第39話A 苦境
何も考えずに叩き込んだその一撃はリザードマンの鼻を容易く潰した。
「歯向カウノカ、オマエ」
「そんなのどうでもいいよ。宝石、早く返して」
「オマエノチガウ。アンダイン様ノ物」
アンダイン? 聞き慣れない単語に意識が向いたその隙をついて、リザードマンはこちらに棍棒を振り下ろしてくる。
回避は無理だと判断して、腕に魔力を流し込む。強度の増した腕で棍棒を受け止めた私は、リザードマンの腹に手を当てた。
「アンダインが何者かなんて関係ない。その搾取は見過ごせないよ——
そうして炎を解き放ったはいいものの、大雨のせいでやはり威力は落ちてしまう。
反撃の術を奪うため、私は棍棒をリザードマンの手から払い除けて、再び
私はリザードマンの手から商品を拾い上げ、グルナさんの店に戻った。
大きく開け放たれたドアをそのままに、彼は呆然とした様子でこちらを眺めていた。腕が折れているのも気にしていない様子だった。
体を流れる魔力を霧散させて彼の元まで歩み寄り、私はその手に商品を返す。
「グルナさん、腕。すぐ医者に連れて行きますから」
「私の魔法は修理に関して強くてね。この程度なら直せるさ、問題ないよ」
グルナさんは乾いた笑い声を上げ、背後の店内に視線を送った。
リザードマンが乱雑に叩き壊したせいで、商品の入った棚や皿などはことごとく割れている。盗人に入られたようなその光景は、とても税の回収に伴うやり取りの結果とは思えなかった。
「ごめんなさい。お借りした靴を汚してしまった上に、こんな状況」
「売り場をこうしたのは君じゃない。それに、正直な話をすると僕も支払いが厳しかったんだ。追い払ってくれて助かるとも。さ、上がってくれ」
私が再び店内へ上がると、グルナさんはまた温和な笑みを浮かべて言った。
悟られない程度にアルビオンを発現させて手袋の形にし、床に散らばった装飾品を拾い集めていく。木くずや金属の類が少し危ないが、グルナさんが店内を綺麗に保っていたおかげか、売り物に目立った損傷は見られない。
ふと、私が突然作業を始めたことに驚いた様子で、グルナさんは問うてきた。
「涼華さん。行くべきところがあるのではなかったか。そちらを優先してくれて構わないよ」
「いえ、やらせてください。たとえお節介でも、目の前に助けられるものがあるなら助けたいんです」
視線を散らかる売り場の方に戻し、私はお手伝いを再開する。暫く返事が来なくて振り返ろうかと思った矢先、グルナさんの快活な笑い声が部屋中に響いた。本当に、よく笑う人だった。
「……私は素敵なお嬢さんに出会えたようだ。もう少し手伝ってもらえるかい?」
それから二十分程度で片付けと掃除を済ませて、私は手伝いを終了した。
荷物を纏めて玄関に立ち、雨の中に向かう途中で私はお礼を口にする。
「君の道に煌めきがあることを祈っている。それと、もしも力が必要なら『黒い魔法使い』を探してみるといいよ」
「わかりました。グルナさん、色々とありがとうございました!」
改めて彼の目を見据えて、私は丁寧に頭を下げる。
グルナさんは子を送り出す親のように、最後まで朗らかで優しい顔つきだった。
黒い魔法使いのことを頭に入れて、私は小道を歩き出した。
消えたランプが時間の経過を示す中、私は集合地を目的地として歩き続けていた。
街の中心部はとうに抜け出ている。しかし突然、真っ暗な夜道を駆け足で進んで暫く、私の真横——路地裏から棍棒が振り下ろされた。
「ぐっ!」
視覚外からの攻撃に吹き飛ばされた私は、地面を勢いよく転がって向こう側の建物に体をぶつけた。
反射的に肉体強化を行う術はネリネから教わっていたので、外傷は特に受けずに済んだ。
軽い頭痛が頭を巡る中立ち上がり、周囲の様子を確認する。いつの間にか、私を沢山のリザードマンが取り囲んでいた。
雨による視界の悪さに加え、私の炎魔法はこの領域において通用しない。砂漠に常駐していた個体より強いリザードマンを相手取るのならば、威力の落ちた魔法では倒しきれないだろう。
「アルビオン」
故に全力の五文字を呟いて、私は全身に
戦闘開始にそれ以上の合図はいらなかった。
現れた真っ黒な装甲を解き放って駆け出し、一人目のリザードマンを殴り飛ばす。大きく吹き飛んだ体が陣形に穴を生んだその隙に外へと飛び出して、私は左手を正面の敵数名に向ける。炎を纏わない魔力の塊を解き放てば、彼らを反撃の隙もなく迎撃することに成功した。
残るリザードマンの数は十体。知性を持ち合わせる彼らは何の示し合わせもせずに私を取り囲み、再び陣形を作り直した。
私は右腕を巨大化させて振り回し、迫り来る彼らを弾き飛ばしていく。途中、攻撃より逃れたリザードマンは私の背後を取って頭を叩き割ろうとしてきた。
だが私の反射神経は攻撃を上回る。
『
棍棒が頭に落ちるより遥かに早く、私の背中からアルビオンの翼が炎を纏って飛び出していく。
空に向かって伸びていく翼は質量、速度共に十分だったようで、リザードマンは家一つ分ほど跳ね上がって地面と衝突、気絶した。
「言葉がわかるんだよね。聞こえているなら今すぐ帰って。それなら命までは取らないよ」
威圧の意味も込めて告げた言葉だった。しかし彼らが見せたのは、獣性溢れる叫び声と苛烈な暴力の連打だった。
八つの棍棒による攻撃が私の右腕に集中する。やはり、魔王の手に落ちて操られてしまっていることには変わりがないらしい。
私はアルビオンの盾を前に押し出して、体に群がるリザードマンを倒した。その勢いのまま盾を消滅させ、魔力の塊を地面に向かって叩きつける。眩い光と共に球形の塊は爆発して、敵の数に関係なく彼らの意識を奪い去った。
異変が起こったのは、息をついて彼らに背を向けた時だった。
「……嘘、まだ立つの」
次にリザードマンが上げたのは、獣のような力強き叫び声ではない。神経に響く嫌な鳴き声だった。何か泥々しいものを体に纏って、——はじめに山で見た呪いの塊のような汚濁を身につけて、あまりに悍ましい形相で立ち上がったのだ。
「オマエコロス。全テハウンディーネ様ノ為」
私の背後にいたリザードマンも例外ではない。先に倒した二人は汚泥をその場に撒き散らしながら私の方に迫ってくる。しかし目的は私ではなく、その奥にいた八体のリザードマンだった。
「アアアアアア」
吐き気を催すほどに衝撃的なものを見た。
なんと彼らは、次々に重なり合って一つの体を作り出した。二人が大きな一人になって、大きな二人が更に大きな一人になる。そんな変化を繰り返して生まれたのは、あまりに大きな泥の塊。
これではアルビオンの打撃も通用しない。咄嗟の判断と共に空へ舞い上がった私だったが、視界を汚泥が埋め尽くしたと思うと地面へ叩き落とされてしまう。
体が昨日ぶりに嫌な痛みを訴えている。敵の体はどうやら変幻自在のようで、私が得意なフィールドへ逃れることを許してはくれないらしい。
「……だったら私が大きくなればいい」
私はアルビオンの盾を下ろした。敵は当然、無防備な私に攻撃を仕掛けてくる——その僅かな瞬間に、私は体を粒子に変えた。
視界が真っ白になったかと思うと、街全体が見渡せるくらいに高いところに私はいた。その体は人と異なり、あまりに大きな体を持ちながら、二つの翼と魔力による存在の補強が浮遊を可能にする。
私は
正直言って相性は最悪だが、手がないわけじゃない。失敗すれば高確率で死が待っているが、ここで怖気付くわけにはいかない。
私は空へと舞い戻り、今度は敵の体を丸々崩す勢いでリザードマンに突撃する。その衝撃がまだ体に残る中、方向転換と共にもう一度リザードマンの体へと体当たり。敵の体の内にできた大きな隙間を目印に、
体に痛烈な痛みが走って、息もできず気絶する。
その未来よりも先、汚泥が弾けて夜空が見えた。体を包む悍ましいものは消え去って、私は空中に解き放たれる。アルビオンの一撃、その威力を全方向に拡散することで街への損害を防ぐ策——イメージがそれを成功させた。
私はゆるりと地面に足をつき、上がった呼吸をゆっくり整える。リザードマンだったものは消え去って、大雨の中に溶けて無くなっていく。
……しかし、流石に魔力を使いすぎた。熱を帯びた体を休める中、私は自らの豪快さを反省した。
その時、真の絶望が私を襲った。
「へぇ。頑なに魔法を使いたがらないと思ったら、龍種が紛れ込んでいるなんて驚きね」
私の背後、上空に何かいる。あのモミジに並ぶだけの魔力が相当な敵意と共にそこにある。……体が動かない。金縛りにあったような感覚だった。
「サラマンダーの奴、龍種に敗れたって聞いたけど、貴方だったのね。でもそれにしては貧弱」
「あなたは、誰」
震える体を無理やり従わせて振り返る。
そこには、私の想像しうる中でも最悪と評するべき人物がいた。
不敵な笑みを浮かべる真っ黒な髪の女が、屋根の上に座っていた。
「水の精霊ウンディーネ。或いはアンダイン。精霊裁定国、雨の国の王……私の玩具を壊すなんて、趣味だけは一丁前ね」
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