第38話A 轟け咆哮

 豪雨と暴風に満ち溢れた街へ、私たちは足を踏み入れた。

 まず、驚くべきはその静けさにある。

 幾つかの街灯が夜道を照らすも、周囲に人の姿は見当たらない。自然と僅かな建物に彩られた街のはずなのに、夜雨と不気味なまでの閑散さが、辺りに不気味な雰囲気を作り上げていた。

「ファルセット、体がすごい冷えてる。どこかで一度休もう」

「この程度、些事に過ぎませんのでご心配なく。ですがそうですね。貴方のお言葉に甘えて、少し休む時間をいただきたい」

 改めて辺りを見回せば、屋根のついた建物が目に入ってくる。私は駆け足でそちらに向かい、着くや否や荷物を下ろした。

 屋根は公園の休憩所に近い形式で、二人でいても寛げるだけの余裕があった。

「簡単にでも、体を拭いておきましょう。病にでもなったら大変ですから」

 ファルセットは鞄から一切れの布を取り出して私にくれる。

「これを。本来は魔導具なので、用途とは違いますが役に立つかと」

「うん、ありがとう」

 乾いた布で髪の毛と全身を軽く拭いて、水を多く含んだ布を絞る。ひとまずの作業を終えたところで、ほう、と思わず息が漏れた。

 ふと、外を見る。雨は未だ止む気配なく、石で出来上がった地面をびしゃびしゃと濡らし浸していく。真っ暗な上空には雲がどれだけあるのかもわからない。

 その時突然、ファルセットが声を上げた。

「涼華。雨は激しいですが、街頭の数と互いの魔力を目印にすれば、ここに戻ってくることは容易いはずです。そこで、ここは分かれて情報収集に務めるのはいかがでしょう。街の構造だけでも把握できれば違うはずです」

「そうしようか。時間が確認できないのは厳しいけど……あ、そうだ」

 軽傷対策として渡された薬草を瓶より出して移し替え、同じ作業をもう一度行う。私は二つの空き瓶に、ゆっくりと炎を落として入れた。そのまま蓋をはめて閉じれば、雨にも負けない松明の出来上がりだ。

「これが消える頃に戻るようにしよう。道は暗いから、敵襲にも気をつけて」

「わかりました。では、また後ほど」

 休めるのならこのままゆっくりしていたいところだったが、戦うために来た以上手は抜けない。

 先の見えない夜闇の中、私たちはすぐに分かれて行動を開始した。


 体が濡れていくのも気にしないで、私は雨の小道を一人歩く。

 あの山のような不気味さはないが、かといって人の気配が感じられないのは変わらない。この大雨が一時的な災害なのか、私には判断がつかなかった。

 ただ、山があるということは近くに川が流れているはず。この大雨を受けて氾濫している可能性が大いにある以上、いつでも空に逃れられるよう準備をしておく必要があるだろう。

「中からは人の気配がするんだけど、この格好で声をかけるわけにもいかないし……」

 上手く偽って家に入ろうとしても、どこか入り難い雰囲気が全体的に広がっている。自分で作った松明を頼りに歩いてみるも、それ以上は特に何も見つからない。

 何か一つでもと情報を求めた私はいつしか早足になっていて、気がつけば相当に遠いところまで歩いていた。

 ある時から、街の様子に変化が訪れた。周囲の建物が多くなり始めた上、明かりの数も格段に増加したのだ。この街の中心部かもしれない。僅かな期待を拠り所に歩いていると、不意に一軒、雨の中でも営業がうかがえる店を見つけた。

 言葉はよく読めないが、内側の明かりと表に立てられた店内を指し示す看板から、営業中だと判断するのは十分だった。

「……あの、すみません」

 ドアをゆっくりと開ければ、煌めく宝石や装飾品の数々が私を出迎えた。

 奥には温厚な様子のメガネをかけた男性がいて、私の姿に気づいた彼は駆け足でこちらにやってきてくれた。

「びしょ濡れじゃないか。少し待っていなさい。今、乾かすものを持ってこよう」

 彼に言われて、全身が先程の倍は濡れていたことに気がついた。男性が持ってきてくれたタオルを受け取って、私は再び全身を拭った。

 荷物も拭かせてもらった後で、私はタオルをまとめて返した。

「ありがとうございます。実は私、事情があって外にいたんです。またこの後、外に出なきゃならないんですけど。中に入れてもらうことってできませんか。代金はもちろん払うので」

「子供がお代なんて気にする必要はない。外は寒かったろう、時間の許す限り体を温めるといい。ああ、確か大きさを間違えた新品の靴があったはずだ、それを履いてもらうとしようか」

 店主さんは一目で人当たりの良さが窺えるような人だった。汚れだらけの私を店内に上げてくれた。

 彼が用意してくれた靴に履き替えて、私は店内に上がる。

「あまり綺麗なところじゃないが上がってくれ。私はこの店で装飾品を売っているグルナという者だ。君は?」

「涼華って言います。ここ、とても綺麗ですね」

 品物はどれも美しく、見ているだけで心が安らぐようだった。私が暫くケースの中身を眺めていると、グルナさんは商品の一つに目を落として声をかけてきた。

「気になるかな。この雨の国じゃ全く売れないが、品質は保証するよ」

「雨の国、ですか」

 気になる単語が私の耳に届いてきた。

 グルナさんは空気が変わったのを察して神妙な顔持ちになると、装飾品の飾られる店内から、店の裏へと踵を返す。

「うん。事情を聞くつもりはないが、何か話があるのなら上で聞こう。ここは奴らの監視下にある」

 グルナさんに従って上がった二階には木の匂いが漂っていて、そこにいるのがとても心地良い。

 無意味な沈黙に雨がざあざあと打ち付ける深く暗い小夜の中、ランプ一つだけが部屋の中に明かりとなる。私は意を決して話を切り出した。

「私、雨の国に来たのは初めてなんです。教えていただけませんか、この国のこと」

「……君は何か大切なものを背負っていそうだ。いいだろう、一つ話してあげよう。旱と洪水の国、精霊裁定国について」

 グルナさんは柔和な笑みを浮かべて言った。

 鞄から手記を取り出して、付属のペンを片手に最新のページを開く。


 ◆ある少女による、ある手記への記録


 現地にて出会ったグルナさんより聞いた話、その要点をここに記そうと思う。

 山脈に囲まれた土地の中に、精霊と人の暮らす街があった。

 それは昼と夜、十二時間ごとに分断された世界。私がはじめに乗り込んだのは夜の国。一晩中絶えず雨が降り注ぎ、世界に溜まった怨念が溢れ出す時間。視界の悪さと敵の多さが相まって、夜の世界に暮らす人々は長いこと家の外に出られない日々が続いているようだった。

 この領域を支配する者こそ、その国の名となった種族——水の精霊。

 通常、人々が世界を行き来する手段はない。よって、大雨の中暮らす彼らは、この生活を受け入れる他なかったのだ。


 ◇


 グルナさんの話が終わったのち、余韻に浸るように私はゆっくりと手記を閉じた。

 はじめに抱いた違和感通り、私たちがいたのは土の精霊の領域ではなく、水の精霊の領域だった。

「雨の中、水の精霊は手下をこちらに送ってくる。税ばかり持っていかれて辟易しているんだよ」

「税ですか。それは、……とても」

 働き口がなく苦しんでいるのに対し、暴力をにおわせながら税を無理やり巻き上げていく。

 こんなもの、相当な負担に違いない。この世界の苦しさは、私が少し歩いた程度でも感じられるものだった。この環境に無理な課税が加わることの厳しさは想像に難くない。

「いいや、気に病むことはない。君は世界に護られる側なのだから、苦しむ誰かの肩代わりをする必要はないんだよ」

「でも、納得できません。そんなものは不当な搾取でしか」

 私が呟いたその時、階下でドアが開く音が聞こえた。

 何か嫌な感覚がする。開かれたドアの音は、大雨の中でも私の耳にハッキリと届いていた。

「……誰か来たみたいだ。少し待っていてくれ」

 グルナさんはランプを私の方に寄せた後、駆け足で階段を降りていった。

 このまま待つこともできる。けれど、あんな話を聞いていて、何も見ず大人しく黙っているわけにはいかなかった。

 私は静かに階段を降りて、玄関先に現れた人物を確認した。

 巨大な体を持つそれは、やはりリザードマンのように見えた。だが、人語を話す個体をリザードマンと呼ぶべきなのだろうか。

「税ダ。金ニナル物。オマエ払ワナイ。ソコゼンブ」

「待ってくれ。昨日は納めたじゃないか」

「ウルサイ」

 ばきっ、と痛々しい音がした。リザードマンの一振りがグルナさんに命中し、彼の体が棚に叩きつけられた音だった。

 私は感覚的に察した。——この音、どこか折れている。

 苦しむグルナさんには目もくれず、リザードマンは品物の入ったケースを次々に叩き壊し始めた。

 目の前で不当な搾取が始まっていく。理性を感情が踏みにじって、私は思わず飛び出していた。

「やめて」

 思考よりも先に体が動く。リザードマンの頭を掴んで店の外に投げ飛ばした。

 グルナさんが受けた痛みの倍を与えるように意識した。たとえ彼に秘密を曝け出すことになっても、自分に嘘はつけなかった。


一陣の風ガスト


 全身を颯の如く加速させて外に出て、狼狽えるリザードマンの顔面を蹴った。

 ざあざあ降りの雨の中、私は腕を振り上げる。喉が擦り切れるほどの咆哮が轟いて、右の拳に痛みが走った。

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