第40話B 予期せぬ邂逅

 僅か数秒の間に高密度の魔力が形成された。

 空中にいるというのに土が現れ、無数の刃となってこちらへ迫ってくる。切り札の宝石を砕く暇もなく、私は魔法の連撃を以て対応したものの、相手の攻撃は反撃を許さぬくらいに速かった。一瞬のうちに左肩と右の脇腹を削られて、バランスを崩した私は地面への撤退を選ぶ他なかった。

 しかし地面こそ奴のフィールドだということに私は気づけなかった。土の精霊の様子を窺いながら落ちていく私の背に走った強烈な痛みと肺から空気が漏れていく感覚から、物理攻撃が体の芯に命中したことを一発で悟った。

「ぐああッ!」

 落下の直後に上空へと吹き飛ばされたかと思えば、両サイドから土の壁が現れて私を挟み込む。視界が感じたこともない重さと共に激しく揺らいだ。私は両手を奴に向けて魔力の塊を放とうとするも、奴の冷徹で赤い瞳がこちらを見据えて、土の魔法がまた私を叩き落とす方が遥かに早かった。

 土の精霊はごみを片付けるのと同じように、冷ややかな視線で次々に魔法を送り込んでくる。

 一度速さを潰されてしまえばどうしようもなく、私は攻撃を受け止めることしかできなかった。

「調子に乗らないことね——大海原に揺蕩う真槍オーツェアーン・ヴァレ・ランツェ!」

 突如、屋根の崩れた建物から衝撃が巻き起こる。針のように細く鋭き、それでいて大きな槍が私に迫る魔法を薙ぎ払った。

 それは顔を見るまでもなく、ネリネの助太刀に違いない。僅かに生まれた一瞬の隙をついて宝石を叩き割り、私は右の指に全力を込めて魔法を唱える。


嵐の王、其の一突きドル・テュエッラ


 一撃は空を裂く。

 どんな魔法使い相手にも防御を取らせないその一突きは例外なく土の精霊にも命中した。

 しかし。

「ま、待て。一体何が起こった」

 。私が溜め込んでいた宝石一つ分の魔力をぶつけたというのに、奴は始めからそこに攻撃が存在していなかったかのように、仏頂面のまま、涼しい顔をしてそこに立っていた。

「……まさか、雷魔法そのものが効いていないの?」

 私の言葉に答えるように、狼狽の様子を見せながらネリネが声を上げる。

 そんな狂気じみた話、あってたまるかと言いたかった。しかしネリネの仮説以外、この頑丈さを説明するものはなかった。

 土の精霊は無言で右手を私に向ける。雷魔法が通用しないというのなら、今にも迫り来る狂気の乱打を弾き返す方法はない。一度も当たらないように全速力で回避し続けるか、防御の姿勢を取って攻撃が止むのを待ち続けるか。それだけだった。

「させないわよ」

 礫が私を無限の攻撃に誘う直前、ネリネが私の眼前に飛び込んで槍を振るう。

 迫る幾千もの礫がネリネの槍に消されると同時、土の精霊は不気味な表情でこちらへと急接近してきた。ネリネが一瞥で合図を送るのとほぼ同時に私は退いて、魔力をネリネに送り込む。バックアップを受けた彼女は槍の強度を上げて再生成し、土の精霊が至近距離で投げつけてきた巨大な岩を吹き飛ばす。

「……あんなもの、いくら私でも当たれば頭が割れる。そんなものを無遠慮に投げるなんて、何を考えているのか喋ったらどう?」

 土の精霊は機械的な男だった。無表情で必要以上の動きをしないせいか、あまりに動きが読みにくい。奴の特徴に気づいた直後、もう既に行動は起こっていた。

 奴はネリネを無数の岩で包囲して、一切の隙を与えずにそれを解き放った。

 まずい。思った直後、体は直感的に動いていた。

「道通りに動け!」

 救済の雷ライトニング・プレヤーで逃げ道を示せば、驚異的な対応力でネリネは逃げ道を通って岩を逃れる。彼女はそのまま退避の隙に、手に持っていた槍を全力で投擲した。海の碧をした巨大な槍は雷にも並べるくらいの速度で土の精霊に迫ったが、振り向きざまの一撃だったこともあって奴の体には届かない。

 ネリネは弧を描くような軌道で私の前まで戻ってくると、再び槍を生成し、向こうに聞こえぬ声量で呟いた。

「逃げの手が選べればいいのだけど。山奥は寧ろ相手のフィールドかしら?」

「ジリ貧より増しという考え方もある。覚悟があるなら付き合うよ」

 同意と共に周囲の状況を確認する。最短距離の山では奴を撒けずに捕まってしまうだろうし、遠すぎても間に合わない可能性がある。

 右手に手頃な山を見つけて、ネリネにだけわかるように合図を送った。

「貴方のタイミングで走って。それが一番手っ取り早い」

「了解」

 敵との睨み合いを数秒続けた後、私は魔力を肉体強化と加速に回して全速力で空を駆けた。

 ほぼ同時、ネリネは開いた右手を土の精霊に向け、奴が動き出した最良のタイミングで拳を握った。


真槍解放ザ・ランツェ


 狙いも調子も完璧に、無数の槍が土の精霊の体内より弾け飛ぶ。

 突然体で花火が爆発したようなものだ、避けようも防御の取りようもない。

 ネリネはすぐに踵を返し、私の後を追ってきた。

「はぁっ、はぁっ……。百本近く入れたから多少は時間が稼げたはずよ。さ、退きましょう」

 早めに地面へと着地して、私たちは山の中を木々に隠れながら疾走する。傾斜が多く走るのには向いていないが、不完全な状態で土の精霊を相手取るよりも遥かにいい。目的地もなく我武者羅に逃げていくうちに、私たちは自らの居場所を見失った。

「かなり走ったし、これなら問題ないだろう。ネリネ、魔力は大丈夫か?」

「ええ、少し止まれば変わりなく。それにしても、厄介なことになったわね」

 戦闘の影響で恐らく顔は割れた。これでは件の老人の店も頼れない上、街を出歩くだけで土の精霊との戦闘が勃発しかねない。

 エレオスから情報を得るのにも失敗した。結局のところ、私たちは開始地点に戻ってしまったということになるのだろう。

「全くだ。数日分の食料はあるが、山で過ごすわけにもいかないしな」

「変装でもできればいいんだけど、そういうの、私は得意じゃないし。今日くらいはここで頭を休めても——」


 ネリネに答えようとしたその時、私の視界は衝撃に大きく揺らぎ、視線は空を飛んでいた。

「ゲホッ!」

 腹を襲う痛みと空気の漏れ出る感触に勢いよく咳き込みながらもなんとか受け身を取って、私は視線を正面に戻す。

 奴は眼前に現れた。集中状態にあった私やネリネの感知を掻い潜って、既に我らの眼前に立っていたのだ。

「待て、そんなのはおかしい。何故お前がここにいる」

 ネリネの魔法で足止めした上、それだけの時間差があればどうやっても追尾できないくらいの速度で逃げたはずだ。

 故に先程述べた仮説はあり得ない。なのに何故、土の精霊が。

「ッ、メリア下がって!」

 まだ魔力の回復が追いついていないはずなのに、ネリネは奴と私の間に飛び込んだ。

 奴が攻撃するよりも先に高速で槍を突き出すも回避され、急所を的確に穿つ土の魔力がネリネを勢いよく吹き飛ばした。

「ネリネ!」

 しかし、あまりに当たりどころが悪すぎた——致命傷ということではない。攻撃後の隙を狙われて大きく吹き飛んだネリネの行く先は、あまりに急な山の斜面だった。

 本当ならば今すぐにでも駆けて彼女を救うべきなのだろうが、敵前で背を向けようものならばその瞬間に死してしまう。

「かはっ」

 尻を置く地面の真横がせり上がって手の形を成し、私の首を勢いよく掴んで締め上げる。魔力を暴れさせてみるも奴に効く様子はやはりなく、私の体は上昇する土に絡め取られて動けない。土の精霊は私を限界まで上げた後、この胸を短刀で突き刺した。

 直後に投げ飛ばされて、肉体は地に落ちていく。死体の存在さえ許さぬと言わんばかりに、奴は巨大な岩をこちらに叩き落してきた。

 当然、私に攻撃を避ける術はない。

 それでもと頭を働かせて対処を想像する。心だけは折られまいと必死に考えを巡らせるも、その間に巨大な岩は私へとみるみる迫り来る。

 受けるしかない。

 辿り着いた一種の結論に、私は覚悟を決める他なかった。


影法師シャドーマスター


 次の瞬間、岩が私の体をすり抜けるまでは。

 私の体は何者かに抱かれ、人を抱えているとは思えぬほどの速度で空を駆けていた。ぼやける視界の中にネリネの姿さえ見て取れる。彼女は自らを抱き上げる人物の顔を見て、何やら信じられないといった様子だった。

 胸を蝕む痛みを堪え、私を抱える人物に視線を向ける。すると彼女はこちらの様子に気づいたのか、何やら私を知っているような口ぶりで喋った。

「……情けない。わたしを打ち破ったあの勇士たちはどこに行った?」

「——貴様は」

 紫の髪に凛々しい表情、すっと細く閉ざされた目——数日前に争ったばかりの、砂漠に君臨した脅威。

 龍種モミジがそこにいた。

「まあいい。子供を守るのは大人の役目だから」

 瞬間、モミジは流星の如き煌めきを見せる。

 視界が勢いよく揺らいだかと思うと、私とネリネは空に浮いていた。モミジは私たちに魔力を与え、眼下の精霊を一瞥して言った。

「それで羽でも生やして浮いておけ。青色の、ねりねだったか。お前の魔法で、茶色……めりあ、任せる」

 モミジが持つ雰囲気は、なんというか言葉に表せない柔らかさを伴っていた。

「了解。貴方、あれと戦うつもり?」

「うむ。自己アピール。お前たちに宣伝するために、わたしはこっちに来た」

 底知れぬ魔力を発しながら、モミジは私たちより手を離す。それ以上何も言うことなく、彼女は地面へと落ちていった。

 直後、眼下で大爆発が起こった。

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