第一節 精霊の国

第37話 雨の国


 ◆


 一日の半分で旱が世界を枯らし尽くし、もう半分で洪水が全てを満たし返す。

 砂漠を越えた先にある、昼と夜の精霊国。

 一つの支配を終わらせるため、私たちは精霊裁定国に乗り込んだ。


 ◇


 エルフの砂漠を強大な侵略者から守り抜いたたちはついに、魔王の魔の手が迫る領域——土の精霊の世界へと歩を進めた。

 砂漠が徐々に消滅し、地面に自然が溢れてきて、エルフの都から完全に抜け出たことを理解する。

 魔法車輪が停止した直後、ファルセットが窓より身を乗り出して言った。

「到着したのでしょうか」

 当たり前のことを問う理由は、眼前に広がる景色そのものにあった。

「うん、そのはずだけど」

 砂漠を抜けて、辿り着いたのは次の街のはず。しかし目の前には七色の霧が広がるばかりで、中の様子は全く窺えなかった。

 手でも入れようものならば一気に引きずり込まれて、戻ることは許されないような強制力がそこにある。直感に過ぎないけれど、私の中にあるドラゴンが何かを感じさせてきた。

 どうしようかと首を捻っていると、車輪より降りたネリネが魔力の霧を解析し始めた。

「……詳しい判断はできないけれど、次なる世界の支配者によるものね。たぶん、一度入ったら敵を倒さない限り止められない。決断は二人に委ねるわ」

 世界の支配者、土の精霊のことだろうか。

 この霧の向こうに何があるのか、それは入ってみなければ分からない。至って平凡な街があるのか、私たちの想像を絶する過酷な環境がそこにあるのか——もしかしたら、入ってみて取り返しのつかないことになるかもしれない。

 そうは思ったものの、私に撤退の答えを選ぶ気はない。それはメリアも同じだった。

「私はこのまま入るべきだと思う。魔法車輪の運転手には帰ってもらうとして、この四人で入ってしまえばいい」

「賛成。でも、入る前に荷物は整理し直すべきだと思う。何が起こるかわからないから、一人でも数日は凌げるように分割しよう」

 魔法車輪から全ての荷物を降ろして、食料や魔道具、金貨を分けていく。

 持ち運びながらでも動けるくらいの量を鞄に詰め込んだ後、仲間の方を振り返った。

「皆、準備はいい?」

 首を横に振る人は誰もいない。メリアが私の横に並び立った。

 私は何も言わずに視線を正面へ戻し、無限に広がるようにも見える霧へと足を踏み入れる。


 それが、精霊の国への第一歩だった——。


 まず、地を踏み出した瞬間に視界が揺らいだ。

 別世界に吸い込まれていくようで、言いようのない奇妙な感覚が全身を駆け巡る。何か形のない夢でも見たかのような感覚の後、私は目的の場所で目を覚ますことになった。

 

「ここは、一体」

 気絶していたのだろうか。どうやら夜半に目覚めたらしく、体に降り注ぐ冷たいものを感じ取って起き上がると、辺りは薄暗く大量の雨が降っていた。

 どれだけ眠っていたのか、私の体は自分でも驚くほどに冷えていた。

 荷物も濡れていて、食べ物や一部の魔導具は使い物にならないかもしれない。

「……ん、涼華ですか?」

 自分がびしょ濡れなのも気にしないで、私に駆け寄ってきたのはファルセットだった。

「ファルセット。よかった、キミがいて。他のみんなは?」

「二人とは別になってしまったようです。そしてこの雨……土の精霊のものとは思えません。これだけの大雨が降っていては、土の精霊とて力を発揮できぬでしょうから。何か別の要因があるような気がします」

 確かに、砂漠を作った者の力にしては違和感がある。雨が魔法によるものなのか、自然現象なのかは定かでない。しかし、もし自然なのだとしたら、これだけの量が降りしきる土地を支配地に選ぶのには何か理由があるのだろう。魔法によるものならば、この地が本当に土の精霊の支配地なのか、疑問を抱かなければならない。

 私は荷物を背負って立ち上がり、周囲の景色をぐるっと見回す。

 山の中だろうか。辺りは背の高い木々や草が生えていて、地面もどこか傾いている。それに加え、元いた世界なら警報が出てもおかしくないくらいの雨。この状況下で今の場にいる——その危険性を悟った時、身の毛が弥立つような感覚に襲われた。

「色々と気になることはあるけど、まずはこの場から離れるのが先だと思う。いくら魔法が使えても、土砂崩れでも起こったら耐えられない」

「っ、確かに。全くと言っていいほど土地勘はないのですが、涼華も同じですよね。どうしましょう」

「わかるのは川を目印に進めばいいってことくらい。暫くそうしてみよう。もし出れそうにもなかったら、私がドラゴンになって先導する」

 私とファルセットは横並びになって、速度を調整しつつ斜面を下っていく。ざあざあと止むことを知らない煙雨の中で視界は悪く、ぬかるんだ足元は私たちをこの山に引き摺り込もうと妨害を仕掛けてくる。

 魔法で体を強化して、足腰に負担がかからないよう注意を払う。普段山登りなんてしない私だけれど、魔力のフィルタと一陣の風ガストさえ使えれば多少の無茶は誤差にできた。

「……正体までは測りかねますが、この山は嫌なものが漂っている。まるでモミジにあったような、悍ましい呪詛の類いとでも言えばよいのでしょうか……ともかく、ここにいては私たちまで狂いかねない。急いで脱出しましょう」

「本当、進む度に嫌な感じがする。……あれ、右に川。方向変えるよ!」

 偶然見つけられた目印を指差し、私はブレーキをかけて右に向かう。それからすぐ、行く手を阻むように大木が眼の前に飛び込んできた。

「お任せを!」

 直後にファルセットが先攻、斬撃を飛ばす。切り裂かれた大木が道を作り、勢いを落とすことなく駆け抜けることができた。地面に転がる倒れた木の幹を飛び越えて川の見える辺りに沿い、私たちは再び山の出口へと駆け出していく。

 そこからは全力で、魔力で体を無理やり保たせつつ、二十分程度走っただろうか。

 段々斜面も緩やかになって、視界を奪うように常駐していた霧も段々と薄れていく。体は雨と泥で汚れきっていて、衣服がどうなっているのかさえも掴めない。それでもこの長丁場が終わりを告げると思えば、体はどんどん加速していった。


 雨の世界に入って初めての戦闘は、山を抜け出した直後のことだった。

 少し進めば街があるというところで、あの山に巣食う試練が私たちを出迎える。

 相手は砂漠の個体よりも一回り大きいリザードマンだった。その数は前より多く、更には山の泥が変貌して出来上がった、人の形をした何者かも加わって私たちを取り囲む。目を象るように作られた顔の穴を見ていると、聴いてはならない怨念が頭に流れ込んできた。

 やはりこの山には、どうにもできない呪詛が眠っている。

「ファルセット、背中は預けるよ。半分は私が蹴散らす」

「了解。心苦しくはありますが、顔も見ずに片付けるとしましょう」

 私とファルセットは荷物を静かに背より下ろした。

 背を紅いエルフの騎士に任せて、私は久方ぶりに炎魔法を詠唱する。

「喰らえ、夕立、輝ける松明アヴェルス・フラム

 手のひらより炎を解き放つも、ざあざあ降りの雨でその一部がかき消されてしまう。炎が活かせないのは厄介だが、この程度の弱体化なら連射で上手く調整できる。

 一撃では倒れなかったリザードマンに向かって突進し、私は再び一陣の風ガストを唱えた。但し今度はただの突撃ではなく、体中に大量の炎を纏わせている。

 誰でも使える汎用魔法にアレンジを加えただけの簡単な技だが、相手が手負いなら一撃で沈めることもできる。砂漠での戦いで見たメリアの動きを真似るように、私は満身創痍のリザードマンの腹を蹴り飛ばして、次の標的に突撃した。

 泥の塊と衝突すれば、敵は声を上げることなく肉体を崩していく。勢い余った私は放り出され、何度か地面を転がった後で立ち上がった。

『どうして私たちが』

 声が聞こえてくる。漫画でよく見るような、あんな生易しいカタカナなんかじゃない。怨念が自分のことを受け入れられず、変わってしまった自分自身に苦しみ抜いているように感じられた。

 本当に、これは聴いちゃ駄目な声だ。これ以上聴いていたら、私自身がおかしくなってしまう。

「……ごめん」 

 残る数体のリザードマンと汚泥の塊には夕立、輝ける松明アヴェルス・フラムを三度放った。

 横たわる者を眺めていると、頭に警鐘が鳴り響いた。私は静かに目を閉じて、名も知らぬ誰かに祈ることで終わりにした。

 ちょうどファルセットも戦いを終えたところのようで、静かに剣を仕舞い終えると、いつも通りの平常な様子でこちらに戻ってきた。

「お疲れ様です、涼華。やはり貴方は手際が良い。安心して背中を預けられます」

「ファルセットこそ。さ、取り敢えず歩こう……向こうに見える暖かい光、たぶん大きい街でしょ」

 相変わらず霧は立ち込めたままだが、それにも負けない力強さでいくつかの灯火がそこにある。

 一時はどうなるかと思ったが、誤魔化しつつ動けば街での行動も難しくないはずだ。

 メリアとネリネの行方を探して、私たちは大雨の止まぬ国へと入った。


 全て終わった後に振り返ってみれば、最初の呪詛からエルフの砂漠とは違っていたのだが——気が触れるほどの絶望がこの先に待ち受けていることを、この時の私はまだ知らない。

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