第38話B 轟け咆哮
◇
視界の端に差し込む光が私の意識を覚醒させた。ぐらりと揺れる頭と重い体を起こして、私は見慣れぬ景色の中にいることを確認する。どうやら街外れのど真ん中で眠っていたらしい。軽い頭痛を覚えつつ、手元に置いてあった鞄より水筒を取り出して水を口に含んだ。
辺りの気温はそれなりに高いが、砂漠にいた頃を考えれば幾分か楽だ。敷かれた石は乾ききっているが、体の一部を置いていた土などは軽く
「これほど山脈に囲まれていては暑さが厳しいのも頷ける。誰かいないものか」
「いるわよ、起きたのね。おはよう」
「っ、驚いた。ネリネ、いるなら早く言ってくれ」
水を鞄にしまったところで、すぐ近くにいたネリネが声を掛けてくる。私たちは昼頃に発ったのだから、世界を跨いだ直後に眠っているというのはおかしい話だ。世界に立ち入る前に見た霧のようなものが関係しているのだろうか。
「私もさっき起きたところよ。世界のシステムでしょうけど、何か妙ね。涼華の魔力が感じられない」
「何? 確かに、ファルセットの魔力もそうだ」
私とネリネは魔法属性上、魔力感知に長けている。故に仲間の消失にはすぐに気づけるのだが、涼華はそういうわけにもいかないだろう。私たちを探すことに躍起になっていなければ、と思うことくらいしかできなかった。
ネリネは視線を街と空に向ける。二つは朝の早さを教えてくれていた。もしや私たちは半日も眠っていたことになるのだろうか。
「取り敢えず中に入ってみましょう。これだけ街が大きいのだから、開いている商店だってあると思うわ」
「そうだな。ここにいる間は君だけが頼りだ。背中は預けるぞ」
「ええ、こっちこそ。さ、早く開いている店でも当たってみましょうか」
旱が乾燥した空気を作り出し、湿っていた地面さえもその痕跡を消し去っていく。
精霊裁定国、街の中心地に立ち入った。
静かで華やかな雰囲気のある街を歩く中、はじめに立ち寄ったのは静かな本屋だった。
外に並ぶ古本の数々と外からでもわかる蔵書量に加え、朝から営業が行われていたという点から選んだのが理由だった。もし義兄が此処にいたのなら、何か本をねだったのだろうな……などと思ったが、あくまで心の内に留めておくことにする。
中には無愛想な老人が一人、紙と向き合いながら筆を執っていた。
彼はこちらを一瞥した後、再び紙へと視線を落とす。普段の彼ならばそれで接客は終わりなのだろうが、今回は訳が違ったようだ。ネリネを見た彼は顔色を変えて沈黙を破る。
「……あんた、熱砂の騎士じゃないか」
「あら、お分かりになるのですか。数日前まで、私は騎士ヴァッサヴァールでしたわ」
老人は眼鏡を取り外し、筆を筆置きに預けてから彼女に答える。
「覚えちゃないだろうが、昔は世話になった。高名な槍使いのあんたが、どうしてこんな辺境の街に来ちまったんだ」
「彼女の従者として旅に出ることを選んだのです。ここに来たのは初めてでして、何か情報がございましたらお伝えしていただけると」
貴族だとしても通用するくらいに美しき振る舞いを見せたネリネだったが、ここまで喋ったところで老人の笑い声が辺りを飲み込んだ。
彼は真っ白な髭を軽快に揺らしてひとしきり笑った後、途端に沈んだ顔に戻って呟いた。
「来たばかりだってんなら山は見たろ。ありゃ厄災が住み着いとる。精霊を倒さん限り消えぬ厄災が。厄災払いが終わらなきゃあんたらは外に出られんよ」
ネリネの勘はどうやら的中していたらしい。
今こそ情報を得る機会だと悟った私は、二人の間に割り込んで質問を投げかける。
「失礼。精霊とは?」
「……この世界の支配者じゃよ。昼間は土の精霊が支配する旱の国、夜は水の精霊が支配する雨の国がある。あんたらは旱の方に来たんだな」
ここは土の精霊の支配領域。つまり魔王軍の控える場所。戦力の分散が著しい現状、いきなり将の首を狙うのは難しいだろう。先んじて向こうの領域を涼華に叩き壊してもらうか、何か領域ごとの移動方法を考えなければならないということになる。
「外へ出られないことはわかりましたが、もう片側への移動方法はあるのですか?」
老人は外の様子を確認した後、私たちに向かって手招きした。机のところまで寄ってみると、彼は紙に情報を記してこちらに見せた。
旱の国においてのみ出現する土の精霊の宮殿に、もう片側の世界まで移動するための道具があるらしい。もしそれの持ち出しが可能であるのなら、一度全員を雨の国に集めて水の精霊から討伐するということも可能であるかもしれない。
老人は紙に火をつけて消し去ると、また一枚紙を取ってそこに言葉を書き込んだ。
『あんたら、まさか土の精霊に叛逆する気じゃないだろうな。簡単な相手じゃない。正気なら諦める強さだ』
声に出して意思を伝えるか迷っていたところで、ネリネが老人の手を取り、魔力を流しながら微笑んだ。
きっと龍種特有の意思表現なのだろう。老人の中には声が流れ込んでいるに違いない。流れてくる様々な衝撃に暫く硬直を続けていた老人だったが、無理矢理にでも状況を飲み込んでいたようだった。すぐに自分の後ろから新品の地図を二枚持ってきた。
「向こうにも必要だろ。派手を起こさなきゃまた出迎えてやるとも」
「感謝致します。ご老人、お名前は?」
「グルナートだが老人呼びで構わんよ。あまり呼ばれると、雨の国に行った宝石商の弟を思い出すんでな」
ネリネの顔によって安く地図を購入した私たちは、興味もほどほどに老人の営む店を後にした。
ふと隣を見ると、物寂しい様子の、看板だけが彩られた建物があった。もしかすれば雨の国でのみ開かれている店なのかもしれない。
店を出た後の私たちは地図を見ながら近くの広場へと向かい、そこで次なる情報収集の場について話していた。
改めて地図で確認してみると、国と称する割に規模はそこまで大きくないことが見て取れた。撃破目標が土の精霊ただ一人であるのなら、それさえも巡る必要はないように思われる。
「老人の口ぶりから察するに、旱と雨の国で稼働する建物が入れ替わるのだと思う。こちらで使われない建物は隠れ家に活かせるんじゃないか?」
「そうね。ただ、それには地図を確実に頭へ入れておく必要がある。まずは宮殿の把握から始めるべきかしら——ところでメリア、少し残酷だけれど、その分すぐに済む手段を思いついた。聞くだけ聞いてもらえるかしら?」
ネリネが地図を懐に仕舞うのを見て私も地図を懐に仕舞い、人の悪い笑みを浮かべるネリネに苦笑を返す。幼い頃世話になっているからわかる。この顔をするということは、涼華がいては反対されるかもしれない手段を取るということだろう。
「いいよ、聞く前から乗る。その作戦は二人だけの内密に——」
私が言葉を発した直後、辺りに悲鳴がこだました。
何か心の内に触れてくる嫌なものがあって、私は声の聞こえた方向に全速力で駆け出した。後をついてくるネリネを一瞥してすぐ、目的の場所へと辿り着く。
そこには豪華な服に身を包んだ長身長髪の男と、ボロボロの服を纏う女性がいた。女性の方は今にも泣き出しそうな、悲壮感溢れる声で男の方にしがみついていた。
「返してっ、返して。それだけは駄目!」
「うるさいよ、触るんじゃない!」
男は魔導書らしきものを手に持って、女性をまるで人ならざるものを見るのと同じような目つきで睨んでいる。そこに嫌悪以上の何かがあるのは間違いなく、二人が恋人でないことは一目でわかった。
「失礼。一体何が?」
郷に入ては郷に従えという言葉がある。それに倣って野次馬の一人に声をかけてみると、彼は呆れた様子で教えてくれた。
「嬢ちゃん、この辺に来るのは初めてか。あの女はエレオスに絡まれたんだよ。あいつは手頃な女子供と老人を見つけちゃ、そのたび魔法で脅してんだ。精霊の犬ってのはクソ野郎しかいないらしい」
男は悪口をつらつらと並べたが、結局自分が一番可愛いのだろう。女性を助けに行こうという気は見られなかった。
更にエレオスというあの男、精霊の部下だというらしい。私はネリネの方にアイコンタクトを送る。彼女が出したゴーサインをこの目で正しく確認し、私は人混みを力で押しのけていく。直後、嫌味な顔をするエレオスの前に立ちはだかった。
「その手を退けないか、下郎め。そんな服を着ている癖に、随分と心は貧相らしいな」
「お前、この僕が誰だかわかって言ってんの? 僕に逆らうってことは、土の精霊に逆らうってことだけど」
「娘の形見なの、返してよ……」
女性は頬から涙を流して、彼女の年齢の半分程度しかない幼き私に縋ってくる。
この涙に応えてこそ戦士に違いない。それに、此奴が奪ったものは人から奪ってはならないものだ。土の精霊に従う悪だというのなら、私が潰すに相応しい。
エレオスは醜悪な笑みで魔導書を開き、辺りに炎を走らせた。
「かかってこいよ。僕に逆らう奴は全員、ここら一体ごと燃やしてあげるからさぁ」
奴の一言で群衆が動揺する。炎は近くの民すら襲い出し、悉く私の神経を逆撫でする。
薄汚く揺らぐ炎と、奴が手にする家族の写真が入ったペンダント。
炎が大嫌いな私の前で、よくもぬけぬけとそのような振る舞いができるものだ。
「……る」
炎はネリネがいるから問題ない。脅威の落ち着きと魔力の充填が同時に起こって、広場に静寂が広がった。
私は体中の魔力を爆発させ、国中に響くほどに力強く奴を怒鳴った。
「お前の炎は、見ているだけで虫唾が走る!」
私の怒りは獣の咆哮、悪魔の嘲笑と大差ない。
怨敵の姿が脳裏を過る。私は昼の空に雷を解き放った。
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