!」


 ネリネが気づいた直後のことだった。

 地面から煌めきが巻き起こった。何の予備動作もなしに膨大な魔力が爆発して、私とネリネの真下から凄まじい熱量の何かが飛び出してくる。

「ネリネ、離れろ!」

 私は最速で跳躍し、僅かに遅れてネリネも飛び上がる。

 この魔力は何かおかしい。世界そのものが敵に回っているような、辺りが敵意に満ち満ちているような、異様な感覚を孕んでいた。

「ははははは! さっさと殺しときゃよかったんだよ。僕の勝ちだ」

 奴の言葉の意味は想像に難くない。

 彼奴は想像しうる限りの最悪をこの場に呼びつけたということだろう。

「へ……?」

 しかし、死ぬのは私でもネリネでもなかった。はじめに現れた光線のような何かが、間抜けな顔で上空を見つめるエレオスを焼き殺した。

 私たちのいた路地が切り取られたように光に焼かれたかと思えば、その隙間より土の壁が飛び出してくる。それは私たちが静止する上空にまで迫ってきて、エレオスの無惨な亡骸を空中で散らす結果となった。

 その程度で終わればいかに楽なものか。

 次なる魔力の生成を私はいち早く感知した。その差は僅か数秒のことになるが、それが命運を大きく分ける。

 最悪なことに、ネリネはまだ気づいていない——!

「防御を取れ!」

 私が指示を出した直後、ネリネに巨大な魔力が衝突する。どこからともなく飛んできたその魔法はネリネを確実に捉え、建物の一つ目掛けて彼女を吹き飛ばした。

 視線を正面に向けると、既に奴はそこにいた。

 黄土色の魔力、自在に操られる土の魔法。奴は同じく空に浮いていた。まるで始めから、私がこの場に逃れることをわかっていたように。

 精霊裁定国への侵入より数時間、まさかこの世界の主と出くわすことになろうとは思ってもみなかった。

「貴様、土の精霊か」

 体中を悪寒が駆け巡る。

 私の言葉に答えることなく、土の精霊は無言で攻撃を開始した。

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